第32話 入寮
がさっ……と音がして目が覚めた。
見慣れない天井。
ここはヤロイバロフの宿屋だ。
久しぶりのベッドに、すっかり熟睡できたようだった。
カーテンを閉めているが、外の明かりが部屋に入り込んでいる。
「おはよう、ミカ君。 よく眠れたようね。」
「おはようございます。 いい宿に泊まれたおかげで、疲れもすっかり取れました。」
ここに至るまでの旅路では、ボロ小屋で座ったまま寝ていたのだ。
疲れなど取れるわけがない。
「それはよかったわ。 食事をしたらすぐに出るからね。 寮についてからは何があるのか分からないんだから、朝から行っておいた方がいいでしょ。」
昨日、夕方に寮に駆け込まず一泊したのは、そういう狙いがあったようだ。
確かに、行ってからあれもこれもとやることがあった場合、夕方からでは大変だ。
それなら、1泊して朝から行った方が気持ちにも余裕が持てる。
ヤロイバロフの宿を出発し、大通りに出る。
ヤロイバロフは、ミカがニネティアナの知り合いということで「困ったことがあったらいつでも来な。 力になれるかは分からないが、知恵くらいは貸してやる。」と言って送り出してくれた。
こういう面倒見の良さがあるので、みんなに慕われているのだろう。
宿を出た後に教えてもらったんだが、ヤロイバロフはニネティアナやディーゴの兄貴分のような人なんだそうな。
年はディーゴよりも一つ下らしいが、とにかく実力が凄まじく、現役だった頃の二人がかりでもまず勝てないとのことだった。
ちなみに、ニネティアナだけでなくディーゴもCランクらしい。
(現役の頃のディーゴって、アグ・ベアを一人で倒せたって言ってなかったか?)
もはや、ヤロイバロフがどれほどの強さなのか想像すらつかなかった。
ニネティアナに手を引かれ大通りを歩くが、通りは朝から人に溢れていた。
今、時刻は9時前くらいだ。
人が多すぎて、手を繋いでいないと本気で逸れかねない。
サーベンジールの街は、昨日ミカたちが入って来た南門から真っ直ぐ北に大通りが伸びている。
その大通りの北の突き当りに領主の館があり、魔法学院はその領主の館から西に行った端にある。つまり、街の北西の端だ。
街の広さは南北5キロメートル、東西4キロメートル、それが昨日見た街壁に囲まれている。
この巨大な街でさえ国内第三の街というのだから、王都など一体どうなっているのか。
「すっごい人ですね。」
まるでターミナル駅の構内でも歩いている気分になってくる。
「もう少し時間が経てば、ちょっと落ち着くんだけどね。 それに、中央を越えればマシになるわよ?」
「中央に行くほど混むんですよね? その向こう?」
何があるのだろうか。
「中央広場があってね。 そこから北に行くほどお上品になるのよ。 この辺は普通の商店が多いし、みんなバタバタ慌ただしいでしょ? 人も北の方が少ないわ。」
なるほど。
街の北側は、上流階級向けの区画ということなのかもしれない。
「ここが中央広場。 ここはいつも屋台が出てて人がいっぱいいるけど、ここから北に行けば静かになっていくわよ。」
何というか、人が縦横無尽に行き過ぎるこの光景には既視感を憶える。
(……本当に、ターミナル駅の構内ってこんな感じだったなあ。)
身長が110センチメートルを少し越えるくらいしかないミカには、ここを突っ切るのは絶望を感じる。
「手を離さないようにね。 ここで逸れたら、いくらあたしでも見つけるのは無理だから。」
ニネティアナは苦笑する。
さすがのニネティアナでも、この雑踏の中でミカの気配を探り当てるのは無理らしい。
「ちょっと大回りになるけど、こっちから広場をぐるっと回ろうか。」
そう言って、ニネティアナは時計回りで円形の中央広場の端を進む。
きょろきょろと周りを見回しながら歩くと、広場を挟んだ反対側にある、巨大な建造物に気づいた。
立ち止まり、思わず口を開けて見上げてしまう。
写真やテレビでしか見たことのないような、見事な大聖堂にただただ圧倒された。
「あれはサーベンジールの大聖堂。 どんだけ信者から金巻き上げたらあんなのが建つのやら。」
ニネティアナが身も蓋もないコメントをする。
だが、ミカもまったくの同意見だった。
この辺の感性は、ミカとニネティアナは似てるらしい。
「大通りは南北を通るものと、東西を通るものがあるわ。 それが交わる場所がこの広場。 今日は特に人が多いみたいだけど、たぶん来月になればもう少し落ち着くわ。」
そういうものなのだろうか?
そうあって欲しいとは思うが。
年中この状態では、ちょっと近づく気になれない。
そのまま広場を抜け、レーヴタイン侯爵の屋敷がある方へ向かう。
広場を越えると、通りにある店は高級店ばかりのようで、道行く人の数が途端に減った。
それでも人が少ないというわけではない。
あくまで広場に比べれば人が少ないな、というだけだ。
侯爵の屋敷が少し見えてきた所で、ニネティアナは左に曲がってしまう。
侯爵の屋敷というのを見てみたかったが、まあこれからいくらでも見れるだろう。
なにせ、ご近所に引っ越してきたのだから。
そう思っていたのだが、よく考えてみれば方や東西の中心。方や西の端。
ご近所と言っても、単純計算で2キロメートル離れているのだ。
実際には「ちょっと見てみたい」という理由だけで行く気にはなれないだろう。
手を繋がれたまま、高級そうな屋敷が並ぶ通りを歩く。完全に場違いだ。
そのまま進み、空き家らしき屋敷や空き地がちらほら見え始めた時、ようやく魔法学院の敷地に着いた。
ぱっと見は、本当に学校の正門といった感じだ。
石造りの門があり、年季の入った石の板に『レーヴタイン領 魔法学院』と彫られている。
「ようやく着いたわね。 へぇー……こうなってんのねえ。」
ニネティアナも初めて見るらしい。
そう言えば、行ったことはないと言っていたか。
「ニネティアナさん、ここまでありがとうございました。」
ニネティアナに頭を下げる。
思い返すとちょっと大変な旅ではあったが、それ以上に楽しかったという思いが強い。
ニネティアナとでなければ、きっとこんな旅はできなかったはずだ。
「うん。 あたしの付き添いはここまでかな。」
ニネティアナが少し寂しそうに笑う。
不意に、ミカの胸に熱いものが込み上げてくる。
(…………この人だけが、俺のことを避けないでいてくれたんだ。)
”学院逃れ”の騒動が起きた時、ニネティアナだけが教会まで会いに来てくれた。
いつも何ということのない話をして「じゃあまたね。」と帰って行く。
変わらずに接してくれていた。
ただ、それだけ。
だが、それだけのことがどれほど嬉しかったか。有難かったか。
(あー、だめだ。 感情を抑えろ。 これからは、気をつけるって決めたろ。)
感情や衝動をコントロールできるようにならないといけない。
それも、これからのミカの課題だった。
「それじゃ、行ってきます。」
ミカは精一杯の笑顔を作る。
「うん、頑張れ。 ……あ、そうだ。」
ニネティアナは自分の雑嚢をごそごそと探り、布の袋を3つ取り出す。
「こっちがあたしとディーゴからで、こっちがホレイシオさんからね。」
そう言って2つの袋を渡す。
中には銀貨が入っていた。
ニネティアナとディーゴから銀貨5枚。
ホレイシオからは銀貨10枚。
「少ないけど、まあ餞別よ。」
「そんな、受け取れませんよ。」
袋を返そうとするミカの目を、ニネティアナが真っ直ぐ見る。
「夕べ言ったこと、もう忘れちゃった?」
子供がそんなこと気にするな。
大人になって自分で稼いでからにしろ。
「どんなとこだって、新しく生活を始めるなら必要な物は出てくるわ。 その足しにしなさい。」
「…………はい。」
ミカは素直に受け取ることにした。
遠慮して、この人たちの好意を無下にする方が失礼だ。
このお礼はいつかきっと、違う形で必ず返そう。
「それと、はいこれも。」
そう言って、残りの1つの袋を渡してくる。
先に渡された袋2つを合わせたよりも、もっと重い。
開けてみると、中には銀貨や大銅貨、銅貨が入っていた。
「ミカ君のおかげで節約旅行になったからね。 宿も使わないし、食事も安上がりだったから。 随分と残っちゃった。」
中には、銀貨だけでも10枚くらい入っている。
もしかしたら、ニネティアナは少しでも旅費を浮かせるために「冒険者っぽく」と提案してきたのだろうか。
ミカが喜んで乗ってきそうな話で釣って、後で渡すために。
(この人は、どこまで……。)
これからミカは一人でやって行かなくてはならない。
生活の保障はされているが、それでもこれからはちょっとしたことであっても、ニネティアナやリッシュ村の人を頼ることができない。
ニネティアナも、手を貸してやりたくても手を貸すことができない。
そんな時、ほんの少しの現金があれば、それだけで解決することもある。
きっとヤロイバロフの宿に泊まったのも、ミカにヤロイバロフを紹介したかったからではないだろうか。
自分が泊まりたかったと言っていたが、本当の目的はミカにヤロイバロフのことを教えておきたかったのだ。
何かあっても、自分はもう手を貸すことができないから。
(……こんなの、我慢できるか!)
ミカは感情を抑えきれず、涙が溢れてしまう。
渡された袋に顔を埋め、せめて涙を見せないようにする。
「……あり、が……とう、…………ござい、ます。」
それでも、お礼の言葉だけはちゃんと伝える。
ニネティアナはただ黙って、そんなミカを見守っていた。
気持ちを落ち着け、ようやく涙が止まった。
きっと今のミカは目が真っ赤になって、非常にみっともない顔をしているだろう。
「少しは落ち着いたようね。」
「…………、はい。」
「寮に行く前に、どこかで顔を洗ったほうがいいわね。 近くに井戸でもないかしら。」
ニネティアナが魔法学院の敷地内を見回す。
「井戸なんか必要ありませんよ。」
ミカは荷物を足元に置く。
「”制限解除”、”水球”。」
お腹の前に、バスケットボールほどの水の塊を作る。
ニネティアナは、目を丸くして驚く。
ミカは水の塊から両手で水を掬い顔を洗った。
数回顔を洗い、残った水の塊を適当に横に飛ばす。
「……本当に、便利なのね。」
ニネティアナは水で濡れた地面をまじまじと見た後、ミカの顔をチェックする。
ミカは濡れた顔を軽く拭う。
「うん、……その顔なら、良し!」
ニネティアナが太鼓判を押す。
ミカは荷物を手に持ち、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
元気よく、万感の思いを込めてお礼を伝える。
勢い良く顔を上げると、ニネティアナがしっかりと頷く。
「行ってきます!」
ミカは学院の敷地に駆け出す。
時折振り返り手を振ると、ニネティアナも振り返す。
ミカの姿が見えなくなるまで、ニネティアナはその場でミカを見送った。
魔法学院の敷地はかなり広かった。
本当に学校そのものという感じだ。
門から真っ直ぐ道が伸びているが、左手には草叢があり、その奥に森林も見える
右手には大きな建物があり、おそらく体育館のようなものではないだろうか。
体育館の手前には右に入って行く道があり、その奥にも建物がある。
それは3階建ての建物で、見た感じあれが校舎か寮だろう。
どちらであっても、とりあえず誰かしらはいると思う。
ミカは奥の建物に向かってみることにした。
体育館を通り過ぎると、先程見えた3階建ての建物とは別に、もう一つ平屋の建物が見えた。
3階建ての建物を正面に見た時、平屋は左、体育館が後ろだ。
どちらが寮だろうか?
まあ、外れても誰かに聞いて寮に向かえばいいだけではある。
とりあえず、最初の目標だった3階建ての建物に入る。
3階建ての建物はだいぶ年季が入っている。
壁はひび割れ、汚れが目立つ。
正直、ボロい。
(ま、まあ……、寮なんてこんなもんだよな。)
寮暮らしはしたことないが、経験者から話を聞いたことはある。
あくまで一例だろうが、だいぶ悲惨な環境だったようだ。
気を取り直して玄関に入った。
玄関は建物の中間にあり、入って目の前に階段がある。
右手すぐに広いフロアがあり、テーブルが並んでいる。おそらく食堂だろう。
左手には通路が伸びており、いくつかの扉が並ぶ。
(……誰もいないか?)
見える範囲に人がいないので、ちょっと呼んでみようかと息を吸ったところで奥の扉が開いた。
中から出てきたのは50代後半の女性。
大変ふくよかな女性だった。
「あら、こんにちは。 今年入寮の子かい?」
割烹着で手を拭きながらこちらに歩いてくる。
ミカが頷くと「ちょっと待ってね。」と一番手前の部屋に入って行く。
女性は一枚の紙を手にしてすぐに戻って来た。
「はい、お待たせ。 じゃあ、領主様からの命令書は持ってるかい?」
雑嚢から命令書を取り出し、女性に渡す。
「えー……と、ミカ・ノイスハイム……、ミカ・ノイスハイム……。」
女性の持ってる紙は、どうやら入寮予定者のリストのようだ。
「ああ、あった。 あなたは2階の……、えっ2階?」
女性は驚いた顔をしてリストとミカを数回見直す。
(2階だと何か問題があるのか……? って、そういうことか。)
ミカはすぐにピンときた。
リッシュ村を出てからこんなのばっかだ。
「……2階は男性専用のフロアですか? なら間違いないですけど。」
「あらぁ~……。 随分可愛らしい子だと思ったら、男の子だったのぉ。 おばちゃんびっくりしちゃった。」
えらくはっきり言う人だな……、この人。
「命令書は学院の初日に持って行くことになってるから。 返すわね。」
そう言って、女性はミカに命令書を返す。
「部屋は2階に上がって左側、3番目の部屋だから。 同室の子がもう居るはずだから、とりあえずその子にいろいろ聞いてみて。 午後にちゃんと説明するから、お昼食べたらその部屋にまた来て。」
そう言って手前の部屋を指さす。
ミカは、わかりましたと言って2階に上がる。
階段を上がると、「3階には行っちゃだめよー、危ないからねー。」とおばちゃんの声。
……何があぶないのだろうか?
首を捻りながら2階に着くと、左右に通路が伸びている。
右側は扉が5つ、左側は扉が4つだ。
左に並ぶ部屋のネームプレートを見ると、一番手前の部屋に2つ名前が書かれているが、2番目の部屋にはなかった。
3番目の部屋にはミカの名前ともう一つ名前がある。
一旦その部屋を通り過ぎて4番目の部屋を確認すると、名前は書かれていない。
(両隣は空き部屋……? 名前が4つに部屋も4つ。 だったら個室にしてくれてもいいんじゃね?)
そんなことを思うが、まあ決まりは決まりだ。
相部屋も仕方ないだろう。
軽くドアをノックして、返事を待たずに開ける。
一応初めて入るので礼儀としてノックはしたが、ここはミカの部屋でもある。
返事を待つ必要はない。……と思う。
部屋の中はごくシンプルな作りだった。
入って左に2段ベッドがあり、奥に2つ机がある。
机はそれぞれが左右の壁を向くように配置されていた。
机の手前には背の低いタンスもある。
居室としては十分だろう。
ミカが部屋に入ると深緑の髪をした少年が椅子に座り、机に脚を投げ出していた。
椅子は前脚が浮いた状態でバランスを取っている。
あまりお行儀は良くないが、これくらいの方が変に気を使わなくていいかもしれない。
ミカは気にしないで部屋に入った。
男の子はミカを見て固まっていたが、すぐに気がついて声をかけてきた。
「えーと、もしかして……ミカ君かな?」
「そう言う君は、メサーライト君?」
ミカはネームプレートで見た名前を言う。
「メサーライトでいい。 今日から同室みたいだね。 よろしく。」
「僕もミカでいいよ。 よろしく。」
ミカは空いてる方の机に自分の荷物を置く。
右側の机はメサーライトが使っているので、ミカが使う机は自動的に左側になる。
まあ、こんなことで目くじら立てても仕方ないので、そのまま素直に受け入れる。
ちなみにベッドも下段が使われた形跡があるため、ミカが上段になるのだろう。
「寮に来たのは昨日?」
「いや、一昨日。 今年の入学者はまだ誰も来てないみたいで、退屈してたんだよ。」
ミカがサーベンジールに着く前日には入寮していたらしい。
今日は水の日なので、随分と早く入寮したようだ。
これでも、ミカも念のためにと早めに出てきたのだが。
入寮の期限は次の陽の日までなので、あと3日もある。
「そんなに暇なら街に行けばいいんじゃない?」
「別に行きたい所もないしなー。」
何となく、来過ぎて慣れてしまったような印象を受ける。
「サーベンジールにはよく来るの? というか、サーベンジール出身?」
「いや、ブライコスロア子爵領だよ。 まあ、サーベンジールには時々来てたかな。」
ブライコスロア子爵領?
聞いたことがない。
「君はどこから?」
「リンペール男爵領。」
「リンペール男爵領? ああ、あの何もないとこ。」
メサーライトは、リンペール男爵領にも行ったことがあるようだ。
ただ事実を言っただけで、特に悪気はなさそうに感じた。
「今、君が想像した『何もない』から、もっといろいろ引いてみな。」
「ん?」
メサーライトは不思議そうな顔をする。
「それが僕のいた村。」
「………………、そんなに田舎なの?」
呆れたように言うメサーライトに、ミカは肩を竦めて見せる。
そんなミカの仕草が面白かったのか、メサーライトがプッと噴き出す。
「あはははは。 自分でそんなこと言う人、なかなかいないよ。」
メサーライトは一頻り笑うと立ち上がり、ミカに手を差し出す。
「どんな奴が同室になるか不安だったけど、君とならやっていけそうだ。 これからよろしく。」
「こちらこそ。」
ミカも「同室の相手としては悪くなさそうだ」と思い、しっかりと握手に応じるのだった。




