16:ピローならぬバストーク
温かい湯舟が、疲れ切った体をじんわりと癒してくれる。散々汗をかいて冷えた後ということもあり、このぬくもりが心地いい。
鈴緒は小さな背中を丸め、ほうと息を吐いた。
銀之介はしばしば愛あるちょっかいを出して来るものの、基本的には優しい。それは鈴緒を抱く時も変わらなかった。いつも彼女の気持ちを優先し、決して無理強いはしない。
ぐったりと抱きつぶされたのも、それこそ初めての時ぐらいだったのだが――
(どうしよう。銀之介さんに意地悪されるのって……ちょっと、嬉しいかも)
膝を丸めた鈴緒は、己の内で見つけた新しい扉に戦慄していた。
何週間もお預けをしたうえ、不銅のことで色々とやきもきさせ、不安を煽ったためだろう。
今日の銀之介はかなりねちっこかったし、行為中の言動もサドっ気全開だった。鈴緒は何度もキャンキャン泣かされた末に、最終的にはそれが楽しくなってしまったのだ。
より開けっぴろげに言えば、いじめられて大いに興奮していた。
(わたしって……ドMだったの? 違うよね? 違うよね? でもどうしよう、いつも銀之介さんにちょっかい出されるのも、ムカつくけどたしかに嫌ではなかったかも、だし……ああああああッ! やっぱり変態じゃない! どうしよう、巫女で変態なんてクセが強すぎる……銀之介さんも困ってたらどうしよう! 俺が思ってたのと違うなぁって、ガッカリされてたらヤダぁぁーッ!)
冷静に考えれば、先にサディスティック仕草を見せたのは銀之介であり、平時の彼も鈴緒にちょっかいを出しては反応を面白がる、性悪さが見え隠れしている。
そもそも根っからの紳士であれば、どんな状況下でも恋人をいじめないだろう。
よって鈴緒がウェルカムいじめ体質(ただし恋人に限る)でも相性抜群だと分かりそうなものなのだが、なにせ彼女は恋愛も色事も超初心者だ。
自分の中に萌芽した変態の可能性に、とんでもなく怯えていた。どこからか自分を呼ぶ声が聞こえているのに、それに応える余裕もない。
頭を抱えてうーうーと唸った彼女は、一度思い切り顔を伏せた。水面にドボンする寸前まで背中を丸めた末、爆発する羞恥心と一緒に大きく頭を振り上げて背もそらす。
「もぉぉぉーっ!」
「いでっ」
絶叫混じりでのけぞった頭は、後ろに座る銀之介の高い鼻にクリティカルヒットした。
鈴緒はここでようやく、数時間に渡るイチャコラの末に彼と一緒にお風呂へ入っていたことを思い出した。振り返り、ギャッと叫ぶ。
「ごめんなさい! 大丈夫? 血、出てない……?」
反射的に鼻を押さえていた銀之介が、手の平を見る。次いで自分の鼻下にも触れて、うんと頷いた。
「ぶつかっただけだ、心配ない。それよりどうした?」
銀之介は鈴緒の顔を窺うように見つめながら、自身の足の間にいる彼女の体を抱き寄せる。とはいえ、いつか先見で視たラブホテル(暫定)の浴槽と違い、日向家の浴槽は一般的なご家庭よりも少し広い程度だが。
名前を呼んでも一切反応しなかったうえ、眼前で突如繰り出された恋人からの奇行にも、銀之介は心配そうである。全く持って要らぬ心配を与えてしまったことに、鈴緒の良心がしくしくと痛んだ。
同時に、明らかにヤバい行動を取っている自分にも優しい彼に、ついキュンとしてしまったけれど。これが恋なのか。
「あ、別に、ね……何かあったとか、具合が悪いとか、じゃないんだけど……」
嘘を吐けない職務に就いているため、先見の巫女は総じて嘘が下手だ。鈴緒も語尾をモニョモニョと濁した末、諦めて折れた。
「さっき、わたし……変じゃ、なかった? その、なんか久しぶりで――」
「むちゃくちゃ可愛かった」
食い気味での即答だった。両肩も掴まれ、やや強引に銀之介の方へと振り返らされる。
鈴緒はまさかここまでの熱意を見せられるとは思っていなかったので、呆然と固まっていた。銀之介は頭が真っ白になっている彼女へ、更にまくし立てる。
「勿論、普段の君も大変非常に、群を抜いて可愛らしい。この前提に基づいての話になるが、鈴緒ちゃんは照れていると、可愛さが右肩上がりどころか天井知らずになる。先程も恐ろしいまでの可愛らしさだった。もしもこの国に可愛い過ぎると逮捕される法律があれば、間違いなく逮捕されていただろうし、量刑も重かったはずだ。そんな悪法が無くて幸いだ。そのため俺も普段より抑えが利かず、無理をさせてしまい本当に申し訳なかった。しかし、可能であれば最中にカメラで撮影したい位に愛らしかったのは事実なので、自分を変だ等とは微塵も思わないで貰いたい。一眼レフを買っても構わないだろうか?」
彼の主張に対し、言いたいことは色々ある。あるのだが、
「うん、絶対買わないでね。ってか、撮ったらもぎ取るよ」
これが最優先の伝達事項だろう。そして、先ほどのキュンを返して欲しい。
鈴緒が真顔で「もぐ」警告をすると、心持ち腰を引いた銀之介は無言で何度も頷いた。
(……まあ、銀之介さんも喜んでくれてるなら、いいかぁ)
お湯に浸かっているのに青ざめた恋人を見上げつつ、鈴緒はこの結論に達した。
(今回はちゃんと仲直りできたけど……でも、今度は本当に喧嘩になっちゃうかもだし)
また同時に、彼への甘えを減らすことも諦める。
銀之介も熱弁を振るっていた通り、彼は鈴緒が恥ずかしがり屋であることは理解してくれている。今までだって、人目がある時のスキンシップはかなり控えめだった。
それならば、引き続き二人きりでいる際のいちゃいちゃ甘やかしぐらいは、鈴緒だって受け入れるべきだろう。
だって自分も、彼からいじめられたり甘やかされることは、なんだかんだで大歓迎なのだから。
鈴緒はマンツーマンという限定条件下でのバカップル化を諦めると同時に、ある一つの真理にも到達した。
(そもそも……わたしと銀之介さんのこと、周りがやいやい言う権利なんてあるの? ないよね? うん、ない)




