9:服用効果は12時間後に出るそうな
結局鈴緒も、兄がデートに付いて来ることを許した。銀之介も緑郎に甘いが、彼女もたいがい甘いのだ。
しかし鈴緒は甘い一方で、妹として兄の扱いを誰よりも熟知しているし手慣れている。
緑郎の同伴を許したすぐ後に、部屋へ戻ってノートパソコンを開いた。そしてモアトピア内のレストランについて調べる。
「あ、よかった。バーもあるんだ」
鈴緒は公式サイトのショップリストを見て呟き、ニヤリとほくそ笑んだ。
「お酒があれば、お兄ちゃんなんてすぐ撒けるじゃん」
兄の酒癖は、いいか悪いかで言えば「かなり悪い」に入る。酒乱だったりキス魔だったりといった、飲酒=犯罪まっしぐらコースではないものの、呑めば気が大きくなって今以上に陽気になるのだ。
するとどうなるか。
周りの客に、誰彼構わず話しかけては仲良くなっていくという、究極のコミュ力王が誕生するのだ。出来たばかりのアトラクションでアルコールをキメようものなら、コミュ力界のラスボス級になるに違いない。酔って気分がよくなり、見知らぬお客さんたちと肩を組んで『睡蓮花』でも歌いだした辺りで、銀之介と共に店を出ればいいのだ。
「銀之介さんは『キャッキャしてる姿を見守ってあげる』って言ってたけど。わたしはそんなこと、一つも約束してないから。ごめんね、お兄ちゃん?」
そんな屁理屈理論で武装して、鈴緒は緑郎放置プランを更に練る。その微笑みは、完全に黒幕のそれだ。
夜なべして兄へ一泡を吹かせる姑息な計画を練り練りしながらも、鈴緒は無事にテスト期間を乗り切った。これもひとえに、日々の「それなり」な努力の賜物であろう。
最終日にアンチェイン状態となった彼女は、解放感に任せて友人コンビと隣駅のショッピングモールに突撃した。
結局銀之介を誘いそびれたため、二人と一緒に水着を新調することにしたのだ。兄から「金は出す」という言質を取っているので、「買わない」という選択肢はない。
気に入った水着がなければ、浮き輪やシュノーケルを経費として認めさせるつもりだ。
牧音は息巻く彼女のついでに自分の水着を物色しながら、軽く首を傾げた。
「分かんないんだけどさ。水着デートが全然オッケーだったら、下着一丁で職員さんの部屋に訪問するのも難易度変わんなくね? 布面積、ほぼ一緒じゃん」
「は?」
突然の暴論に言葉を失った鈴緒を置いてけぼりにして、倫子もしみじみと頷き同意する。
「だよね。だって水着を見せに行くのと、大して変わらないし。もう『あらよ、下着一丁!』って脱いで迫っちゃえばいいのに」
鈴緒の思考の川に、倫子の言葉によって日清食品の出前一丁がどんぶらこと流されてきた。脳内の鈴緒はそれを呆然と見送る。
「……わたし、出前坊やじゃないんだけど」
ようやく言葉を振り絞り、二人を睨みながら続ける。
「それに下着と水着じゃ、心の在り方が違うから難易度も違うんですぅー」
嫌味ったらしい口調で反論しながら、鈴緒は水着デートが緑郎という名のコブあるいは疫病神付きになった事実も報告した。
「お酒飲ませて、途中で撒くつもりだけど。失敗しちゃうかもだから、せめて可愛い水着ぐらい着て……ぎ、銀之介さんに見てもらいたいし」
尻すぼみになる声に、牧音と倫子が顔を見合わせてほんのり苦笑いになる。
そして倫子が近くに陳列されていた、フリルの付いたビキニを手に取って鈴緒に当てる。
「それじゃあさ。むしろお兄さんの方から気遣って別行動してくれるぐらい、エロくて可愛いヤツ選ぼっか」
鈴緒は柔らかい弧を描く倫子の目を見て、くすぐったそうに頬を緩める。
「うん、ありがと――ビキニの方がいいかな?」
「競泳用水着とかの方がエロいって層もいるらしいけど、世間一般的にはビキニじゃない?」
「うぅ、そっかぁ……お腹出すのかぁ……」
鈴緒は今までビキニを着ても、ボレロやパーカーを羽織ってなんだかんだと誤魔化していた。ビキニ一本での勝負には気恥ずかしさが残る。
彼女を励ますように、牧音がそっと肩を叩いた。
「今時、ビキニの方が多いから。ちょっとお腹がプニプニでも、誰も気にしないって。ってか鈴緒、そのほっせぇ腰で出し惜しみしてたら、周りの女に殺されるんじゃね?」
「あ、ありがと……」
照れて視線を下げる彼女に、牧音が凛々しく親指を立てる。
「ついでに、ウチの母親が飲んでる下剤もさ、お兄さんに盛っちゃえよ。そうなりゃイチコロよ」
「イチコロって……お兄ちゃんのお尻が?」
「そう、兄ケツな!」
わざわざ尻をケツと言い換えて、牧音はガハハと笑った。恥じらいはないのだろうか。
ただ情けないかな、彼女の提案はとても魅力的だ。
前日の夜にこっそり下剤を盛っておけば、高確率で足止めが成功するだろう。おまけにドラッグストアでも売っているお薬なので、合法である。こっそり飲ませる行為は、何かの罪に抵触しちゃいそうではあるが。
心がぐらつく鈴緒であったが、最終的にはなけなしの良心が勝った。
「さすがにお薬飲ませるのは、一線越えちゃう気がするから」
「まあ、そりゃそうか。鈴緒はウソ下手だし、変な工作はあんましない方がいいよな」
牧音も断られる気はしていたのか、あっさり下がった。次いで色違いの水着を三着取り出し、「お揃いとかどうよ?」と二人に冗談めかして言った。そんなむず痒い提案に、三人で顔を見合わせて軽やかに笑う。
胸囲だけが身長に見合っていない、上下のサイズに幅がある鈴緒に合う水着は限られていたものの。
幸いにして水着専門店だったため、ビキニの上下をサイズ違いで購入することが出来た。散々吟味した末、気に入った一着を無事に購入する。もちろん領収書を貰うことも忘れない。
牧音と倫子もそれぞれ水着を購入し、女三人でモアトピアへ行く計画を立てながらフードコートへ向かった。
だが牧音が
「あ、ちょい待って。ついでに、あっちも見とかね?」
そう言いながら鈴緒の手首も掴み、踏みとどまらせる。大きな目をパチクリさせて鈴緒が振り返ると、悪い笑顔の牧音と目が合った。
鈴緒が振り返ると同時に笑顔の悪さレベルを上げ、牧音がもう片方の手で少し離れた場所にある店舗を指さす。
そこには実用性よりも、デザイン性に重きを置いたランジェリーショップがあった。
「見といて損はないってか、絶対役に立つから。な?」
「そうなの……?」
たしかに布面積はビキニと似たり寄ったりであるものの、鈴緒に下着で泳ぐ趣味はない。それに「あらよ、下着一丁」作戦を実行する気もない。
しかし倫子も
「たしかに。行こ行こ」
と、鈴緒の背をグイグイ押し始めた。
(……オリジナルの除毛クリームとか、ムダ毛処理グッズが売ってるとか?)
不可思議顔でそんな仮説を立てつつ、鈴緒も「まあいいか」と二人の悪い笑顔に付き合うことにした。幸い、まだそこまでお腹も空いていないのだ。
後にこの惰性まみれの決断が大いなる転機となるのだが、残念ながら鈴緒はまだそのことを知らない。先見の巫女とて、先見で視ていない未来なんて全然分からないのだ。




