15:着心地はいいんだけどね
鈴緒は嬉しくてニヤけながら、銀之介を見上げる。まさか鈴緒が、叱られてはしゃぐとは思っていなかったのだろう。銀之介は珍しくぽかん、と呆気に取られた様子で固まっていた。
そんな呆け面にもついキュンとして、鈴緒の笑顔がますます濃くなる。
ややあって、銀之介の凛々しい眉が訝しげに寄せられた。見慣れた怖い顔である。
「何故、君はそんなにもウキウキしているんだ?」
ウキウキしているのだろうか――しているね、むちゃくちゃ。鈴緒は瞬時に自問自答して、照れ隠しで肩を揺らす。
「だって……銀之介さん、ヤキモチとか焼かないから。いつもお澄まし顔で、平常心って感じだし。だからちょっと……嬉しくて」
言っていて、なかなか自分勝手だなと自覚してしまう。心配させて「嬉しい」などと。つい語尾が尻すぼみになった。
彼女の回答に、銀之介の眉間のしわがますます深くなった。しかし彼女の自己中心的な感想に怒ったわけではないらしい。
鈴緒の前にしゃがみ込んだ彼は、じっとり彼女をにらんだまま口を開いた。
「平常心な訳あるか。去年のストーカー男の時も、本当なら農学部の肥溜めに頭から突っ込んでやりたかったんだよ。モアトピアのナンパ野郎だって、人目がなきゃぶん殴ってやったのに」
「えっ?」
銀之介の余裕が皆無な時にまろび出るぶっきらぼうな口調に、鈴緒も思わず目をぱちくりさせる。久々のご拝聴である。
「入学式で君をからかうつもりだったあのクソガキも、猿ぐつわを噛ませて手足を縛って、床に転がしたかったぐらいだ」
しかし、思っていたよりも過激派思考である。どうやらあのヤクザ風ファッションでの威嚇ですら、色々考えたうえでの妥協案だったらしい。
想像以上に溺愛されていたのだと、鈴緒はつい笑った。そのまま、彼の癖のない真っすぐな黒髪を撫でる。
「そっかぁ……銀之介さん、いっぱい心配かけてごめんね?」
相変わらずの硬い髪質だが、鈴緒は彼の頭を撫でるのが案外好きだった。それに今は、普段ならば見えないつむじも拝め、特別感もひとしおである。
鈴緒がデレデレと笑って頭を撫で始めると、銀之介の険しい表情がわずかに緩み、そのまましばらく彼女の好きにさせてくれた。
「……俺こそ、狭量ですまない」
「ううん。だってずっと不銅くんのこと、我慢してくれてたんだよね?」
どうやら図星らしい。銀之介が無言で再び視線をそらした。気まずそうなその仕草にまた、鈴緒が微笑む。
「わたしこそ、銀之介さんの気持ちを考えられなくてごめんなさい。これからはちゃんと、気を付けるね」
根と言わず、茎も葉も「真面目」で構成されている不銅だ。「お互いにいい年の男女なので、距離感を適切に保つべきだろう」云々と言い訳すれば、あちらから距離を取るに違いない。
仲のいい親戚に割って入った負い目だろうか。それとも、鈴緒の提案を喜んでくれたのか。あるいは両方か――銀之介は一瞬だけ顔を歪めると、すぐに鈴緒へ抱き着いた。
鈴緒はソファに片膝を乗せた彼に、覆いかぶさられる体勢のまま、広い背中をぽんぽんと叩いた。
銀之介の表情は、鈴緒の肩に顔を埋めているため窺えない。だが小さな声で「ありがとう」と聞こえたため、鈴緒もつい微笑む。気にしないで、と伝える代わりにゆるりと首を振った。
ややあって彼女の肩口から、銀之介が顔を上げた。すぐ近くにある、ほっそりした白い首に薄い唇を寄せる。
「んっ」
不意打ちの口づけに、鈴緒が甘えた声をこぼした。同時に銀之介のフランネルのシャツを、ぎゅうと握りしめる。
彼女の声と仕草に、銀之介が小さく笑う。
気をよくした彼は、もう二度ほど首筋にキスを落とした後、今度は鈴緒の耳介もぱくりと甘噛みした。途端、鈴緒の背中にむず痒い痺れが走る。たまらず、先ほどよりも大きな嬌声を上げてしまった。
銀之介はそのまま鈴緒の体をソファの座面にやんわりと押しつけ、本格的な愛撫を始めた。彼女の細い足も開き、その間にちゃっかり収まっている。
鈴緒はされるがままであったが、シャツワンピースのボタンを三つ外され、露出した胸元を強く吸われた辺りでようやく察する。
(あー! このままリビングでしちゃうヤツだ、これ!)
恋愛初心者とはいえ、今更のお察しである。
しかし今まで、ベッド以外で彼に抱かれた経験のない鈴緒は、気付いた途端に及び腰となった。おまけに今は、レースカーテン越しに日差しもポカポカと降り注いでいる。どスケベ行為を致すには、あまりにも明るすぎるだろう。
おまけにまだ、シャワーすら浴びていない。
「あっ、銀之介さ、だめっ……お兄ちゃん、帰って来るからぁ!」
鈴緒は内ももを撫でられて恥ずかしい悲鳴を上げながらも、無様に抗う。
しかし一度スイッチが入った銀之介も、この程度では引かない。そもそもここしばらく、ずっとお預け状態だったのだ。引けるわけがなかろう。
銀之介は鈴緒の肩口にも所有印を残すと、軽く首を傾げた。
「原田さんの家に行く、と言っていたんだ。どうせそのまま泊まりだろ」
「で、でもっ……」
「それに先程、ここのドアの鍵も施錠済みだ」
「ギィィィ! 策士ぃ!」
「お褒めに預かり光栄だ」
鈴緒の奇声も、笑って受け流された。しかし細められた目が、彼女の痴態に煽られてギラついている。物欲しそうなその光に、鈴緒もつい怯んだ。
だが、彼女にもここで引けない理由があった。
正直あちこち散々いじられ、彼女も彼女でヤる気満々にはなっている。ただ「風呂前」「真っ昼間」よりも優先すべき、そして秘すべき事項が一点だけあるのだ。
「でも、わっ、わたしっ……今日、下着、手抜きだからぁ……」
鈴緒は握りしめた両手で真っ赤な顔を隠しながら、半泣きの声で訴えた。体もぷるぷると、子羊よろしく震えている。
銀之介も、哀れ度満点な彼女の声に手を止めた。そのままキョトン、と目を瞬く。
「手抜き?」
「うん……だって、こうなるって、思ってないもん! なんか、今日は、ないかなぁって!」
気が強い一方で乙女思考の鈴緒は、恋人に腑抜けた下着姿を一度も見せたことがなかった。夜間に彼と二人きりの時は、そんな空気であろうとなかろうと、必ず上下揃いの可愛い下着を身に付けていたのだ。
時折、銀之介が結局十着ほどお買い上げした、セクシー下着に着替えさせられたこともあるが。
なお普段は寝る時に、ブラジャーなんて絶対しない。ナイトブラすらお断りである。
だって窮屈だもの。
半泣きでのこの訴えに、銀之介は「ふむ」としばし考える。
次いでおもむろに、鈴緒のワンピースを豪快にめくった。
「ぎにゃあ!」
「成程、これが手抜きか」
「見なくてもいいじゃん! どうして見るの! ばかぁ!」
愛想もレース飾りもへったくれもない、カップ付きキャミソールとボクサーショーツのコンビをしげしげと眺められ、鈴緒は両腕だけばたつかせて怒った。色だけは、どちらも黒で統一されているのが救いか。
鈴緒が涙目でじっとり彼をにらむと、思いがけず凛々しく引き締まった表情とかち合った。彼はいい表情のまま、サムズアップを決める。
「鈴緒ちゃん、安心してくれ。これはこれで、むちゃくちゃ興奮する。すっごく可愛い」
「やだぁーっ!」
鈴緒はとうとう本格的に泣き出した。まさか恋人が変態だっただなんて。
「泣かれると、それもかえって興奮するんだが」
「ぎゃあっ! 八方ふさがりじゃん!」
まさかのドS発言まで繰り出され、もはや打つ手なしである。
せめて文句を言ってやろうとするが、鈴緒が低IQな罵倒を繰り出す前に、銀之介が彼女の白く華奢な足を持ち上げた。そのまま彼女が履いていた深緑色の靴下を、恭しく脱がせる。次いで小さな膝小僧に、口づけをした。
鈴緒はブチ上がる羞恥心と謎の自己肯定感に、うぐぅ……と喉の奥から異音をこぼす。
言っていることは変態かつサディスティックだというのに、銀之介が鈴緒に触れる手はいつもと変わらず優しいのだ。そして壊れ物を扱うかのような仕草の一つ一つから、自分が愛されているのだと実感させられてしまう。
(もう、見られちゃったし……いいかな……)
そんな諦めの境地に達した鈴緒は、精一杯のふくれっ面でソファから身を起こす。そしてじろりと銀之介をねめつけた。
「……ワンピ、しわになっちゃうから、脱がして」
「ああ、分かった」
銀之介は可愛げゼロなおねだりにも一つ笑い、彼女の濡れた目元と唇にキスを落とした。
そしてビスチェを留めるリボンと、シャツワンピースのボタンも全て外す。
結局彼にほだされちゃった鈴緒は、銀之介の数週間分の補給に付き合う羽目となった。




