第二十一話 策士、策に溺れる瞬間
学級対抗試験もいよいよ二日後に迫った。
その日の放課後も俺は泉の公園へと向かい、ビアンカにエサやりをした。
またノアとの話題はどうしても、対抗試験に関するものが多くなった。
「私たち明後日は、お互いライバル同士だね」
「ああ」
「正々堂々、全力で競い合おうね」
「わかった」
「だからって別に、ルース君のことが嫌いになったわけじゃないからね?」
「わかってる」
「どっちが勝っても負けても、恨みっこなしだよ?」
「もちろんだ」
元々おしゃべり好きのノアだが、今日は矢継ぎ早に畳みかけてくる。
不安の裏返しだろう。
前回の試験では他人同士だった俺たちが、今や交友を結び、にもかかわらず戦うことになる。
それでもし友情に亀裂が入ることになったらどうしようかと、試験日が近づいてきてノアはナイーブになっているのだ。
俺は彼女の心情に気づかないふりをし、また敢えて生返事を繰り返していた。
すると聡いノアもこちたの様子に気づいて、
「ルース君、今日はどうしたの? 変だよ」
「……変とは?」
「いつもは私の話にしっかり耳を傾けてくれるのに、今日はずっと上の空って感じ」
「……悪い」
「謝らなくていいけど……何か気がかりなことがあるなら、相談に乗るよ?」
「…………」
俺はエサを食べ終わったビアンカの喉を撫でながら、しばし迷うふりをする。
同時に周囲の気配を探り、聞き耳を立てている者がいないか確かめる。
それから意を決したように、それでいておずおずとした口調を作って、
「実は試験日が近づいて、だんだん緊張していてな……」
「へー! ルース君てどんな時でも慌てず騒がずってイメージだけど、そんなことあるんだ?」
「俺だって人の子だからな。ナイーブになることもある」
「うんうん、それでそれで?」
「実は今度の試験で、一番重要な役割を任されてしまったんだ」
「えっ!?」
「うちの代表のアナスタシアが、ゴールまで近道になる川を発見した。それで学級でも目立たない俺が密かに単独行動をとって、そのショートカットルートを――」
「ちょ、ちょ、ちょっ、待って! 待ってルース君!」
俺の打ち明け話を遮って、ノアが大慌てで制止した。
「どうした、ノア?」
「どうもこうもないヨ! それ、F学級の大切な作戦でしょ!? 私に漏らしたらダメだよ!」
ノアの忠告はほとんど悲鳴のようだった。
黙って聞いていれば、E学級が有利になっただろうに。
ノアは本当に純朴というか、悪いことができない奴だな。
畜生にも劣ったあの〈御者〉の血を引いているというのが、信じられない。
そんな心の真っ直ぐなノアと、俺は空惚けて会話を続ける。
「ダメだったか?」
「ダメに決まってるヨ!」
「そうか……。俺はノアなら別に構わないかと思ったんだが……」
「構うってば! とにかく今のは聞かなかったことにするから、ルース君もお口をストップ!」
「……わかった」
俺は真面目腐って首肯した。
ほら、やっぱりノアなら言っても構わなかったじゃないか――などとは、からかわなかった。
「ルース君てけっこう大胆なんだね」
「そんないいものじゃない。要するに学生気分なんだろうな、危機意識が足りないだけだ」
もしアナスタシアが今のやりとりを聞いていたら、きっと卒倒していたことだろう。
俺がスパイを働くどころか、あべこべに重大情報を漏洩してしまったのだからな。
「よし、試験の話はやめよう! やめやめ!」
「ノア?」
「試験の外では、私たちは友達なんだから。当日が来るまでは全部忘れて、ビアンカのお腹を撫でましょ?」
「わかった。無心で撫でるとしよう」
猫はよほど気を許した相手でないとお腹を撫でさせはしないし、白虎たるビアンカはその比ではなく気難しいはずだが、この日は空気を読んだかのように俺たちへお腹を向けた。
二人で心行くまで撫で、他愛のない談笑をして、俺はさも塞いでいた気が晴れたかのように振る舞った。
実のところ――
俺はその気になれば〈御者〉の奥義《完全使役:神獣》で、ビアンカに思いのままのポーズを強制させることができる。
それどころか試験当日だけ飼い主の言うことを聞かせず、ノアの元を離れるよう命じることだって可能。
より悪辣な策を弄せば、ノアがビアンカにとってこさせるだろう食料の中に、毒キノコを混ぜておくようあらかじめ言い含めておくことさえもだ。
しかし、俺にその手の妨害をするつもりは一切ない。
ノアとの友情があるから? 無論、違う。
俺が今回の試験で狙っている相手は、ノアではない。
それだけのことだ。
◇◆◇◆◇
E学級代表ベイトは、自室の机で聖書を読み耽っていた。
「教会」と違い、「聖殿」は完全なる人工宗教であり、ベイトは他の聖職者の例に漏れず殊更に「主」を崇めていないし、まして「現人神」だなどと信じていない。
信仰心のない彼だからこそ定期的に聖書を読み返さないと、内容を忘れてしまいそうになるのだ。
在学中は無縁かもしれないが、不意に説法を頼まれた時に、聖書の一節も諳んじることができないでは示しがつかない。
面倒なことだが、聖職者としての体面や立場を守るためには、致し方ない努力だった。
(明後日の試験をどう勝つか――そんなことを思索していた方が、まだしも楽しいのだがな)
そんなことを考えながらページをめくるベイト。
まさにその時だ。
部屋のドアが控えめにノックされる。
「空いているよ」
「失礼します、ベイトさん」
小声で滑り込んできたのは、クラスメイトの男子だった。
盗賊系のスキルに長けており、間者紛いの仕事を頼むのに重宝していた。
ここ最近はノアとF学級の“最下位”の逢瀬を、密かに監視させていた。
「何か面白い話があったか?」
「F学級の奴ら、ロマールの森の最短コースを見つけたようです。それで“最下位”がこっそり単独行動をとって、ゴールを目指す作戦みたいで」
そう“最下位”がノアに打ち明けたのを、確かに耳にしたのだという。
(やはりノアの友情ごっこを認めたのは、正解だったな)
破顔するベイト。
我が意を得たりとはまさにこのこと。
純真なノアにスパイの真似事は不可能だし、端から頼みもしなかった。
が、“最下位”の方がうっかり何か漏らすことはあるだろうと、ベイトは踏んでいたのだ。
だからノアが学級で槍玉に挙げられていた時、ベイトは聖者ぶって他学級の生徒との交友関係を応援してみせたのだ。
「明後日の対抗試験は、E学級のものとなるだろう」
ベイトは報告してくれたクラスメイトを下がらせると、再び聖書を読み耽る。
さっきまでよりも遥かに前向きな、昂揚した気分で。




