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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その他(現代ドラマ、恋愛、童話など)

はみだし者たちの夏 ~夜が終わりきらない湾岸で、均衡が壊れる朝が来る~

1983年。


狂騒と退廃が、

まだ剥がれ落ちきらない東京。


夜が終わりきらない、

夜明け前の白けた時間だった。



震える女の背骨に、

フェンスの冷たさが突き刺さる。


「可愛いねぇ。俺と一緒に楽しもうぜ」


パンチパーマの巨漢が、

女を金網へ押しつけた。


「やめてぇー!」


錆びた鉄が背中を擦り、

肺から息が押し出される。


笑い声。

不良どもの口笛と、乾いた嘲笑。



少し前――


先週、突然、

湾岸エリアを拠点とする

**『大黒湾岸ミッドナイトクルー』**の(ヘッド)が死んだ。

深夜、湾岸を飛ばしていてのバイク事故だった。


いま、そのミッドナイトクルーのアジト――

廃車置き場だった跡地に、

名だたる不良たちが、バイクで次々と集まってきていた。


錆びたフェンス。

折れた標識。

かつて鉄屑と事故車が山と積まれていた場所。


オイルと鉄の匂いが、

冷えかけた地面に、まだ染みついている。


頭上を走る高速道路。

夜通し鳴り続けるエンジン音が、

怒号も、悲鳴も、すべて飲み込んでいった。


「タカシ、その女たち、どこで拾ってきたんだ」


声が落ちたのは、

夜と朝の境目に取り残された、その場所だった。


フェンスの内側で、

女の悲鳴が上がる。


「やめて……!」

「やめてー!」


夜明け前の空気に、

不釣り合いな笑い声が重なる。


缶ビールが転がり、

誰かが、始発前の静けさを裂くように、

ブレーキランプを一瞬だけ灯した。


東京湾から吹き上げる夜風は微かに冷たく、

油と潮と、焦げた鉄の匂いを運んでくる。


――ここが、

本日の集合場所だった。


八つのチーム。

力は、拮抗している。


どこかがどこかを叩き潰せば、

勝った側も必ず傷を負う。

削られた力は、すぐ次の獲物になる。


だからこそ、

均衡は保たれてきた。


・大黒湾岸ミッドナイトクルー。


・本牧夜叉連合会。

・川崎ドゥームレギオン。

・有明修羅皇帝會。

・歌舞伎町デンジャラスドリーム。

・葛西ヘル・ジャッジメント。

・木更津アポカリプス・レガリア。


そして――

渋谷を拠点とする、道玄坂シャドウハーツ。


それぞれが、

自分たちのチーム名を背中に刺繍し、

夜が明けきる前の東京を走っていた。


だが。


越えてはいけない一線だけは、

誰もが知っていた。


神奈川、千葉、東京――

その地理的中心に陣取っていたのが、

大黒湾岸ミッドナイトクルーだった。


――頭が、生きている間は。


副頭の伝言が、

七つのチームへと駆け巡った。


「俺たちは、一番強いチームの傘下に入る」


その一言が、

長く続いた均衡を、はっきりと揺らした。


各チームから代表を一人。

タイマンで殴り合う。

最後まで立っていた奴のチームが勝ちだ。


空が、わずかに白み始めていた。



同時刻。

夜明け前の、渋谷・道玄坂。


ラブホテルから、

気の早いアベックが出てくる。


その脇をすり抜け、

酔った足取りで、男はここまで歩いてきた。


デパートのだだっ広い路面駐車場。

まだ誰もいないコンクリートに、

昨夜の熱気だけが、かすかに残っている。


男は、ゆっくりと地面に仰向けになり、息を吐いた。


チャコールグレーのダブルスーツは、

先週、給料をはたいて買ったばかりだ。


自分の中の「都会」そのもの。


純白のピンホールシャツ。

細い黒の光沢タイを、

襟元のゴールドのピンホールピンが支える。


足元では、

こげ茶のイタリアン調ショートブーツが、

街灯を拾って鈍く光った。


髪はポマードで後ろに流し、

両サイドの長い前髪だけが額にかかっている。


踊り明かした汗と、

一緒にチークした女の香水の残り香。


「……確か今日、

 なんか用事があったよな」


煙草を一本くわえる。

空を見上げたまま、火はつけない。


「やっぱ、星ねぇーな」


遠く、

まだ眠っている街の向こうに、

湾岸の灯りが滲んで見えた。


「ああああああああ!」


男の煙草が口から飛んだ。


「チーク踊った女の、

 電話番号、聞くの忘れた——!」



震える女の背骨に、

フェンスの冷たさが突き刺さる。


「可愛いねぇ。俺と一緒に楽しもうぜ」


パンチパーマの巨漢が、

女を金網へ押しつけた。


錆びた鉄が背中を擦り、

肺から息が押し出される。


胸元のシャツに、

乱暴な手がねじ込まれた。


「やめ……!」


声は、

途中で潰れる。


笑い声。

観客の口笛と、乾いた嘲笑。


――そのとき。


グガッ――ン!


音が、遅れて来た。


鈍く、

骨に直接触れるような衝撃。


パンチ男の顔に拳が叩き込まれ、

巨体が宙を舞う。


フェンスから引き剥がされ、

地面へ叩きつけられた男は、

泡を吹き、

一度も声を出さなかった。


女が、

荒い息のまま顔を上げる。


そこに立っていたのは――


鋭く傾いた、

細いスクエア眼鏡。


感情の読めない目。


――異様なほどの巨躯。


「なんだなんだ、ここは」


低い声。


一拍。


「……無法地帯かよ」


道玄坂シャドウハーツ副長、

堂島ヒロイ。


「てめぇー!!」


もう一人の女を押さえつけていた男が、

背後から拳を振りかぶる。


――ガシュー!


だが。


その手は、

軽く、あまりにも簡単に止められた。


掴んだのは、女の左手。


紅い長い髪。

紅い瞳。

鼻と口を覆うハーフマスク。


道玄坂シャドウハーツ女特攻隊長、

祗園寺(ぎおんじ)リン。


リンは無言のまま、

男の親指を右手で握る。


――グシャ!


悲鳴が出る前に、

澄ました顔で、

あり得ない方向へ、へし折った。


間は与えない。


次の瞬間、

膝が跳ね上がる。


鼻が潰れ、

男は白目を剥いたまま、

後方へ吹き飛んだ。


「助けはいらねぇーし」


ヒロイは左手の缶コーラを傾け、

何事もなかったかのように喉へ流し込む。


「ヒロイ。

 ……どう見ても無法地帯だろが」


祗園寺リン。


さっきまでの笑い声は、

もう無かった。


周囲が、黙る。

その、ほんの一瞬。


――ぶはっ!!


巨躯が前屈みになり、コーラが噴き出した。


「変なとこ、入った……」


――ゴホ、……ゴホ。


むせるヒロイ。

コーラが鼻を垂れる。


「……汚ねぇな」


リンが足元を引きながら言う。


「……じじいか?」


《紅い悪魔が子守唄を囁きにくる》


そう恐れられる女は、

静かに周囲を見回した。


「てか勝治、遅くね?」


道玄坂シャドウハーツ総長、

大友勝治(おおとも かつじ)


――まだ、来ていない。


夜明け前の湾岸に、

新しい色が、

はっきりと差し込み始めていた。



渋谷のビル群の隙間に、

夜と朝の境界が滲む。


群青から灰色へ。

街の心臓が、再び動き出す。


勝治は、地に背をつけたまま、

ようやく煙草に火をつけて、

静かに笑った。


「……この街、で・か」


十代の頃は、全部自分の手の中にあると思っていた。

白い息が揺れる。


「俺って、――ちっせーな。

 

 ……牛丼でも食うか」


煙草の先が、

夜明け前の空に、赤く瞬いた。


――その時。


――ギリュゥゥゥゥゥゥ!!!


空気を切り裂く、

凄まじいブレーキ音。


特攻服の背中には、

――【道玄坂シャドウハーツ】の文字。


「総長!!」


切羽詰まった声。

焦りを隠しきれない叫び。


「……どうした、タク?」


勝治は煙草を咥えたまま、

ゆっくりと上体を起こした。


「どうしたじゃないっすよ。

 何やってんすか!

 こんなとこで!」


跨るエンジンの熱気。

近づいてくる、油と排気の匂い。


勝治は、

ほんの少しだけ間を置いて――


「ん、なに?」


遠く。

湾岸道路の外灯がひとつ、またたいて消える。

道路中央の直線が、白く浮かび上がった。


そして、

今日も朝がはじまる。


――おわり。

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