26:「私たちが選びました!」
緊張でガッチガチに固まった鈴緒に、唇を重ね合わせるだけの優しいキスが落とされた。銀之介はそれを何度か繰り返しながら、彼女の頬や首筋もくすぐるようにそっと撫でた。
「ひぁっ」
そのむず痒さとかすかな疼きで、鈴緒の引き結んでいた口がつい緩む。情けない悲鳴もこぼれた。
薄く開いた唇の間に、銀之介が自身の舌を差し込む。反射的に鈴緒の背中がビクリと跳ねたが、拒む間もなくそのまま口腔内も好き放題にいじられた。
(うわっ、やっ、これっ、ハリウッド映画で観るキスだ!)
鈴緒が進研ゼミの広告マンガじみた脳内シャウトをしている内に、銀之介の舌は彼女の舌を絡め取って上顎をくすぐる。上唇も優しく噛まれた。
最初は全身が強張っていた鈴緒も徐々に体の力が抜けていき、彼にされるがままとなっていく。
銀之介は貪るようなキスを続けたまま、弛緩しきった彼女の体をベッドに寝かせた。ここでようやく顔を離す。
酸欠気味の鈴緒も赤らみ、とろけきった表情のまま自分に覆いかぶさる銀之介を仰ぎ見た。眼鏡を外していた彼も視線に気付き、一度ニコリと笑う。鈴緒もつい条件反射で笑い返すと、コートとジャケットも脱いだ銀之介が今度は彼女の耳や首筋に舌を這わせ、そっと甘噛みをした。
「んっ……銀之介、さっ……」
「嫌か?」
「ヤじゃ、ないけど……あっ」
肌を伝う感触に、鈴緒はソワリとした落ち着きのない感覚を覚える。背中も震えた。しかし、不快感はなかった。代わりに思わず、甘えた吐息が漏れ出る。
自分を拒む様子がない彼女の声に、銀之介は嬉しそうに目を細めた。そのまま彼の手が、鈴緒のルームウェアのファスナーへ伸ばされる。
鈴緒は浅い息でハフハフと喘ぎながら、彼の好きにされるままだったが、ここであることを思い出す。潤み、薄っすら閉じられていた目が思い切り見開かれた。
急に険しい表情を浮かべる鈴緒に、銀之介の愛撫も止まる。
「鈴緒ちゃん、どうした?」
「あの、ですね……服と言いますか、下着なんですが……」
鈴緒は数秒ほどゴニョゴニョと不明瞭な声でうなってから、改めて彼をまっすぐ見上げる。
「その、衣類一式を自分の部屋で脱いで来てもいいですか! もちろん、ちゃんと全裸で戻って来るので!」
「却下です」
が、真顔の彼に即答で拒否された。鈴緒の勝気そうな眉が寄る。
「どうしてよ!」
「脱がせたいからに決まってるだろ。ほら、ばんざーい」
「え、あっ、ちょっ――うわっぷ」
鈴緒が銀之介の「万歳」という掛け声にうっかり応じたばかりに、彼女のルームウェアは頭からスッポンと小気味よく脱がされた。ワンピースタイプの部屋着だったので、着脱はとっても簡単である。
「……ハ?」
が、ここまで完全に主導権を握っていた銀之介が、下着姿の彼女を見下ろしてしばし固まった。半分ほど裏返った声を上げ、三白眼の鋭い目もまん丸になっている。
「だから、部屋で脱ぐって言ったのに……」
そして鈴緒も真っ赤な顔で、唇を尖らせてふてくされる。ぷい、とそっぽも向いた。
彼女が着ているのは、黒いレースとリボンだけで構成された実用性皆無の下着だった。黒いレース越しに見えている、薄く色づいた白い素肌が、あまりにも煽情的である。
これは水着を買いに行ったあの日、牧音と倫子に促されるままランジェリーショップで衝動買いしたものだった。
二人からは
「たぶんお兄さん、バレンタイン当日も懲りずにちょっかい出して来ると思うから。その時は夜中にこれ着て、職員さんに迫りなよ」
「だな。さっさとヤッちまえ。そうすりゃクソ兄も諦めるって」
という、かなり攻めた激励も賜っている。
鈴緒自身にも、銀之介と一線を越えたい願望はあった。
だが、やはり兄もいる家の中で事に及ぶというのは、多大なる勇気が必要となる。ついでに羞恥心もかなぐり捨てなければいけないので、実際に使うのはまだ先だろうなという予感もあった。
にも関わらず覚悟の勝負下着を今夜身にまとったのは、完全なるやけっぱちによるものだ。ここまで準備して友人たちからも励まされたのに、ぼっちナイトだよコンチクショー!という怒りに任せた武装だったりする。
――そう、彼女は短気なのだ。
よって銀之介に見せる覚悟もないままがっつり見られ、鈴緒のメンタルは限界だった。胎児のように丸まり、両腕で胸元も隠して彼をにらみ上げる。大きなどんぐり眼も涙目だ。
「似合わないの、分かってるから……まじまじ見ないで――きゃっ」
しかし彼女の細い手首が、銀之介に掴まれた。半ば強引に、束ねられた両手を頭上に縫い付けられる。
「見るに決まってるだろ!」
そして、近年稀に聞くドデカボイスでの反論を食らった。体を鍛えているためか、彼は肺活量も半端ない。それにしてもデカ過ぎる。去年、イノシシとストーカーを威嚇した時以上の声量であろう。
鈴緒は予想外の大声に度肝を抜かれ、呆然としたまま彼をしばし見つめる。
平時は全く冷静さを失わない銀之介が、食い入るように自分の下着姿を見つめている。しかもわざわざ眼鏡もかけ直していた。
そこまで必死になられたら、かえって鈴緒の羞恥心も和らいだ。つい噴き出してしまう。
「銀之介さん、一生懸命すぎない?」
鈴緒のからかいの言葉に、銀之介が眉間にしわを作った。怒ったのかと思いきや、
「当たり前だろ。こんなご褒美みたいな格好をされたら、見るしかない」
ただ力説したいだけらしい。鈴緒は縮こまっていた足を恐る恐る伸ばして、コテンと小首も傾げる。
「えーっと……わたし、似合ってる?」
「似合い過ぎて怖いぐらいだ。ほぼラッピングなのもたまらない」
鈴緒が着ている下着はレースとリボンが主成分なので、たしかにラッピングの亜種と言えなくもない。彼女は再度笑い、拘束が緩んだ銀之介の手に自分から指を絡める。
「そだね。じゃあ……ちゃんと、貰ってね?」
赤い顔で彼女がそう呟くと、銀之介が身をかがめて、むき出しの彼女の胸元に口づけを一つ落とす。次いで顔だけ持ち上げて、ニヤリと好戦的に笑った。
「勿論、全部平らげるよ」




