第十二話 紛糾と布石
にわかに静まり返った教室内で、ドリヤンが独演を始める。
「『これは必勝の策ではない』だとはねえ? よくぞ偉そうに言えたものだと逆に感心するよ、落ちぶれ伯爵家のご令嬢殿? まさしく“落伍者”の末裔にお似合いの発想というか、そんな後ろ向きな作戦はワタシはお断りだよ。なのに勝手に決定に持っていこうとするだなんて、キミは可愛い顔をして独裁者気質なのかい? おお、恐わや恐わや」
ドリヤンが亜麻色巻毛をコネコネしながら、嫌味を言い続ける。
取り巻きどもが一緒に、ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべる。
大人しく教室に残り、珍しく静かにしてた連中だが、効果的に横槍を入れるタイミングを見計らっていたのだろう。
教室内がざわつく。
アナスタシアの顔が強張る。
だがこの問題児どもをどうにかしなければ、作戦会議はまとまらない。
「わかったわ、ドリヤン。あなたにも作戦があるなら聞かせて頂戴」
「いいや、別にないがねえ?」
「代案もないのに私の作戦にケチをつけるつもり?」
「ワタシの気に食わないものは、気に食わないのだよ」
「呆れた……そんなワガママが通るわけないでしょう?」
「代案がなくては異議を唱えてはいけないと、いったい誰が決めたのかね? キミか? そういうところが独裁者気質だと、ワタシは指摘しているのだがねえ」
アナスタシアに不名誉なレッテルを張り、巻毛をコネるドリヤン。
こいつはこういう人間だ。
ありていに言えばクズだ。
生真面目なアナスタシアからすれば信じられないだろう。
彼女は恐らく、論さえ正しければ誰にも受け入れられるものだと、そう思い込んでいる。
しかし人間社会とは、そんなお綺麗なものではない。
ドリヤンのような低脳はどこにでもいて、「気に入らない」とかふわっとしたお気持ちで、やる気のある者、正しき者の足を引っ張り続けるのだ。
こういう人間がいることを勘定に入れてなかったのが、アナスタシアの詰めの甘さ。
「私の作戦は気に入らない。でも代案はない。ではどうすればいいというの、ドリヤン?」
「ワタシのお気に召す作戦を考案してくれたまへよ。タキトール侯爵家の男が剣を預けるに足る、必勝策というものをズバリとねえ。ワタシだって勝ちたいのだ。むしろ人一倍その気持ちは強いと自負している。だからキミの意見に納得できれば、たとえ“落伍者”の思いついた作戦であろうと、全力で協力することを我が父祖に懸けて誓おうフフフ」
「簡単に言ってくれるわね……っ」
アナスタシアは憎々しげに歯噛みした。
ドリヤンは巻毛をコネコネしながらすっ呆けた。
見かねたように意見を出したのはリックだ。
「チームを二つ――いや三つに分けて、それぞれ自由に作戦を立てたり、試験で行動するってのはどうかな?」
妥協案と言えば聞こえのいい、ただこの作戦会議をやりすごせるというだけの、最悪の案だ、これは。
対抗試験で勝つという視点が完全に抜けた、優柔不断の一手。
アナスタシアもすぐに気づいたのだろう、異議を口にしかけた。
だが、いち早くミュカが賛同し、出鼻をくじかれてしまう。
「あたしはいいと思う! 一つはアナスタシアさんが率いて、一つはドリヤン君が率いて、後の一つはそうだな……リック君が率いるのが妥当じゃないかな? リック君なら武術も魔術も得意だし、みんなを守ってくれるよね?」
「皆さえよければ、謹んで僕が引き受けさせてもらうよ」
口を挟むタイミングを失ったアナスタシアを横に、あれよあれよと決まっていく。
「フフフいいだろう。三チームの一つというのが業腹だが、ワタシも寛大な男だ。チーム一つ、ツツシンデ引き受けてあげよう」
ドリヤンも面目を立てられ、満更でもなさそうに言った。
学級一番の問題児で、この場を荒らした奴まで賛同したことで、クラスメイトの大半があからさまにホッとした空気になった。
試験対策はこれで決定という流れになった。
「じゃあ試験当日までに、チームの振り分けを考えないとだね」
「各自が希望のところに入るのがいいと、あたしは思いまーす!」
「そうだね。それで戦闘が得意な人が一チームに固まるようなら、その時は調整してもらおう」
リックとミュカがここぞとリーダーシップを発揮し、テキパキと内容を詰めていく。
悪意なく、誤った方向へ学級を驀進させていく。
これも人間社会の哀しさだ。
アナスタシアは二人のやりとりを脇に絶句し、教卓で立ち尽くしている。
己の無力さを噛みしめていることだろう。
皆が下校した後の教室に、俺とアナスタシアだけが残った。
そして、アナスタシアが訊いてきた。
「……これでよかったのかしら?」
「少なくとも、紛糾したまま試験当日まで意見がまとまらないよりは、早く決まった方が皆も準備や心構えができていいだろうな」
「……そうね。ドリヤンも意外とすぐに納得したし」
嘆息するアナスタシアに、俺も内心で首肯する。
彼女は気づいていないだろうが――
カフェでのトラブルの時、俺が敢えて殴られ、ドリヤンの虚栄心を満たしてやったことが、ここで効いている。
あそこでもし連中を叩きのめして終わっていたら、ドリヤンは一生俺とアナスタシアのことを根に持っていただろう。
今日の会議でも最初から大声で妨害し、アナスタシアが音頭をとるのを許さなかっただろう。
それどころか意固地になって、自分が王様扱いされる作戦以外は認めないだとか、ダダをこねた可能性さえある。
あいつはその手の、器の小さい男だ。
俺の内心も知らず、アナスタシアが重ねて訊ねてきた。
「……私たち、勝てるかしら?」
それは相談というよりは、気休めの言葉が欲しいという、彼女も自覚していない心情から発せられた台詞だった。
だから――
「大丈夫。努力は報われるものさ」
俺は建て前を口にした。
そして、本音ではこう思っていた。
このままでは無理だ、と。
このままでは。
◇◆◇◆◇
男子寮へと続く遊歩道を、俺は一人で下校していく。
すると街路樹に背を預けて、誰かを待ち惚けるメイチェの姿を見つけた。
というかあちらも俺に気づくと、もじもじしながらやってきた。
「もしかして、待っててくれたのか?」
「す、少しお話ししたいことがあって……」
ちょうどいい。
俺もメイチェに話があった。
だが先にあちらの用件を聞こう。
「る、ルース君はもうどこのチームに入るか決めた?」
「アナスタシアのところだろうな。どうにも舎弟扱いされている節がある」
「あ、アナスタシアさんて頼り甲斐ありそうだもんねっ」
「あれは性格が強引なだけだ」
「ご、強引でも、わたしなら引っ張っていってもらいたいし……」
「メイチェもアナスタシアのチームに入るか? 俺から言っておいてやろうか?」
「い、いいの!? うれしいっ」
それくらい自分で言えという問題かもしれないが、メイチェのような引っ込み思案なタイプからすれば、こうして俺に話しかけているだけでも相当の勇気を振り絞っているだろう。
何もできずに教室の隅でじっとしていたころに比べれば、本当によい傾向だ。
俺は心から思う。
一方、それほど臆病な彼女だから、まだまだハードルの高い問題は多くて、
「もし本当に戦闘になったら恐いよね……」
試験日当日のことが心底憂鬱そうに、メイチェは俺に同意を求めた。
「そうだな。できれば避けたいと思うが、難しいだろうな」
「ルース君も恐いの……?」
「当たり前だ。というか戦闘に対する恐れがなくなったら、それは慢心だ。決して良い心理状態じゃない」
「そ、そうだねっ。ルース君はいいこと言うねっ」
メイチェに向けて選んだ言葉だからな。それはな。
「もし……もしだよ?」
そのメイチェがおっかなびっくり――つまりはさらに勇気を振り絞って――俺に訊ねた。
「またわたしが危険な目に遭ったら、守ってくださいますか……?」
「なぜ敬語」
「だ、だってっ」
「守るさ。クラスメイトがピンチなら、俺は体を張ってでも」
「……ルース君!」
メイチェは感激したように目を潤ませた。
「ただな、メイチェ。クラスメイトを守ることができるのは俺だけじゃない。おまえにだって充分に可能だ」
「え……でも、わたし臆病だし、戦うのもてんでダメで……」
「俺に使ってくれた白魔法があるだろう? あれは大いに学級の助けになる」
「そ、そうかな……?」
「そうだ。俺はせいぜい自分の体を誰かの盾にするくらいしか能がないが、どんな怪我を負ってもメイチェの治癒魔法があると思えば、安心して危地に飛び込める。それも何度だってだ。この違いはでかいぞ?」
噛んで含めるように言う俺。
メイチェはしばしうつむき、考え込む。
やがておずおずと顔を上げると、
「わ、わかった。前に出て戦うことはわたしにはできないけど、後ろから一生懸命、白魔法でみんなを助けるっ」
「それが適材適所というものだ。それでこそチームを組む意味がある。二百年前の“勇者一行”だって、一人一人の力では魔王軍にまるで歯が立たなかったそうだからな」
「う、うんっ。ルース君はやっぱりいいこと言うねっ」
今のはただの一般論だったが、メイチェの心に響いたのならそれに越したことはない。
そして、俺がメイチェにあった用事もすんだ。
アナスタシアのチームへ誘うこと。
彼女の白魔法は学級とって有用だと、最低限の自覚を促すこと。
初の学級対抗試験に向け、その二点を押さえておく必要があった。
特に後者は、メイチェに大きく影響を与えたらしい。
いつまでも立ち話もなんだと、帰路へ向けて踵を返した俺の背中へ、メイチェが感極まった様子で抱き着いてきて、
「わ、わたし、ドジでノロマだから、いつも叱られてばかりで褒められたことなくてっ。役に立てるかもって言ってくれたの、ルース君が初めてでっ。だからっ、だからっ、試験いっぱいいっぱい頑張るねっ」
……それは妙だな。
教会の孤児院育ちで、あれだけ料理ができれば周りの大人たちに褒められただろうし、何より稀有な白魔法の才能の持ち主となればさぞ重宝されただろうに。
何か事情があるのだろうな。
今は興味がないし、目の前に試験に高いモチベーションを抱いてくれたなら重畳だ。
「わかったから離してくれ、メイチェ」
「ご、ごめんなさいっ」
およそ衝動的な行為だったのだろうが、メイチェが真っ赤になって飛び退く。
俺の背中に押し当てられていた、二つの大きくて柔らかい感触もそれで遠のく。
メイチェは自分の胸に思春期男子特効の武器がついていることを、自覚すべきだな。
◇◆◇◆◇
その夜、俺は密かに男子寮を抜け出した。
向かうのはロマールの森だ。
メイチェに布石は打った。
後は俺自身の手で、仕込みをすませるだけだった。
落ちこぼれ学級を勝たせるために――




