第90話 【解呪】
「「かんぱーいっ!」」
「……乾杯。」
ミカがグラスを掲げ、ケーリャが応じるが、トリュスは何やら複雑な顔だった。
ここはギルド近くの食堂。
クエスト後の祝勝会にもよく使われる店らしい。
ミカは呪われた家の依頼達成の報告をした後、ケーリャとトリュスの二人を誘って食事に来ていた。
(二人には随分心配をかけたみたいだし、これくらいはね。)
この二人は、ミカに恩着せがましいことは言ってこない。
ただ「自分がそうしたいから、そうしてるだけだ。」とミカを心配し、あんな危険に付き合ったのだ。
「なぜ私が、こんな奴と……。」
隣に座るトリュスは、テーブルを挟んだ向かいで肉を喰らい、エール酒を呷るケーリャを見て顔をしかめる。
「そんなこと言わないでください。 今日は僕からのお礼みたいなものなので。」
「それは……、その気持ちは嬉しいが、やはり君から奢ってもらうわけには。 報酬の受け取りもまだ先だろう?」
ギルドに依頼達成の報告はしたが、実はまだ達成の認定はされていない。
呪物だった木箱の解呪を行ってしまったので、本当に木箱が原因だったのか確かめようがないからだ。
ただ、数日経っても”幽霊”が集まってくることがなければ、状況的に原因が排除されたと看做される。
依頼人がそれで納得すれば依頼達成と認められ、もし依頼人が納得しなくても、ギルドが独自の調査で認定してくれればやはり依頼達成と認められる。
なので、成功報酬の受け取りに多少時間がかかるだけで、そのうち入ってくるお金だと思っている。
それに、実はミカは王都に来てからだけで、すでに百万ラーツ以上を稼いでいた。
ミカのこれまで受けてきた依頼が、他の冒険者からすると少々厄介なものが多かったため、金貨一枚二枚の報酬がちょくちょくあった。
中には金貨四枚以上もの報酬もあったので、Dランクになったばかりの冒険者の中ではかなり稼いでいる方だった。
「そう遠慮しないでください。 お二人には敵わないでしょうけど、僕もそれなりに稼いでいるんですから。」
「それは今日の戦いぶりを見れば分かる。 正直、私は君のことを侮り過ぎていた。 すまなかった。」
そう言ってトリュスはミカに頭を下げる。
(トリュスは、本当に真面目だなあ。)
ミカは苦笑する。
こんな子供相手に、そこまで真剣に接することもないだろうに。
「トリュスさんトリュスさん。 そんなのいいから、ほら飲んで飲んで。 僕のお酒が飲めないって言うんですかぁ?」
ミカはテーブルに置かれたままだった赤酒のグラスをトリュスに持たせる。
トリュスは少々戸惑いながらもグラスを受け取り、半分ほどを一気に飲んだ。
そうして、ふぅーっと熱い息を吐く。
「フフ……、あまり外で飲むことはないのだが、こういうのも悪くないな。」
トリュスの表情が少し柔らかくなる。
普段、とても凛々しい雰囲気を纏ったトリュスが、少しだけお休みモードになったようだ。
「さあ、じゃんじゃん食べましょう! 僕も朝から何も食べてないからお腹ぺこぺこです。」
「よっしゃ! 勝負だ、坊や!」
ミカがテーブルの上の料理をがっつき始めると、ケーリャも負けじと食べる。
酒が入って、ケーリャのテンションもぐんぐん上がってきたようだ。
トリュスは、そんな二人を見て苦笑する。
そうして、ミカが食べやすいように甲斐甲斐しく料理を取り分けたりするのだった。
しばらくはミカは食べることに専念し、二人は料理を摘まみながら酒を飲んでいた。
その後ミカの食事も食べ終わり、自然と今日の依頼内容についての話になった。
「……達成できたからいいんですけど、ちょっと後味の悪い仕事になっちゃいましたね。」
ミカが呟くと、トリュスも痛まし気な表情になる。
”幽霊”が寄って来る原因は呪いだったが、ではその呪いの原因は何だったのか。
それは、あの呪物だった木箱の中を見ることで判明した。
あの木箱は、屋敷で雇われていた使用人の日記だった。
この世界には日記帳なんて物はなく、そうした日々の出来事を綴るのは、ただ紙に書き連ねて箱に仕舞うだけというのが普通のようだ。
ミカはあの屋敷を「趣味のいい人たち」が住んでいるのだろうと思った。
明るい雰囲気の絵画、センスのいい調度品。
だが、それは一人の女性使用人の犠牲の上に成り立っていたのだ。
ミカとともに使用人の日記に目を通したトリュスに教えてもらったのだが、この国では中流階級の一つの目安が「使用人を雇う」ということらしい。
百年くらい前までは、使用人と言えば上流階級の家にしかいなかったし、男性がほとんどだった。
だが、ある時期から女性の使用人がどんどん増えていったのだという。
なぜ女性の使用人が増えたのか?
勿論、男性の使用人が減ったからだ。
では、なぜ男性の使用人が減ったのか?
その原因は”五十年戦争”にあった。
働き盛りの男性使用人がどんどん兵として国に取られ、使用人の数が急減した。
上流階級の家では、それまでと変わらぬ生活を維持するために女性の使用人を雇うようになった。
だが、そうした状況は戦後もあまり改善しなかった。
兵が死に過ぎたからだ。
夫を、父を、子を、恋人を戦争によって失った女性たちが国中に溢れた。
戦争が終われば働き手の家族が帰ってくる。
そう考えていた女性たちは、絶望に叩き落されることになった。
だけど、何とかして子供を、家族を食べさせていかなければならない
そうした女性たちがどんどん使用人として雇われ、現在では女性の使用人の方が多いほどだという。
五十年戦争から二十年も経つと、それなりに裕福な家も増えてくる。
まずは大きな商店を営むような家庭が、上流階級を真似して使用人を雇うようになった。
戦後の復興も進み、景気が上向いてくると、そうした家がどんどん増えていった。
そうして、中流家庭の上の方の人たちが家で使用人を使うことが当たり前になり、一般の家庭でも使用人を雇うのが一つのステータスのようになっていった。
本来、使用人の業務は細分化されていて、身の回りの世話の担当、料理担当、清掃担当、洗濯担当という風に、それぞれを専門で担う使用人を雇うことになる。
だが、裕福な家庭ならともかく、然程裕福でもない中流階級の家庭が使用人を雇えばどうなるか。
当然そこまでの人数は雇えないので、複数の業務を担うようになっていく。
二人でも使用人を雇えるような家庭ならまだマシだ。
協力し合って息抜きをしたり、愚痴を言い合うこともできる。
しかし、一人しか使用人を雇えない場合、その労働実態は本当に悲惨なものになるのは容易に想像がつく。
すべての業務を一人で行うのだ。一切の休みもなく。
そうしたすべての業務を一人でこなす使用人を雑役女中と言い、その悲惨さは有名なのだという。
たった一人で、朝から晩まで黙々と過重な業務をこなす日々。
雇い主たちは毎日楽しそうに暮らすが、機嫌が悪いと八つ当たりされることもしばしば。
使用人のことなど考えず、気まぐれで用事を言いつける。
それで業務が終わっていないと叱られるのだ。
家人たちの楽しそうな笑い声さえ、そんな使用人にとっては孤独感を強めるだけだろう。
あの木箱の日記は、そんな雑役女中の悲しみと苦しみ、そしてそれが恨みに変わるまでの過程を痛いほどに伝えてくる物だった。
あの屋敷の家人たちは、それなりに裕福だったようだ。
たぶん、もっと使用人を雇えるくらいの余裕はあっただろう。
だが、致命的に人の痛みの分からない人たちだった。
そして、自分たちは中流階級よりも、ほぼ上流階級に近いと驕っていた。
自分たちの生活を支える雑役女中に感謝などすることはなく、綺麗な客間はあっても使用人のための部屋など無い、と屋根裏部屋をあてがった。
毎日夜遅くまでくたくたになるまで働き、あの日の光も入らない天井の低い屋根裏部屋で身体を横たえる。
そんな使用人にとって、日々のつらい思いを日記に書き記すことだけが、唯一の慰めだった。
日記の最初の方は「つらい」「もう嫌だ」「辞めたい」「帰りたい」と、涙の跡が残る紙に書かれていた。
だが、僅かな給金は使用人の家族に直接渡り、彼女自身は銅貨一枚すら受け取れなかった。
日記を書いていた紙やインクは、申し訳ないと思いつつ、この家の物を勝手に持ってきていたらしい。
そうしてつらい毎日を堪える日々の中で、少しずつ使用人の心に変化が起き始める。
日記の中頃では、
「どうして私ばっかりこんな思いをしなくちゃいけないの!?」
「何であんな家族のために、私が我慢しなくちゃいけないの!?」
「ここの屋敷の家人、絶対許さない!」
と、恨み辛みが募っていく様子がよく分かった。
そして、日記の最後の方では、それはもはや日記ですらなかった。
いや、ある意味日記とも言えなくはないのだが、
「〇〇って言いやがった!」
「××しやがった!」
と、家人に言われたことやされたことを書き連ね、「死ね!」「許さない!」「殺してやりたい!」などを延々と書き殴るお決まりのパターン。
紙が真っ黒になるほど書き殴った、あまりにサイコな日記に目を背けたくなった。
だが、そんな辛く苦しい生活にも終止符が打たれる。
使用人の死によって。
過労かストレスのためかは分からないが、その使用人は仕事中に倒れ、そのまま息を引き取った。
使用人の死は、ギルドが依頼人から依頼を受ける際に行った、聞き取りの資料にも書かれている。
ギルドはこの使用人の死を、『”幽霊”による犠牲者』と考えていた。
だが、おそらく事実は違う。
”幽霊”が現れてこの使用人が亡くなったのではなく、この使用人が亡くなったことで”幽霊”が現れるようになったのだ。
尋常ではない使用人の恨みが、死によって呪いに変化してしまったために。
ギルドはミカが入手した日記の内容を踏まえ、一連の事実関係を見直し、依頼人にも説明を行うという。
これで依頼人が納得してくれれば依頼は達成。
例え納得しなくてもしばらく屋敷の様子を見て、”幽霊”が集まってくる現象が収まった、と判断すれば依頼達成と認定してくれる、という訳だ。
どうやって木箱の呪いが解けたのかが若干問題になったが、「さあ?」で押し通した。
目の前で消えていきましたとだけ伝えたので、理由は誰かが適当につけてくれるだろう。
トリュスの頬は少し赤くなっていた。
おそらく、少しお酒が回ってきたのだろう。
「……あれは……君は、一体何をしたのだ……?」
そんな、吐息のようなトリュスの呟きが聞こえた。
「あれ?」
「呪いを…………黒い靄を消してみせた、あれだ。」
「あぁー……。」
ミカはちびりとドリンクを飲む。
テーブルの向かいではケーリャが一人で「わっはっは。」と何やら笑っていた。
笑い上戸か?
(……もう見せちゃったし、話しちゃってもいいんだけど。)
何をどう話そうか?
パズルうんぬんは説明が面倒なのでパス。
まあ、何となくあんなことができるようになったくらいでいいか。
「これも、あまり人に言ってほしくはないんですが……。」
ミカが声を潜めて言うと、トリュスが真剣な顔で頷く。
「前に変なお守りを拾ったんです。」
「変なお守り?」
「で、変だなーって思って鑑定屋に見せたら……。」
「――――呪われていた?」
ミカがこくんと頷く。
「大した呪いじゃないから、その辺に投げ捨てちまいなって鑑定屋には言われたんですけど、何となく気になって。 それでいろいろいじくってるうちに、なんか…………解けちゃって。」
「解けちゃって、って……。」
トリュスは驚き半分、呆れ半分といった感じの顔をしていた。
だが、我に返るとグラスに残っていた赤酒を飲み干し、店員に緑酒というのを注文した。
(緑酒……。 初めて聞くかも? ……いや、確かヤロイバロフさんが、宿の客に奢ってたのが緑酒って言ったか?)
どんな酒だろうかと思ったが、届いた酒は美しい緑色をしていた。
グラスの上に穴の開いたバタースプレッダーのような平べったい物が渡してあり、その上に角砂糖のような物が置いてある。
トリュスはそっと角砂糖を緑酒に沈め、バタースプレッダーで混ぜる。
ミカはその光景を、少々冷や汗を掻きながら眺めていた。
(……なんか、アブサンに似てる気がするんだけど、気のせいか?)
この世界にニガヨモギがあるのかどうか知らないが、何やら怪しい雰囲気がするお酒だった。
もし本当にアブサンだったらかなりアルコール度数が高いはずなので、水などで薄めないとかなり飲むのはきついはず。
しかし、トリュスは届いた酒を何かで割ったりせず、そのままで美味しそうに飲んでいた。
(色が似てるだけの、違うお酒…………だよな?)
ミカはそっと息をつく。
トリュスはあっという間に緑酒を飲み干し、お代わりを注文する。
「ちょっとちょっと、大丈夫ですか? そんな飲み方して。」
「大丈夫よぉ~、大丈夫ぅ~。」
いや、すでに大丈夫じゃなさそうですが?
そんな語尾を伸ばすような話し方じゃなかったですよね?
ミカが何となく嫌な予感を抱いていると、トリュスは軽く頭を振って意識をしっかりとさせる。
「……君のあれは……、【解呪】ではないのか……?」
「でぃすぺる?」
「ああ……。」
口調の戻ったトリュスが、先程よりも赤くなった顔をミカに向ける。
そうして、周りを気にするように視線を巡らし、ミカの方にやや身体を寄せて小声で囁く。
「……失われた【神の奇跡】の一つ。 どんな呪いさえも解くことができた、と言われる【神の奇跡】だ。」
そう言い、姿勢を戻す。
(……【解呪】? 失われた【神の奇跡】?)
失われた【神の奇跡】がある、というのは授業で聞いた憶えがある。
具体的にどんな【神の奇跡】が失われたのかまでは教わらなかったが、その中に呪いを解くことのできる【神の奇跡】もあったらしい。
(だから、なのか……?)
ミカは、誰も呪いを解こうとしないことを不思議に思ったことがある。
その答えの一つに、行き着いたような気がした。
(呪いを解くための【神の奇跡】は失われた。 だからもう、呪いは解くことができないと思い込んでる?)
その【解呪】という【神の奇跡】がどうやって呪いを解いていたのかは分からない。
だが、自動で解いてくれる【神の奇跡】が無くなったのなら、手動で解けばいいじゃないか。
そう考えるのは、ミカだからこそ、なのかもしれない。
トリュスはだいぶ酔いが回ってきたのか、「ふぅ~……。」と熱い息をつく。
「……すまん。 今のは忘れてくれ。 私も、今日のことは誰にも話さない。 安心してくれ。」
そう言って、柔らかく微笑む。
普段の凛とした雰囲気からは想像できないほど、その微笑みは優しいものだった。
それから三十分くらい経っただろうか。
「だぁ~かぁ~らぁ~、なぁ~んでなのよぉ~……。」
トリュスは、へべれけに酔っぱらっていた。
「なぁ~んでこんなゴリラはぁ~、呼び捨てにしちゃってさぁ~? 私は『さん付け』なのぉ~。」
ミカに抱きつき、というか絡みつき、先程からぐだぐだと愚痴っていた、
何だろう。トリュスも相当ストレスを抱えているのだろうか?
「ケーリャは『ケーリャでいい』って本人に言われましたし。 トリュスさんのことは呼び捨てにするのは失礼ですよね?」
「じゃあ私もトリュスでいいわよぉ~? さん、はい!」
「………………。」
「呼んでくれないんだぁ~! うわーーーん!」
…………面倒くせえ。
あの……、昼間のピシッとした騎士さんはどこ行っちゃったの?
帰っちゃった?
これ、入れ替わった別人ですよね?
「トリュス……。」
「なぁ~にぃ~、みっかちゃ~ん。」
ちゃん付けかよ!
トリュスはミカの頭を抱えて頬ずりをする。
ぶっちゃけ、鎧が硬くて結構痛い。
どうせなら鎧無しでお願いできませんかね?
(……外であまり飲まないって言ってたっけ?)
これは確かに外で飲むのは控えた方がいいだろう。
まさか、トリュスがこれほどの絡み酒だったとは思いもしなかった。
絡みつくトリュスにされるがまま、どうしたものかと考えているとケーリャと目が合った。
そろそろ門限の時間も迫っている。
何とかしないと、また門限を破ることになってしまう。
ミカは声に出さず、口の動きだけで『タ・ス・ケ・テ』とケーリャに救援を要請する。
すると、ケーリャがニタァと悪い顔で笑う。
(あ、やべ。)
と思った時にはすでに遅く、ケーリャも散々エール酒を飲んでいたはずだが、まったく酔いを感じさせない素早い動きでトリュスの後ろに回る。
そうしてミカに絡みつくトリュスを引きはがすと、
ゴツンッ!!!
と見ているミカの方がビクッとするほど大きな音を立て、脳天に容赦のない拳骨をお見舞いした。
「きゅぅ~~……。」
ぱたり。
トリュスが目を回して倒れた。
「ちょおおっ!?」
それはやり過ぎだってケーリャ!
ミカは慌てて、”制限解除”、”吸収”を発現し、【癒し】をトリュスに使う。
さすがにこれで死ぬことはないはずだが、トリュスはまだ目を回したままだった。
(この二人の仲が悪いの忘れてたわ……。)
何だかんだ、今日は一緒にいても何とかなったので油断した。
ケーリャはテーブルに突っ伏して倒れたトリュスを肩に担ぐ。
「本当に今日は奢ってもらっていいのかい、坊や。」
「ええ、支払いの方は大丈夫です。」
「それじゃあ、そっちは頼む。 実はあんまり手持ちがなくてね。」
そう言って、ケーリャは苦笑する。
そんなすごい装備持ってるのに、お金がない?
宵越しの金は持たない主義なのだろうか。
ケーリャはミカに奢ってもらうのではなく、どうもトリュスにたかるつもりだったらしい。
「トリュスは任せな。 ちゃんと見といてやる。」
「お願いします。」
一抹の不安が無くもないが、他に手がない。
ここはケーリャに任せるしかないだろう。
ミカはカードで支払いを済ませると食堂を出て、急いで寮に向かって走り出した。
大銀貨数枚の支払いに少々びっくりしたが、楽しい時間が過ごせた。
新たなジャンルの依頼にも目途が立ち、今後のクエストに期待を膨らませるミカなのだった。




