第十七話 〈御者〉の末裔ノア
翌日の放課後。
王都内の公園――泉を中心に木々が囲む、林とも呼べない小さな場所に俺は来た。
先客がいた。
泉のほとり、公園に住む小動物たちとたわむれる、栗毛の美少女。
〈御者〉の末裔にして獣使いのノアだ。
リスの毛並みを撫で、ツバメにエサをやり、また白猫の方が彼女に額をこすりつけと、本当に楽しそうに動物たちとじゃれ合っている。
俺はノアのことなど全く知らない素振りで、ゆっくりと歩み寄っていく。
あちらもすぐに気づいたし、お互い制服姿なので育成学校の生徒同士だというのもすぐわかっただろう。
「何か御用かな?」
小鳥のようなその声も、首を傾げる仕種もまさに可憐。
俺はあくまで偶然出会ったふりを続け、
「あんたも動物が好きなのか?」
とノアの周囲を指し示す。
「うんっ。君も?」
「王都内でもここならいっぱいいると聞いて、訪ねてみたんだ」
答えて俺は、手招きしながらチチチと舌を鳴らす。
すると、ノアの肩に停まっていた二羽のツバメが飛んできて、俺の肩に停まる。
「上手だね!」
とそれを見たノアが、同好の士を発見した顔で瞳を輝かせた。
当然だ。
俺は〈教師〉の指導の元で、勇者パーティーのメンバーが体得していた全てのスキルを、魔王討伐の旅の間に習い、鍛え、極めた。
無論、彼女の先祖――〈御者〉イナヴィルのスキルも例外ではない。
ツバメを使役するなど朝飯前だ。
だが俺は「そうなのか?」と空惚ける。
ただの動物好きが、その愛が極まって野鳥と戯れるコツを覚えた風を装う。
内心は無感動に、肩に乗ったツバメたちの白い腹をくすぐる。
そして、ノアの心のうちに一歩踏み込むことができた手応えを感じ、すぐ隣に腰を下ろす。
俺がリスを手に乗せ、ノアが笑顔で木の実をやる。
「私はノア。一年のE学級だよ」
「ルースだ。同じく一年のF学級」
お互いに名乗る俺たち。
だったら昨日、試験で競い合った相手だとノアも気づいただろうが、動物たちと触れ合う今この瞬間に、無粋な話はどちらもしなかった。
無心で動物たちと戯れることしばし――
俺はノアの膝へじゃれついている白猫に目を向けた。
「君の飼い猫か? 可愛いな。虎縞が似合っている」
「う、うん、ビアンカっていうの。実は猫じゃないんだけど……」
ノアはそう答えつつ、言葉を濁す。
そう。
こいつがただの猫でないことを、俺こそ実は知っていた。
白虎と呼ばれる神獣なのだ。
昨日の試験では巨大化し、ノアを背に乗せているところを目撃した。
二百年前に〈御者〉が、連れていた白虎の仔をどこかの貴族にわけていたが、それが恐らくこのビアンカだろう。あれがノアの家元である伯爵家だったのだろう。
そして代々守護獣として、今のノアに至るまで伝わっていたのではないか。
俺は何も知らないふりをし、惚けてノアに訊いた。
「エサがあるんだ。ビアンカにやってもいいか?」
「待って!」
ノアはいきなり大声を出した。
反射的な行為だ。彼女も遅れて自覚し、「急に大声を出してごめんなさい」とわびてから、
「ビアンカは私とお祖父様以外の誰にも懐かないの。エサも絶対にもらわないの」
「やってみないとわからないだろ」
俺は携帯していた小袋を開き、地面に広げる。
中には魚屋で安く譲ってもらってきた、売り物にならない雑魚やアラの部分が入っている。
「ほら、ビアンカ。食べていいぞ」
「待って待って待って! 危ないんだヨ! このコ、すぐ引っ掻くんだから!」
ノアがほとんど悲鳴になって俺を制止する。
だが俺は待たない。
ビアンカも待たない。
俺の方へまっしぐらに来ると、雑魚やアラを旨そうに頬張り始めた。
「どぇえええええええええええええ!?????」
ノアが美少女らしからぬ驚き声を上げた。
それくらいびっくりしたということだろう。
「なんでェ? ビアンカなんでェ?」
ノアが訊ねてもビアンカは、素知らぬ顔で俺がやったエサを貪っている。
その様子をしばし食い入るように見つめた後、ノアは一転してホーッと胸を撫で下ろす。
「本当にすごいね、ルース君。まさかビアンカまで懐くなんて」
「別に動物好きなら、猫と仲良くなるくらい普通だろ?」
「だとしたらルース君の心根が、特別に綺麗なんだろうね」
ノアはとびきりの笑顔を俺へ向けて言った。
君は将来詐欺師にだまされないよう、気をつけるべきだな。
◇◆◇◆◇
それから十日の間ほとんど毎日、俺は放課後になるとすぐに下校するようにしていた。
もちろん今日もだ。
「今から少し時間をもらえないかしら?」
と隣の席のアナスタシアに密談を持ちかけられても、
「すまない、用事がある。明日の朝ではダメか?」
と俺はすげなく断り、机を立つ。
「る、ルース君っ。きょ、今日ちょっといいかなっ」
とメイチェに勇気を振り絞った様子で呼び止められても、
「悪い。この後、用事があるんだ」
と俺はやんわりと断り、教室の外へ向かう。
すると出入口脇に立っていたダークエルフ女子のカニャが、からかうように口笛吹いて、
「やるじゃん、“最下位”クン。あんな美人やおっぱい大きいコを、二人同時に袖にするなんてさ。意外と色男?」
「やめてくれ。たまたま用事があっただけだ」
「だからってフツーは用事の方にご遠慮願うと思うけどねー」
カニャにとってはよほど異様な事態に見えたのか、今まで一度もまともに話しかけてきたことのない彼女が、珍しくからんでくる。
「それとも、よっぽどの用事だったりー?」
「悪い、急ぐんだ」
「アハハ、ごめんごめん。じゃーねー、色男クン」
ひらひらと手を振るカニャを脇に、俺は今度こそ教室を後にした。
速足で向かったのはもちろん、件の泉の公園だ。
途中で魚屋に寄るのも忘れない。
待ち合わせ相手は、先に来ていた。
今日も泉のほとりで小動物や野鳥と戯れる、E学級のノアだ。
「すまない、遅れた」
「いいよ、ビアンカのエサを買ってきてくれたんでしょう?」
可憐な笑顔で許してくれるノアの隣に、俺は腰を下ろす。
二人でビアンカにエサをやり、また公園に棲む小動物や野鳥たちと戯れる。
食事を終えるとビアンカは、すっかり満足げな様子で体を丸める。
俺が毛並みに沿って背中を撫でてやると、ますます気持ちよさげな顔をする。
白虎の毛の手触りのよさは、並の猫とは比べ物にならない。モフモフの極み。
俺が無心で撫でていると、ノアも手を伸ばしてきて、左右から一緒にモフる。
ところが一緒に撫で回していると――なにぶん猫の小さな体のことなので――俺の手と彼女の手が、わずかに当たったりする。
そんな程度の接触で、ノアはびくっと緊張し、背筋をピンと伸ばす。
薄っすらと、じんわりと頬を紅潮させる。
深窓育ちというわけではなさそうだが、やはり伯爵令嬢か。男への免疫皆無と見える。
E学級代表のベイトとは恋仲との噂があるが、これ一つとっても嘘だとわかるな。
一頻りビアンカを撫でた後、俺は立ち上がった。
ノアはびっくりして、
「え、もう帰っちゃうの?」
「エサは無事やり終えたしな」
「でも……」
「ノアはEで俺はF学級だ。敵同士で一緒にいるところを、誰かに目撃されたらよくないだろ」
俺は噛んで含めるようにノアを諭した。
「学級が違っても仲良くしてるコたちなんて、いくらでもいるヨっ」
ノアは聞き入れず、敵同士なんかじゃないと激しく訴えた。
思わずといった様子で、立っている俺の右手をにぎって捕まえた。
「あっ……」
遅れて自分の大胆な行為に気づき、ノアは耳たぶまで真っ赤になる。
たかだか男と手をつないだ程度で、まったく初心なことだ。
だけどノアは同時に、意志の強い娘なのだろう。赤面するほど照れていながら、決して俺の手は離さない。逃がしてくれない。
「……そうだな。別に見られても構わないか。一緒に動物と戯れているくらい」
「そ、そうだヨっ」
俺は再び腰を下ろす。
ノアと一緒にヒバリにエサをやったり、リスを手に乗せて撫でたりする。
他愛もない談笑に興じる。
それから不意打ちに、
「俺もノアに触っていいか?」
「俺もってどういうことカナ!?」
「さっきノアに無理やり手をつながれた。俺、初めてだったのに」
「ごごごごめん! あれはつい勢いで!」
「じゃあお返しに触ってもいいか?」
「ぐっ、具体的にどこを触りたいの……?」
「髪」
俺が端的に言うと、ノアはホーッと胸を撫で下ろした。
「そ、それくらいなら、いいよっ。恥ずかしいけど……その……ルース君なら」
「ありがとう」
俺は遠慮なくノアに手を伸ばす。
ただし――それこそリスをいたわるよりももっと――優しく髪を撫でる。
ノアも相当に照れ臭いのか、はにかむようにうつむいてしまう。
それで俺は彼女の前髪をかき上げ、確認する。
生え際のところにある、それこそ普通なら痣だとしか思わないだろう、小さなそれを。
目を鋭くして。
◇◆◇◆◇
翌日。
F学級の教室は、俺とノアの噂で持ちきりだった。
放課後になるとムード満点の公園で逢瀬を繰り返し、愛をささやき合っているだのと、あることないこと言われていた。




