第十四話 霧の中の狂騒
森に濃霧が発生するその前――
リックが率いるチームは、幸運にも三本目のフラッグを発見していた。
ただし同時にE学級のチームとも遭遇し、奪い合いになってしまった。
数はこちらが十四、あちらが十六人とやや劣勢。
かなりマズい状況だ。
「みんな、自分の命を最優先で!」
リックはチームメイトに号令すると、自らは相手の注意を引き付けるために突撃。
大陸北部の強豪、ルーン魔法騎士団出身の彼は、フラッグを狙うE学級の男子三人を相手取って斬り結び、互角以上に戦う。
またE学級の魔術師女子が、彼のチームメイトたちを牽制するため《下位火球魔術》を放つのに応じ、リックもまた《下位火球魔術》を以って相殺する。
その勇戦ぶりを見て、鼓舞されたチームメイトが一人、また一人と武器を執って参戦してくれる。ありがたい!
特に学院出で、F学級で最も黒魔術の腕前が達者な男子生徒であるディケムの、火力支援は頼もしかった。
無論、E学級の生徒も躍起になって攻めかかってきて、フラッグ周囲はたちまち大乱戦に。
不幸中の幸いは、E学級にも遠巻きに見守るだけの生徒が少なくないこと。
リックのチームも五人がそうだが、戦闘行為が苦手なのだろう。
そして、リックの個人武勇はこの大混戦の中でも際立ち、彼が率いるF学級は、上手のはずのE学級をじりじりと押し返し始めた。
「行けるぞ、リック!」
「三本目のフラッグはいただきよ!」
「みんなで力を合わせてゲットするんだ!」
チームメイトたちの士気がさらに高まった。
まさにその時だった。
白く烈しい一陣の風が、戦場を駆け抜けた。
否、風と見えたのは錯覚。
その正体は白い毛並みを持つ、神秘的な佇まいの虎である。
背にはE学級の女子(それも美少女!)が跨っている。
「ごめんね、フラッグはもらっていくね!」
虎使いの女子が、リックたちに断りながら旗をかっさらっていく。
巨躯と剛力、俊足を持つ白い虎の突進を止められる者など、この場に一人もいなかった。
「さっすがノアちゃん!」
「オレたちもズラかれっ」
「じゃあねー落ちこぼれ学級のミナサーン」
E学級の生徒たちも、もはやこの場に用なしと撤退していく。
「やられた!」
と悔しがるリック。
追いかけたところで、森の中を俊敏に駆け去っていく野獣を捕まえられるとは思えない。
否――たとえ追いかけようにも、それどころではない異常な事態が発生した。
何の前触れもなく濃霧が、しかも急激に立ち込めてきたのだ。
たちまちクラスメイトたちが狼狽し、チームは立往生となってしまう。
さらには! 濃霧の中から次々と、実体を持たない亡者たちが現れるではないか。
(幽霊!? いや、亡霊か!)
一般的には知られてないが、学問の世界ではその両者は明確に区別される。
教養も深いリックはそのことを理解している。
前者は強い未練を残したまま死んだ者が、魂だけの姿となって現世を彷徨う自然現象。
一方、後者は高位の黒魔法によって作成される、強力なアンデッドモンスターである。
生物は亡霊に触れられただけでその生気を奪われ、すぐに昏睡に至る。
さらに生気を奪われれば死を待つのみ。
対して亡霊を撃退する術はあまりに少ない。
通常の攻撃魔法を含む、あらゆる物理攻撃が一切通じず、よほどの神官や聖職者でもなければ太刀打ちできないのだ。
(まして僕たちが使えるような白魔術では、到底歯が立たない)
そう考えてから、リックの判断は早かった。
「皆、ペンダントを使って今すぐ棄権するんだ!」
「リック君はどうするの!?」
「僕だけ残って、フラッグを死守する!」
運んでくれていたチームメイトから二本ともを預かり、リックは駆け出す。
チームメイトたちは状況についていけない様子だったが、襲い来る亡霊たちに恐れをなし、次々と転移のペンダントの力で安全地帯へ離脱していく。
これでリックも後顧の憂いなし。
(どうしていきなり、これほど大量の亡霊が発生したのか――疑問はつきないけど、今は考察してる場合じゃない!)
迫る亡霊たちを振り切って、フラッグを抱えて走る。
(絶対に逃げ切ってみせる!)
そしてフラッグをせめて二本、F学級に持ち帰るのだ!
◇◆◇◆◇
濃霧同様、亡霊の群れもロマールの森全域に、大量発生しているようだった。
次々と棄権してくる生徒たちの報告で、三学級の担任たちも状況を知る。
D学級の俊英であろうと、F学級の落ちこぼれであろうと、この強力なアンデッドモンスターの前には等しく無力。
事態を重く見た教師三人は、ただちに集まって話し合う。
「異常事態だ。今すぐ試験を中止すべきだ」
D組担任グスタヴが、しかつめらしく提案した。
それに待ったをかけたのがエルフの美女――F組担任ジルヴァである。
「確かに異常事態だ。しかし、これが自然現象によるものでない以上、中止には及ばないのではないか?」
「誰か生徒による作為っていうの、ジルヴァちゃん?」
E組担任、情熱的な吟遊詩人にして炎の魔剣の使い手でもあるアリカが、嘘でしょと驚く。
だがジルヴァはこの霧と亡霊が、ルースの仕業だと確信していた。
彼の正体は明かせないなりに、生徒が意図した行動ならばアシストしようと考え、
「試験が始まった途端に都合よく発生する霧など、まず自然現象ではないだろう。ましてこれほど大量の亡霊は、絶対に偶然では出現しない」
「それはそうだが……」
「天候を操るのも大概の話だけど、亡霊の大量召喚なんて伝説の〈魔女〉クラスの仕業だよ? 生徒なんかに本当に可能なの、ジルヴァちゃん?」
「私とて信じ難いが、現実に見せつけられてはそう考えるしかあるまい」
「これほどの実力を隠し持つ奴が……それも我々をして見破らせない奴がいたということか」
「はぇー。まったく、どこの学級の生徒なんだか」
アリカも交え、三人で唸る。
「わかった、ジルヴァの言うことがもっともだ。これが事故ではなく生徒の作戦だというなら、教師の一存で試験を中断するわけにはいかない」
「ただこのやり方じゃ、死人がいっぱい出たりしない? それはマズいけど……」
アリカは重ねて中止を提案したが、ジルヴァはやはり待ったをかけて、
「亡霊どもに生気を吸われ、生徒が昏睡した時点で安全装置が働く。死に至る前に安全地帯まで一瞬で脱出できる」
「あっ、そっか!」
「この謎の生徒は、そこまで計算して亡霊を召喚したのだろうな」
「恐らくは。これがグールやスケルトンだったら召喚する難度は大きく下がるが、生徒から死者が続出していたはずだ」
「はぇー、大したコねえ。顔を拝めないのがザンネーン」
アリカが吟遊詩人の職業病か、心底無念そうに言った。
ジルヴァの持つ水晶球に、三人の視線が集まる。
遠見の魔法で森の中をいくら覗いても、真っ白な霧以外の何も見えない――
◇◆◇◆◇
アナスタシアチームの誰もが恐慌状態に陥る中、ギリギリのところで冷静さを保っていたのは、メイチェだった。
「お助けください、神様!」
胸の前――否、豊満極まる乳房に半ば埋もれるように両手を組むと、信仰する神へと祈願。
緊急時ゆえの雑な請願だったが、それでも発動するのが「魔法」という才能の賜物である。
メイチェの全身から光が溢れたかと思うと、周囲の亡霊たちがまとめて消し飛んだ。
《上位浄霊魔法》。
高位の神官や聖職者でも滅多に使い手のいない、その大魔法による効力であった。
如何に亡霊が強力無比なアンデッドモンスターであろうとも、類稀な白魔法の才能を持つメイチェにとっては与しやすい相手といえた。
これを見てアナスタシアも我に返る。
「助かったわ、メイチェ。そしてお礼を言うわ」
「ど、どういたしましてっ」
「甘えついでに訊くけど、今の白魔法はあとどれだけ使えそう?」
「ヒ、《上位浄霊》でよかったら、何十回でも……」
メイチェは自信なしにおずおずと答えた。
それを傍で聞いていたミュカが、「冗談でしょ!?」と目を剥く。
ハーフエルフの彼女は白黒両方の「魔術」の筋が良いと、ジルヴァの元でメキメキ実力を伸ばしているところで、だからこそメイチェの「魔法」の才能が破格だと実感できたのだ。
一方、アナスタシアは我が意を得たように破顔一笑、
「これはチャンスだわ、皆!」
亡霊の脅威が去り、続々と落ち着きを取り戻していくチームメイトに号令する。
「この霧の中、亡霊どもが跋扈する中では、他の生徒たちは試験どころではないはずよ――」
アナスタシアは力説した。
その間にも四方八方から、他の生徒たちの悲鳴が遠く残響のように聞こえていた。
亡霊どもに襲われたのが自分たちだけではないという証拠だ。
「でも私たちにはメイチェがいる。霧はともかく亡霊どもは恐れずにすむ。試験続行、可能な限りのフラッグをかき集めるのよ」
「な、なるほど……」
「確かにチャンスだわ!」
「アナスタシアさんの言う通りだっ」
リーダーの言葉にチームが沸き、一丸となるムードが醸成されていく。
「メイチェを中心に円陣を組み、慎重に移動を開始するわ。先導は私に任せて頂戴」
アナスタシアの指示に、ミュカたちが従う。
メイチェの周りに全員が集まってくれる。
これなら《上位浄霊魔法》で皆を守りやすいし、メイチェも最初からこうしたかったのだ。
ただ、訴えても皆がパニックだったわ、メイチェの声が小さすぎるわ、普段から発言権のない存在だわで、聞く耳持ってもらえなかっただけ。
そこをアナスタシアが素晴らしいリーダーシップで、チームをまとめてくれた。
彼女に感謝するとともに、メイチェはルースの言葉を思い出す。
――それが適材適所というものだ。それでこそチームを組む意味がある。二百年前の“勇者一行”だって、一人一人の力では魔王軍にまるで歯が立たなかったそうだからな。
全く彼の言う通りだった。
チームを率いるのはアナスタシアの役割。
チームを守るのはメイチェの役割。
一人で何もかもをしようと、そんな気負いは要らないのだ。
(わたしにできることを、しっかりやる。それが大事なんだね、ルース君っ)
自信の欠片も持っていなかったメイチェが、成長できた瞬間だった。
他の者には小さくても、彼女にとっては大きな第一歩であった。
メイチェを中心、アナスタシアを先頭に、チームが慎重に移動する。
霧で前方が見通せない中、下手に急げば木の根上がりや下生えに足をとられるだろうし、チームメイトがはぐれてしまいかねない。
鈍臭いメイチェもこれは助かる。ついていける。
また亡霊が現れるたびに《上位浄霊魔法》で昇天させる。
そして、霧の中をどれだけ彷徨い歩いただろうか?
「あったわ! 二本目、確保よ」
アナスタシアが喜声を上げ、行く手に見つけたフラッグへ駆け寄った。
チームメイトたちも歓声を上げて、彼女と旗印を取り囲んだ。
「やったね、アナスタシアさん!」
「ええ。これもメイチェのおかげだけれど」
「うんうん、あれだけ幽霊と遭遇しても平気だったもんねっ」
アナスタシアやミュカ、チームメイトたちの激賞。
褒められ慣れてないメイチェは「え、えへへ……」とはにかむ。
うれしいなんてものじゃないし、これもルースが背中を押してくれたおかげだと思うと、ますます彼のことを憎からず想ってしまう。
だが対照的に、二本目のフラッグが確保できたことを素直に喜べないチームメイトもいて、
「一本見つけるのに、時間がかかりすぎじゃないか?」
「この調子じゃ試験終了までに、どれだけ集められることか……」
「仕方ないわよ、この霧の中だもの!」
「だからってなあ……」
そう言って悲観する者たちに対し、アナスタシアは毅然として主張した。
「そこは問題ではないわ。言ったでしょう? メイチェのいない他学級はそもそも試験どころではないと。仮に諦めていない生徒がいたとしても、私たちよりもっと僥倖に頼らなければ、フラッグ回収はままならないはずよ。結果として今回の試験は、全学級が極めてロースコアでの勝負となるはず」
「そ、そうか……」
「まだ二本目だって嘆く必要はないのか……」
「そういうこと。引き続き、焦らず探していきましょう?」
「わ、わかったよっ」
「リーダーはアナスタシアさんだ!」
アナスタシアの堂々たる態度は、同性たるメイチェが見惚れるほどで、確かな説得力となってチームに浸透し、皆を牽引する。
まるで御伽噺に出てくる、凛々しい女騎士もかくやだ。
再びアナスタシアを先頭に移動を開始し、メイチェが亡霊を撃退し、時間こそかかれど三本目、四本目と着実にフラッグを確保していく。
「勝てる……」
と誰かが噛みしめるように独白したのが聞こえる。
だが好事魔多しか。
そこで誰かの悲鳴が聞こえた。
ミュカだ。
下生えに足をとられ、くじいてしまったらしい。
「ご、ごめんね、みんな。アタシは棄権するから、みんなは先に行って」
足手まといになりたくない一心だろう、ミュカが健気にそう言った。
別に棄権してもペナルティーはないとはいえ、チームの皆と頑張りたかったという彼女の想いが、その表情からアリアリと伝わった。
メイチェはひどく共感する。
これが他の状況だったら、ミュカの代わりにドジでチームの足を引っ張ったのは、自分だった可能性が高いのだ。
だから、
「す、すぐに治すねっ」
メイチェはミュカに駆け寄り、治癒の魔法をかけようとした。
あくまで善意と同情の、反射的な行動だ。
その拙さに気づき、「あっ」とこぼしたのはアナスタシアだけだった。
そう――
メイチェが治癒魔法に集中したその隙に、新たに現れた亡霊が襲い掛かってきたのだ。
これに咄嗟に《上位浄霊魔法》で対応するのは、鈍臭いメイチェには不可能だった。
触れただけで生者を昏睡に追い込む亡者の手が、少女に伸びた。
刹那――銀光が濃霧を切り裂いた。
飛来した矢だ。
それが亡霊を貫き、消し飛ばした。
物理攻撃は効かないはずのアンデッドモンスターを、昇天させたのだ。
「た、助かった……」
メイチェは胸を撫で下ろす。
いったい誰が助けてくれたのか? 矢を放ってくれたのか?
この霧の中では、答えを見つけることはできなかった。
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