大叔父とトカゲ
「トカゲが交通事故におうた!」
神戸の親戚宅での事。
カナブンに紐をつけてお散歩計画中の私の元にヒロシ叔父が報告に来た。
「交通事故?」
「イズミちゃんのお母さんが踏みよったんや。ひなたぼっこしとったのに、ペタンコになりよったで。可哀相なことやな」
「は?! 私そんなん知らんで!」 慌てて冤罪主張する我が母。
「さっき庭に出とったやろ? そん時踏んだんやで」
窓を開けて外を見ると、確かに庭石のド真ん中にペッタンコのトカゲくんの姿が。
「あはは〜、ほんまやぁ、かわいそ〜」 と呑気に笑うサユリお姉ちゃん。
「可哀相なことやな」 と何度も繰り返すヒロシ叔父。
「そ、そんなの、トカゲの癖に逃げずにあんなとこにいるのが悪い!」
「あんな、キミちゃん。この家にはトカゲを踏んだりするようなウッカリもんがおらんからな、トカゲが逃げへんのや」
「そんなんおかしいやん!」 と必死で抵抗する母。
「可哀相なことやな」 と能面のように無表情なヒロシ叔父。庭のトカゲ達を密かに可愛がっている彼の無念と恨みは深いのだ。
この家のさほど広いとは言えぬ庭には、驚くほど多くのトカゲが棲んでいる。普通の茶色いトカゲなのだが、どうやら庭で繁殖しているらしく、小さいのから大きいのまで、ほんの数分庭に出ている間にちょろちょろと4ー5匹のトカゲくん達を見かける。そしてこの家の子達は危機感が非常に薄い。ヒトが歩いていても、全然逃げずに堂々と日向ぼっこしているのだ。ヒロシ叔父の手厚い保護の元、どうやら精神的にガラパゴス化しているらしい。
「あ、またイズミちゃんのお母さんが外に出よったで。また踏むんとちゃうか?」
余程トカゲくん達が心配なのであろう。我が母が庭に出る度にガラス戸越しに彼女の足下をじっと見つめるヒロシ叔父。
「そんな何度も踏んだりせえへんっちゃ!」 などと言った数秒後にコンクリートの上で昼寝するトカゲを踏みそうになる母。
「なんでこの家はトカゲばっかりこんなようけおるんやっ?!」
「いじめるもんがおらんからな」
「虐めてない!」
「踏んだりするもんもおらんからな」
「……」
ヒロシ叔父ちゃん、口調は常に穏やかだが、意外にシツコイのだ。
そして十数年後。
「ヒロシ、サユリ、クミ……」
新幹線の中で紙に書いた私の親族の名を懸命に暗記するジェイちゃん。
「ユカ、モエ、スズ、コト」
「あのね、名前はどうでもいいけど、庭でトカゲを踏まないように気をつけるんだよ」
「トカゲ? ペットなの?」
「ペットじゃないけど、なんか半家畜化されてて危機感に乏しいのがワラワラいるから。あの家でトカゲ踏むとロックオンされて一生言われるよ、『デブのアメリカ人がトカゲをノシイカにしよった〜』って」
「……なんかよく分からないけど嫌だな、それ」
神戸の家では絶対に庭に出ないことを密かに誓うジェイちゃん。
トカゲ事件でロックオンされることはなかったジェイちゃん。しかし他の物でロックオンされる。
ヒロシ叔父は碁を嗜む。ジェイちゃんが「僕も碁を知っているよ!」(注:ホントに基本的なルールを知っているだけ)と言ったところ、では是非対局しよう!ということになった。
しかし珍獣ジェイちゃんは人気者で子供達の相手に忙しい。ヒロシ叔父が隙をみて碁に誘っても、「おじいちゃんは後にしといて!」 と邪魔が入る。
子供達がお風呂に入っている隙にジェイちゃんを素早く誘拐するヒロシ叔父。
「一局くらいなら」 と気安くヒロシ叔父について行くジェイちゃん。しかし子供達が風呂から上がって寝る時間になっても一向に戻ってくる気配なし。様子を見にいった子供達によると、ジェイちゃんは本棚と机に囲まれた狭〜い書斎でちょこんと正座して叔父ちゃんと対局していたそうな。
結局何時間やっていたのか、私は先に寝たので知らない。しかし翌日、ジェイちゃんは何やらグッタリしていた。
「僕、9x9か13x13しかやったこと無かったんだけど、でもそんなの駄目だって言うんだもん。そもそも碁をやったのなんか大学以来で、ルールをようやく憶えている程度で……」
「なら知ってるなんて言わなければ良かったのに」
「だって、共通の話題になるかな、って思ったんだもん。でも別に碁をやるのはいいんだよね。問題は正座なんだ」
膝が痛い、と年寄りじみた仕草で足を揉むジェイちゃん。彼は股関節が硬くて胡座がかけないので、床に座るには正座しかない。正座など、アメリカ人にとっては拷問以外の何物でもない。
「でもこれで叔父さんも気が済んだろうし、僕みたいな下手くそとやっても面白くないだろうからもう誘われることもないと思うんだ」
そうは問屋が卸さない。シツコイのは家系なのだ。
「ジェイソンさん、碁をやりましょう」
「…………ハイ」
屠殺場に連れて行かれる子羊化するジェイちゃん。笑って助けない私。
しかし翌日、ジェイちゃんは洗面所の隅で風呂場用の小さなプラスチックのイスを発見した。
「スバラシイ物をみつけた! これでもう僕は無敵だ!」 と満面の笑顔でジェイちゃんが強気の発言をする。そして夜、碁に誘われると急いで洗面所に走っていき、いそいそと腰掛けを抱きしめ書斎に入っていった。
「それで一回くらい勝てたの?」
帰りの飛行機の中で尋ねると、何やら真剣な顔で iPhone を弄っていたジェイちゃんが顔を上げた。
「まさか。言ったでしょ、僕はルールすらウロ覚えだって。ボロ負けだよ」
「じゃあなんでジェイちゃんなんかとやりたかったんだろうねぇ」
「わからない。わからないけど、日本に行く度に100%に限りなく近い確率で碁に誘われ続ける予感がするから、それに備えて練習しようと思って碁のゲームアプリをiPhoneにダウンロードした」
備えあれば憂い無し。しかしジェイちゃんは二週間程でゲームに飽き、結局二年後もボロ負けしていた。
ちなみに私はオセロで小学一年生のこっちゃんに負けた。しかしアレは私がトイレに立つ間に代打を頼んだ馬鹿ジェイが、ほんの数分の間に我が陣地を窮地に追い込んだせいだ(と思いたい。)人生初のオセロ黒星直後に私のiPhoneにオセロゲームがダウンロードされたことは言うまでもない。
こっちゃん、次は負けへんで〜〜‼︎




