9:従兄≒ロッテンマイヤーさん
鈴緒と銀之介の交際を、不銅には当面開示しないという先延ばし作戦が立案してから十日が経過した。
本日は土曜日である。普段であれば、鈴緒は先見を終えた後に三十分ほど二度寝をしたり、銀之介も積読中の本を読み進めたり、あるいは二人で近所をデートをしたりと、穏やかな心の充電日和となったはずなのに。
今日に限っては緑郎も含めた全員が、どことなく落ち着かない様子でリビングに揃っていた。
自由業のため土日も平日も等しく怠惰に過ごしている緑郎が、珍しくこざっぱりとした生成りのシャツ姿で壁の時計を見る。
「……そろそろ、かな」
鈴緒がうーん、とうなりながらスマートフォンの画面も点灯。正確な分秒まで確認した。
「あと三分ぐらいだと思う。不銅くん、時間きっかりに来そうだし」
いよいよ本日、不銅が日向家への挨拶に来るのだ。しかし夕食の時間帯ではなく、お昼時に顔を出す辺りがまた絶妙な気遣いを窺わせる。
そんなバカが付くほど真面目な従兄に合わせ、鈴緒の服もアイボリーのシャツにチャコールグレーのプリーツスカートを合わせた、落ち着いた色味の出で立ちだ。もちろん露出度だけは平常運転だが。
そして彼女の予想通り、約束の十二時になるや否やチャイムが押された。緑郎がスマートフォンの時計を見つめ、眉をひそめる。
「……あいつ、入り口で待ってたのかな」
不銅ならやりかねないという胸の内を、しかめっ面が雄弁に語っていた。隣の銀之介がその顔を見下ろしながら、ネイビーのカーディガンを着た長い腕を組む。同時に目も細められた。
「十五分遅れがデフォルトのお前より、よほど良いだろ」
蔑みレベルが高めの声音に、緑郎もむっつりと反論した。
「違いますー、最近は五分遅れですー」
「結局間に合ってないんだろ。沖縄生まれでもあるまいし、五分前には這ってでも来い」
体育会系出身の彼は、十五分前行動がデフォルトとなっている。鈴緒は小競り合いする男二人を呆れ顔で一瞥してから、彼らを放って玄関に向かった。
玄関を開けると、中性的な面立ちの華奢な青年が立っていた。不銅である。彼は鈴緒と目が合うと、生真面目そうな表情をほころばせた。
「鈴緒、お久しぶりです。変わらず元気そうでよかったです」
彼は当然というべきか、有名パティスリーで購入したと思しき手土産を持参していた。鈴緒は恭しく差し出された焼き菓子セットを受け取りながら、ほんのりぎこちなく笑う。
「うん、ありがとう。不銅くんも就職おめでとう」
「ありがとうございます。でも鈴緒……君は巫女なのですから、もう少し露出を抑えた清楚な服装の方がいいかと思いますよ?」
「あー、うん……そうね」
そして彼の、母譲りであろうお小言も健在だった。鈴緒の愛想笑いが苦笑いに変わる。
ここで男二人が鈴緒に追いつき、彼女の後ろに姿を現した。不銅の視線も、二人に向けられる。途端、ちょっと驚いたように彼は目を見開いた。
不銅の姿を捉えた銀之介も身構えるように、(親しい人にしか分からない程度だが)顔を強張らせている。
「お久しぶりです、緑郎君。えっと……そちらの方が――」
今までつらつらと淀みなく話していた不銅の声が、ここで初めて上振れした。銀之介の威圧感がある顔と、背丈に圧倒されているのかもしれない。
しかし気圧されてくれている方が、こちらの言い分にも丸め込みやすい。緑郎はいつものヘラヘラ笑顔で頷いた。
「そうそう。おれの高校からの友達の銀之介ね。こいつのおかげで、おれもスズたまもQOLが爆上がりでさー」
不銅にはあらかじめ「家が火災に遭った、緑郎の友人が同居している。非常に料理が得意なため、日向兄妹も大助かりである」という、銀之介ヨイショ情報を伝えていた。もちろん火災に見舞われたのが、去年の十一月であることはボカしている。
銀之介が緑郎の紹介を受け、無表情に戻って会釈をした。
「はじめまして。緑郎と鈴緒ちゃんには、お世話になっています」
彼の淡々とした言葉に、不銅もつられるように頭を下げた。
「あ、いえ、こちらこそ、お世話になっています……二人の従兄弟の、月山 不銅……です」
声もおっかなびっくりだったが、銀之介は怖い顔であるものの、基本的には物静かで理性的な眼鏡のおじ――お兄さんだ。ついでに服装も、粗野さゼロの無印良品またはユニクロテイストである。
獄卒顔に反して丁寧な暮らしを送っていそうな雰囲気を察したのか。不銅もようやく表情を和らげた。
「鈴緒や緑郎に美味しい食事を作ってくださっている、と伺っております。先見の巫女が体調を崩しては、街にも不利益が出てしまいますから。鈴緒の健康に気を遣っていただいて、ありがとうございます」
なんとも堅苦しい言い回しで、改めて深々と頭を下げた。彼のつむじを見つめる三人の目には「なんだこれ。家庭訪問か?」という疑惑が浮かんでいた。おおむね間違っていなさそうなのが、また悲しい。
そして担任教師の矛先は、緑郎にロックオンされた。不銅はがばりと顔を上げると、従兄に厳しい視線を注ぐ。
「それより緑郎君。君のエッセイマンガも読んでいますが……君はもう少し、健康面にも気を使うべきじゃないですか? 何です、あの自堕落な生活は」
緑郎の身体が、露骨に強張った。
「げぇっ。読んでくれてありがとー! でもお説教はいらなーい!」
「そう思うなら、小言を言われない生活に改めるべきです」
「正論やだーっ! ほっといてよー!」
「放っておけますか。言っている間に、君も三十歳ですよ? いつまでお菓子を主食にしているんです」
イヤイヤ期を発動するアラサーに、新卒公務員がクソ真面目顔で鬼詰めしている。シュールだ。
鈴緒も銀之介も、緑郎のマンガはSNSに上げられている最新話を時々読む程度である。加えて、リアルタイムで彼の自堕落生活を目の当たりにしているので――正直言って、慣れていた。麻痺しているとも表現出来るが。ともかく叱る気力がないのだ。
なので緑郎にガンガン文句を言える立ち位置にいる第三者からのお説教は、ちょっとありがたくもあった。
(それにお兄ちゃんが標的になってたら、銀之介さんの同居にも文句言って来ないだろうし)
鈴緒はつい、兄を人身御供にした小狡い算段もぶち立ててしまう。彼女にとっての優先順位は「優しい恋人からの自立」と「恋人との同棲生活のごまかし」の二点が最も高い。「兄の健康」は「春キャベツの小売価格の高止まり」未満の関心だ。
一方の春キャベツ未満の兄も、ゴネながら内心ではホッとしていた。
不銅のお説教の矛先は、自分に全集中しているのだ。己のふざけた生活習慣が、年頃の女の子がいる家にマフィア顔の他人が暮らしているという、異様な状況への目眩ましになっているらしい。これ幸いだ。
――と、日向兄妹は不銅をなだめつつ安心していた。そう、二人だけは。




