第16話 風の魔法
魚取りの実験の翌日。
ミカは土魔法の練習をした場所に向かって歩いていた。
昨日のことを思い出すと、つい一人でにやにやしてしまう。
教会の後にニネティアナのところへお裾分けを届けに行くと、たまたまディーゴも家に戻っていたらしく、ニネティアナと一緒に喜んでくれた。
家でもアマーリアとロレッタが目を丸くして驚き、大袈裟なほどに喜び、褒めてくれた。
普段、家のことではまったく役に立っていないので、調子に乗って毎日取ってこようかと提案したら、それは止められた。
神々からの恵みを独占するのは良くないこと、という話だった。
ミカ一人で川の魚を取り尽くせるとは思わないが、確かに取り過ぎるのは良くない。
魔法を使って取っているので、あまり目立ちすぎるのもまずいかと思い直す。
なので、これからも時々取って来ると言うと、ロレッタが楽しみにしていると言ってくれた。
アマーリアには、川は危ないからあまり無理しないで、と反って心配をさせてしまった。
それでも家族三人で食べた焼き魚は、信じられないほど美味しく感じられた。
ただ塩を振っただけなのに、今まで食べたどんな高級魚よりも美味しく感じられたのは、これまでのノイスハイム家の食卓の質素さ故か、それとも――――。
家族。
ミカは元いた世界の家族について思い出す。
久橋律の家庭は少しだけ複雑な事情があった。
まあ、離婚家庭などは然程珍しくもないが、幼い頃からの長期にわたる両親の不仲により、律は少しだけ”家族”というものに失望を抱いている。
それだけが独身貴族であることを選んだ理由ではないが、どうしても新たな家庭を築くような気にはなれず、いつしか自分のテリトリーに他人がいることさえ苦痛となり、恋人を作ることにも消極的になっていった。
自分の手で稼ぐことができ、一人で生活する形が確立されていくことで、その傾向はより顕著となった。
だが、この世界のミカはどうか。
とても一人では生きていくことなど不可能で、アマーリアやロレッタには世話をかけている。
その上、たっぷりの愛情を溺れるのではないかというほどに浴びせられ、過剰なほどにミカに干渉してくる。
最初はそんな二人に大いに戸惑い、どう接すればいいのか悩むこともあったが、今ではそれを当たり前のように受け入れている。
律としての少し歪んだ家庭観も、ノイスハイム家でどんどん上書きされていく。
そのことを嬉しく思う反面、やはり罪悪感を抱いてしまうのだ。
この愛情は、本来自分が受けるべきものではない、と。
本当のミカ・ノイスハイムに申し訳ない。
図らずも、騙し続けることになってしまったアマーリアやロレッタにも申し訳ない。
ミカは、この家族をかけがえのないものとして、絶対に失いたくないと心から願っていた。
村のはずれに歩いていくと、昨日の”土壁”の残骸を見つける。
その5メートルほど手前で止まり、ミカは左手を向けた。
「”制限解除”、 ”石弾”。」
3つの石を作り、土の壁だった物に撃ち込む。
更に3回”石弾”を3発ずつ撃ち込むと、土の壁はほぼ原形を留めないほどに吹き飛んだ。
「…………だからこそ、この家族は絶対に守る。」
誰に言うともなく、独りごちた。
ミカは草叢に座り込み、”石弾”について考える。
威力については申し分ない。
「……あと確認する必要があるのは、有効射程か?」
”石弾”がまるで銃のような魔法なので、銃の性能や仕様でよくある項目がふと思い浮かんだ。
有効射程は他の魔法でも必要な情報だが、今まではまったく思い浮かばなかった。
しかし、村の中ではあまり派手なことができない。
有効射程の確認には、当然ながらそれなりの広さが必要で、立ち入りを制限することができなければ村人を巻き込む事故も起きかねない。
必要な情報ではあるが、今確認するのは現実的ではない。
「そうなると、やっぱり魔法の開発か。」
”石弾”は昨日の復習として数回試したが、難なく再現できた。
これからも”石弾”の練習は継続するが、今日やるのは新しい魔法の開発。
ちなみに余談ではあるが、ミカは”石弾”を3発ずつで使用する。
射撃の基本で2発ずつ撃つ”ダブルタップ”や”2点バースト”と呼ばれるものがある。
1発だけでは外してしまったり、ダメージが足りずに反撃を許すことが往々にして起こる。
そこで確実に仕留める、または反撃を封じるために2発ずつ撃ち込むのだ。
そして、それとは別に”3点バースト”というのもあり、これは名前の通り3発ずつ撃ち込む技術だ。
銃であれば弾数に制限があったり、銃の部品数が増えることのコスト増や不具合を加味すると「”2点バースト”があれば”3点バースト”っていらなくね?」という風潮もあるが、魔法であればほぼ無視できる問題だ。
ならば確実に仕留める、若しくはダメージを稼ぐ意味でも”3点バースト”が有効だと判断した。
これから魔力量がどんどん増えていけば、いずれはマシンガンのように連射しまくるというのもやってみたいなあと思っていたりする。
草叢に座り、風の魔法を考える。
すでに魔法のアイディアはある。
”突風”と”風刃”だ。
まずは”突風”を試そうと左手を突き出すが、何も起こらない。
魔力を集中し、手の前にある空気に運動エネルギーを送るようにイメージするが、うんともすんとも言わない。
試しに”水球”を作り、放物線を描いて飛んで行くようにイメージをすると、思った通りに飛んで行く。
「うん?」
もう一度左手を突き出し空気の動きをイメージをするが、やはり何も起こらない。
「……どういうことだ?」
なぜか風の魔法が発現しない。
今、ミカがイメージしているのは大気の動きだ。
風とは言うまでもなく大気の流れによる現象だ。
低気圧と高気圧、温められて上昇する気流と冷えて下降する気流。
様々な要因により大気は動き、その大気の流れを人は”風”と呼ぶ。
主に地表に対して水平方向に動くものを風と呼ぶことが多いが、垂直方向の動きでも風であることには変わりはない。
なので、大気が動くことをイメージし、運動エネルギーを手のひらの前にある大気に与えるようにしているのだが、まったく何も起こらない。
(特に意識しなくても、いつも勝手に運動エネルギーに変換されてるのに。 何でできないんだ?)
腕を組み、顎に手をやる。
んーー……と考えていると、微かに引っかかることがある。
地面に落ちている石を拾い、指先で摘まむ。
その石に対して、”石弾”のように飛んで行くところをイメージする。
手に魔力を集中し、石はすっぽり魔力に包まれるが、やはり何も起こらない。
空いている方の手で”石弾”を作ると、イメージした通りに飛ばすことができる。
「…………元々存在する物には干渉できない?」
万能にも思えた魔力だが、思わぬ落とし穴があった。
自分の魔力で作った物質には運動エネルギーや熱エネルギーの干渉ができるが、元々存在する物質には干渉できないようだ。
だが、そこまで考えて一つの矛盾点に気づいた。
じっと右手を見つめる。
「じゃあ、何で火傷は治せたんだ……?」
自分の身体だって、この分類なら元々存在する物質だろう。
自分の身体は例外?
(いやいやいや、何を馬鹿なことを。 そんな簡単に例外とか言うな。)
そもそも、俺が魔力の何を知っているっていうんだ。
少し使えるようになっただけで、まだ手探りで扱い方を憶えてる最中だろう。
きっと何か理由がある。
石や大気には干渉できず、自分で作り出した物質や自分の身体に干渉できた理由。
魔力の基本原則。まだ知らない理論が。
「自分の身体に干渉できたのは、単に干渉するための条件を満たしていたから。 この石に干渉できないのは、干渉するための条件を何か見落としているんだ。」
それが何であるかは分からない。
今こそ天才物理学者に降臨して頂き、ずばっと解明して頂きたいがそうもいかない。
ならば、これから経験則を積み上げて解明していくしかないだろう。
(……勝手にできないと決めつけるな。 魔力の可能性の限界を自分で決めるな。)
魔力にはイメージが大事だ。
ということは、自分ができないと思ってしまったら、できることもできなくなる。
無限の可能性を、自分ができないからと区切ることはない。
さて、いきなり躓いた”突風”の魔法だが、アプローチを変えてみることにする。
今ある大気に干渉できないなら、干渉できる大気を作ってしまえばいい。
「確か地上付近での大気の割合は窒素が8割、酸素が2割だったか?」
水蒸気を除いてとか、定義があった気がするが大雑把にはこんなもんだろう。
細かく言えば二酸化炭素だの大気中の塵だのいろいろあるだろうが、そこまではやってられない。
窒素8割、酸素2割が混合した大気を魔力で作り出し、それを一定方向に噴き出すようにしてやればいいだろう。
「…………大丈夫だよな?」
一抹の不安がなくもない。
スキューバダイビングはやったことないが、ダイビング中の事故などで”窒素酔い”や”酸素中毒”というのを聞いたことがある。
そうした事故は水深数十メートルという環境下で起きやすいが、加圧された環境や血中の窒素や酸素の濃度が変動することで起きるのだと予想する。
地上で、しかもほぼ大気と同程度の濃度であれば吸っても問題は起きないだろうが、うろ覚えの半端な知識に命をかけるのは少し躊躇いがある。
そもそも、自分の作り出した大気が窒素と酸素である保証がまったくない。
本当に大丈夫だろうか……?
「まあ、いきなり”作った大気”でスキューバやるわけじゃないしな。 きっと大丈夫。 ……なはず。」
気を取り直し、”突風”を試してみる。
”突風”と名付けてはいるが、今はそこまでの風を起こすつもりはない。
もちろん最終形は大木をも薙ぎ倒すような風を目標とするが、それを試すのは今ではない。
おそらくだが、そんな風をいきなり起こせば自分が反対方向に吹っ飛ぶ。
何事も失敗してみないと思い至らないミカではあるが、この失敗は高い確率で致命傷を負うことになる。
大木を薙ぎ倒す風である。ミカの身体なら、さて何十メートル飛んで行くことになるやら。
そのことに、試す前に気づいた自分を褒めてやりたいと思う。
「お試しだしな。 まずはドライヤー程度で十分だろう。」
左手を突き出し、目の前の雑草に向ける。
大気を作り出し、前方への運動エネルギーを与えるイメージ。
「”突風”。」
すると、目の前の雑草が勢いよく靡き始める。
左手を右手に向けると、確かに右手に風を感じた。
「おおーー。 ほんとにドライヤーみたいだな。」
熱エネルギーについては何もしていないので、常温の風が吹くだけだ。
今度は風を首や顔にかける。
「あははは。 こりゃいいや。 結構涼しいぞ。」
エアコンどころか扇風機すらない世界である。
自分の思ったところに風を浴びせられるのは、思った以上に使えるかもしれない。
夏限定ではあるが。
一頻り「強」とか「弱」と、扇風機のスイッチを切り替えるように風速を変えて遊んでいると、もう一つの魔法が残っていることを思い出す。
実のところ、ミカはこの魔法があるから風の魔法は開発を後回しにしたと言ってもいい。
”風刃”。風を刃として、対象を切り裂くアレである。
かまいたちとも呼ばれ、真空を作り出してうんぬんと言われるあの現象だ。
「……いや、無理やろ。 そんなん。」
ファンタジーでの魔法の定番”風刃”だが、とても実現できる気がしなかった。
魔力の限界を自分で決めるなと考えたばかりではあるが、さすがにこれはちょっと……、と思ってしまう。
空気で斬ることができないとは言わない。
例えば先程やってみた”突風”の変化形であれば、何かを切断するというのも可能だと思う。
空気の噴き出し口を注射針のように細くし、何十万気圧、何百万気圧にも相当するような圧力で噴きつければ、ミカの腕くらい切断が可能だろう。
まあ、この理屈なら空気圧よりは水圧を利用した方がより確実に、高い効果を発揮できるだろうが。
(刃……。 刃かぁー……。)
ただ切断するだけならその方法でもいいのだが、刃が飛んで行くような形にはならない。
自分で魔法の形を決めるのだから、適当に済ませようと思えばいくらでもできる。
だが、だからこそこだわりたい。
自分の納得いく形に仕上げ、胸を張って”風刃”を使いたいのだ。
そこには、一片の妥協もあってはならない!
「とは言っても、無理なものは無理ぃー……。」
ミカは草叢の中で大の字になる。
空気の急激な動きで、何かを引き裂くようなことはおそらく可能だ。
それをごく薄い範囲で行えば、刃で斬ったようにはなるかもしれない。
だが、その現象を起こすにはどれだけの魔力が必要になるのか。
物質を簡単に作り出せるのだから、その程度の出力を得るのも問題ないかもしれないが、どうにもミカ本人が「これでいける!」と納得しないのだ。
空気で何かを切り裂くというのは、いまいち理屈に合わない気がしてしまう。
「よし、やっぱズルしよう。」
あっさりと方針を転換し、ミカは元気に起き上がる。
実は、最初から代案は考えていた。
”風刃”を習得する魔法に選んだ時点で、空気だけで切り裂くということにどうしても「腑に落ちん。」と思ってしまったのだ。
そして、どういう形なら自分が納得できるかをじっくり考えた。
「”風刃”。」
左手を突き出し、目の前にある雑草に向けると、あっさりと数十本の雑草が直線状に切れていく。
ミカはニヤリと会心の笑みを浮かべた。
かまいたち。
真空によって知らぬうちに傷ができる現象と言われて有名だが、実際にはあかぎれのようなものではないかというのが有力だ。
寒い地方での報告が多いのも、その根拠の一つ。
だが、もう一つ有力な説がある。
それは、強風により巻き上げられた砂や小石によるもの、という説だ。
おそらくは、多くが前者によるものだと思うが、少なからず後者による例もあるのではないかと考えている。
なので、”風刃”では後者を採用した。
まず、魔力をやや丸みを持った定規のように平たい状態にして飛ばす。要はブーメランのような形状だ。
この形状操作は”氷槍”の応用といえる。
そして、その飛ばした魔力を0.1ミリメートルもない無数の小さな石にする。
これは”石弾”により可能となった。
その小石を、平たい定規状の範囲内で、高速で動かす。
あまりに小石の数が多いと視認されてしまうだろうが、30センチメートルの定規に対して100個ほどの量なら、まず視認することは不可能だろう。
これで雑草くらいならあっさり切り落とせる風の刃となったが、果たしてどの程度の物まで切れるのか。
イメージ的にはフルプレートアーマーすら切り裂くが、物理的には限界もあるだろう。
所詮は小石だし。
まあ、威力の改良などは後で少しずつ考えればいいことだ。
まずは、”型”を定めることが大事。
”風刃”。
風の魔法と言いながら、中身はほぼ土の魔法である。
だが、それでもいいのだ。自分が納得できるなら。
自分が納得できないなら、どんな妥協も許さない。
だが、自分が納得できるのであれば、どんなズルでも許容する。
このあたりの感性はプログラマー時代に磨かれたと言ったら誤解されそうだが、プログラマーとはそういった性質があるのも事実だ。
プログラマーというのは、仕様により結果が決められているが、そのための方法は一つではない。
同じ結果を得るのに、手段は無数にあるのだ。
まったく同じ仕様、まったく同じ結果であっても、プログラマーが10人いれば、プログラム内容は10通りになると言っても過言ではない。
というか、事実そうなる。
今回ミカが”風刃”に求めた仕様は――――。
1.視認されない。
2.切断能力に特化する。
3.効果範囲を棒状の形で維持する。
4.直線、若しくは曲線を描き目標に飛んで行く。
この4点だ。
すべて満たしている。
だからミカは胸を張って言える。
これは”風刃”であると。
「ようやく終わったなー。」
ミカはしみじみと呟く。
基本となる四元素の魔法の完成。
もちろんこれからも役に立ちそうな魔法は開発していく。
だが、一先ずは目標であった四元素の魔法が完成したことを喜びたい。
それぞれに改良すべき点はいくつもある。
だが、そんなことは些細な問題だ。
必要な魔力量が多すぎて今は使いこなせなくても、そんなのはミカの魔力量が増えれば勝手に解決する。
今はただ自力での魔法習得という、この偉業を称えたい。
「まあ、”土壁”と”風刃”はしばらく封印になりそうだけど。」
意外だったのが、”土壁”ほどではないが”風刃”も必要な魔力量が多いことだ。
小石を作るという物質化、狭い範囲でその無数の小石が高速移動を繰り返すという仕様のためか、かなりの魔力量を消費することとなった。
「しばらくは他の魔法の習熟に専念しますかね。 そうすれば、魔力量も増えてるだろうし。」
ミカは草叢に寝転んで、空を眺める。
思い返せば、初めて魔法を発現したのも、こうして寝転んでいた時だった。
突然大量の水がミカを襲い、何事かと慌てたものだ。
意図せず魔法が発現し、悪夢のような事態に目の前が真っ暗になった。
その時のことを思い出し、思わず笑いが込み上げる。
「あれにはまいったよなぁー。 本気でどうしようかと思った。」
あの日から、まだ1カ月くらいしか経っていない。
ミカがこの世界に来てからも、まだ2カ月だ。
「……ずいぶんと、遠くなっちまったなあ。」
しみじみと呟く。
距離が遠いとか、世界が違うといったことではない。
自分という存在が、以前の自分から遠く離れてしまった気がした。
元の世界での自分を思い出す。
平凡で、くたびれた、どこにでもいるような普通のおっさんだった。
「懐かしい、か……。」
かつての、ありふれた生活に満足していたわけではない。
だが、何かを変えようとする気もなかった。
ただ惰性で生きていた毎日。
でも、それに不満があったわけでもない。
生きる意味を考えることなんて、とうの昔に忘れてしまった。
「よっ、と。」
掛け声とともに、ミカは勢いよく起き上がる。
軽く衣服を叩き、草や埃を払う。
「……俺は、どこに向かってるんだろうなあ。」
そう呟いて、空を見上げながら歩きだした。




