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喋る馬(☆)

挿絵(By みてみん)


 一般的に、動物は足が長ければ長いほど、そして地面に接っする部分が小さければ小さいほど走るスピードが上がる。例えば猫や犬は人間で言う指の部分で歩き、踵や手首は浮いている状態にある。人間やクマなどは踵を地面につけて歩く。この状態だと後脚だけで直立した時の安定性はあるが、スピードはイマイチ。ちなみに糖尿病で神経疾患を起こしている猫は、人間のように踵を地面につけて歩く。

 高速移動で最も有利なのは蹄を持つ動物達。馬の蹄は人間の爪にあたる。つまり馬は指の骨が浮いた状態、まさに爪先だけで走っているのだ。

 馬の蹄の裏には硬い部分と柔らかい部分があり、この柔らかい部分に木っ端や小石などが挟まったりすると馬は痛みで脚を引きずり出し、あっという間に故障する。また蹄の汚れは感染症の元。だから運動前と運動後の蹄のお手入れはとても大切だ。絶望的に時間が無くて、グルーミング無しで裸馬に飛び乗る時でも蹄の手入れだけはする。

 手入れの方法は簡単だ。先ず運動前後の水洗い。そして馬の足を持ち上げて、鉄爪(てっぴ)という金属製のヘラのようなモノで蹄の裏に詰まった泥や小石を掻き出す。これを裏掘りと言う。

 馬は習慣性を好むイキモノなので、グルーミングの順番などもキッチリ毎回同じだとお互いに色々とやりやすい。例えば、私は蹄の裏掘りは必ず左前脚→左後脚→右後脚→右前脚の順番でやる。だからマイダスやブルックリンのような付き合いの長い馬達は、左前脚のお手入れが終われば、何も言わなくても自動的に左後脚を持ち上げる。何かの拍子に順番が狂うと、「あれ? あれ? こっち? どっち?」と困惑した顔で方々の脚を上げ下げする。そしてちょっとイラついた顔で私を見る。多くの馬、特にサラブレッド達は強迫性障害の気があるのでないかと常々思っている。


 ところでですな、この裏掘りというお手入れ、馬が協力的ならほんの数分で済むのだが、たまに非協力的な馬がいまして。

 例えば美貌の芦毛ウィローちゃん。彼女は疲れている日(または単にぐうたら気分の日)は、絶対に自ら脚を上げたりはしない。私に脚の腱を掴まれても、ガンとして脚を動かさない。

「脚あげろ〜」と言いながら肩で彼女を押すと、負けてなるものかとグッと押し返してくる。

「ウィロー!」と叱っても、半眼であらぬ方を眺め、聞こえぬフリをしている。上手く脚を持ち上げても、全体重を掛ける勢いで足を地面に降ろそうとする。降ろすついでに私の足を踏もうとする。奴は知っているのだ。蹄の手入れをしない限り、私が絶対に騎乗しないことを。

 普通サイズの馬ならまだしも、ウィローのように縦も横もデカイ馬にコレをやられると騎乗前に汗ダクだ。暑い夏の日など、結構本気でキレそうになる。

 何気無い風を装い、尻尾でハエを追い払うように顔を叩いてくる馬もいる。後脚を持ち上げたついでに軽く蹴ろうとしてくる馬もいるが、蹴りの効力は馬との距離が近ければ近いほど落ちるので大丈夫。そもそも腕を相手の脚に絡めているのだから、主導権はこちらが握っている。馬が大暴れでもしない限り蹴られるような事はない。


 しかし先日、中々斬新な戦法で裏掘りと闘う馬を見た。

 サラブレッドのマウイ君。彼はサラブレッドの癖に非常にのんびりしていて、いつも半分寝たような顔で、走りも超スロー。性格も穏やかなので、初心者に人気がある。

 小春日和の気持ちの良いある日、このマウイ君と彼をリースしているおばさんが、鉄爪片手にじっと睨み合っていた……と言うか、睨んでいるのはおばさんだけで、マウイ君は飄々とした顔でアクビしている。おばさんがマウイ君の後脚に手を掛けると、マウイ君がスッと尻尾を持ち上げる。おばさんが慌てて後退する。十秒程待ち、再び脚に手を掛けるおばさん。尻尾を持ち上げるマウイ君。後退するおばさん。これを何度も繰り返している。

 数分後、ようやく意を決したようにおばさんが後脚の手入れを始めた。蹄に小石が詰まっていたらしく、真剣な顔で裏掘りに精を出すおばさん。と、マウイ君がそっと尻尾を持ち上げ、俯いて作業に没頭するおばさんの頭の上にグリーンの爆弾を落とした。

 悲鳴と共に飛び退くおばさんと、「してやったり……」と鼻の穴を膨らませて得意気なマウイ君。

「マウイは必ずコレをやるのよ! 私が後脚の裏掘りをしていると、必ず頭の上に糞を落とすんだから! 絶対にワザとなのよ! 許せない!」

 怒り狂っているおばさんを前に、笑いを堪えるのに一苦労した。うちのエンジュは爆弾犬だが、マウイ君は爆弾馬なのだ。しかし馬の爆弾は別にそんなに臭いわけでもないし、まぁ罪の無いイタズラの範疇だろう。


 馬のフンは臭くない。でも尿は臭い。

 グルーミングの最中にグルーミング用のラバーマットの上でオシッコされるとゲンナリする。何故か騎乗中は我慢して、降りてマットの上に連れて来た途端にオシッコをする馬は多い。バケツ二〜三杯分はあるオシッコで足元がグチョグチョ。職業柄、直腸検診で肩まで牛馬のお尻に腕を突っ込んだりする私は、馬のフンなら手掴みオッケー。でも乗馬ブーツにオシッコが掛かるのは許せない。しかしラッキーな事に、我が愛馬達はグルーミング中はオシッコをしないのだ。


 例えばブルックリン。彼女は運動を終えて馬場を出ると、「ヤレヤレ」と言った感じでオシッコをする。別に馬場でやっても良いのに、ブルック的にはそれは行儀の悪い事らしい……と思っていたら、彼女は私以外の人が乗ると、馬場に入った途端にオシッコをするフリをする。馬はジャンプしながらでもフンが出来るが、オシッコの時はちゃんと立ち止まり、更に背中を圧迫しないように乗り手が鞍から腰を浮かせなければならない。ブルックリンはコレを利用し、酷い時は五分以上「オシッコの真似」をして乗り手に中腰を強いる。コレをレッスン中に何度も繰り返して時間を稼ぐ。ある意味非常に賢い。


 マイダスくんは「オシッコ用お気に入りスポット」がある。運動後のシャンプーやグルーミングを終えて放牧場に帰る途中、汚れた干し草や糞を溜めておく集積場の横を通るのだが、マイダスくんは必ずそこで足を止める。他の馬の臭いで尿意を催しているというより、「ここが僕のトイレ」と決めている感じだ。その証拠に他の集積場に行ってもオシッコはしない。更に自分のオシッコで濡れた地面を踏まないように、変な横歩きをして水溜りを避けている。平気でヒトに本気蹴りを喰らわせてくる暴れ馬の癖に、変なところで妙に几帳面なオトコだ。


 怪我の為に付き合いは短かったものの、栗毛のアラブ馬のトパーズくんはとても良い子だった。全てのジャンプ用フェンスの直前で必ず一度急ブレーキをかけるという嫌な癖はあったものの、性格はとても穏やかで真面目。ヒトを喜ばせようと懸命なのが手に取るように分かる。

 トパーズくんのリースを始めて間も無い頃、彼が運動後にグルーミング用マットの上でオシッコした。仕方無いことだが、「もう、トパーズってば汚いなぁ〜」と軽く文句を言った。考え深げな眼差しでジッと私を見つめていたトパーズくんは、その後二度とマットの上でオシッコをする事は無かった。騎乗中もしない。私と一緒にいる三〜四時間余りの間、唯ひたすら我慢し続け、放牧場に帰った途端にジャージャーと二分以上かけて放出する。マット以外の場所ならしても良いのに……ってかオシッコを我慢するのは膀胱にも腎臓にも良くないんだよ? トパーズくんがあまりに健気でなんだか後ろめたかった。ちなみに私以外のヒトだと普通にマットの上でジャージャーやってたらしい。



 マットの上にオシッコをした事に対して私が使った単語をトパーズくんが知っていたとは思わない。けれども彼は私の声色から私が不機嫌であることに気付き、それを自分がオシッコをしたことに結び付けて考え、私の言葉の意味を理解したのだろう。それにしても一度文句を言っただけでそれを理解し、自然の摂理に逆らってまで己を律するとは凄いではないか。

 馬の寿命は三十年以上。稀に四十年以上生きる馬もいる。私が出会った中で一番年寄りの馬は39歳だ。元々賢い上にこれだけ長生きなのだから、彼らの人語理解力はかなりのものだろう。

 乗馬用の馬達が確実に知っている言葉は「walkなみあし」「trotかけあし」「canterはやあし」の三種類。犬にお手やお座りを教えるのと同じで、馬も「walk」と言えば歩くように調教されている。だからインストラクターが生徒に「じゃあ trot から walk にして下さい」などと指示する時は、「ウォーク」ではなく、「ダブリュー・エイ・エル・ケー」と言う。そうしないと生徒が反応する前に馬が反応して、勝手に歩行リズムを変えてしまうのだ。


 馬は賢い。調教の一環として教えられた言葉を知っていても驚きはないが、それ以外の会話などはどうだろう。


 先日、マイダスくんの放牧場に立ち寄った時のこと。

「マイマ〜イ」と私に呼ばれ、のそのそと近付いてきたマイダスが、頭を斜めにして柵と柵の隙間から無理矢理に顔を出した。どうも私の背が低いからこちらに合わせているようだが、小さなクッキーを受け取るついでに私の指まで噛みそうだ。マイダスは背が高いので普通に柵の上から頭を出してくれた方がいい。

「食べにくいでしょ? 頭をフェンスの上に出しなよ」と何気無く言ったところ、マイダスは三秒程考え、フェンスの間から頭を抜いて上から顔を出した。

「イイコ、イイコ」とクッキーをあげてから、あれ?と思った。なんか今、意思疎通が妙にスムーズじゃなかったか?

 再びフェンスの下から頭を出したマイダスに、同じ事を言ってみた。今度は躊躇なく頭を上から出すマイダスくん。そのまま数個のクッキーを平らげ、頭を上に出したまま次のクッキーを待っている。クッキーはフェンスの上から貰うモノと理解したらしい。そんな彼に、「頭をフェンスの下からから出して」と言ってみた。するとマイダスはまた三秒程考え、フェンスの下に首を入れた。


 考えられる可能性は二つ。

 1.誰かが以前に「フェンスの上」「フェンスの下」という言葉をマイダスに教えていた。

 2.私の視線や身振りから言葉の意味を理解した。


 数百頭の馬がいる厩舎でも、暴れ馬マイダスの名は有名だ。私とマイダスがのんびり散歩しているのを見ただけで、ギョッとした顔で避けて通る人は多い。凶暴なだけでなく、クッキーなどを手から食べる時も乱暴で、慣れていないとクッキーと一緒に指まで持っていかれそうになる。そんな彼に必要以上に近付く物好きな人間はいない。よって可能性①は限りなくゼロに近い気がする。

 マイダスの放牧場のリーダーであるカウボーイくんにも同じ事を試してみたが、身振り手振り付きでも彼は全く私の言葉に理解を示さなかった。恐らくマイダスの方が私のちょっとした声音やボディーランゲージに敏感なのだろう。そして彼の方がカウボーイくんより少し……いや、かなり知能指数が高い。と思うのは単なる贔屓目か。


 グルーミング中に優しい口調で「マイマイはイイコちゃんなの?」と聞くと、嬉しげに頭をすり寄せてくる。しかし同じ口調で「マイマイはお馬鹿ちゃんなの?」と聞くと、ムッとした顔になり、前脚で地面を掘る。馬が苛々している時の行動だ。そして普段の会話では使わないような難しい単語で同じ事を訊ねると、ジッと私の顔を見つめて何やら考え込んでいる。何度試しても百発百中の精度。これがブルックリンだと、「イイコ」には反応するが、他の言葉は無視している。悪口には耳を貸さないという、彼女なりの処世術なのだろう。

 マイダスを褒めたり叱ったりする時に、彼が反応を示さなかったシェイクスピア調の言葉を使ってみた。すると数日で、「君は実に聡明だね」と言われれば嬉しげににクッキーをねだり、「マイダスくんは愚蒙なのかね?」と聞くとムッとするようになった。


 子供の頃、近所に九官鳥を飼っている方がいて、鳩ポッポの替え歌(九官鳥バージョンで「キュウ・キュウ・キュウ、キュウちゃんよ〜♪」みたいな感じ)を歌っていた。私はそれが物凄く羨ましかった。オトナになったら絶対に鳥を飼おうと心に決めていたが、しかしいざオトナになってみたら鳥アレルギーが酷くて無理だった。だから私は馬に夢を託すことにしたのだ。

 マイダスくんが鳩ポッポを歌いだす日も近いかも知れない。


挿絵(By みてみん)

ちなみに吹雪くんにも同じ事を試してみたところ、彼は何を言われても嬉しげに尻尾を振っていた。これはバカ呼ばわりされても苦にしない彼の性格の良さゆえだと信じている。

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