18:やはり暴力
鈴緒が銀之介とイチャコラしたその日、結局緑郎は家に戻って来なかった。どうやら二人のとばっちりを受けて、自分が叱られるのを避けたようだ。
〈しばらく原田くん家で泊まって作業するから、仲良くケンカしててね☆でも殺し合いはやめてクレメンス☆ラブアンドピースだお☆〉
彼愛用のアヘ顔ウサギのスタンプと共に、こんなメッセージが届いていたのだ。
ひと昔前のネットスラングを混ぜるな、と鈴緒は頬を引きつらせたし、銀之介は露骨に舌打ちをしていた。
緑郎たちのインディーゲーム制作プロジェクトはお泊まり宣言通り、合宿での短期決戦コースに入ったらしい。あれから二日経ったけれど、兄はまだ戻って来ていなかった。
そこで鈴緒は兄に、不銅へカミングアウトすることを伝えるのは後回しにした。
代わりに厄介な親戚連中との一波乱に備えて、友人コンビのお知恵を拝借する。不銅のイカれたファッションセンス問題という切り札はあるものの、出来れば実直な従兄の趣味にあれこれ難癖を付けたくはないのだ。出来るだけ穏便に解決するに限る。
午後の講義を終えた三人は、佐久芽大学内のカフェテリアに集まった。
美術学部棟の近くにこっそりあるこの店はスフォリアテッラという、イタリアの焼き菓子が売りらしい。片田舎にある公立大学にしてはハイカラなメニューである。
二枚貝または気の抜けた三角形のようなスフォリアテッラは、重ねたパイ生地にクリームを詰め込んで焼いた菓子だった。重量感のある見た目の割に食感は軽く、カフェラテによく合った。
鈴緒はカスタード入りのものを包み紙越しに両手で持ちながら、同じ丸テーブルを囲んでいる二人を見る。
「あのね、教えて欲しいんだけど……彼氏を家族に紹介して、反対された時ってどうしてる?」
この問いに、チョコクリームを選んだ牧音が猫目を瞬いた。口元に付いたパイ生地をぺろりと舐め、首も捻る。
「ん? まだおばさんたちに言ってなかったの? クリスマスにZoomで挨拶して大歓迎されたって、言ってなかったっけ?」
彼女の疑問に、倫子もうんうんと頷いている。細身なのに食いしん坊な彼女のスフォリアテッラは、もはや風前の灯火だった。
不思議そうな二人へ、鈴緒は手を振って補足した。
「あ、ごめん、分かり辛くて。パパとママには紹介したし、二人は喜んでくれたんだけど――」
鈴緒は従兄が佐久芽市に引っ越して来たこと、彼の母すなわち伯母が、鈴緒の両親と不仲であること、そして日向兄妹との折り合いも微妙であること、兄妹への口出しが多いことをやんわり伝える。
牧音と鈴緒は、高校からの付き合いである。これまでにも日向家の本家と分家のギスギス感をうっすら察していた牧音は訳知り顔で大きく頷いた。
そして倫子は、空になった両手で頬杖を突き、盛大に顔をしかめている。
「いるよねー、そういう人。とにかく周りの人間のアレコレに、なーんか文句言わないと気が済まないヤツ。あれ、なにが楽しいの? 生産性なさ過ぎて引くんだけど」
なかなかの辛辣な意見であるが、鈴緒もおおむね同意見だ。
「うちの家業が家業だし、きっとママとも色々あったんだろうなぁとは思うんだけど……でもそんなことで、銀之介さんにも何か言われたくなくて」
だよな、と牧音もブラックコーヒーを一口すすって同意する。
「それで従兄が余計なコトをチンコロしやがった時の、上手い返しが欲しいワケだな。よし――ブン殴れ」
牧音は低い声で即答した。おまけに、バットを振るジェスチャー付きである。ホームラン狙いの、大振りだった。
しかしこの回答は予想外だったため、鈴緒はどんぐり眼をますます大きくしたまま、数秒戸惑った。
(わたし……親戚付き合いと、彼氏のことを相談したよね? どうして結論が、暴力なの? 牧音ちゃんって、犬神家の人?)
「えっと……親戚に暴力振るうのは、さすがに後味が悪いかなぁ……」
そうやんわり断る鈴緒の脳裏には、木刀を携えた獄卒こと恋人の姿があった。暴力ポジションは、もう間に合っている。
しかし牧音も、冗談半分で傷害致死罪上等と宣言したわけではないらしい。芝居がかった仕草でテーブルに肘を載せ、「まあ聞けって」と困る鈴緒をなだめる。
「ウチ、彼氏を反対されたコトはないけど、親父がクソお調子者じゃん? だから元カレが家に来た時に、顔のコトでめっちゃからかって来たコトがあったんだわ。鈴緒、柴田のコト覚えてる?」
「あ、うん。高二の頃だったよね、付き合ってたの」
鈴緒も記憶の中から、隣のクラスにいたニキビ跡がちょっぴり多めの、しかし気さくで好青年だった同級生の笑顔を思い出す。
きっと顔でからかったというのも、そのニキビ跡のことだろう。牧音の父は気さくな反面、緑郎を更に濃くしたようなノンデリ気質でもある。
鈴緒も牧音宅に遊びに行った時に、「ボインちゃん」呼ばわりされたことがあるのだ。
そんな牧音の父が、娘の彼氏の容姿をネタにして笑ったのだという。その時娘は――
「で、ムカついたから速攻で殴ったっていうね。結局勝つのは暴力よ」
「うわぁ」
鈴緒と倫子が、ほぼ同時に嘆きの声を上げる。さすがに即座のドメスティックバイオレンスは、ちょっぴり牧音父が不憫であるし、その現場を見せられた柴田氏ももっと不憫である。牧音が彼と別れたのも、そのノーモーションな殴打が原因ではなかろうか。
ただ誠実な恋人を失った甲斐あり、その後の牧音父は娘の色恋に一切口を挟まなくなったという。何か言おうとしても、頬をそっと押さえて口ごもるそうだ。
ドヤ顔牧音による結果論に、二人はますますしょっぱい顔になった。
「牧音ちゃんに殴られたの、頬っぺただよね、それ」
「お父さん、トラウマ抱えちゃってんじゃん」
「ああいうヤツは、言っても聞かねーから。身体で分からせないといけないのよ」
犬の躾の話だろうか、これは。
鬼ブリーダーの心得を教えられても、と鈴緒はこめかみに指を添えてうなった。
「牧音ちゃんの故郷って……修羅の国だっけ?」
牧音一家は、彼女が高校入学前に佐久芽市に転入してきたのだ。彼女も銀之介も、転入組だからこそ日向兄妹を崇拝対象と見ずに、ただの同世代として接してくれたのだろう。
そんな得難い友人は、あっけらかんと首を振る。それに合わせ、一つに束ねたツヤツヤの黒髪も揺れる。
「ううん、広島。ってか広島じゃ、コレが普通だから」
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃねーし。広島県、ヤクザがカラスより多いんだぜ? 知ってた?」
飄々とぶっこかれた嘘に、鈴緒もつい噴き出した。
「広島県民に怒られちゃうよ、それ」
なお「ヤクザよりも広島カープファンの方が多いだろう」という指摘は、飲み込むことにした。野球について語らせると、牧音は長いのだ。




