20:半日で10歳ぐらい老いたよ
ウキウキ水着デートからのヤンデレ元妻との遭遇からの半裸兄との再会という、怒涛のイベントに見舞われた日であった。そして大半が旨みゼロの残念イベントだったので、鈴緒は精神力がゴリゴリと削られて疲弊していた。
そのぐったり模様に、夜半に日向家を訪れた倫子も戸惑い気味である。彼女はおずおずと、血の気のない鈴緒へ声をかける。
「鈴緒、大丈夫? なんか老けてない……?」
「うん、ちょっとね……ううん、ちょっとどころじゃなく、色々ありまして……」
倫子は緑郎が置いて行った荷物と、追いはぎしちゃった服を紙袋に詰めて持って来ていた。鈴緒はそれを受け取りながら、モアトピア内での騒動をかいつまんで話す。
彼女は銀之介と共に、ついさっきまで警察署に滞在していた。事情聴取に協力するためである。しかし兄のやらかしによって、家宅捜索を受けたりすることに比べれば恐ろしく平和だ。
なおその加害者候補生だった緑郎はというと、憂子捕獲の協力者のため今もまだ警察署にいる。私人逮捕に貢献した模範市民でありながら、水着姿での警察署入りだったため馴染みの警察官には爆笑されていたのは記憶に新しい。本人は恥ずかしそうにしていた反面、一笑い取れたので満足そうでもあった。
鈴緒の話を聞いていた倫子は、憂子と上井が遭遇した辺りでは顔をしかめたものの、彼女の得物がパイナップルという辺りで口元が緩み始め、憂子が緑郎の海水パンツ(トランクス型)で捕獲されたところでは大笑いした。
「鈴緒、話盛ってない?」
「失礼ね、全然盛ってないよ。全部本当」
傍から見れば馬鹿馬鹿しい流れだという自覚もあるので、鈴緒も笑いをかみ殺しながら倫子をたしなめた。
鈴緒は玄関の上がり框に座った倫子の腕をぺしりと叩くふりをしながら、背中を丸めた。
「で、そんなこんなで、全然楽しむどころじゃなかったの……」
銀之介とイチャイチャするどころか、後半は彼にくっつく上井という新種のお邪魔虫まで登場する有様だった。
倫子はしょぼくれた友人の背中を優しく撫でる。
「あー、それは辛い。鈴緒、むちゃくちゃ張り切ってたのにね」
「……うん」
「水着だって可愛いの買ったのにね」
「……うん」
「職員さんと、イチャイチャしまくってキスとかしたかったよね」
「……う――ううん!」
鈴緒はうっかり倫子の誘導尋問に引っかかりかけて、慌ててのけぞる。ブンブンと首も振った。
「違う! や、違うという、わけじゃない、けど、残念なのは、えっと、そこというか……あ、ジェットコースターも乗れなかったこととか、ほら! お土産も買えてないし! ダンスショーも見れてないし!」
「そうね、うん。それは辛いねー」
倫子の相槌はだいぶわざとらしいものの、彼女は牧音ほどしつこくないので。ニヤニヤしながらも、そこで攻撃の手を止めてくれた。そしてひょい、と肩をすくめる。
「まあ、土産なんてさ。今度三人で行った時にまとめて買っちゃえばいいじゃん。次行く楽しみが残ったってことで」
「うん、ありがと」
鈴緒も、この言葉には素直に笑って頷く。
ただここでほっこり終われるほど、本日の出来事は穏やかではないので――
「ところで倫子ちゃん」
「ん? どうしたの?」
「お兄ちゃんが、妙に脱がすのが上手だった、手慣れてたって言ってたんだけど」
ここで鈴緒が言葉を切り、瞳に剣呑な光を宿す。わずかに倫子の背中が跳ねた。
小さな動揺を見せる彼女のほっそりした顔を、目をかっぴらいた鈴緒が覗き込む。
「まさか今日みたいなこと、何度もしてないよね?」
「いやいや、まさか」
倫子は束の間目を泳がせたものの、腹を括ったのか真顔の鈴緒と目を合わせる。
「……ほら私、アイドルとか好きじゃん? だから早着替えとかも興味あって、自分でも練習したりしててさ。それで慣れてるの」
「ふうん」
温度のない声で呟き、鈴緒は笑った。ドSなマフィア幹部の笑顔じゃん、と倫子の脳裏に警戒アラートが鳴り響く。
「わたし、お友達が強制わいせつで逮捕される先見、視たくないからね?」
「……はい、気を付けます」
遠回しに前科を認めさせた鈴緒と認めた倫子の間で、追いはぎ禁止協定が結ばれた。倫子は先ほどの笑みにより、中学時代に好奇心で入ったアダルトサイトからパソコンがウイルス感染してしまった際、母が見せた修羅の顔を思い出していた。こんなのもう、従うしかない。
倫子がドジっ子な友人の思わぬ一面にビビっていると、いつでも顔の怖い銀之介がひょっこり顔をのぞかせた。今は彼の強面が、慈悲深いものに見える。
「そこで立ち話じゃ、疲れないか? リビングでも使ったらどうだ?」
実際には座り込んでのダベりであるが、鈴緒も彼の言葉に頷く。
「そうだね。倫子ちゃん、よければ中にどうぞ」
「あ、それじゃ――いやいや、それはさすがに! もう夜遅いじゃん!」
倫子は頷きかけて、ハッと我に返った。自身のスマートフォンで時刻を確認し、あわあわと首を振る。さすがに午後十時前に、友人とはいえ赤の他人の家に居座るのはよくない。しかも目的は雑談である。
「むしろ長居しちゃってごめん! そろそろ帰るね。これ、お兄さんによろしく」
倫子は緑郎の荷物一式が入った紙袋を手で指し示しながら、勢いよく立ち上がる。次いでジーンズに残るしわを伸ばした。そのままドアへ手を伸ばす彼女を、鈴緒が止める。
「倫子ちゃん、一人じゃ危ないよ。お家まで送らせて」
彼女の言葉に銀之介も続く。
「夜道は危険だ。車で送る」
倫子としては、自分たちのだまし討ちのせいで緑郎に迷惑をかけたという自覚はあるので、送迎など身に余るご配慮だったりするのだが。
友人カップルがお人好しであることも(どちらも怒らせると超怖いけれど)重々承知しているので、恐縮しながらも頷く。
「それじゃ……友達の彼氏さんと二人は、なんか申し訳ないんで。鈴緒も一緒なら、ぜひ」
ついでに短いデートのお膳立てもすることで、鈴緒への義理も果たす。彼女の気遣いは功を奏し、鈴緒がほんのり頬を染めて顔を下げた。
口元もかすかに緩んでいるその顔はたいそう可愛らしく、先ほどの反社組織序列二位っぷりが嘘のようである。
ただこのギャップに、銀之介も沼ったのだろうなという、確信に近い予感はあった。




