乗馬のすゝめ(☆)
早朝。シャワールームで甲高い悲鳴が響いた。
吹雪とエンジュが驚いてバスルームを覗きに行くのを横目に、ニヤニヤと笑いながらミルクティーを啜る私。昨日、ジェイちゃんを連れて乗馬の体験レッスンに行ったのだ。
私は一見痩せ型で、「イズミさんって体重40キロないんじゃないの?」などとよく言われる。実は50キロ近くあると申告すると皆驚くが、私の腹筋は割れているし、背筋なんかシャツの上からでも盛り上がってみえる。
「私、腹筋ガチガチだよー、触って触って」とSさんに無理矢理触らせた事がある。文章に書くと何やら逆セクハラっぽいが、Sさんと私は仲良しなので大丈夫…と信じている。
「じゃ、失礼」と言いながら指で私の腹を突ついたSさん(酔っ払っていたからね)は、「……ナニコレ」と呟いて僅かに顔を引きつらせた。
「すごいでしょ? 骨じゃないよ、筋肉だよ」
「……あのう、女の人って、硬いとかいってもやっぱり普通は少しは柔らかいもんですよね……」
「だから言ってるじゃん、イズミはXXYなんだよ」とジェイちゃん。「イズミの腹の中にあるのは卵巣なんかじゃないんだよ」
しかし私の体重の65%は大腿部に集中している。我ながら嫌になるくらい大腿がアンバランスに太い。肩や腕にもそれなりに筋肉が付いている筈なのだが、このド迫力の太腿の前では全てが霞んで見える。
割れた腹筋はイイけど、太い脚なんてヤダ。マラソン選手のようなカモシカ型のスタイルに憧れて、短距離が得意だった私が長距離にシフトしてみた。しかしどうしても「スピード配分を考えて……」というのが出来ず、更に負けず嫌いが祟って常に全力疾走みたいな感じになり、幾ら頑張っても結局15キロ前後しか走れない。20キロ以上走ると生命の危機を感じる。
「ほっそりした筋肉はヨガがいい!」などとジェイちゃんにそそのかされ、ヨガを始めた。
「ヨガで大切なのは精神的穏やかさなんだよ」と何やら嬉しげなジェイちゃん。どうやらそれが奴の狙いらしい。しかしジェイちゃんの願いも虚しく、何故かヨガ・エックス(エクストリームヨガ)なる方向へ逸れていき、それがいつの間にやらキックボクシングとなった。ヨガのスタジオの隣がキックボクシングのジムだったのだ。そりゃ間延びした音楽と共にストレッチの真似事なんぞしているより、どう見てもあっちの方が面白そうではないか。かくして足は益々太くなる。
そして私は遂に諦めの境地に達した。私の本懐は乗馬なのだ。荒くれ馬に乗って二の腕や肩が筋肉痛になることはあっても、決して足が痛くなることはない。スバラシイではないか! 私のぶっとい太腿は、欠点ではなくて長点なのだ!
ここまで読んで、「でも乗馬って単に座ってるだけじゃん。運動しているのは馬であって、ヒトではないよね」などと思ったヒトがいる筈だ。ジェイちゃんもそう言った。
「何言ってんの? 乗馬って本気でやってたら凄い筋肉使うんだよ。私のこの腹筋背筋は全て乗馬のお陰だよ。走ってる馬の上で身体がブレないためには、強い体幹筋が必要なんだよ? それに障害ジャンプとかクロスカントリーとかやってると、常に中腰で、馬の上にのんびり座っている事なんて殆どないんだよ?」
「だけどジャンプの時の中腰ってジャンプする瞬間だけじゃん。タイムが間に合わないとかで無い限り、競馬のジョッキーみたいに中腰でギャロップとかしないじゃん。イズミより、絶対に走ったりジムで鍛えたりしている僕の方が筋力あると思うな」 指がめり込むような腹肉の奴が何を言うか。
「見えないだけで、脂肪の下には筋肉が隠れているんだ!」とうそぶくジェイちゃん。うそつけ、この霜降り牛め。
かくして戦いの火蓋は切られた。
親切で気前の良い私はジェイちゃんに三時間の乗馬の体験レッスンコースをプレゼントした。乗馬のスタイルには世界各国様々なものがあるが、日本の乗馬クラブ等で最も一般的なのはイングリッシュ・スタイル。オリンピックの馬術もこのスタイルだ。
アメリカではこの他にウェスタン・スタイルというものがある。西部劇でカウボーイが乗っているのはウェスタン・スタイルだ。イングリッシュ・スタイルは細やかな馬術や障害ジャンプなど競技性が強く、ウェスタン・スタイルは安定が良くて乗りやすい為、牛追いの仕事や険しい山道などに適している。私は一応両方出来るが、しかし普段は殆どイングリッシュ・スタイル。鞍上げが面倒な時は裸馬でジャンプしている。ジェイちゃんはウェスタン・スタイルに乗ったことは何度もあるが、イングリッシュ・スタイルは初めてだった。
そして三時間のレッスン後。
「どう? 疲れた? どっか痛い?」
「別に。まぁ慣れてないからね、少し足が疲れたけど、大したことないよ」
嘘つけ。馬から降りた直後に足がふるふるしてたの知ってるんだからな。
ふんふんと音痴な鼻唄混じりで余裕ヅラをかますジェイちゃん。しかし背後から観察していると、歩く姿が何やらギクシャクしている。乗馬は内股の筋肉を使う。多少走っているくらいではあまり鍛えられない筋肉だ。
「太腿、痛いんでしょ」
「……全然」
「ふ〜ん」
後ろから手を伸ばして、階段を登るジェイちゃんの大腿部の内側を思いっきり掴んでやった。ギャッと悲鳴を上げて階段を踏み外しそうになるジェイちゃん。
「やっぱり痛いんじゃん」 ウケケケ、と嘲笑う私。
そして翌朝。
シャワーから上がったジェイちゃんがガニ股で登場。そのままソファーに座りかけ、ギャッと悲鳴を上げて飛び上がった。
「ダメだ。痛くて座れない」と情けない顔で訴える。「昨日は気付かなかったんだけど、尾骶骨に豆が出来てて、それが夜寝ている間に潰れたんだ。気付かずにシャワーを浴びて、水が沁みて心臓が止まりかけた」
たかが豆くらいで大袈裟な奴だ。
「絆創膏ちょうだい」
「そんなところに絆創膏貼ってもダメだって。豆が潰れた汁でグチュグチュしちゃってさ、返って治りが遅くなるよ?」
「でも今のままだと僕は立っているか横になるかしか出来ない」
「テープ貼れば?」と言って、包帯を留めたりするのに使う医療用テープを投げてやった。
「え? ガーゼかなんかを使えってこと?」
「まさか、違うよ。そのテープを直接傷口に貼るの。普通のテープと違ってかぶれにくいし、通気性が良いからね。傷口から染み出る血とか汁とかが溜まらないから膿んだりしないし、テープが貼ってあれば擦れても痛くないし」
「イッ、イヤダ!」とジェイちゃんが尻込みする。「傷口に直接テープなんか貼ったら、剥がす時に痛い!」
「剥がさないんだよ。3〜4日で下に新しい皮膚が出来て、そしたらカサブタみたいに自然に取れるからさ。ガーゼじゃないから、そのままシャワーも浴びれるし」
私も以前はよく、長時間の乗馬や裸馬に乗った時、又は履いてたパンツの種類が良くなかった時などに尾骶骨に直径2cmくらいの豆が出来ることがあった。翌日の乗馬で豆は潰れ、しかしその後も乗り続けるので傷が擦れて中々治らない。『傷口テープ』は困っていた私に敬愛する老カウボーイが教えてくれた裏技だ。
「……イズミは豆出来てないの?」
「たかが三時間の乗馬で私の尻に豆が出来るわけないでしょ」
どうだ、思い知ったか。ふふんと勝ち誇った笑いを浮かべる私。厚いのは面の皮だけではないのだ。
涙目のジェイちゃんは、その後二時間程悶々と悩んだ挙句、とうとう意を決して尾骶骨テープに踏み切った。そして彼はこの裏技の隠れファンになり、最近ではマウンテンバイクなどでお尻ズリ向けになった時などにもテープを愛用している。
❀ ❀ ❀
ところで先日、とあるユーザーさんがモンゴルで乗馬をしたと話して下さった。モンゴルの大草原を馬で駆け抜け気分はチンギス・ハーン! 私も超やりたい! と興奮したのも束の間、なんと鞍が金属製だったらしい。金属製の鞍で六時間の乗馬とは、地獄の鬼もびっくりの罰ゲームだ。
モンゴルに行く時は鞍用クッションと愛用の尻テープを忘れないようにしよう!と私は密かに心に誓ったのだ。




