第九話 トラブル・イン・カフェ
ドリヤンらにからまれているその女生徒の名は、メイチェといった。
F学級のクラスメイトだ。
入学式後のホームルームで、俺の直前に自己紹介をしていたから、入試の成績は確かに下から二番目だろう。
教会が営む孤児院で育てられたという彼女は、卒業後は王宮なり貴族なりのお抱え神官となって給金を稼ぎ、孤児院の運営を助けたいと抱負を語っていた。
その志こそ健気。
しかしメイチェは学問も苦手なら運動は鈍亀、万事に要領が悪くてドジを踏むのもしばしば、加えて気弱で引っ込み思案、学級に友達もいないという生徒だった。
他に特筆すべきプロフィールといえば、胸のサイズが学級で最も立派で、頻繁に男子生徒の視線を釘付けにしていることか。
そのメイチェがテラス席でお茶をしていたことは、俺も気づいていた。
他学級には友達がいるのか、見知らぬ女子と二人だった。
しかしドリヤンと取り巻きの男子二人がウザがらみしたことで、その同伴者はコソコソと逃げ去り、取り残されたメイチェが独り困り果てていた。
テラスにいる他の客たちも、腫物でも扱うように見て見ぬふりをしていた。
「あいつら、またっ……」
アナスタシアは席を立ち、助けに入ろうとした。
それを俺は引き留めた。
「連中がただクラスメイトと同席し、お茶をするだけなら、止めるほどのことじゃない」
「でも、メイチェは明らかに怯えてるじゃないのっ」
「嫌なら立ち去るなり、助けを求めるなりすればいい」
「それができないから彼女は、ああして縮こまってるのでしょう?」
アナスタシアの指摘通りだった。
ドリヤンらにからまれたメイチェは泡を食って、「あのあの」とか「そのその」とか意味のない声を漏らすばかりで、助けを呼ぶどころかこの場を逃げ出す度胸さえなさそうだ。
だけど、
「アナスタシア」
俺が少し強い語調で呼ぶと、彼女もハッとなって俺を振り返った。
「ここは〈ハイフォレスト〉なんだ。『勇者』育成学校なんだ」
俺の言葉の意味がわからないアナスタシアではなかった。
F学級にメイチェのような、ドリヤン一党に逆らうことのできない者たちが少なからずいることは、俺にとって問題だった。
現時点で学問ができないのも、武術が苦手なのも構わない。
そんなものは後でいくらでも伸ばせる。
だが意気地がないのは、大問題だ。
これから始まる学級対抗試験で、他学級との戦闘になる試験は必ずあるはず。
その時、「恐いから戦えません」では話にならないのだ。
最悪の話――そういったクラスメイトたちには、退学してもらわねばならないというプランさえ俺の頭にはある。
とはいえもちろん、「頭数」もまた戦力だ。
だから拙速に退学者を出したくはないし、最低一年間は様子を見るつもりだがな。
「黙っていても、誰かが見かねて助けてくれる――メイチェにそんな癖をつけるのはよくない、過保護だとあなたは言うの、ルース?」
「そうだ」
いきなりドリヤンに立ち向かえなどと無茶を言うつもりは俺もないが、せめて周囲に助けを求める程度の抵抗は今の時点で見せて欲しい。
「正論ね。私が大っ嫌いな類の!」
アナスタシアがキッと俺をにらみつけた。
いつ俺の手を振り切って、飛び出していくかもわからなかった。
そして、俺とアナスタシアが口論している間にも、ドリヤン一党はメイチェにからみ続ける。
「オトモダチに逃げられちまったなあ、メイチェ?」
「友人はよくよく選びたまへよ、キミィ」
「いいじゃないスか、ドリヤンさん」
「ぼっちで可愛そうなこいつのために、おれっちらがオトモダチになってやりましょうよ」
「なあメイチェ、そのデッケエおっぱいをオレらが使ってやるよ。オトモダチとしてな」
「代わりにオレらのムスコを可愛がってくれよ。オトモダチとしてな」
「フフフなるほど。キミは確かお金が欲しいんだったねえ? であれば卒業後といわずに、今すぐワタシが給金を恵んであげようか? 愛妾として囲ってあげるから、キミにとっても悪い話ではないだろうフフフ」
「グヘヘヘ」
「ゲヘヘヘ」
教会育ちの少女が聞いたこともないだろう下卑た言葉の数々を浴びせて、悦に浸るドリヤンと取り巻きども。
メイチェは真っ赤になってうつむき、涙目になって羞恥に堪えている。
その弱々しい態度は、ドリヤンのようなクズにとってはよけいに嗜虐心がそそるだけだ。
とうとうメイチェに戯れかかり、煽情的な彼女の胸へと手を伸ばす。
ドリヤンにその気があれば、思う様に乳房を弄ばれていただろう。
だが奴はわざと一気には行かず、身をよじって魔手から逃れようとするメイチェの狼狽ぶりを楽しみ、時間をかけて嬲り者にしようとする。
果たして――
「あいつら、もう許せない!」
席を立ったアナスタシアが飛び出していったのと、
「……誰か……助けてぇ……っ」
メイチェが消え入るようなか細い声で、しかし確かに助けを求めたのは、同時だった。
これでも臆病な少女にとっては、勇気を振り絞った方だろう。
しかし、勇気は勇気だ。
メイチェはいつまでも泣き寝入りする女ではないことを示した。
だから俺も席を立ち、アナスタシアを追いかける。
「なんだかんだ優しいじゃない、ルース!」
「それも買い被りだ」
俺たちは軽口を叩き合いながら、メイチェたちのテーブルへ迫る。
「その汚い手を今すぐしまいなさい、悪漢ども!」
「悪漢だって!? タキトール侯爵令息たるこのワタシを、よりにもよって悪漢だって!?」
虚栄心の強いドリヤンが、アナスタシアの啖呵に目を剥く。
「誰かと思えば出しゃばり女と“最下位”じゃねえか!」
「こんなとこでもまだ出しゃばってくんのかよ!」
「“落伍者”の伯爵風情が、侯爵家の尊い血を引くワタシを侮辱したこと、今すぐ謝罪したまへ」
ドスを効かせた声で脅しつけ、また口汚く罵るドリヤン一党。
無論、そんなもので怯むアナスタシアではない。
「弱い犬ほどよく吠えるわね!」
昂然と胸を張り、席を立ったドリヤンたちと対峙する。
一方、俺はその陰に隠れるようにアナスタシアの後ろへ。
メイチェを手招きし、慌てて立ち上がった彼女を背中へ保護する。
これにて俺とアナスタシアでメイチェを庇う、二重の壁の出来上がりだ。
「フフフ……このワタシをここまで怒らせるとは愚か……本当に愚かな奴らだよ……」
ドリヤンがポケットから白絹の手袋を取り出し、もったいぶって装着する。
貴族の中でも紳士と自称する見栄っ張りな連中が、他者を殴りつける時の作法だ。
「出しゃばり女! リックが一緒ならともかく、テメエ一人なら相手にもならねえぞ!」
「一緒にいるのが“最下位”じゃなあ!」
取り巻き二人も拳を構え、臨戦態勢をとる。
そしてその片方――名をデーブ――が、我慢も利かない様子で突進してくる。
素手とはいえ身長一九〇近い、太り肉の大男だ。
対するアナスタシアは細身の少女。どんなに鍛えていても、体格差は歴然。
しかも当然帯剣などしていないし、格闘のスペシャリストでもない。
だから俺は《不可視の手》で、デーブを蹴躓かせる。
悲鳴を上げ、体勢を崩す大男。
その隙を見逃すアナスタシアではない。
素早く右足を蹴り上げ、デーブへ金的を見舞って悶絶させた。
それはもう思い切りのよい蹴りっぷりで、一撃轟沈である。
小気味のよさに、周囲の客たちが思わず拍手喝采するほど。
目に見えない俺の魔法の仕業には、誰一人気づいていない。
「よくもやってくれやがったな!」
「フフフ仲間想いのワタシを、怒らせてしまったねえ」
ますますいきり立ったドリヤンともう一人の取り巻きガッリが、同時に襲い掛かってきた。
女相手の二対一。それなら勝てると踏んだのだろう。
アナスタシアはやはり臆することなく立ち向かう。
その背中を、俺は撞き押した。
アナスタシアにとっては不意打ちだ。
「えっ」と当惑しながら、たたらを踏もうとする。
だができない。
アナスタシアの背へ触れた時に《肉体鋼化魔術》を、〈軍師〉の天技《全魔法付与化》を用いて彼女にかけておいたからだ。
この強化魔術によりアナスタシアは十秒間、全身が鋼の如き硬度を持つ代わりに、指一本動かせなくなる。
ゆえに俺に押されてつんのめったまま、受け身も取れずに前へと倒れる。
同時に俺はガッリも《不可視の手》で転ばせている。
間抜けな連中だ、同じ手(傍点一個)を使ってもいくらでも通用する。
そして、互いに前のめりに体勢を崩した同士、アナスタシアとガッリが頭から正面衝突。
この頭突き合戦は無論、《肉体鋼化魔術》のかかったアナスタシアの圧勝だ。
一撃卒倒したガッリと互いに反発するように、二人は今度は背中から倒れた。
「??? ???????」
アナスタシアは仰向けのまま大混乱。
体が急に動かなくなった上、頭をぶつけた痛みももんどりうった衝撃もないとなれば、当然の話だろう。
ともあれその結果、残ったのはドリヤンだけ。
雄叫びだけは一丁前に勇ましく叫びながらの突進中、いきなりアナスタシアとガッリがダブルノックダウンするアクシデントに、間抜けな侯爵令息は反応できない。
勢い余って、俺とメイチェの方へと突っ込んでくる。
「フフフ! こうなったらキミがワタシの拳を味わいたまへ、“最下位”!」
俺がわざと格好つけた仕種で、メイチェを後ろに庇う様を見て、ドリヤンが狙いを変更。
恐ろしく大振りで、だからこそ子供でも見切れるだろうパンチで殴りかかってくる。
それを俺は敢えて顔面で受けた。
衝撃で何メートルも吹き飛び、近くのテーブルや椅子を巻き込んで転倒する。
派手にもすぎるその結果に、殴ったドリヤンの方が当惑頻り。「え……? ワタシそんなに強く殴ったっけ……?」とその間抜け面に書いてある。
もちろん、このボンクラにそんな豪腕があるわけがない。
俺が何メートルも吹き飛んだのは、〈拳士〉カリョウを手本に習得した妙技――《軽気功》を用いて顔面に受けた奴の拳のダメージをゼロにすると同時に、派手にやられる演出が欲しかったからだ。
ついでにいえばテーブルや椅子にぶつけたダメージも、〈拳士〉の特技《硬気功》で防いだ。
完全に無傷だと不自然なので、あちこちに青痣ができるくらいにはしておいた。
その辺りの匙加減を俺が誤ることはない。
しかし何も知らない周囲の客たちからすれば、ドリヤンの恐るべき豪腕ぶりに慄然となる。
その畏怖の眼差しを浴びて、ドリヤンが覿面に得意げな顔になる。
俺が演出してやったのだとも気づかず、偽りの優越感に浸る。
「フ……フフフフ! このドリヤン・タキトールに立てついたらどうなるか、思い知ったかねえ? まあワタシは寛大な紳士貴族だ、今日のところはこれで大目に見てあげよう。キミもワタシの偉大さを理解したなら、次からは態度に気をつけたまへよ、“最下位”」
すっかり有頂天になったドリヤンは、取り巻き二人を蹴り起こすと満足げに去っていった。
本当に扱いやすい男だ。
底の浅い、わかりやすい男だ。
一方的に叩きのめすのは簡単だが、それだと奴らと俺たちの間に強い遺恨が残ってしまう。
今後、学級で何かとやり難くなってしまう。
だから俺は敢えて、この「痛み分け」を演出したのだ。
プライドの安いドリヤンの性格なら、これで溜飲を下げるだろうと読み切って。
何も知らずにご満悦で撤収していく道化の姿は、いっそ憐れといえるかもな。
10話分まで読んでくださり、ありがとうございます!
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