一日の終わり
夕暮れ時、開け放たれた窓辺でエンジュが首を伸ばし、風の匂いを嗅ぐ。
エンジュはほぼ完全に聴力を失い、最近は視界も霞んできた。
吹雪がいなくなった今、玄関の戸が開いたことをエンジュに教えるモノはいない。彼女は私が家に帰って来たことにすら気づかず、窓辺に座って外を眺めている。
風は世界の様々な出来事をエンジュに伝える。
彼女は目を細め、鼻先を上げて、ふんふんと、それはそれは熱心に、風の運ぶ物語に全身を澄ます。春の雨に濡れた土の匂い。芽吹く若葉の匂い。ひんやりとした夜の匂い。夕暮れの風に満ち溢れる無数の命のざわめきが、彼女を包み込む。
私の匂いに気付いたのだろうか。エンジュがふと振り返り、喜びに目を輝かせる。そんな彼女の瞳に映る己の影を見る度に、私は思う。
誰も独りで生きてゆくことはできない。
それは、生きる為に誰かを必要とするということではなく、ヒトも動物も、この地球上に在る限り、全てのモノはここに生きる何モノかとその道を交差させるということ。
風に揺れる一輪の花の色が、その薫りに集う虫の羽音が、路地裏に密やかに消える猫の後ろ姿が、ふと見上げた蒼い空に舞う鳥の影が、これら全てのモノとの一瞬の交差が私の中に何かを残してゆくように、あなたの存在は、あなたの隣に生きるモノの中に何かを残してゆく。
無数の命が息づくこの透明な風の中に、私達は生きる。
だから、どうか、この風に舞う鳥の歌声が、あなたにも届きますように。
(fin.)
過去と現在において、私が出逢った全ての生き物達に捧げる。
These stories are dedicated to all those who have shared the wind with me in the past and the present. Your memory shall forever be kept warm inside me and shall keep me warm.




