第二十五話 夢のあと
途中で夜営を挟み、川に沿って北上すると、俺は何事もなかったかのようにゴールを決めた。
もちろん計画通りに一番乗りだ。
「やるな、おまえ! 単独ゴールか」
ゴール地点で待っていたA組担任ボーンが、手放しで絶賛してくる。
また他五人の担任教師たちからも、おざなりな拍手が贈られる。
だが俺はいつもの無感動、無表情に戻っていた。
「俺の実力じゃありません。F学級の代表が考えてくれた、作戦のおかげですよ」
「ほう。そいつの名前は?」
「アナスタシア・ナインベルク」
「〈騎士〉ナイトハルトの末裔か!」
“落伍者”への偏見はないのか、ボーンはどこか納得した顔で快哉を上げた。
アナスタシアを首席卒業生にするため、今のようにコツコツ評価を稼がせていく上で、教師にマイナスの先入観がないというのは助かる話だ。
その後、教師陣は遠見の魔法と魔術を使った、試験の監督に戻った。
一方、俺は手持ち無沙汰。
試験が終了するまでに――集団行動戦略をとったEとF学級が「仲良く」ゴールするまでに、まだ何時間もかかるだろう。
無心に待つのも構わないが、ジルヴァに話しておきたいことがあった。
俺は彼女とアイコンタクトをとると、ぐったりして地面にへたり込む演技をする。
「私の生徒が体調不良を起こしたようだ。保健室へ送ってくる」
「んだね。そうしてあげなよー」
「この短時間でゴールを目指すのに、相当の無理をしたのだろう」
「まして慣れてねえ森の中を独りで行くのは、気を張りっ放しになるかんな」
ジルヴァが他担任たちに断り、それから俺の手をとる。
彼女の魔法で一緒に転移した先は、保健室ではなく教師寮にあるジルヴァの部屋。
「何があった、ルース」
「E学級のベイトに魔族が寄生していた」
俺は《秘密の収納庫》に保管していた、瞳のない漆黒の眼球を床へ放り出す。
「なんだと!?」
驚くべきベイトの本性と、魔族が絶滅していなかったという事実に、万事冷淡なさしものジルヴァも素っ頓狂な声を出した。
俺が詳しい状況を説明すると、真剣な顔つきで耳を傾けた。
そして、俺と同じ推論をした。
「マリアがおまえを育成学校に呼んだのは、これが理由か……?」
「大いにあり得る話だ」
「魔族め……。よりにもよって〈勇者育成学校〉で、いったい何を企んでいる……」
「さなあ。だが恐らく魔族は一匹限りではないし、人柱に考えているのもノア一人でもないだろう。陰謀好きの連中のことだ、さぞ壮大な何かを計画しているんだろうよ」
ベイトだったものに、その全容を吐かせようだなどとは俺は考えなかった。
魔族は異様にプライドが高い。どんなに痛めつけたところで口は割らない。
二百年前、散々に見てきたことだ。
「……承知した。魔族の件はボーンたちとも共有しておく」
「ノアの額の刻印も、俺がそれとなく消しておく。後は死んだベイトの処理だが――」
「そちらは学校に任せろ」
「わかった。なら話は終わりだ。保健室に送ってくれ、ジルヴァ」
「ああ。格好だけでも養生しておけ」
ジルヴァが再び魔法を使い、今度こそ保健室へと転移した。
俺は養護教諭にベッドを借りて、そのままひと眠りすることにした。
◇◆◇◆◇
ベイトの退学処分は、その日のうちに発表された。
彼は試験中、単独行動をするF学級の生徒を狙い、ルールを破って襲撃をかけた。
ベイトは結界魔術を用いて監視の目を逃れる算段だったが、世界最高の魔法使いであるジルヴァの遠見は誤魔化せなかった。
すかさずジルヴァが現地へ転移し、試験の失格とペナルティーを言い渡したところ、ベイトは逆上して教師に刃を向けた。
即時退学となるのに充分すぎるほどの理由であった。
――というカバーストーリーだ。
〈勇者育成学校〉では様々な理由で、生徒がいなくなることが珍しくない。
皆も(特にE学級は)最初は騒然となるだろう。しかし策士策に溺れた粗忽者のことなど、すぐに忘れていくことだろう。
◇◆◇◆◇
俺は夢を見ていた。
マリアの夢だ。
俺がこの手で何度も梳いた彼女の髪は、あのころと同じく銀糸を束にしたように煌めていて、まるで色褪せていない。
でも、俺が何度も間近で見つめた彼女の花の顔は、今はひどく曇っている。
「呼びつけてごめんなさい、ルース……」
その表情でマリアは申し訳なさそうに言った。
俺はすぐにかぶりを振った。
君が呼んでくれるなら、どこにだって行く。
むしろ呼んで欲しいんだ。
「面倒を押し付けてごめんなさい……」
マリアは哀しげに顔を伏せて言った。
俺はすぐにかぶりを振った。
君の頼みならば、面倒だなんて思うことは絶対にない。
だから顔を上げてくれないか。
「巻き込んでごめんなさい……」
マリアは俺の瞳を見つめて言った。
俺はすぐにかぶりを振った。
君が何か問題を抱えているのなら、他人事じゃないんだ。
俺も当事者なんだよ。
「……ありがとう……ルース……」
最後にマリアが言った。
哀しみを堪え、無理やりに微笑みながら。
その姿がにわかに遠ざかっていった。
俺は懸命に手を伸ばした。でも一度も触れることはできなかった。
俺は懸命に叫んだ。でも声にはならなかった。
夢の中だからか?
夢のせいだからか?
構わず俺はがむしゃらに叫び続ける。
何百回でも訴え続ける。
愛してる、マリア。
今もずっと。
――そこで俺は夢から醒めた。
保健室のベッドの上で、なお目を閉じたまま、じっと余韻に浸っていた。
マリア。
俺に会いに来てくれたのか。
身内だけでなく、俺の夢枕にも立ってくれたのか。
育成学校にいれば、もう一度会えるだろうか。
「会いたい……」
閉じたままの瞼から、涙が一筋、俺の頬を伝う感触がした。
泣くのなんて、二百年ぶりのことだった。




