250.キャリー
ミュリエルのあとを追って、犬たちが次々と水路に飛び込む。穴は既になく、犬たちはヒンヒン鳴きながらグルグル回る。
「ミリー様ー」
「ルーカス様ー」
「アル様に報告しないと」
領民は慌てて、駆け出す。ワオーンと犬が遠吠えし、ワオーンと返事が戻ってきた。領民が城壁に着く前に、血相を変えたアルフレッドが犬と共に現れる。
「用水路からブシャーッって水が噴き出して」
「それがルーカス様をさらって」
「ミリー様があとを追いました」
アルフレッドとミュリエルの三兄弟が用水路の水が出た場所を調べる。
「何も感じない」
ジェイムズが言い、モモアとモモメは、耳飾りとメガネ外す。ふたりは黙って、首を横に振った。穴は消えているし、なんの気配もない。
「ミリー、ルーカス、どこだ」
アルフレッドは絶望的な表情で用水路に膝をついた。
***
そのころ、ミュリエルは汚泥と戦っていた。穴に飛び込み、しばらく水にもみくちゃにされ、気がついたら、泥の中にいた。薄暗く、よどんだ空気。腰をかがめないと頭が天井についてしまう横穴。ミュリエルは腰を低くして泥をかき分ける。
「ルーカス」
なんとなく、あっちだというのは分かる。でも、全然進まない。膝下まである泥の中から、一歩ずつ、足を引き抜き進む。ミュリエルは途中で靴を脱いだ。泥まみれ、汗だくになって、やっと少しずつ硬い地面に辿り着く。
足を速め、ミュリエルは迷わず歩いた。
少し開けた空間に、四人のばあさん。真っ白な髪、白い衣装。暗い穴の中、ばあさんたちが浮き上がる。
「許してやってくだせえ」
「女としての喜びも、母としての慈愛も、感じないまま土に還ったのです」
「きっと大事にしますから」
「どうか」
ばあさんたちがミュリエルの足にしがみつく。ミュリエルは無造作に足を払って、後ろに下がる。ばあさんの白い装束に泥がかかる。
「押し通る。邪魔するなら、殴る」
ミュリエルはばあさんを飛び越えると、走りだした。後ろからばあさんたちがすごい速さで追ってくるが、気にしない。
少し先に、若い男女が見える。ミュリエルは一気に近づいた。
黒髪黒目、肌が真っ白な若い女性。そして、
「アル?」
女性の後ろにアルフレッドそっくりな少年。茶色い髪に、ミュリエルと同じ緑の目。顔はアルフレッドそっくりだ。
「ルーカス」
ラウルぐらいの大きさに育ったルーカスは、ミュリエルを見て「ママ」と言った。
「ルーカス、しゃべれるの? ていうか、どういうこと?」
ギラリ ミュリエルの目が光る。
「ルーカスに何をした。戻せ、でないと殺す」
どこからともなく、ミュリエルの手に魔剣が現れた。ミュリエルは魔剣を女の首に突きつける。
「お義母さま。お許しを。どうしても、未来の夫の、大きくなった姿を見たかったのです」
女はガバアッと土下座した。
「はあっ? おかあさま? 私が? あんたの? 殺す」
ミュリエルは一歩足を進めた。いつでも女の喉をかっ切れる。
「お許しくだせえ、お許しくだせえ」
追いついたばあさんたちが、ズサアッと土下座したあと、グルグルとミュリエルとルーカスと女の周りを走り出す。
「お許しくだせえ、お許しくだせえ」
ばあさんたちはさらに速く周る。
「原初の魔女様、今度こそお幸せに」
「立派な赤子を産んでくだせえ」
「見守っております」
「さようなら」
ばあさんたちはグルグル周り、バタークリームになった。ネットリしたバタークリームは、原初の魔女の足から頭へ這い上がる。
「ええっ、気持ち悪っ」
ミュリエルが思わず本音を漏らしたとき、原初の魔女の髪は真っ白になった。
「お義母さま、あとはよろしくお願いします。私、立派な嫁になりますっ」
原初の魔女は、シュルシュルと小さくなり、そして赤子になった。それにつられて、ルーカスも元の姿に戻る。
そのとき、ミュリエルの頭にブワッと魔女の記憶が入ってきた。ミュリエルは割れるような頭を押さえ、しばらくうずくまる。
「キャリー。あなたの思いは分かった。でも、ルーカスの結婚相手はルーカスが選ぶ。ルーカスに手を出したら殺す。いいね」
ミュリエルは原初の魔女、キャリーをにらみつける。赤子はブルリと震え、どこからか声が降ってきた。
「約束します。ルーカスを守るけど、手は出しません」
「約束だ」
途方にくれた顔をしたミュリエル。男女の赤子を抱えて、アルフレッドの前に現れる。
「この子、原初の魔女キャリー。ルーカスの嫁になりたいんだって」
ミュリエルは疲れた顔でアルフレッドに告げた。
アルフレッドはそっとキャリーをジャックに渡すと、ミュリエルとルーカスを抱きしめる。
「まだ一歳にもなってないルーカスに、結婚話は早すぎる」
「私多分、鬼姑になると思う。優しくできる気がしない」
ミュリエル・ゴンザーラ。十六歳にして姑の気持ちを味わうはめになった。
やるせない表情のミュリエルとアルフレッドをよそに、ネコたちがジャックの腕に飛び乗る。
「フギャア」
ジャックの腕の中で、キャリーが泣いた。ネコたちがキャリーの髪をベロベロ舐めている。
バターミルク味の髪を持つキャリー。少なくとも、ネコ人気は抜群だ。




