22:きっとゲームセンターCXで観たんだよ
「えっ……あれって、ハサミに刺された傷跡だったのっ? シザーマンじゃん、あの人!」
青ざめながらそう言う鈴緒に、銀之介はつい噴き出した。大きなハサミを掲げ、シャキシャキ開閉させている憂子を想像したのだ。似合いすぎる。
「ハサミと言っても、眉毛用の小さなものだぞ」
「サイズ感の問題じゃないよ……服じゃないんだから」
「それもそうか」
たしかに人に刺している時点で、大きくても小さくても「凶器」である。
(しかし鈴緒ちゃんは、どこでシザーマンなんて知ったんだ? ゲームはあまりしないはずだが……YouTubeか?)
鈴緒は自分の鎖骨の辺りを撫でながら、しばらくか細い悲鳴をこぼしていたものの、途中で何かに気付いたらしい。元々まん丸な灰青色の瞳を更に丸くして、銀之介をじいっと見つめる。
「それでどうして、木登りで出来た傷なんて嘘ついたの? お兄ちゃんの修羅場がバレちゃうから?」
銀之介は危うげなく車を運転しながら、不思議そうな彼女をちらりと見る。
(可愛い、ずっと愛でていたい)
つい思考が脱線しつつ、淡々と答える。
「それも一応、理由の一つではある」
「あ、一応なんだ」
「緑郎の評価を気にしたところで、今更だろ?」
「それもそうだね」
だって緑郎本人も、最大五股というギャルゲーの主人公じみた悪行を働いていたのだ。知らずに間男になっていた過去があったところで、本当に今更である。
「一番の理由は、あの女の事を思い出すのも嫌だったからだ」
「あー……やっぱり、痛かったんだね」
銀之介は鈴緒の労うような声に、肩を一つすくめた。
「刺された直後よりも、その後の方が地獄だった」
「その後? どうして?」
「傷口から細菌感染して高熱が出てしまい、暫く入院したんだ」
「うぅっ……辛い……」
どうやら憂子がぶっ刺したハサミは、ろくに手入れもされていなかったらしい。そんなド不潔な得物に襲われた銀之介は、期末テスト直前に高熱でぶっ倒れてしまい、そのまま入院した。
おかげで彼は貴重な高校一年の夏休みを、入院と追試に半分費やす羽目となったのだ。
なお完全に余談であるが。緑郎も助っ人がいない状況下でテストを乗り切れるはずもなく、こちらも見事に赤点からの補習コースをたどっていた。
幸いにしてその後、銀之介の追試に付き合う形で猛勉強をさせられたため、ギリギリで進級出来たが。
しょっぱすぎる後日談を聞き、鈴緒もレモンを丸かじりしたような顔になっている。
「うわぁ……貰い事故だね……」
「そうだな。口は禍の元だと、身を以って思い知ったよ」
銀之介のこの締めくくりに、鈴緒が小さく笑う。
「でもまだ、お口減ってないよね?」
ぐ、と銀之介の喉の奥が鳴った。身に覚えがあり過ぎるというか、そのせいで鈴緒とも二年以上仲がこじれていたのだ。
銀之介は暫く眉間にしわを寄せて、黙りこくっていた。だがしばらくして、低くうめくような声を出す。
「……三つ子の魂百まで、とも言いますので」
「銀之介さんってばつが悪いと、敬語になるよねぇ」
この言い訳に、鈴緒は小悪魔めいた笑顔を浮かべた。どうしよう、これはこれで可愛い。
「仰る通りです……」
なので素直に降参した。途端、鈴緒がえへんと胸を張って勝ち誇る。
その無邪気なドヤ顔に、銀之介の愛でたい欲求が全力点灯してしまう。同時にキュートアグレッションのスイッチも入った。
目当てのコンビニに到着し、駐車場に車を停めた直後に行動を始める。
ドヤっている鈴緒の両頬を片手で鷲掴みにし、もちもちと揉んだ。色といい手触りといい、相変わらず求肥っぽい。
不意打ちかつ意味不明な過剰スキンシップに、鈴緒はいつも通り慌てた。
「もっ、なんで、ほっぺ揉むの!」
「中毒性があるんだ。君こそ、頬に何か禁止薬物でも仕込んでいるんじゃないか?」
「ないから! これ、ただのお肉ぅ!」
鈴緒はそう一声叫んだ後、フロントガラスからちらりと外を見て猛然と抵抗する。
「外! 人いるから、やだぁ!」
片田舎であるものの、学生の住人も多いので夜半もそれなりに人出がある。二人のよく分からないじゃれ合いを、しげしげと眺めて通り過ぎる利用客もいたのだ。
上ずった声まで出されてしまい、銀之介もすぐに彼女から離れる。
「すまない」
無表情で手短に謝るも、内心は目立つことが嫌いな彼女への罪悪感と
(調子に乗り過ぎた。嫌われたらどうしよう……)
という不安でいっぱいだ。心臓もバクバクと脈打っている。
銀之介が当社比で背中を丸め、しょんぼりしながら車を降りるのを、助手席から降りた鈴緒もちらちらと窺った。
彼女は次に周囲にも視線を巡らせ、見知った顔がいないことも確認する。そして息を深く吸い、先導する銀之介の大きな手に自分の華奢な指を絡めた。
柔らかでほんのりと温かい感触に、銀之介の足が思わず止まる。
「――鈴緒ちゃん?」
彼が視線を下げると、鈴緒も同じようにうつむいていた。自分の足元を見つめるまま、モニョモニョと言い訳する。
「手、つなぐ、ぐらいなら別に、いいよ……だって……夜、だし……知ってる人、いないし……」
不貞腐れたような声音に、つい銀之介の口角も持ち上がる。
「寛大なご配慮を、ありがとう」
「うん……」
銀之介は唇を尖らせて照れ隠しをする彼女の好きにさせ、手をつないだまま夜中のコンビニでおやつを物色した。
だがこの時の彼は、薄い表情の外面に反して脳内はかなり浮かれていた。
おかげで店の入り口に貼られたバレンタインフェアのポスターや、店内に置かれたアソートチョコの存在にも全く気付かず――これが、とあるやらかしへと繋がるのであった。




