第29話 疑似体験旅行2 冒険者プラン
オールコサ子爵領の領都ヤウナスンに着いた。
コトンテッセよりも遥かに発展していて、壁などにコンクリートを使った建物が半分くらいありそうだ。
「……ううう…………、お尻が……割れちゃった……。」
「ほらー、ミカ君こっちよー。」
あまりに過酷な旅路をミカは嘆くが、その思いはニネティアナには届かなかったらしい。
ボケてもツッコミが入らない無情に打ちひしがれながら、仕方なくニネティアナの後を追う。
乗り合い馬車がヤウナスンに到着したのは、とっくに陽が落ちた時刻。
夜の7時に近かった。
そんな時間にも関わらず、ヤウナスンの通りには人が溢れている。
通りのあちこちに篝火があり、ちょっと薄暗いが人の判別ができる程度の明るさはある。
多くの店が営業をしていて、まだまだ店仕舞いの気配はない。
リッシュ村ならば、見回りの自警団員以外は外に出ない時刻だが、ここでは普通に人が行き来している。
「……これから宿に向かうんですか?」
「んん? 宿?」
「ん?」
何か変な事を言っただろうか。
旅の途中で街に着いたのだから、宿に泊まることは別に変ではないはずだが。
先に夕食を済ますため、食堂に行くということか?
「食事ですか?」
「そうね、どこかいい店あるかしら。 ……あ、はぁーい、この辺りで美味しい店ある? 朝もできるとこね。」
ニネティアナは近くを通った冒険者風の男女に声をかける。
男性は剣士、女性は弓兵といった感じだ。
ニネティアナとその男女はにこやかに話をし、時折声を出して笑い合った。
「ありがとう。 じゃーねぇー。」
「おう、道中気をつけてな。」
「ばいばい、良い旅を。」
笑顔で手を振り、男女はどこかに行ってしまった。
「……お知り合いですか?」
「ん? 知らないわよ。 なんで?」
知らない人かよ!
(え? 知らない人なのにあんな風に話しかけたの? 正気ですか!?)
目を丸くして驚くミカに、ニネティアナはぽんぽんと頭を叩く。
「冒険者同士、知らない街に来たらあんなもんよ? 聞かないで不味い店のご飯食べるのと、ちょっと聞いて美味しい店でご飯食べるの。 どっちがいい?」
「いや、それは美味しい方がいいですけど……。」
聞き方ってのがあるのではないでしょうか?
「ニネティアナさんは、ヤウナスンのことはよく知らないんですか?」
「今のヤウナスンのことは分からないわね。 あたしが来てたのはもう何年も前だから。」
時間が経てば、持っている情報もアテにならなくなる。
それはいつの時代も、どこの世界でも同じようだ。
ニネティアナに連れられて入ったのは、大衆食堂のような店だった。
居酒屋の看板から酒瓶だけを抜いたような、骨付きの大きな肉料理の看板だった。
10卓あるテーブル席は満席だったが、カウンターが少し空いている。
ニネティアナは案内されるのを待つことなく、ずんずん店の中を進む。
ミカは騒がしい店内をなんとかついて行き、席に着く。
座った瞬間、お尻の痛みに思わず顔をしかめてしまう。
雑嚢を膝の上に置いてカウンター上のメニューを探すが、そんな物はなかった。
壁の木札にメニューが書かれていて、それを見て注文するらしい。
「メニューが気になる? まあ、見ててもいいけど、注文するのは決まってるわよ?」
「何を注文するんですか?」
ミカが聞くと、ニネティアナは壁にかかったメニューの一番端を指さす。
『日替わり定食 二百五十ラーツ ※お好みなし』
以前、通貨のことを聞いた時に、安いとこれくらいで食べられると言っていた値段だ。
二百五十ラーツというと、大銅貨二枚と銅貨五枚。
日本円で三百円くらいか?
「あれが前に言ってた安く食べられるってやつですか?」
「そう。 駆け出し冒険者御用達の日替わり定食。 これ注文してる冒険者はたいてい半人前以下か、依頼に失敗したかのどっちかよ。」
「半人前ってのは分かりますが、依頼の失敗ってのは何ですか? 報酬が貰えなくてお金がないのは見当がつきますけど。」
「これ食べて、半人前だった頃を思い出すのよ。 懐かしいなあ。 悔しくって、あたしも泣きながら食べたことが何回もあるわ。 …………あ、なんか思い出したら腹立ってきちゃったかも。」
「勘弁してください……。」
八つ当たりされそうで、ちょっと離れる。
「あの『お好みなし』って何ですか?」
「あれは、肉多めのメニューとか選べることがあるのよ。 ここではやってないみたいだけど。」
そう言ってニネティアナは手を挙げて店員を呼ぶ。
日替わり定食を2つ注文すると、他に2つ3つ何かを店員に確認している。
たぶん明日の朝のことのようだが、隠語というか略語というか、ミカにはいまいち何のことか分からなかった。
店員が下がったところでミカが話を聞こうとするが、先にニネティアナが話しかけてきた。
「馬車で一番後ろに乗ってた連中、ミカ君気づいてた?」
「ガラの悪いのですか? 3人組の。 居たのは憶えてますけど、何かありました?」
「何か盗れないか、周りをチェックしてたわよ。」
「え!?」
まったく気がつかなかった。
自分の荷物とお尻に意識がいっていて、周りを気にする余裕など欠片もなかった。
「強引に奪うつもりまではなかったみたい。 移動のついでにちょっと稼げないかって感じだったけど。 隣に座ってた若い子が、一生懸命けん制してたのよ。」
ニネティアナは可笑しそうに笑った。
ニネティアナが言うには、どうやら悪さしそうな3人組の動きを、若い冒険者風の男が必死に気配で止めていたらしい。
水面下でそんな攻防があったなんて思いもしなかった。
冒険者風の男は目を瞑ってじっとしていたし、ガラの悪い3人組も特に騒ぐわけでもなし、大人しく乗っているだけだった。
「どっちも直接のトラブルは避けたかったみたいね。 ガラの悪いのはヤウナスンに着いたら舌打ちしてたし、若い子の方はあからさまにホッとしてたわ。」
まさか、あの乗り合い馬車の中がそんなことになっていたとは夢にも思わなかった。
「あの感じだと、どっちもDランクかしらね。 半人前同士でごちゃごちゃやってて、ちょっと面白かったわ。」
「はあ?」
もはや、ツッコミどころばかりで何がなにやら。
若いのは冒険者っぽいとは思ったが、まさかガラの悪い方も冒険者だったのか?
しかも、みんな半人前?
そんな半人前たちがけん制し合っているのを見て面白かった?
水面下のけん制のし合いに気づくとか、あんたも何者だよ!
ミカには、ちょっとついて行けない世界だった。
ミカがげんなりしていると、店員が食事を運んできた。
トレイに乗った食事はスープとパンのみ。
パンは大きいのが2つあり、ミカでは食べきるのに苦労しそうだった。
だが、もっと苦労しそうな物があった。
スープだ。
「……なんですか、これ。」
「スープに決まってるじゃない。」
いや、それはそうなんだけど、俺が求めている答えはそうじゃない。
「なんのスープなんですか、これ……。」
肉も野菜もたっぷり、具沢山の贅沢スープと言っていいかもしれない。……具材だけは。
串が刺さったままの肉や鳥の足が見えたりと、適当に鍋に放り込んだとしか思えないスープが、これまた大きな器になみなみと入っている。
ミカには、これが前日の売れ残りを詰め込んだスープに見える。
いや、実際にそうなのだろう。
残飯スープと言うべき「それ」を前にし、ミカは戦慄した。
(そりゃ安く提供できるわな、これなら……。)
横のニネティアナは気にすることなく、ばくばくと食事を始めた。
ミカはそんなニネティアナを見て、自分もスプーンを手に取る。
恐るおそるスープを口に運ぶと、少しだけ啜る。
何とも形容し難い味が口内に広がるが、そこまで不味いというわけではない。
(……いろんな味が混ざり過ぎて、何がなんやら分からないけど、思ったよりひどくはないか?)
今度は具も乗せてスープを口に入れる。
やはりいろんな物が混じり過ぎて、訳が分からない味になっている。
だが、ノイスハイム家の貧しい食事情を考えれば、これは非常に贅沢な食事と言える。
(不味くないとは言わないが、栄養だけはありそうだ。 確かにこれなら駆け出しの冒険者には有難いだろうな。)
量があり、栄養もある。しかも安い。
「これ以上一体何が必要なんだ!? あ?」と言わんばかりの食事だ。
ミカは、そこでふと思い出す。
「さっき冒険者に美味しい店って聞いてましたけど、何でですか?」
「何でって、美味しいでしょ?」
「……………………。」
こんなごった煮に旨いもへったくれもあるかっ!と言いたくなるが、ニネティアナの次の言葉を聞いて納得した。
「料理の不味い店の日替わり定食と、美味しい店の日替わり定食、どっちがいい?」
ミカは黙って食事を続けることにした。
元々不味い料理を、さらにごちゃ混ぜにしたスープなんか絶対に食べたくない。
不味い物と不味い物を掛け合わせて、奇跡的に美味しくなるなんてのは漫画だけだ。
実際はより不味くなるに決まってる。
ミカは串肉を一口食べる。
最初はスープの微妙な味が気になるが、肉を噛むと旨味が口いっぱいに広がった。
確かにこれなら、美味い店を確認した上で日替わり定食を頼むのも分かる。
この串肉は、この世界に来て一番美味しいかもしれない。
これまでの食事が質素過ぎたというのもあるが、こんな大きな肉を噛みしめるということが、この世界に来てから初めてだ。
(……こんなごちゃ混ぜスープの串肉が人生で一番美味いとか、ミカ少年の半生を思うと目頭が熱くなるな。)
ミカは黙って食事を続け、何とかスープを食べきることができた。
ただ、パンは半分に割った、さらにその半分しか食べられず、丸まる1個と4分の3が残ることになった。
単純に、この定食はミカにとっては量が多すぎる。
大人の冒険者の1食分だ。
ミカが食べきるのは無理だった。
ミカが残したパンは、ニネティアナが食べた。
ニネティアナもこれでお腹がいっぱいになったと言う。
見た目はスレンダーなのに、結構食べるらしい。
ニネティアナは店員を呼んで勘定を済ませると、今度は宿屋に向かった
宿屋の看板は、ベッドの絵にテーブルと椅子が端で重なったような絵だった。
宿屋では白髪の偏屈そうなじいさんがカウンターに居た。
ミカたちが入って来ても気にする風もなく、カウンターの中で帳簿でもつけているようだった。
顔を上げることも、挨拶もない。
何とも商売っ気のないじいさんである。
「湯場は空いてる? 二人ね。」
「…………八百ラーツ。」
じいさんは顔を上げることもなく、素っ気なく答える。
(湯場? お風呂のことか? ここに泊まるんじゃないのか?)
しかも二人で八百ラーツということは、さっきの食事よりも高い。一人あたり四百ラーツもするらしい。
先程の日替わり定食が衝撃的すぎて、ついあれを基準に考えてしまう。
むしろあっちが異常なのだが。
ニネティアナがカウンターに大銅貨8枚を出すと、ようやくじいさんは顔を上げる。
カウンターのお金に手を伸ばして、その動きが止まった。
じいさんはミカを見て、それからニネティアナを見る。
「……二人ってのは、そっちの嬢ちゃんも一人か?」
「そうよ。」
おい、誰が嬢ちゃんやねん。
ニネティアナも肯定してんじゃねえよ!
ミカが訂正しようとすると、その動きを察知したニネティアナが素早く手を伸ばしてミカの頭を抱え込む。
黙ってろということらしい。
じいさんは大銅貨6枚を取って、2枚を押し返す。
「……なら、これでいい。 さっさと済ませてくれ。」
「あら、ありがとう。」
ニネティアナは返された大銅貨を懐に入れると、ミカの手を引いて奥に向かう。
カウンター前を素通りした先、突き当りを左に曲がると扉があり、そこが湯場らしい。
ニネティアナは扉横の札を引っ繰り返して中に入ると、扉に鍵をかける。
そこは一畳くらいの脱衣所だった。
入って左手に棚が、奥の右手にもう一つ扉がある。
「ちょっと得しちゃった。 良かったね。」
「いや、それよりここってお風呂なんですか? 男湯は?」
「男湯? そんなのあるわけないでしょ。」
「あるわけって、それじゃどうす――――ふひゃ!?」
ニネティアナはミカの両頬を摘まんで引っ張る。
「ごちゃごちゃうるさい。 ミカ君は快適な観光旅行がしたいの? 冒険者として旅がしたいの? ……どっち?」
ニネティアナの目が据わり、声にドスが効いている。
「……ほうへんひゃれふ。」
「なら、指示には従いなさい。」
「ふぁひ。」
ミカの返事を聞き、ようやく頬を摘まんでいた手を離す。
ひりひりする頬を手で押さえていると、ニネティアナはさっさと服を脱いでしまう。
あまりに気持ちのいい脱ぎっぷりにミカは呆気にとられ、目の前にニネティアナの小麦色の乳房やら何やらがいろいろ飛び出す。
「うあっ!?」
慌ててミカは背を向ける。
そんなミカの様子に、ニネティアナは溜息をつく。
「こんなことでいちいち騒がないの。 自分で脱ぐ? それとも引ん剥かれたい?」
全裸になったニネティアナが、仁王立ちでミカに尋ねる。
ここで躊躇えば、問答無用で引ん剥かれる。
そう直感したミカは慌てて服を脱ぎだした。
ニネティアナは自分の雑嚢と脱いだ服を置いてあった籠に入れ、ミカの雑嚢と脱いだ服も別の籠に入れていく。
まだ春と言うには早い時期。
すべての服を脱ぐと、脱衣所が結構冷えていることに気づく。
「はい、それじゃ湯場はそっちね。」
入口とは別の、もう一つ扉を指さす。
ミカがその扉に手をかけると、ニネティアナが突然笑い出した。
「あははは、かっわいー。 おサルさんみたいになってるぅ。」
「うひゃあ!?」
ニネティアナがミカのお尻をぺろんと撫でる。
一日中馬車に揺られたため、ミカのお尻は真っ赤になっているようだった。
お尻の痛みと、突然触れられたくすぐったさと、ニネティアナの手の冷たさで、ミカは飛び上がって驚いた。
また撫でられては堪らないので、ミカは警戒してニネティアナに背中を向けるのをやめた。
もはや恥ずかしいなどとは言っていられない。自分のお尻は自分で守る。
「ほらほら、早く行った行った。」
ミカがジト目で睨むが、ニネティアナはまったく意に介さない。
荷物を入れた籠を抱え、湯場に入ってくる。
湯場の中は二畳くらいの広さで、お湯の入った釜と水甕が置いてある。
釜は竈のような物の上に乗っているが、焚口が見えない。
おそらく湯場の外から炊けるようになっているのだろう。
隅には蓋付きの小さな棚と、大きさの違う桶がいくつか積んである。
足場は簀の子が敷いてあり、その下は砂利が敷き詰めてあるようだった。
「荷物は脱衣所に置いておかないこと。 あんな鍵は何の意味もないからね。 湯場にも置ける場所がたいてい用意されているから。 無かったら、濡れないように考えないとだけど。」
隅の棚に籠を入れて、棚に置いてあったボロいタオルを手にして蓋を閉める。
「仲間がいれば交代で見張れるんだけど。 一人の場合、目の届かないところに荷物を置いちゃだめ。 冒険者になってから湯場で荷物盗まれたなんて人に言ってみなさい? 一生笑われるわよ。」
そう言ってミカにタオルを手渡す。
鍵をかけても意味がないというのは、地味にショックだ。
確かに力づくで簡単に壊せそうな鍵ではあったが。
素っ裸の状態じゃ、例え盗難に気づいても追いかけるのは躊躇われる。
それならば、始めから盗まれないようにしろ、ということだろう。
ニネティアナは小さな桶でお湯を掬って、大きい桶に入れる。
次に水甕から水を掬って、お湯を入れた桶に注ぐ。
「さあ、先に頭流すわよ。」
ニネティアナはミカの頭にお湯をかけてごしごしと頭皮を擦る。
それが終わると、今度は自分も同じように頭を流した。
再びニネティアナは温度を調整したお湯を作り、タオルを浸して身体を拭いていく。
ミカも同じように身体を拭き、汗を流していく。
目の前でニネティアナがしなやかな肢体を見せつけてくるが、ミカはなるべく意識しないようにして、自分の清拭に集中する。
「ミカ君、意識しすぎ。」
からかうようにニネティアナが笑う。
意識しないように努めると、反ってそれが意識することに繋がってしまう。
気配を探る達人の前では、ミカの努力など無いに等しい。
(だってしょうがないじゃないか! ニネティアナさん綺麗すぎるんだよ!)
小麦色の健康的な肌。
スラッと伸びた手足。
くびれるところはばっちりくびれ、やや慎ましい胸や薄いお尻でも、しっかりと女性らしいラインをしている。
「ま、いいけどね。 でも、もしもパーティを組んだら、仲間とはそういうのは無しにしなさい。」
それまでとは変わり、やや真剣な声になる。
「パーティを組むかは分かりませんけど、組むなら男同士の方がいいなとは思います。 気楽だし。」
それは、47年の人生でつくづく感じた。
女性が苦手とまでは言わないが、一緒にいると疲れると感じてしまうのも確かだ。
ただ、一緒に暮らしていたアマーリアとロレッタにはそういうのはあまりなかった。
この二人に関しては、きっとミカ少年の記憶の影響ではないかと考えている。
「そうね、そういう理由で異性を入れないパーティはそこそこあるわね。」
だが、それはそれで少し寂しい気もする。
やはり可愛い子や綺麗なお姉さまとパーティを組んで、きゃっきゃっうふふしてみたいというのは男の夢ではないだろうか。
「でも、なんで意識したらだめなんですか? 実力が釣り合ってるなら、可愛い子とパーティ組むのも楽しそうですけど。」
「そんな奴に命は預けられないからよ。」
即答で強烈なカウンターパンチが来た。
「一瞬の判断で生き死にが分かれる場面なんてしょっちゅうよ? 浮ついた奴に自分の命を預けるほど、あたしは酔狂じゃないの。」
ニネティアナは無表情だったが、それが作った表情だというのは分かった。
きっと、それで危険に陥った経験があるのだろう。
本当なら苦々しく吐き捨てたいのを抑えているのだ。
「可愛い子とのお楽しみは街の中だけにしておきなさい。 楽しむだけなら、高級娼館とかすっごいらしいわよ? めちゃくちゃ高いらしいけど。」
おい、なにしれっと子供に娼館勧めてんだ!
ミカはにやにやするニネティアナにジト目を向ける。
ニネティアナと話をしながら、ミカは一通り身体を拭いた。ある一カ所を除いて。
そう、お尻である。
一度チャレンジしてみたのだが、タオルで擦るとあまりの痛さに後回しにしたのだ。
(無理して擦って悪化したら、明日からが地獄すぎる……。 手で軽く流すだけにするのが吉か。)
そこまで考えて、ふと閃いた。
癒しの魔法が使えないだろうか。
癒しの魔法については、前に右手を火傷して以来だ。
試す機会がなかったし、わざわざ自分で傷をつけて練習するのも嫌だったので使っていなかった。
半年以上も前のことなので、すっかり忘れていた。
(お尻に魔力を集めればいいのか……? それもなんだか嫌だな。 手に集めてお尻に触れてればいいか?)
ミカはタオルを肩にかけ、両手でお尻を掴む。
ひりひりする痛みが、触れた瞬間にズキリという鋭い痛みに変わる。
音にならない声で「”制限解除”。」と呟き、治療を開始する。
そういえば、この魔法に名前をつけることを忘れていた。
(……魔力を手から送る。 傷ついた細胞を少しずつ排除して、正常な細胞に分裂を促す……。 魔法で治すんじゃない。 あくまで自分の回復力を底上げするんだ。)
前回は自分の目で見ながら進められたが、今回は修復部位がお尻である。
見て確認することができない。
「どしたのミカ君? お尻なんか押さえて。 あー、痛いんなら、あたしが優~しく拭いてあげるわよ?」
「……結構です。」
ミカがお尻を押さえて固まっているのを、痛くて洗えないと勘違いしたニネティアナがにやにやしながら言ってくる。
まあ、勘違いではなく本当に痛くて洗えないのだが、今やってるのはそういうことじゃない。
ミカは集中が切れないように、慎重に返事を返す。
(火傷ほど深刻なダメージじゃない……。 表皮に近い部分だけ修復すればいいはず。)
そうしてしばらく治療を行うと、お尻の痛みを感じなくなった。
手で擦っても痛みはない。
ミカはタオルを濡らすと、お尻をごしごしと擦る。
排除された細胞が皮として、ぼろぼろ取れた。
ミカは「”制限”。」と声に出さず呟き、治療を完了する。
これなら明日も大丈夫そうだ。
というか、痛くなってきたらその都度治療していけばいいのではないだろうか?
明日からの移動にも希望が見え、晴れ晴れとした気持ちでミカは清拭を終えた。
「それじゃあ、出ましょうか。 ミカ君、先に出ててくれる?」
はい、と返事をしてミカはニネティアナの前を通り過ぎる。
脱衣所への扉に手をかけた時、ニネティアナに突然肩を掴まれた。
「……ちょっとミカ君。 どういうこと?」
ミカが振り向くと、ニネティアナはずいっと顔を近づける。
ニネティアナの目は据わっていた。
そのあまりの迫力に、ミカは思わず息を飲むのだった。




