第22話 閑話 ヘイルホード地方の領主たち
【ルバルワルス・レーヴタイン視点】
「他に何か、話し合っておきたいことのある者はいるか。」
そう言ってレーヴタイン侯爵は、テーブルに着く面々に視線を送る。
彼らはこのヘイルホード地方に領地を持つ領主たちであり、レーヴタイン侯爵が寄親を務める寄子たちであった。
ルバルワルス・レーヴタイン。
レーヴタイン侯爵家の現当主であり、もうすぐ40歳になる壮年の男だ。
アッシュブロンドの髪に深い緑の瞳。
よく鍛えられた身体は服装の上からでもよく分かり、鋭い眼光も相まって、彼が武人であることは容易に想像がつく。
彫の深い顔には、深く刻まれた皺が目立つ。
そのせいで、彼は実際の年齢よりも少々老けて見える。
だが、それは同時に人を委縮させるほどの威厳にも繋がっていた。
彼をよく知らない人は、その前に立たされるだけで震えあがる。
本人にそんなつもりはないのだが。
ヘイルホード地方の領主たちは、少々特殊な関係にある。
50年以上前、隣国であるグローノワ帝国との戦争において、彼らの父や祖父は共に戦っていた。
レーヴタイン辺境伯の領主軍として。
ここレーヴタイン侯爵領は、以前は辺境伯領だった。
長く苦しい50年もの戦争で、総大将であるレーヴタイン辺境伯を支え続けた家臣団。
それがヘイルホード地方の領主たちである。
辺境伯が侯爵へと陞爵し、家臣らが爵位を得るまでには紆余曲折があり、当時のレーヴタイン辺境伯も一時は危うい立場に立つことになってしまった。
だが、現在のエックトレーム王国国王であり、当時まだ20歳だった王太子の計らいにより、彼らは子爵や男爵に叙爵されることとなる。
普通ならば、一貴族の家臣を一斉に叙爵させるようなことはしない。
反意を疑がったり、将来の反乱を危惧すれば、そんなことを認めるわけがない。
それを認めさせた王太子は義に厚いのか、はたまた考えなしの愚か者か。
当時は多くの貴族を巻き込み、大論争が沸き起こったという。
「……ないようなら、今回の会議はここまでだ。 議題にもあったが、今年は過去に例を見ないほどに暑い。 そのために各地で火災も起きている。 さすがにそろそろ涼しくなってくるはずだが、関係各所にはしっかりと通達をするようにな。」
レーヴタイン侯爵が集まった領主たちに、より一層気を引き締めるように、と伝える。
今年の異常な暑さにより、ここヘイルホード地方のみならず、王国中で火災が起きていた。
山火事や森林火災だけではなく、様々な工場や畑、一般家屋でも火災が起こり、国王陛下からも「火災に対して最大限に警戒し、万一に備えよ。」と下知があった。
また、通常の火災のような火の不始末と言うよりは、思いもしなかったことが原因で、思いもしなかった場所に火災が起こっている例が頻発していた。
そのため、余程の過失や故意でない限り、責任者に対して重い罰は下さないようにとの配慮もなされた。
責任者への罰を、事態の収拾やその後の復興に替えよ、ということだ。
確かに今はいろいろな場所で火災が起きすぎて、その責任者たちすべてに重い罰を与えていては、領内ひいては国内の様々な分野が機能しなくなる。
優秀な人材を短期間で何人も失えば、復興すらままならなくなる。
少しの過失があろうと、原因の多くが気象によるものならば、排除するよりは有効活用しろということだ。
「また、グローノワ帝国に不穏な動きが見られるとの報告もある。 すぐに何かあるとは思えないが留意しておいてくれ。 かの戦争から50年以上経つが、その間ただ平和であったわけではない。 小競合いは度々あったし、それがいつ大きな争いに発展してもおかしくはないのだ。」
レーヴタイン侯爵の言葉に領主たちは頷く。
侯爵が立ち上がると、テーブルを囲む領主たちも同時に立ち上がる。
「我らこそ、エックトレームの盾である!」
「「「我らこそ、エックトレームの盾である!!!」」」
侯爵が腹から声を絞り出すと、領主たちが同じように続く。
「鉄と血こそ、我らが誉!」
「「「鉄と血こそ、我らが誉!!!」」」
「レーヴタイン騎士団に栄光あれ!」
「「「レーヴタイン騎士団に栄光あれ!!!」」」
かつての”五十年戦争”時代、戦いの前などに戦意高揚として行っていた鬨。
すでにレーヴタイン騎士団という組織はなく、各領主の率いる個別の領主軍だ。
だが、ヘイルホード地方の領主たちは、いまでもこのレーヴタイン騎士団という結束で固まっている。
侯爵の「解散!」という声とともに、領主たちは一斉に敬礼をして部屋を出ていく。
いつもなら領主会議の後はそのまま昼食会になったり、夜までかかる場合は泊まっていったりするのだが、今は各地の火災で領主たちも忙しい。
みな一刻も早く自分の領地に戻りたいのだ。
侯爵が玄関まで見送りに行くと、リンペール男爵だけが馬車に乗り込もうとせずに侯爵を待っていた。
男爵の領地でも、農地の火災や工場の火災が発生して、事態の収拾と復興に苦労しているとの報告があった。
「どうしたのかね、リンペール男爵。 何か相談か?」
会議の後、個別に相談に来ることはよくあることだった。
侯爵は男爵を伴って執務室へ歩き出した。
執務室の扉の両側には騎士が立ち、敬礼で部屋の主を迎えた。
執務室の中は落ち着いた調度品が並び、部屋の主が見栄えよりも質や実用性を重視していることが窺える。
「何か飲むかね?」
侯爵が蒸留酒の入った瓶を勧めるが、リンペール男爵は恐縮してそれを断った。
男爵があまり酒を得意としていないことは侯爵もよく知っているので、特に気にすることもなくソファーに腰掛ける。
向かい合って座ると、男爵は何かを言いづらそうにしていた。
リンペール男爵は、50代半ばの白髪頭の男だ。
騎士というには少々細身だが、立派に騎士学院を修了して領主としてもしっかり務めている。
ただ、見た目通り武よりは文の方が得意というのは、自他ともに認めるところだった。
「どうした、ヨーラン。 我らの間に遠慮など不要だ。 そうだろう?」
ルバルワルスは気さくに声をかける。
侯爵と男爵という立場の差はあれど、それは公式の場においてだけ。
ヘイルホード地方の領主たちは、私的な場ではお互いをファーストネームで呼び合う。
領主である前に、彼らはレーヴタイン騎士団の仲間なのだ。
そしてヨーランはルバルワルスよりも年上で、ルバルワルスよりも早くに男爵家の家督を継いだ。
武官としての能力に秀でた者が多いヘイルホード地方の領主たちの中で、数少ない文官としての仕事を得意とするヨーラン。
ルバルワルスが家督を継いだ時には、随分と世話になったものだ。
「実は……、少し困ったことが起きまして。 ルバルワルス様のお知恵をお借りしたいのです。」
そう言ってヨーランは、事の経緯を説明した。
どうやらリンペール男爵領には珍しく、魔力に恵まれた子供が現れたらしい。
それ自体は歓迎すべきことだ。
”魔法士”になれる者は少なく、リンペール男爵領ではこれまでにそうした子供はほとんど生まれなかった。
その子供は、7歳の魔力量の測定では基準には達していなかったという。
ところが、その数か月後に【神の奇跡】を使えることが発覚した。
あまりにも期間が短すぎるため、当然ながら”学院逃れ”が疑われた。
初めから高い魔力量を持ちながら隠していたのではないか。
何らかの方法で測定を誤魔化したのではないか、と。
才能のある子供が魔法学院に行けば、それくらいの成長を見せることはよくある。
だが、その子供は独力で、短期間に魔力が成長したというのだ。
常識で考えればありえない。
【神の奇跡】を使えるということは、それを教えた者がいるのは明白。
子供は”学院逃れ”として罰し、勝手に【神の奇跡】を教えた者は見つけ出して罰する。
それだけのことだ。
村長の報告では村の司祭が何やら言ってるらしいが、子供への罰を減じようと戯言を言っているに過ぎないだろう。
一考にも値しない。
ところが、ここで困ったことが起きた。
教会の介入だ。
教区の司教が「この子供は”学院逃れ”ではない。」と言い出した。
もしも領主が子供を罰するなら、教会は子供を修道院に入れると言ってきたのだ。
一定以上の魔力量を持つ子供が10歳で魔法学院に行くことは国法によって定められた義務だが、いくつかの例外規定が存在する。
その一つが修道院だ。
修道院は、神の教えを忠実に守り、神の教えのままに生活する場である。
そこは、神とともに生きると心に固く誓った者たちが集う場所だ。
神とともに生きると決めて俗世から離れた者を、無理矢理に引っ張り出すようなことは、さすがに国もしなかった。
いくら国の法とはいえ、そんなことは教会も許容できないからだ。
例外規定はあるが、教会は積極的にこれを活用しようとはしなかった。
そもそも子供のうちに修道院に入るようなことは稀で、だからこそ国も目こぼしをしてきたのだ。
もしも教会が有望そうな子供をどんどん修道院に入れ、魔力を持つ子供を独占しようとすれば、国がただ指を咥えて見ているようなことはありえない。
教会との関係が悪化しようとも、例外規定を撤廃して子供の確保に動く。
その教会が、修道院に入れてでも子供を守ると宣言してきた。
領主が不当な裁定を下すなら、教会が子供を守る、と。
黙って話を聞いていたルバルワルスは、眉間の皺をより深くした。
「…………また、面倒なことを……。」
ルバルワルスは教会への憤りを感じていた。
領主の裁定に横槍を入れるとは何事か。
まだ7歳ということは、王都の魔法学院ではなく、まずは侯爵領にある魔法学院へ通わせることになる。
10歳の魔法学院が国法での義務なら、8歳の魔法学院は領法での義務だ。
その義務に違反したのならば、罰するのは当然。
だが――――。
「……記録は確認したのかね?」
「はい。 私の方で保管していた記録では、確かに基準には達していないようでした。 念のため、会議の前に侯爵領で保管している分も確認させて頂いたのですが、やはり同じで……。」
ふぅ……む、とルバルワルスは腕を組んでソファに寄りかかる。
魔力の測定は毎年行っている。
ただ、測定する道具が非常に高価で、ヘイルホード地方の領地では、ここレーヴタイン侯爵領にしかない。
そのため、毎年レーヴタイン侯爵領の官吏が各領地を回り、測定の結果を村や町の代表者に渡す。
そして、同じ物をその領地の領主と、レーヴタイン侯爵領で保管しているのだ。
その記録では基準に達しておらず、ほんの数か月で基準を超える?
それも、【神の奇跡】を行えるほどに?
(そんなことがありえるのか?)
ヨーランが困ったと言うのもよく分かる。
例え教会が相手だろうと、領主が一度裁定を下せばそれを覆すことはありえない。
圧力があったのなら、なおさらだ。
「ヨーラン、もう裁定は下したのかね? 官吏に指示を出したか?」
「いえ、まだです。 村長から報告を受けて、その後すぐに司教からこの件で話がしたい、と。 至急の面会依頼を受けました。」
「では、まだ誰にも、何の指図もしていないのだな?」
「はい。」
「ふぅ……む。」
教会からの圧力というのが引っかかるが、残してある記録では基準に達していなかった。
不正に誤魔化した可能性が高いが、測定した側のミスもなかったとは言い切れない。
短期間に急激に増えた可能性もないとは言えないが、ほとんど無視していい程度の可能性だ。
この件、ほぼクロと言っていい。
(ほとんどクロではあるが、グレーと言えばグレーか……。 限りなくクロに近いが。)
ルバルワルスはソファーから立ち上がるとキャビネットに向かった。
蒸留酒を指一本分グラスに注ぎ、一気に呷る。
喉を焼くような熱さが胸に落ち、はぁー……と息を吐く。
「……この件、私の方から大司教に抗議を入れておこう。」
「大司教、ですか?」
「領主の裁定に口出しするなど言語道断。 教会は男爵領の統治を乱す目的でもあるのか、とな。 ……今年から、侯爵領に派遣されたワグナーレとかいう大司教によく言っておく。」
裁定の結果が元からシロであろうと、そこに教会からの口出しがあったという事実だけで、統治する側としては迷惑だ。
教会が口を出したからシロになった、と見えてしまうからだ。
そのことは教会も理解しているので、普段ならこんなことはしてこない。
それなりの理由があってのことだとは思うが――――。
「前に赴任の挨拶に来たが、あの大司教なかなかのキレ者だぞ? 坊さんにしておくのが惜しいくらいだ。 おそらくその気になれば、いつでも枢機卿の席を空けさせて自分が座るくらいには爪と牙を持ってるな。」
「そ、そこまでですか?」
「何を考えて坊さんなんぞに収まってるのか知らんが、完全にこっち側の人間だ。」
聖職者面しているが、あれは完全に統治者側の人間だ。
教会で上層部にいるということは統治者のような側面もあるが、あの男は完全に政治向き。
王宮や行政機関の高官にでもなって、権勢の奪い合いでもしている方が余程お似合いのように見えた。
「あの男に言っておけば、男爵領の司教にも釘を刺せる。 とりあえず、この件はそれで矛を収めてやれ。」
「はい。」
ヨーランが頷く。
あとは子供の処遇だが――――。
「子供については、来年学院に入れればいいだろう。」
「来年ですか?」
「春には規定量の魔力を持っていたかもしれないんだ。 学院は当然だろう? すでに【神の奇跡】を使えるのに、2年も遊ばせておくことはない。 学院には受け入れの準備をするよう通達を出しておこう。 一人増えそうだ、とな。」
「分かりました。」
とりあえず、大まかな方針が定まったことでヨーランはホッと一息つく。
教会の横槍のせいで、だいぶ気を揉むことになった。
いくら教会でも領主の裁定への口出しなど許されることではないが、かと言って無視できるものでもない。
そこが実に厄介なのだ。
光神教はエックトレーム王国の国教であり、その発言には一定の影響力がある。
それも、決して小さくない影響力だ。
なにせ国民のほぼ100%が光神教を信仰しており、信仰していないのはごく一部の移民者くらいなのだ。
統治への口出しを認めるわけにはいかないが、対立するわけにもいかない。
教会とは、そういう相手だった。
「念のため、魔力量の測定を改めて行いたいと思いますので、測定の水晶をお借りしても宜しいですか。」
「ああ、しっかり確認してこちらにも知らせてくれ。 だめなら学院にもキャンセルを伝えないとなのでな。」
ヨーランは頷いた。
帰りに官所に寄って、測定の魔法具と担当の官吏の手配をしていかなくてはならない。
「もしも本当に基準を超えているようなら、たっぷりと恩に着せてやれ。 本来なら子供は”施設”行きだったところを、格別の恩情を持って裁定を下した、とな。」
「ははは、そうですな。 そうするとします。 それで【神の奇跡】を教えた者はどうしましょう?」
「見当はついているのかね?」
「いえ。 独力で使えるようになったとの主張なので……。」
ありえない話だ。
だが、だからこそ嘘をつくならもっとマシな話を考えそうだが……。
「今回は、一杯食わされてやれ。 そいつが余計なことをしたおかげで、我々は貴重な魔法士を一人見落とさずに済んだのだからな。」
「……確かに、そう言われればその通りですな。」
許可なく【神の奇跡】を教えることは禁じられている。
それでも今回に限って言えば、そのおかげでリストから漏れていた魔法士を発掘することができた。
その功をもって、目を瞑ってやろうというわけだ。
ヨーランは立ち上がると、ルバルワルスに礼を言ってすぐに執務室を出ていく。
彼はこれから馬車を飛ばし、丸1日以上をかけて自領に戻らなくてならない。
レーヴタイン侯爵領とリンペール男爵領は隣接しているが、深い森に遮られて直通の街道がない。
別の子爵領を経由してからでないと戻れないのだ。
ルバルワルスは執務机に移り、美しい装飾の施されたテーブルベルに手を伸ばす。
ベルを鳴らすと、すぐに執事がやってくる。
「学院と官所に使いを出す。 2人ほど寄越してくれ。」
「かしこまりました。」
執事は恭しく頭を下げ、部屋を出ようとする。
そんな執事にルバルワルスは追加で指示を投げる。
「……ああ、それとマグヌスにこの後少し付き合えと伝えておいてくれ。 活きがいいのを何人か連れて行く。」
その場で振り返り、再び恭しく頭を下げると執事は静かに部屋を出る。
ルバルワルスはペンに手を伸ばし、まずは学院への命令書を書き始めるのだった。
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【ワグナーレ・シュベイスト視点】
レーヴタイン侯爵領にある大聖堂。大司教の執務室。
執務室には聖職者が使用するには少々豪奢過ぎる調度品が並んでいる。
これらの調度品は以前の大司教が揃えた物で、現在の部屋の主の嗜好に合う物ではない。
だが、だからといって調度品を新たに買い揃えれば、それはそれで余計な出費ではある。
教会の予算とは、言うまでもなく信者たちからの寄付によって賄われている。
現在の主は華美な調度品に居心地の悪さを感じながらも、これ以上の無駄な出費を控えるため、仕方なくそのまま使うことにした。
もしも現在の調度品を売り払い、そのお金で新しく相応しい調度品に買い替えても、次に赴任した大司教がどうせまた豪奢な調度品を買い揃えるだろうから。
部屋の中には大司教のワグナーレと首席司祭のカラレバス。
そして、レーヴタイン侯爵領の領主が4人の部下を連れて訪れていた。
「閣下のおっしゃられる通りです。 私の方から厳重に注意いたしましょう。」
そう言ってワグナーレは静かに頭を下げる。
ワグナーレは大司教に相応しい清潔感のある司教服を纏っていた。
ダークブラウンの髪は艶のあるオールバックに撫で付けられ、少々鋭すぎる目は青の瞳が印象的だった。
静かにソファーに座っているだけで、猛禽類が気配を消して獲物を見定めているような雰囲気を醸し出す。
今年50歳を迎えたこの大司教は、その洗練された所作も相まって、まったく隙を感じさせなかった。
ワグナーレは怒り心頭で乗り込んで来たレーヴタイン侯爵の抗議に、聖職者らしい落ち着きをもってしっかりと耳を傾けた。
抗議の内容自体は、他の教区での出来事である。
しかし、近隣の小教区の司教に対する監督責任がワグナーレにはあった。
もっとも、その監督責任を一番に背負っているのは担当の枢機卿ではあるのだが。
いちおう大教区を任された大司教にも、近隣教区の司教を監督する責任はある。
抗議の矛先として、まったくの見当違いというわけではない。
「陛下の篤信もあって、我々は教会に対して最大限の配慮をしている。 だが、それが今日の教会の思い上がりを招いているのであれば、こちらとしては様々なことを考え直さなければならない。 ……分かるな?」
「勿論でございます。 陛下からの格別のご配慮には、教皇聖下から一信徒に至るまで、すべての者が感謝しております。 この度のことは私も大変驚きましたが、閣下のお怒りはもっともでございます。」
腰掛けたソファーからズイッと身を乗り出し、睨みつけるレーヴタイン侯爵の圧迫を、ワグナーレは真正面から受け止める。
侯爵はその体躯もあり元々迫力のある人なので、睨みを効かせると余計に凄みが増す。
しかも侯爵の後ろには4人の騎士が立ち並び、口を挟みこそしないが全身で威圧してきていた。
ワグナーレの後ろに控えさせたカラレバスは、先程からその迫力に押され、何度もヒッと息を詰まらせている。
(……これも経験と思い同席させたが、失敗だったか。)
ワグナーレの下にいる司祭たちの中では、彼がもっとも司教に近い。
司教ともなれば、その教区での責任のすべてが圧し掛かる。
場合によっては、こうして領主からの抗議を受けることもあるだろう。
何事も経験だと思い同席させたが、彼には少し刺激が強かったかもしれない。
今回は厳重な抗議ということで、特大の釘を刺して侯爵たちは帰って行った。
通常、こうした抗議に侯爵が出向くことはない。
司教を呼びつけるのが普通だ。
そうした慣習を無視し、なおかつ領主自らが突然押しかけて来ることで、事の重大さを演出したのだろう。
強面の部下を引き連れての抗議には、少々演出が過ぎるのでは?とワグナーレは思ったが、同席させられたカラレバスには十分すぎるほどに効いたようだ。
(後ろの騎士、一人は確か……マグヌスと言ったか? 領主軍の将だった憶えがある。 他は威圧のために、見栄えのいい騎士を揃えてきたといったところか。)
侯爵のあまりに分かりやすい演出にワグナーレは苦笑する。
まあ、こういう演出は少しくらい過剰にやってくれた方が分かりやすくていい。
誤解や曲解の余地を与えず、ストレートに意志が伝わる。
こうした演出力は、上に立つ者なら持っていた方がいい技能の一つといえるだろう。
「ど、どど、どうなさるおつもりですか、猊下。 小教区の司教が出過ぎたことを仕出かすから、このようなことに……。」
ソファーの背もたれに手をつき、身体を支えながらカラレバスが尋ねる。
おそらく腰が抜けそうなのだろう。
「別にどうもせん。 侯爵の言うことはもっともで、司教に行き過ぎた部分があったのは事実だ。 それについては司教も理解している。 わざわざ注意する必要もない。」
そう言ってワグナーレはソファーから立ち上がり、執務机に移る。
カラレバスは手を離すと本当に腰が抜けてしまいそうなのか、身体を支えながら振り向くのがやっとだった。
「そんなことで、本当に大丈夫なのですか……?」
「司教のことは私も知っている。 普段ならこんなことをする人ではない。 ……それに、事情についても凡そ把握しているのでな。」
ワグナーレは引き出しを開けると、2通の手紙を取り出す。
1通はリンペール男爵領の司教から。
もう1通はラディからだった。
司教の手紙には、簡単な事の経緯が綴られている。
そして、司教の行った越権行為についての事後報告もその中にはあった。
司教はすでに事の重大さを理解しており、そのためワグナーレに報告の手紙を出したのだ。
もしかしたら、こちらに迷惑をかけるかもしれない、と。
手紙にはなぜ司教がそんな行動に至ったのか、その説明がなく不思議に思っていた。
だが、それは同時に届いたラディからの手紙で判明した。
手紙には、一人の少年が火災で取り残された人を助けるために【神の奇跡】を使ったこと。
それを発端に、突然”学院逃れ”騒動が巻き起こったこと。
そうした一連の経緯の詳細が綴られていた。
……ただし、神々への賛美と、少年の授かった力に対して過剰に飾られた言葉の数々に、内容を把握するのにかなりの時間を要したが。
「神々の溢れんばかりの愛情」だとか「海よりも深い慈悲」とか「空よりも広い御心」とか、いちいち神々を賛美する言葉を添えないと文章が書けないのはラディの悪い癖だろう。
そんなラディからの手紙により、これらがリッシュ村での出来事なのだと分かった。
そして、これがリッシュ村での出来事ならば、司教の行き過ぎた行動にも説明がつく。
(……あそこには、キフロドがいるからな。)
ラディからの要請だけで司教が動くはずがない。
しかも、こんな越権行為を司教自ら行うなどありえない。
だが、キフロドが裏にいるなら話は別だ。
キフロドは、今でこそリッシュ村のような小さな村の司祭をしているが、かつては国内第二の都市で首席司祭を務めていた。
もう何十年も前の話だが、当時キフロドに指導されたり、世話になった者は多い。
ワグナーレもキフロドの下で多くを学び、世話になった者のうちの一人だった。
出世レースで罠に嵌められ左遷させられたが、キフロドの潔白は多くの者が疑っていない。
キフロドには、今も恩義を感じている者が多いだろう。
当時世話になった者の中で、今では教会の上層部にいる者が何人もいる。
そうした者たちで、キフロドの地位を回復させようと働きかける者がいた。
だが、それをキフロドは固辞した。
自分はもう半分隠居した身だから、と。
リッシュ村で、のんびり務めを果たしたい、と話していた。
(キフロドが後ろにいるなら今回の件の辻褄は合う。 むしろ、司教で済んで良かったとさえ言えるか。)
その気になれば、枢機卿の何人かは動かせるかもしれない。
それだけの繋がりが、まだ残っている可能性がある。
それを思えば今回の件、まだ穏便に済んだ方だろう。
「…………ご健勝そうで何より、と思っておこうか。」
ワグナーレは独りごちて、二人の顔を思い浮かべる。
キフロドとラディ。最後に会ったのは何年前だったか。
かつてコトンテッセに司祭として赴任していた頃のことを思い出し、懐かしい気持ちになる。
だが、ただ懐かしんでもいられない。
ラディの手紙には気になる部分もある。
(誰にも教わらず【神の奇跡】が使える……? ありえるのか、そんなことが?)
にわかには信じ難い。
ラディは神々からの溢れんばかりの寵愛の証と手紙に書いているが、それは本当に【神の奇跡】なのか?
まず疑問に思うのはそこからだろう。
相変わらずのラディの盲信っぷりに思わず苦笑するが、それがラディといえばラディである。
(……村で唯一の【神の奇跡】の使い手。 真っ先に疑うべきは彼女だ。 だが……。)
それはない。
ワグナーレは確信を持っていた。
ラディが神々との誓約を破り、勝手に【神の奇跡】を教える?
それならば、本当に少年が一人で【神の奇跡】を身につけたという方がまだありえる。
(ここで考えたところで答えが出るわけがない。 情報が少なすぎる。)
ワグナーレは再度ラディからの手紙に目を通し、見落としがないかを確認すると、司教の手紙と一緒に引き出しに仕舞った。
(あの人がいるなら、そう悪いことにはなるまい。 今はこのまま任せるとしよう。)
必要があれば何か言ってくるだろう。
ワグナーレはカラレバスを伴って、礼拝堂に向かうのだった。




