第43話 ルーンサームの聖女
「なんでこんな人が多いんだよ……。」
ミカは大通りの道端で身動きが取れず、思わずぼやく。
今日は火の2の月、2の週の土の日。まさに夏真っ盛りの午後。
ミカは午前の授業が終わり、昼食を食べた後にギルドに行こうと思っていた。
いつも土の日には学院の森林でリムリーシェの特訓をしているのだが、今日はちょっとお休みさせてもらうことにした。
前の週にギルドに行った時、ユンレッサさんに言われていたのだ。
「今週”定額クエスト”の改定があるから、気をつけてね。」
どうやら定額クエストの買取の金額や品目は、時々改定されるらしい。
考えてみれば当然かもしれない。
物の価値は需給のバランスで決められる。
ミカはよく枯実草を採集するが、極端な話をすれば、ミカが取り過ぎれば買取金額が暴落することもありえる。
まあ、個人が週末にいくら採集したところで、暴落するほど集めるというのは現実的ではないが。
そういう訳で、明日の採集の前に改定された内容を確認しようと思ったのだ。
場合によっては枯実草ではなく、他の物にターゲットを変更する必要が出てくるかもしれない。
(今のところ、一番いいのは枯実草なんだけどなあ。)
ミカは最初、いろんな採集を試して候補を絞ろうと思っていた。
だが、結局それはしなかった。
なぜか?
森にソウ・ラービがいるからだ。
ミカは採集でお金を稼ぐことだけを考えて、もっとも効率の良い物を探そうと思っていた。
だけど、その前提となる目的に少し変化が生じた。
魔獣――――。
ミカの今の目的には、ソウ・ラービとの戦闘が含まれている。
ソウ・ラービは的として適度に小さく、素早い。
しかも、意外と頭もいい。
”石弾”や他の魔法の精度を上げるのに、非常に適した魔獣だと言えた。
身体の大き過ぎる魔獣、動きの緩慢な魔獣では、しっかり狙う必要もない。
だけど、生命力の強すぎる魔獣ではミカの魔法では倒しきれないかもしれない。
そうなると、今度はミカの命が危険だ。
そうした点を考慮すると、ソウ・ラービという魔獣が今のミカにはもっとも適した相手だと言えるのだ。
(危うく、トラウマになりかけたけどな……。)
最初に襲われた時のことは、本当にトラウマになる寸前だ。
再戦で思った通りの戦い方ができたから、そこまで深刻な事態にならないで済んだが、それまでの1週間は本当にきつかった。
そんなことを考えながら、大通りに溢れる人を見上げていると、見覚えのあるスキンヘッドが陽の光を反射していた。
「あれ?」
「ん?」
ミカが思わず声を漏らすと、相手も気づいたようだ。
そこには浅黒い肌の筋骨隆々、長身でスキンヘッドの用心棒、タコちゃn…………宿屋のヤロイバロフさんがいた。
「タk…………ヤロイバロフさん。 こんにちは。 ご無沙汰してます。」
「お前は確か…………ニネティアナの連れてた……?」
「はい、ミカです。 先日はお世話になりました。」
「おお、やっぱりそうか。 奇遇だな。 こんなとこで何してんだ?」
ヤロイバロフは、ミカのこと憶えていてくれたようだ。
「ギルドに行こうと思ってたんですけど、この人の多さでちょっと動けなくて。」
「ギルド……? 冒険者ギルドか? 何でお前がそんな所に?」
ヤロイバロフが不思議そうな顔をする。
「一応、冒険者をやってるので。」
そう言って、ミカはギルドカードを見せる。
「冒険者!? お前がか!? ……確か、魔法学院に行くって言ってなかったか?」
「兼業冒険者ってとこですかね。」
「兼業って、お前……。」
ミカのギルドカードを手に取り、驚いた顔でミカの顔とカードを何度も見る。
どうでもいいけど、この人が持つとカードがめっちゃ小さく見えるな。
指先でちょこんと摘んでいるようだ。
「…………そうだな、あのニネティアナの連れだしな……。 いちいち驚いてたら、身がもたねえか。」
何か言われてますよ、ニネティアナさーん。
一体、何をやらかしたのだろうか、あの人は?
「ヤロイバロフさんはどうしたんですか? 宿屋からは随分離れてますけど。」
ヤロイバロフの宿屋はどちらかと言えば南門寄りだ。
ここからだと、直線距離でも2キロメートルくらいはありそうだ。
「俺はまあ、ちょっと野暮用でな。 ……それより、ギルドに行くなら連れてってやろうか?」
「連れてく?」
「もう、すぐそこだしな。 俺も久しぶりに、ちょっと顔出してみるか。」
そう言って、ミカの返事も聞かずに軽々とミカを持ち上げると、左肩に乗せる。
肩車じゃないのでバランスが取りづらい。
「うわわわっ……。」
ミカは捕まる所もないので、仕方なくヤロイバロフの頭に腕を置く。
肘掛けのようだ。
「落ちないように気をつけろよ。 よし、じゃあ行くか。」
ヤロイバロフは気にした風もなく、そのまま人ごみを悠々と歩き出す。
いきなり視点が高くなり、遠くまで見渡せるようになって、まるで新世界が拓けたような気持ちになる。
「うわぁーー、すげーー。」
人、人、人。
一体どれだけの人が集まっているのか。
ミカには、これまで人が壁のように見えていたが、今は人の絨毯である。
大通りを埋め尽くす、人、人、人。
「今日は何でこんなに混んでるんだ? 最近は人が減って歩きやすくなってたのに。」
「ん? 何でって、聖女様が来るからだろう。 知らねえのか?」
ミカの呟きにヤロイバロフが答える。
「聖女?」
「おおよ。 ルーンサームの聖女がサーベンジールの大聖堂を訪問するんだってよ。 この人ごみはその聖女を一目見ようと、近隣領からも集まって来てんだよ。」
ほぉ~……、とミカが感心していると、ギルドの看板が見えてきた。
あと50メートルくらいか?
「それじゃあ、ヤロイバロフさんの宿屋も食堂も大繁盛ですね。」
これだけの人が集まっているのなら、店は大忙しだろう。
ていうか、こんな所で油売ってていいのか?
「宿屋は一見はお断りだし、食堂はサーベンジールにはねえよ。 いつもと変わらん。」
「あらら。 それは残念でしたね。」
思いっきり機会損失してるじゃないか。
勿体ない。
しかし、そうか。一見を入れないからヤロイバロフの宿屋は安全なのかもしれない。
よく分からん奴は宿を断り、他にも安全を担保するような手段が採られているのかもしれない。
「別に残念じゃねえよ。 宿も食堂も俺の趣味みたいなもんだしな。」
料理が趣味みたいだとは言っていたが、どうやらその延長で宿もやっているらしい。
「さあ着いたぞ。」
ヤロイバロフは、ミカを下さずそのままギルドに入る。
ギルドの中にいた十組を超えるパーティやその他の冒険者が、全員ヤロイバロフを見てぎょっとする。
「おい、あれ! ”朱染”だ!」
「え? ”朱染”のヤロイバロフ!? うっそ、ほんとに!?」
「あ、ヤロイバロフさんだ。 ……あの肩にいる子は何?」
ギルドのフロアが途端に騒がしくなった。
冒険者だけではなく、ギルドの職員も何やら慌てている。
「ヤロイバロフさん、あそこいいですか。」
ミカはカウンターの空いている窓口から、ユンレッサのいる所を選んだ。
ヤロイバロフはそのままユンレッサのいる窓口に向かう。
「こんにちは、ユンレッサさん。 定額クエストの改定ってどうなりました?」
ミカはユンレッサに声をかけるが、ユンレッサはどうやら放心しているらしい。
ヤロイバロフの肩に乗るミカを、驚いた顔で見上げて茫然としている。
(こうして見下ろすと、ユンレッサの髪は本当に多いな。 羨ましい。)
いつもの金髪もっさりも、見下ろすと余計に髪が多く見える。
男として羨望を抱かずにいられない。
「ユンレッサさん?」
ミカが呼びかけるが、ユンレッサは放心したままだ。
どうしたものかと考えていると、カウンターの奥から男の人がやって来た。
ミカが冒険者登録する時に面談してくれた、口髭の渋いおじさんだ。
「ヤロイバロフさん、本日はどういったご用件で? 特に指名の依頼も、今のところは来てないようですが。」
渋いおじさんは肘でユンレッサの腕を軽く突き、放心するユンレッサを現実に戻す。
しかし、有名だとは聞いていたけど、ここまで大騒ぎになるとは。
「まいったな、あんまり大袈裟にしないでくれ。 今日はこっちの坊主の付き添いみたいなもんだ。」
ヤロイバロフがそう言うと、一斉にミカに注目が集まった。
(え、ちょっと待って!? 何で定額クエストの確認に来ただけで、こんなに注目されないといけないの!?)
用件がしょぼ過ぎて、逆につらい。
とても気軽に言い出せる空気じゃない。
ミカが冷や汗をだらだらかいていると、ユンレッサが何かを思い出したように手をパンと軽く合わせる。
「あっ、ああ、そうだ。 ミカ君にいいお報せがあったわ。」
「は、はい! 何でしょうか!」
渡りに船とミカは食いつく。
ユンレッサはヤロイバロフを少し気にしながら、緊張した面持ちでミカに伝える。
「ミカ君の昇格が先日の審査で決まりました。 カードの書き換えをさせてもらえれば、今日からミカ君もEランクですよ。」
ユンレッサが「おめでとう。」とミカに笑いかける。
どうやらミカの冒険者のランクが上がるらしい。
だが、なんだそんなことか、とミカは少しがっかりした。
「あ、ようやくランクが上がるんですね。 正直、意外に長いなあって思ってたんです。」
ミカが森に行き始めて4カ月くらい経つ。
FランクからEランクになるには、いくつかの依頼をこなせばランクアップするとニネティアナに言われていたので、もっと早くに上がるものだと思っていたのだ。
ミカがそう言うと、ユンレッサだけでなく、渋いおじさんも驚いた顔をした。
「あ、あのね、ミカ君。 普通、定額クエストしかやっていない人は昇格なんてしないのよ?」
「は? 坊主お前、定額しかやってねえのか?」
ヤロイバロフも驚いている。
どういうことだ?とミカは首を傾げる。
「昇格の審査で対象になるのは”依頼”なのよ? ミカ君、”依頼”は今まで受けたことないでしょ?」
「うん? 定額クエストは毎週やってますけど……?」
「定額クエストは”依頼”ではないの。 勿論判断の材料にはなるのだけど、定額クエストしかやってない人は、普通昇格なんてしないのよ。」
ほえ?とまだよく分からない表情をするミカに、渋いおじさんが説明してくれる。
「あそこの掲示板に張ってある依頼書があるだろう? あれが”依頼”だ。 ミカ君の場合、依頼の達成はゼロ件だ。 そもそも受けていないのだから。 そうだね?」
おじさんは掲示板を指さし、ミカに聞いてくる。
ミカは素直に頷く。
ミカも依頼書は時々眺めていたが、実際に受けたことはない。
自由になる時間が陽の日だけだからだ。
もしも一日で達成できなかった場合、翌週に持ち越しになる。
そのくせミカが受けられる依頼の報酬はそんなに高くない。
それならば、確実に一日で完結できる定額クエストの方が都合が良かった。
ソウ・ラービとの戦闘も経験できるし。
「冒険者のランクというのは、実力を計る目安のために設けられた制度だと思われているが、元々は”冒険者ギルドへの貢献”の度合いを表したものだ。 依頼を片付けてくれる冒険者がいなければ、ギルドはその存在意義を失う。 誰も片づけてくれないのに、誰がわざわざお金を払って仕事を依頼するかね?」
おじさんはヤロイバロフの肩の上にいるミカを見上げ、丁寧に説明をしてくれる。
「ギルドには毎日何十件もの依頼が入る。 百件を超えることも珍しくない。 このサーベンジールだけで、だ。 それらの依頼をしっかりと解決してくれる人を、ギルドは必要としている。」
ミカは頷く。
「だが、依頼の内容も様々だ。 簡単な依頼十件と命がけの依頼一件では、命がけの依頼を達成してくれた方がギルドとしては助かる。 つまり、貢献度が高い。 そのため、依頼の内容によって点数をつけることにした。 その依頼達成の点数と、活動の内容を審査して、昇格の判断をするようになった。」
これが、昇格の審査に失敗も影響する理由だろう。
確かにこの仕組みなら、定額クエストだけのミカが昇格するのはおかしい。
「じゃあ、何で僕は昇格したのでしょう?」
「ミカ君の場合、主に魔獣の討伐記録が点数を稼いだと言える。 採集と買取も参考にはなったがね。」
ミカの昇格理由を渋いおじさんが教えてくれる。
「FランクからEランクに上がるために必要な点数など、元々大したことはないんだ。 魔獣の討伐は、それだけで魔獣のランクによって点数が入る仕組みになっている。 魔獣を1体狩れば、その分だけ魔獣の被害が減るからね。 依頼達成による点数とは別に、これも加点され審査の対象になる。」
「魔獣がいなくなったら、ギルドとしちゃ商売あがったりだけどな。 まあ、どんだけ狩ってもいなくなることはねえから、ギルドとしちゃ安心して狩ってもらって構わない訳だ。」
ヤロイバロフがとんでもないことを言い出した。
渋いおじさんは苦笑する。
「ヤロイバロフさんが魔獣を狩り尽くして魔獣のいない世界ができるのであれば、喜んでそうしてもらいたいものだ。 後は私たちが新しい仕事を見つければ万事解決だな。 貴方のところで雇ってもらおうか。 なあ、ヤロイバロフさん。 それなら安心して貴方も冒険者に復帰できるだろう?」
渋いおじさんがヤロイバロフにやり返す。
ヤロイバロフは、人手は足りてる、と呻くように呟く。
余計なことを言ったと後悔しているような顔だ。
「まあ、そういうわけで、定額クエストしかやっていない割には、魔獣討伐の加点だけで昇格に必要な点数を稼いでいてね。 確かに魔獣討伐をメインで点数を稼ぐ冒険者もいるが、依頼を一切やってないというケースはちょっと珍しくてね。 私も聞いたことがなかった。 が、まあ問題ないだろう、と。」
ヤロイバロフが、確かに聞いたことねえな、と顎を撫でながら呟く。
そんなに珍しいのだろうか?
「さすがにEランクから上に行くのに依頼達成ゼロ件は現実的じゃないが、これも理論上は不可能じゃない。 お勧めはしないがね。」
必要になる点数が、FからEになるのに必要な点数とは、比べ物にならないくらいに多いらしい。
ミカも別に「依頼達成ゼロ件」にこだわりがあるわけではないので、そのうち時間ができたら依頼を受けてみようかな、と思った。
その後は定額クエストの改定内容を確認してギルドを出る。
相変わらずミカはヤロイバロフの肩の上だ。
「本当にいいんですか、ヤロイバロフさん。」
「おおよ、滅多にあることじゃねえからな。 俺もちょっとくらいはご尊顔を拝んでみるかね。」
ギルドを出る時、大通りは更に混雑具合が悪化していた、
ミカがどうしたものかと考えていると、ちょっくら見に行ってみっか、とヤロイバロフが提案してきたのだ。
何を見に行くのか?
勿論、この混雑の原因。
――――ルーンサームの聖女である。
ヤロイバロフは大通りから少し狭い路地に入り、人のいない方へサクサク進む。
ミカの来たことのない、街の南西側のエリアである。
実にヤロイバロフにお似合いの”ヤバイ雰囲気”の路地だ。
まだ夕方にもなっていないのに、路地は薄暗く、すえた臭いも立ち込める。
ゴミも路地に散らばり、所々で人が横になっている。
なるほど。この道なら確かによそ者は絶対に近づかない。スムーズな移動にはもってこいだ。
所謂、スラムと言われるような場所だろうからな。
「この辺はまだ安全な所だけどよ。 坊主は近づくなよ。」
「絶対に近づきません。」
ヤロイバロフはその身体からは想像もつかないような速さで路地をズンズン進む。
走ったり、急いでるように見えないのに、ビュンビュン進むのだ。
一体、どんな歩き方すればこんな速さで歩けるのか、さっぱり分からなかった。
そうして路地を進むと遠くから歓声が聞こえてきた。
「この辺か?」
ヤロイバロフはそう呟くと狭い路地を曲がり、大通りに向かう。
多分この方向は、いつもの西側の大通りではなく、中央広場から南門に続く大通りのどこかだ。
どんどん歓声が大きくなり、路地も明るくなってきた。
そして、大通りに出ると、一気に視界が開ける。
大通りに溢れる人、人、人。
西側の大通り以上だ。
もしもミカがここでヤロイバロフの肩から降りたら、確実に圧し潰される。
大通りの中央には兵士が並び、立ち入れないようになっている。
その兵士が作った道を聖職者と思われる行列が歩く。
聖職者たちは白を基調とした美しい儀式用と思われる服を纏い、錫杖や銀の杯、木の枝や花束などを持っている。
ミカがクリオネと密かに呼んでいる”6つ輪”を掲げている人もいた。
「どうやらドンピシャだったみたいだな。」
ヤロイバロフが指さす方向から、美しい装飾が施された四頭立ての白馬の馬車が近づいてくる。
聖職者の行列の中間に位置するその馬車は、荷台に壁がなく四隅に美しい柱があるだけ。
おそらくパレード用の馬車だろう。
荷台には、これまた豪華に装飾された椅子が乗せられている。
その豪華な椅子に、少女が座っていた。
年齢はミカとあまり変わらないような気がする。
おそらく10歳かそこらだろう。
銀色の長い髪が陽の光を反射してキラキラ輝く。
思わずラディを思い出してしまうキラキラっぷりだ。
その少女は真っ直ぐ前を見て、無表情で豪華な椅子に座っている。
(……なんだか、窮屈そうだな。)
ミカは少女を見て、そんなことを思った。
実際のところは分からないが、本当はこんなパレードなんかせずに、普通に大聖堂を訪れたかったのではないだろうか。
「あの女の子が聖女なんですか?」
「たぶんそうなんじゃねえの? これで違いますって言ったら、そっちの方がびっくりだ。」
確かにそうだ。
どう見ても、この演出ならあの少女が主役だろう。
「ありがとうございました。 ヤロイバロフさん。 僕はもういいですよ。」
「お、そうか? それじゃあ、帰るか。」
そうして、ヤロイバロフに学院の近くまで連れて行ってもらい、混雑がおさまりミカが一人で歩ける場所に着いてから降ろしてもらった。
それから、ヤロイバロフのアドバイスにより、明日の定額クエストは取りやめにした。
街の中がこの状態なのだ。
街壁の向こうでは街に入るために大行列ができているだろうとのことだった。
ミカもその通りだと思い、明日は今日できなかったリムリーシェの特訓に付き合うことにした。
リムリーシェはとても喜んでいた。
■■■■■■
【ワグナーレ・シュベイスト視点】
ワグナーレはかなりの疲れを感じていたが、そんなことはおくびにも出さず大聖堂の廊下を歩く。
いつもは後ろに控えていることの多いカラレバスだが、最近は大仕事を任せていたので別行動を取っていた。
ルーンサームの聖女の、サーベンジール大聖堂の訪問。
その受け入れと滞在中の行事の準備を、ほとんどすべてカラレバスに任せていたのだ。
別にワグナーレが面倒だから丸投げした訳ではない。
聖女の訪問という、これほど大規模の行事となると、ワグナーレでも経験はない。
だが、やる必要があればやれる自信がある。
それと同じで、カラレバスならできる、という自信があったのだ。
カラレバスという男は気の小さいところはあるが、基本的にはあらゆる能力において優秀なのだ。
伊達に国内第三の街、サーベンジールの大聖堂で首席司祭を務めていない。
上への確認、報告も的確だし、下への指示も明確で適切だ。
カラレバスにやれない訳がない。
ただ、一つだけ問題がある。
重圧に弱い。
だから、責任はすべてワグナーレが持つから、やれるだけやってみろと言ってみたのだ。
そのカラレバスが、ついに先程ダウンしてしまった。
気の小ささからか、細かいことにまで気を配り過ぎて、限界を超えてしまったようだ。
だが、すでに滞在中のすべての行事の準備は整っている。
カラレバスが復帰するまでの中継ぎくらいは、ワグナーレが引き受けることに何の問題もなかった。
これで少しはカラレバスが自信をつけてくれればと思わなくはないが、おそらく無理だろう。
こうした経験の積み重ねが自信に繋がるくらいなら、とっくにカラレバスという男は自信家になっていたはずだ。
それだけの実績があり、それでも気が小さいのがカラレバスなのだ。
あの気の弱ささえなければ……、とつくづく思わずにいられなかった。
ワグナーレは執務室で仕事を片付け、日課である就寝前の祈りのために礼拝堂に向かって歩いていた。
礼拝堂に入ると、説教台の向こうに一人の少女がいた。
少女は神々の像を見上げている。
「聖、女様……。」
普段あまり驚くことのないワグナーレではあるが、さすがにこれには驚きを隠せなかった。
すでに深夜と言ってもよい時間で、聖女はすでに就寝したとの報告を受けていたからだ。
しかも供も付けずに、たった一人でこんな所にいるのはありえない。
聖女に用意した部屋の前には、教会騎士を護衛のためにつけているのだ。
ワグナーレは驚きに息を飲むが、すぐに冷静さを取り戻す。
聖女の前まで歩み寄り、2メートルほど手前で片膝をつき、頭を下げる。
「聖女様、このような時間にどうされましたか? よろしければ、供を呼びお部屋までご案内いたしますが。」
聖女はワグナーレの問いかけに答えない。
だが、ワグナーレはそのまま聖女からの返答を待った。
しばらくそうして待っていると、聖女が振り返るのが気配で分かった。
聖女はワグナーレのすぐ目の前まで来るが、ワグナーレの問いかけには返事を返さない。
じっとワグナーレを見下ろしているのが気配で分かる。
「…………道に、迷われているのですね。」
そんな声が降ってくる。
(…………?)
ワグナーレには、聖女の問いかけが抽象的過ぎて、理解することができなかった。
否定するのも不敬かと思い、答えられずにいると再び声が降りてくる。
「迷っていることに気づいていない……? いえ、貴方は気づいています。 気づいていて、……それでも道は一つだと思い込もうとしているのですね。」
そう言って聖女はワグナーレの横を通り過ぎる。
ワグナーレが、「さて、どう対応したものか」と考えていると後ろからギッと音がした。
「こちらに来てください。 それでは話もままなりません。」
ワグナーレが身体を起こして振り向くと、聖女は長椅子に腰かけていた。
どうやら聖女は、ワグナーレに話があるようだ。
(……今日の祈りは、略式で勘弁していただこう。)
そんなことを考えているとは些かも漏らさず、ワグナーレは静かな所作で立ち上がると聖女の隣に座る。
ワグナーレと聖女は、お互いに前を向いている。
ワグナーレが視線を上げると、薄闇に神々の像が見える。
「私を聖女とお思いですか?」
聖女がそんなことを聞いてくる。
「勿論です。」
「私はそう思っていません。」
ワグナーレが肯定するが、聖女は即座に否定してくる。
(何を言っている……?)
この聖女が【祝福】を授かっているのは確かだ。
【癒し】と【清め】ともう一つ、何かが見えるらしい【祝福】。
もう一つの方はいまいちよく分かっていないが、何かしらの【祝福】を授かっているのは確かだ。
「……私も、迷っているのです。」
聖女が呟く。
「貴方も、道に迷われているのかと嬉しく思っていたのですが。」
「迷っていると、嬉しいのですか……?」
「ええ、勿論です。」
それまで無表情だった聖女が、初めて微笑んだ。
今日、この大聖堂に着いてから初めて見せる笑み。
ワグナーレは、その笑みを見て警戒心を少しだけ解いた。
解いてもいいのだ、と思えた。
ほぅ……、と息を吐く。
「……迷っていることを、忘れておりました。」
「まあ。」
聖女は大袈裟に驚き、そして本当に可笑しそうにくすくすと笑う。
その姿は年相応の少女のようであった。
「思い出されたのですね。」
「……ええ。」
「それは良かったです。」
そう言って聖女は立ち上がる。
その時、慌ただしい複数の足音が聞こえた。
礼拝堂の扉が勢いよく開かれると、聖女の供を命じていた女性助祭と護衛の教会騎士が入ってくる。
「ああ、聖女様! こちらにおいでだったのですね!」
そう言って助祭はその場にへたり込む。
聖女の姿が見えず、きっと心臓が止まるような思いだったのだろう。
「……気持ちは分からなくもないが、もう少し落ち着きなさい。」
ワグナーレが立ち上がって声をかけると、助祭はいよいよこの世の終わりかというような表情をする。
自分たちの失態を最高責任者に見られたのだから、これも気持ちは分かる。
「明日の朝、詳細の報告をするように。 今日のところは聖女様をお部屋に。 おやすみなさいませ、聖女様。」
ワグナーレは恭しく頭を下げる。
聖女はすでに無表情に戻っており、何も言わずに礼拝堂を出て行った。
助祭と教会騎士は慌てて聖女の後を追い、礼拝堂の扉も閉めずに行ってしまう。
ワグナーレは礼拝堂の出入り口を横目で見て、思わず溜息をつく。
「…………なるほど。 確かにこれはとびっきりだ。」
独りごちて、就寝前の祈りを略式で済ませる。
そうして自室に戻りながら、明日以降の聖女の警備計画に頭を捻るワグナーレだった。




