第十話 神官見習いメイチェ
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! わたしを庇ってこんなことに……っ」
メイチェが大泣きしながら、倒れた俺の傍に駆け寄ってきた。
まったく、これではどちらが痛めつけられたのかわからない。
もっとも俺も〈拳士〉のスキルのおかげで、ろくに痛くないのだが。
激痛で動けないふりをして、そのまま横たわっておく。
「あんたが無事ならよかった」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ。ありがとうございますありがとうございますっ」
メイチェはぺたんと地面に腰を下ろすと、俺の頭を持ち上げて、彼女の膝を枕にして載せる。
その間もずっと忙しなく「ごめんなさい」と「ありがとう」をまくし立てる。
謝りたいのか礼を言いたいのか、どっちかにすればよいものを。
基本的にパニックになりやすい性格なのだろうな。
その間に《肉体鋼化魔術》が解けたアナスタシアも傍に来て、膝をつく。
「武術もさっぱりのくせに、体を張ったじゃない。やっぱりあなたはただの“最下位”ではないと、本気で感心したわ、ルース」
「おまえも見事なダイビングヘッドだったぞ、アナスタシア」
「あれは急に私の体が硬くなって動かなくなったからっ」
「おまえは何を言っているんだ?」
「と、とにかく体の変調とか、そんなチャチなものじゃない何かが起きたのよっ」
「まあそういうことにしておいてやろう」
「私のダイビングヘッドは忘れなさいっ。いいわね!」
俺が揶揄すると、アナスタシアはムキになって叫んだ。
まあ体調の異変じゃなくて俺の仕業なんだが。
「それだけ減らず口が叩けるなら平気ね。いつまでも膝枕なんかしてもらってないで、さっさと立ったらどうかしら?」
「そんなわけありません! 全身ボロボロなんですから!」
ヘソを曲げたアナスタシアの憎まれ口を、メイチェが大真面目に否定する。
まあ見た目だけは青痣だらけだな。
「今すぐわたしが治しますから!」
言うなりメイチェは――神に祈りを捧げる。
目を閉じ、胸の前で手を組み(というかふくらみが立派すぎるので、前でというより半ば手が埋もれている)、黙祷する。
やがて組んだ両手の中に魔力が生まれ、治癒の神光となって指と指の隙間から漏れ出る。
「あなた、魔法が使えるの!?」
アナスタシアが目を剥いて驚いた。
無理はない。
それだけ「魔法」の使い手は希少なのだ。
俺とて意外に思って、メイチェの白魔法(教会の人間は神の奇跡と呼んで憚らないが)の完成を興味深く見守っていた。
そう――
「魔法」と「魔術」は似て非なるものだ。
〈勇者育成学校〉ではあらゆる魔術を教えているが、魔法は教えない。
なぜなら魔法は徹頭徹尾、才能の領分。
教わって会得できるものではないからだ。
生まれつき人並外れて魔力の強い者が、さらに天賦の勘所を以って開眼する特異能力――「魔法」とは謂わば、そういう類の代物なのである。
決して技術の領分ではない。
無論、《下位火球魔法》に開眼した者が、独自の修練の果てに《上位火球魔法》、さらに《極大火球魔法》と順に会得できることはある。
しかし魔法の素質がない者は、どれだけ瞑想に耽ろうと荒行を積もうと、《下位火球魔法》さえ習得はできない。
そして、その魔法を技術体系化――すなわち、努力すれば誰でもある程度以上は使える代物にしたのが、〈勇者育成学校〉を始め世界各地の養成機関で学ぶことのできる「魔術」なのだ。
二百年前、〈教師〉が研究し、また俺を弟子に実用化し、最後は普及させた。
森羅万象の理を解き明かすが如く、世にある魔法の一つ一つの仕組みを解剖し、魔法使いらが皮膚感覚で用いているものを、理論に基づく術式に落とし込んだ。
この二百年の間に世界中で、今なお進化と洗練を遂げている。
いつかは「魔術」が「魔法」と並び、超えていく日が来るかもしれない。
が――現状では両者は比較にならない。
例えばジルヴァは天賦の才能で、極大火球魔法》を使える。
言葉にはできない皮膚感覚で魔力を練り、息を吐くように爆炎を発生させることができる。
しかし、そこで敢えて技術として《極大火球魔術》を学び、血の滲むような努力の果てに習得できたとしよう。
だが、そこまでしてもジルヴァの極大火球魔術の威力は、自分自身の極大火球魔法のそれには及ばない。
〈教師〉が唱えた「同条件・魔法優位の法則」は、未だに覆っていない。
魔法使いが稀少且つ、重用される所以だった。
(なお魔術を究め、ジルヴァを遥かに超える実力を備えた者――例えば俺のような――の極大火球魔術ならば、彼女の極大火球を魔法の威力を超えるが、それを同条件とはいわない)
そして、その稀少な白魔法使いにメイチェは該当した。
真摯な祈りの果て、彼女は傷ついた俺(見た目だけ)を癒すため、一つの魔法を完成させた。
《極大治癒魔法》。
かつての“勇者一行”でさえ五人と使えなかった至高の魔法を――時間と深い集中を要したとはいえ――メイチェは行使してみせたのだ。
これにはさしもの俺も軽く目を瞠った。
同時に、何をやらせても要領が悪い、落ちこぼれの中の落ちこぼれのメイチェが、下から二番目の成績ながら入学できた理由がわかった。
この白魔法の才の、一点突破だったわけだ。
実際、使える。
俺はメイチェを見つめながらそう思った。
ピーキーではあるが、下手な優等生よりもよほどに学級の戦力に数えられる。
逆に俺が試験官だったら、メイチェをF学級になど入れておかない。
まったく校長の言葉が思い起こされるな。
『当校の不祥事により、諸君らの入試成績順位は必ずしも実力通りではない』
『A学級は絶対に超えられない壁ではないし、F学級は落ちこぼれの吹き溜まりでもない』
メイチェの両手から零れる温かい光を浴び、全身が過剰回復していくのを感じながら、俺は皮肉に思った。
◇◆◇◆◇
翌週。
午前の授業が終わり、さあ昼食をどうするかと俺は考えた。
育成学校には購買や食堂だけでいくつもあるし、休憩時間内なら生徒が学校の外へ食べに出ることも許可されている。
食道楽の生徒ならば、うれしい環境といえよう。
しかし俺にとって食事は極論、惰性。
別に食べなくても〈墓守〉の天技のせいで、死にはしない。
ただ今の俺は学生だから日々食事を摂るポーズは必要だし、食べ盛りの男子らしくそれなりには楽しんでいるふりをしなくてはならない。
毎日同じ購買で、同じパンだけ買って食べていれば楽なんだがな。
他人の目にはさぞ奇異に映るだろう。そんなくだらない理由で目立つのは避けたい。
だから「人並に」今日の食事場所で悩む格好をし、また隣の席のアナスタシアの様子を窺ってみたりもする。
と――
「る、ルース君、この間のお礼にお弁当を作ってきたんだけど……」
弁当籠を持ったメイチェがやってきて、ひどく恥ずかしそうに言った。
なかなかに不意打ちである。
「メイチェが作ってくれたのか?」
「う、うん。孤児院ではずっと料理当番だったから、わたし、これだけは得意で……」
「ありがとう。助かる」
どこで何を食べるか悩むふりをする、煩わしさから解放された。
本当に助かる。
遠慮なくバスケットを受け取ると、アナスタシアが俺たちをからかう。
「あら? 女の子の手料理だなんて意外とモテるのね、ルース?」
「か、カフェで助けてもらったお礼だからっ。アナスタシアさんの分もあるからっ」
メイチェは慌てて弁明しつつ、もう一つのバスケットをアナスタシアに押し付けた。
「あら、ありがとう。では一緒に食べる?」
「そうだな。たまにはいいな」
「ぴゃっ!?」
俺とアナスタシアがごく当然の提案をするや、メイチェは奇声を上げた。
そして顔はおろか、喉元まで真っ赤になると、
「い、一緒にご飯を食べてみんなに噂されたら恥ずかしいしっ」
わけのわからないことをまくし立てて、教室の外へ逃げ去ってしまった。
本当にすぐパニックになる奴だ。
思わず俺はアナスタシアと顔を見合わせる。
アナスタシアは肩を竦め、
「彼女、あれでは友達ができないはずだわ」
「おまえも入学してまだ一人もできていないようだがな」
「ルースだってそうでしょう!」
憎まれ口を叩き合いながら、俺たちはそれぞれの席でバスケットを開ける。
中には八個八様の具材を挟んだ、見るからに手間のかかったサンドイッチが。
アナスタシアが目敏く言った。
「あら? やっぱりあなたの方が内容が豪華ね?」
「男と女では食べる量が違うという話だろ?」
それだけかしら、と含みのある物言いをするアナスタシアを無視し、俺はサンドイッチをいただく。
俺の舌は美味いと訴えたが、俺の心は凪のように無感動だった。
ただ、不味いよりはいいに決まっている。




