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第34話 閑話 レーヴタイン侯爵家の令嬢




【ルバルワルス・レーヴタイン視点】


 レーヴタイン侯爵領、領都サーベンジール。

 そのサーベンジールの街で最も北に位置する広大な敷地に、レーヴタイン侯爵家の屋敷がある。

 その屋敷の主がたった今、王都から帰って来た。


 レーヴタイン侯爵家の現当主、ルバルワルス・レーヴタインは年に2回ほど王都に赴く。

 隣国であるグローノワ帝国と国境を接する領地は数あれど、山脈に阻まれることのない領地はレーヴタイン侯爵領だけ。

 グローノワ帝国に対する防衛の要であるレーヴタイン侯爵は、国王陛下に直接状況の説明に行っていたのだ。


 もっとも、エックトレーム王国国王ケルニールス・エクトラムゼからの信頼篤いルバルワルスは、直接の報告は数年に一度、国境の状況を見てで良いと言われている。

 毎月使者を送って状況の報告は行っているし、国王軍も国境防衛のためにサーベンジール付近に駐屯している。

 ルバルワルスがいくら領主軍として兵を集めたところで、謀反を疑ったりはしない、と。


 ルバルワルスとしてもそれは理解しているが、信頼の上に胡坐をかけば、ほんの些細な行き違いから綻びが生じることもある。

 戦時ならばともかく、平時である今は陛下への忠誠を見える形で内外に示しておく必要があると考えていた。


 馬車が屋敷の正面玄関に着くと、ルバルワルスの向かいに座っていた護衛の騎士が扉を開けて先に降りる。

 馬車から玄関までは、多くの使用人が列になって道を作っていた。

 列の一番前にいた騎士が、敬礼でルバルワルスを出迎える。

 レーヴタイン侯爵領軍で騎士団長を務めるマグヌスは敬礼を解き、列から一歩前に出た。


「お帰りなさいませ閣下。 退屈な王都からのご帰還を、心よりお待ちしておりました。」


 ルバルワルスが馬車から下りたのを確認して声をかける。


「半年ぶりの王都は如何でしたか?」

「退屈だと知っているのなら聞くな。」


 ルバルワルスが答えると、マグヌスが無遠慮に笑う。

 ルバルワルスとマグヌスは話をしながら屋敷に入る。

 その後ろを、数人の護衛騎士と執事、メイドたちが付き従う。


「それは失礼いたしました。 ですが、つまらん社交も平穏なヘイルホードのためには必要です。 ……憂さ晴らしに、後でお手合わせをいたしますか?」

「それは明日でいい。 鈍った身体を動かしたいところではあるが、先に退屈な用事を片付けなくてはならん。」


 執務室に着くと、扉の両側に立っていた騎士が敬礼する。

 メイドが扉を開け、ルバルワルスとマグヌスが部屋に入る。

 護衛の騎士は扉の中で両側に立ち、執事とメイドが一人ずつ執務室に入り扉を閉めた。


 ルバルワルスは執務机に着くと、早速執事に声をかける。


「家の方で何か報告はあるか?」

「特に大きな問題はございませんでした。 ただ……。」


 執事が珍しく言い淀む。


「ただ、どうした。」

「クレイリアお嬢様のことで、ちょっと……。」


 クレイリアの名前を聞き、ルバルワルスは渋い顔を作る。


「…………学院のことか?」


 執事は「はい。」と頭を下げる。


「まだ言っているのか。 もう4週間も前のことだぞ?」


 クレイリアと魔法学院について話をしたのは王都に発つ前日。

 あと数日もすれば土の月が終わり、水の月になれば魔法学院も始まる。

 今更どうにもならないことだというのに。


 ルバルワルスは溜息をつき、指だけでメイドに指示を出す。

 メイドは黙ってキャビネットからグラスを取り出すと机に置いた。

 そして指1本分の蒸留酒を注いで、また元の位置に戻る。

 ルバルワルスは一気にグラスを呷ると熱い息を吐く。


「夕食の後でクレイリアとは話をしよう。 ……それまで放っておけ。」


 執事は恭しく頭を下げる。


「他にないなら、お前たちは下がっていい。」


 ルバルワルスがそう言うと、執事とメイドは揃って頭を下げて退出する。

 執事たちが退出したのを確認して、マグヌスが声をかける。


「確か、クレイリア様は魔力に恵まれたのでしたな。 学院がどうかされたので?」

レーヴタイン領(ここ)の学院に行きたいと言い出しおった。 まったく……。」


 ルバルワルスは背もたれに寄りかかった。


 7歳で魔力量が一定に達していれば、魔法学院に入ることはレーヴタイン領の法律で定められている。

 ただ、何事にも例外はあり、貴族の縁者はこの限りではない。

 というのも、そもそもレーヴタイン領に魔法学院を設立した理由が、お金がなくて必要な教育や修行を行えない平民のためだからだ。

 自分たちで必要な教育や修行を施せるのであれば、わざわざ魔法学院に預ける必要はない。

 勝手な判断で学院を無視されても困るが、貴族の縁者の場合は入学について事前に確認している。

 預けるなら預けるでそれなりの配慮はするし、預けないなら自宅で修行させるように指示する。

 どちらにしても、10歳で王都の学院に行くことは決まっているのだから。


「必要な修行は家でできると言ってるのだが、まったく聞こうとせん。」

「自分から学院に行きたいとは、素晴らしい心がけではありますな。 私など、どうすれば騎士学院を免れるかをずっと考えておりました。 残念ながら叶いませんでしたが。」

「ははは、私も似たようなものだ。 どうすれば寮を抜け出せるか、そんなことばかり考えていたわ。」


 ルバルワルスとマグヌスは一頻り笑い合った。


「まあ、クレイリアのことはいい。 それより……。 お前たち、外に控えていろ。」


 ルバルワルスは、護衛の騎士にも室外での待機を命じる。

 扉が閉まったことを確認してから、ルバルワルスは話を再開した。


「……王都で陛下と謁見した後、私室に呼ばれてな。 軍務卿と外務卿もだ。」

「それはそれは。 もはや御前会議ではありませんか。 で、その面子でのお話ということは……。」

「勿論グローノワのことだ。 とりあえずお前には伝えておくが、まだ下には下ろすな。 確認中の情報もあって、確度は高くない。」

「あくまで、参考程度に留意しておきましょう。」


 マグヌスは姿勢を正し、ルバルワルスの話を傾聴するのだった。







 領主軍の隊長たちとの会議や官吏たちとの会議が終わり、久しぶりの家族との夕食も終えて、ルバルワルスは執務室に戻っていた。

 ヘイルホード地方の各領主たちへの手紙を書いていると、ドアがノックされる。

 ルバルワルスが「入れ。」と声をかけると、数秒の間をおいてドアが開いた。


 執務室に入って来たのはクレイリア・レーヴタイン。

 ルバルワルスの娘であり、今年8歳になるハニーブロンドの長い髪が美しい少女だ。

 やや紫がかった青い瞳、勝気な目元が年齢以上の凛々しさを感じさせる。


「お前たちはそこで待っていろ。 クレイリアはソファに。」


 クレイリア付きの護衛騎士と従者に室外での待機を命じ、クレイリアにソファに座るよう促す。

 ルバルワルスはペンを置き、クレイリアの向かいのソファに座る。


 クレイリアは呼び出された用件に見当がついているようで、緊張をしているようだった。

 無理もない。

 普段は執務室への入室を禁じているので、この部屋に入ること自体がもしかしたら初めてかもしれない。

 いつもは重要な話をするとしても私室で行っている。

 それが執務室に呼び出されたのだから、どれほど重大な話になるかと戦々恐々としてるに違いない。


「なぜ夕食に来なかった。」


 ルバルワルスは、なるべく声が普段通りになるように気をつけながら、クレイリアに話しかけた。

 クレイリアは俯き、膝の上の手をギュッと握る。

 クレイリアはどうやら、4週間前からハンガー・ストライキもどきを行っているようだった。

 なぜ「もどき」なのかと言うと、食堂での食事はしないが、クレイリア付きの従者にこっそり軽食やお菓子、紅茶を届けさせていたらしい。

 それだけでは食事として十分ではないので、常に空腹に苛まれるだろうし、顔色も良くはない。

 だが、本当にハンガー・ストライキを行っていれば4週間ももつ訳がなく、執事たちも手をこまねいていない。

 クレイリアの命がかかっているのであれば、強制的に何とかしただろう。

 結局、執事たちも従者に軽食を届けさせていることを知っているので、この可愛らしい抗議行動の様子を見ていただけなのだ。

 日に日に、届けさせる軽食の内容を充実させながら。


「食事は食堂で摂りなさい。」


 ルバルワルスが続けて言うと、クレイリアはさらに身体を固くして唇を引き結ぶ。

 今、きっとクレイリアの心の中では、必死に勇気をかき集めているのだろう。

 少し我が儘な所のあるクレイリアだが、ここまで頑なにルバルワルスに反抗したことはなかった。


「………………ぃ……。」


 クレイリアの唇が僅かに震える。

 何か言ったようだが、ルバルワルスには聞き取ることができなかった。


「言いたいことがあるなら相手の目を見て、はっきりと言いなさい。 いつも言ってるだろう。」


 ルバルワルスの言葉にクレイリアはますます俯くが、その小さな手を真っ白になるほど力を込めて握る。


「私も学院に通わせてください。」


 勇気を振り絞ってクレイリアが顔を上げ、ルバルワルスを真っ直ぐ見る。

 ルバルワルスは射抜くようなクレイリアの紫の瞳を、我が娘ながら美しいと思った。


「だめだ。 何度も言わせるな。」

「そんな……っ!」


 だが、無情にもルバルワルスはクレイリアの願いを却下する。

 このやり取り自体、この1年間で何度か行われてきたのだ。


「どうしてですか、お父様! どうして、そこまでっ……!」

「どうしてではない。 理由は何度も伝えた。 お前こそ、どうしてそこまで学院にこだわる。 修行は家でできる。 あんな学院以上のことをだ。」


 ルバルワルスは、うんざりするほど伝えてきたのだ。

 サーベンジールの学院は平民のためにあること。

 学院のように数人をまとめて教育するのではなく、家でなら一対一でしっかり学べること。

 こうすることが、クレイリアの才能を伸ばすにも適していることを繰り返し伝えてきた。


 そして、クレイリアには伝えていないが、ルバルワルスが絶対に首を縦に振らない決定的な理由がある。

 サーベンジールにある学院には、ロクな教育を受けていない子供たちも多く集まる。

 むしろ、そうした子供が大半だ。

 クレイリアにどれだけ言われようが、そんな子供たちの中に愛する娘を放り込む気はルバルワルスにはなかった。


 王都の魔法学院も似たようなものだが、国法で定められているので従うしかない。

 ただ、あちらでは少なくとも2年間は教育を受けてきた子供たちがそれなりにいるのだ。

 クラス分けでも、そうしたことは考慮されている。

 サーベンジールの魔法学院よりも多少はマシと言えた。


「早くから友誼を結ぶことで将来のレーヴタイン侯爵領、ヘイルホード地方の魔法士を一人でも多く得られ――――。」

「そんなのは王都に行ってからでよい。 お前が2年間頑張れば、優秀な者が集まるクラスに入ることになる。 友誼はそこで結べば良い。 どんな輩かも分からん者を近くに置けば、お前の足枷にしかならん。 今は家で自分を磨くことに専念しなさい。」


 王都の魔法学院は6年にも及ぶ。

 そこで時間をかけて、ゆっくり為人(ひととなり)を見定めてから信頼できる者を選び、友誼を結べばいい。


 ですが……と、まだ諦めきれないクレイリアは口を開くが、言葉が続かない。

 クレイリアのいう理由は本当のことだが、それがすべてではない。

 同じ年ごろの子供が周りにいないので、そうした子供たちと接してみたいという好奇心があることをルバルワルスは知っていた。


「来週から指導を頼んだ教師が来る。 しっかり準備しておくように。」


 下がりなさい、と言うとクレイリアは悔しそうに唇を噛んだ後、ソファから立ち上がり部屋を出る。


「ボゲイザは残れ。 ヴィローネはクレイリアを部屋に。」


 部屋の前で待っていた護衛騎士と従者に声をかけると、護衛騎士が一礼してクレイリアについて行き、従者が部屋に入る。


「軽食や菓子を執事に提案したのはボゲイザだと聞いた。 よくやった。」


 ルバルワルスが労いの言葉をかけると、ボゲイザは恭しく頭を下げる。

 クレイリアが食事を拒否した時、「みんなには内緒で」という態で軽食を届けることをボゲイザが提案してきた。

 結果、問題が長引いたともいえるが、穏便に片がついたともいえる。


「まだ若すぎるかと思ったが、よくやっている。 その調子でこれからも励め。 また、何かあれば報告するように。」


 ルバルワルスが下がるように命じると、ボゲイザは一礼して退出して行く。

 ボゲイザはまだ20歳を過ぎたばかりで、従者としての経験もなかった。

 ボゲイザの家は代々レーヴタイン家に仕える一族で、ボゲイザの父も数年前まで仕えていた。

 だが、まだ40歳を過ぎたばかりだというのに病気で急逝してしまったのだ。

 ボゲイザの母が、代わりにどうか息子を仕えさせてくださいというので受け入れたが、最初は不安だった。

 ところが、これが思った以上に優秀で、1度教わったことはすぐに憶える。

 そこで、執事に監督させながらクレイリア付きの従者にさせてみたのだ。

 すぐにクレイリアの信頼を得たボゲイザは、クレイリアが同じ年ごろの子供がいる魔法学院に行きたがっているという情報を持ってきた。

 おかげで、ルバルワルスはクレイリアの真意を違えることなく把握することができたのだ。


 ルバルワルスは執務机に戻り、ペンを取る。


「……外で何が起こるか分からん。 せめて、内は引き締めておかんとな。」


 そう呟き、ヘイルホード地方の領主たちへの手紙の続きを書き始めた。







■■■■■■







【ワグナーレ・シュベイスト視点】


 サーベンジールの街の、やや北よりに位置した中央広場。

 その中央広場に面した場所に、光神教の大聖堂がある。

 国内第三の街の大聖堂に相応しく、大きく、美しく、なにより荘厳なその姿に誰もが神々の存在を感じざるを得ない。

 そんな大聖堂の礼拝室で午後の祈りを終えた大司教のワグナーレは、自らの執務室に戻るところだった。


「こちらにおいででしたか、猊下。」


 サーベンジールの大聖堂で首席司祭を務めるカラレバスが、いくつかの封書と書類を持って早足で追いかけてきた。

 40代半ばのこの司祭は、この教区の司祭たちの中ではもっとも司教の座に近いのだが、いかんせん気の小さいところがある。

 そこさえなければ中教区くらいなら安心して司教に推せるのだが、気の小さいところを加味すると、小教区の司教すら不安になる。

 このまま司祭で居た方が本人のためには一番のような気がする。

 ワグナーレは立ち止まり、そんなことを考えながらカラレバスが追いつくのを待つ。


「何をそんなに慌てている、カラレバス。 君はもう少し心に余裕を持つことを心がけなさい。」

「ハァ……ハァ……し、失礼いたしました。 こ、こちらを。」


 そう言ってカラレバスが1通の封書を差し出す。


 教会は、教会間でのやり取り専用の郵便網を確立している。

 一般には冒険者ギルドに依頼して手紙などを届けてもらうのだが、教会はその秘匿性を担保するため、独自の郵便網を作り上げていた。

 差し出された封書も、そんな独自の郵便網で届けられた物だ。


「……ルーンサーム。」


 思わず口の端が歪む。

 それは、ラタジース伯爵領の領都ルーンサームにある大聖堂からの封書だった。


「さて、今度は何と言い訳してきたか。 どう思う、カラレバス?」

「わ、私には何とも……。」


 ワグナーレの問いかけに、カラレバスは困った顔をするだけで答えることができなかった。


「こちらとしてはどちらでも構わないのだが、振り回される今のような状態が一番困る。 ……狙ってやっているのだとしたら、なかなか()()()()があるが。」


 ワグナーレの鋭い視線が、虚空を睨む。

 カラレバスは自分が睨まれたわけでもないのに、身体が竦む思いがした。


 ワグナーレはカラレバスの気が小さいので、このまま司祭クラスに留まった方が平穏で居られるだろうと考えていた。

 そのワグナーレの見立ては正しく、実際カラレバス自身もあまり重い責任は負いたくないと思っている。

 だが、その気の小さいカラレバスが、ワグナーレの下で修行することがもっともストレスを受けることには思い至っていないのであった。







 ――――事の発端は1年前、ルーンサームに新たな聖女が現れたことにある。

 教会の認定する聖者・聖女は数人いるが、彼らはある日突然【祝福】を宿す。

 【祝福】と一言で言っても様々なものがあり、代表的なもので言うと「傷がすぐに治る」といったようなものだ。

 【神の奇跡】の【癒し】に近いが、【祝福】は神に祈る必要すらない。

 本人に、常に【癒し】がかかっているようなものだ。

 ただし、実際には【癒し】ほど劇的な効果ではない。

 それでも普通ではありえないほど早く傷が癒えるし、【祝福】の効果はそれだけとは限らない。

 他にもいくつかの効果を授けられている聖者・聖女がいる。


 ちなみに、聖者は男性で聖女が女性。

 性別の区別なく【祝福】を授けられた者を”聖人”ということもある。


 教会の儀式にも”祝福”を授けるというものがあるが、これは本来の【祝福】を模倣したものだ。

 遥か昔には高位の司教の中に、()()()()()()()効果を授けることのできた者がいたらしいが、現在では行える者は一人もいない。

 ただ形だけを真似た儀式となっている。


 聖者・聖女の多くは修道士や助祭クラスだが、彼らは教会の規則に縛られない特殊な存在だ。

 例えば教会の位階や序列などは「人の世で、人が定めた」ものであるが、聖者・聖女は「神が認め、神が定めた」存在だ。

 彼らには、教皇であっても何かを命じることはできない。

 ただ、聖者・聖女と言っても霞を食べて暮らしているわけではない。人の世で、人としての営みを普通に行う。

 そのため教会は聖者・聖女を認定し、保護する。

 聖者・聖女も教会に協力し、神の教えを広める手伝いをする。

 そうした関係が築き上げられていた。


 その新たな聖女が、サーベンジールの大聖堂を訪問したいと言い出した。

 サーベンジールの大聖堂は国内第三の街にあるだけあって、荘厳で美しい。

 これ以上の大聖堂は、王都や国内第二の街にある大聖堂くらいだ。

 光神教の信者であれば、一度くらいは訪れておきたいと思うのは普通のこと。

 王都や国内第二の街に行くにはかなりの日数がかかるが、ルーンサームからサーベンジールであれば3日ほどで着く。

 新たに認定された聖女が、当時まだ9歳の子供だったこともあり、妥当な選択だと言えた。


 その頃はワグナーレもまだ大司教として着任したばかりであったが、聖女の訪問を拒む理由はない。

 聖女からの手紙を受け取った時、「仕事が一つ増えたな」くらいにしか思っていなかった。

 ところが、この聖女の訪問に『待った』をかけた者がいる。

 ルーンサームの司教だ。

 司教は聖女がまだ幼いこと、また認定されて日が浅いことなどを理由に訪問の中止を申し入れてきた。

 正直、そんなのは理由にはなっておらず、ただのこじつけでしかない。

 司教がいくら横槍を入れようと、聖女が「行く」と言えば止められる者は誰もいない。

 教皇ですら、聖女の行動を止める権利はないのだから。


 だが、この新たな聖女は子供ながらなかなかに聡明だったようだ。

 行きたいとは思いつつも、司教にも配慮した。

 結果、サーベンジール行きは決定事項だが、時期は未定という状態で棚上げになった。

 以後「訪問はいつだ、さっさと決めろ」と問い合わせるワグナーレと、「現在調整中」と躱すルーンサームの司教の、楽しくない文通が始まったのだった。







「夏か……。」


 ワグナーレはルーンサームからの封書に目を通し、呟く。

 執務机の前では、カラレバスが不安そうな顔で、封書を読むワグナーレを待っていた。


「あちらは何と?」

「夏に聖女を寄越すと言ってきた。」

「夏、ですか? それはまた急な。」

「早ければ3カ月後だが、遅ければ半年だ。 火の月のいつ、とまでは書いていないのでな。 そこまで急というわけではない。」

「しかし、聖女様のご訪問であれば領主様にも相談しない訳にはいきません。」


 カラレバスが渋い顔をする。

 半年前に会って以来、すっかり領主が苦手になってしまったようだ。


「領主には私の方から説明に行く。 官所にも担当の官吏を置いてもらわんと困るからな。」


 聖女の訪問だ。

 相当な人数が近隣領からも押しかけると予想される。

 教会内だけの調整で済む話ではない。


「……ですが、どうして急に聖女の訪問を認めたのでしょうか?」


 カラレバスが怪訝な顔をした。

 訪問に『待った』をかけた理由も分からないが、いきなり認めた理由もよく分からない。


「新たな聖女だが、なかなかに芯の強いお嬢さんだそうだ。」

「そうなのですか?」


 ワグナーレは背もたれに寄りかかり、可笑しそうに笑った。


「元々『待った』をかけたこと自体、大した理由などないのだよ。 あの司教は、聖女の影響力を利用しようとしてただけでな。 まずはしっかりと手懐け、それから聖女を使って自分の地位を高めようとしただけだ。」


 その話を聞き、カラレバスがまた渋い顔をする。

 権力欲の薄いカラレバスには、あまりに露骨な司教のやり方が受け入れ難いのだろう。


「ところがこのお嬢さん、手懐けるどころかまったく懐こうとしない。 司教の行う飴も鞭もどこ吹く風。 ……元々聖者や聖女はどこか浮世離れしたところがあるらしいが、今度の聖女は()()()()()だという話だ。」

「そ、そうなのですか?」


 ワグナーレの話を聞いてカラレバスの顔が青くなる。

 そのとびっきりが、数か月後にサーベンジール(ここ)に来るのだ。

 つい恐ろしい未来が浮かんでしまったのだろう。


「頭のいいお嬢さんでな。 そんな司教の思惑も見透かしていたようだ。 最初は司教にも配慮して訪問を延期したが、最近は『いつ行かせるんだ』と顔を合わせるたびに言っていたようだぞ。 さぞ、うんざりしてただろうな…………お互いに。」

「はぁ~……。」


 カラレバスが感心したように息を吐く。


「……猊下は、一体どうやってそのような情報を?」

「顔が広いだけだ。 いろんな場所に赴任したのでな。」


 これは半分本当で、半分嘘だ。

 確かにワグナーレは多くの場所に赴任したが、それだけで自然に情報が集まって来るわけではない。

 情報網を作り上げたのだ、意図的に。







 かつてワグナーレが尊敬し、慕っていた司祭が罠に嵌められた。

 次の司教にと目されていたその司祭は、ライバルに嵌められ左遷させられてしまったのだ。

 どれほど真面目に、真摯に教えを守っても、汚れた手に捕まり引きずり落されることがある。

 そのことを、ワグナーレに思い知らせた事件だった。


 せめてもの救いは、その司祭が左遷先でそれなりに楽しくやっていることか。


 だが、ワグナーレには許すことができなかった。

 真剣に神の教えと向き合う者が、心無い者に足元を掬われる。


 だから集めることにしたのだ。情報を。弱味を。

 自らに忍び寄る、汚れた手を踏み潰し、粉砕するために――――。





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[一言] 読んでて眠くなる回だったな
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