第13話 ニネティアナ1
「おはようございまーす。」
南門に着き、ミカは元気に挨拶した。
「ああ、ミカ君。 おはよう。」
「なんだミカ。 また来たのか。」
「おう、今日も早いな。 あんまりうろちょろして怪我しないようにな。」
はーい、と返事をして少し離れた所から周りの様子を見る。
まだ朝早く、自警団員たちはあまり集まっていなかった。
魔獣の襲撃から3日が経った。
破壊された南門や、魔獣との戦いで壊れた家屋の修理が進んでいるが、圧倒的に材木が不足していた。
襲撃直後、南門を完全に塞いでいたが、森で木材を調達するために翌日には再び開放していた。
そして、もう少し簡易的なバリケードを築いて、人の出入りが容易になるようにしている。
以前の門と比べると格段に強度が不足しているが、材料が無くてはどうにもならない。
今回のことを機に、森から大量の木を伐採してきて、村の中で管理する方針にしたようだ。
土地だけは余りに余っているリッシュ村なので、今回の修理で必要な分以上に木材を確保しておき、必要な時にすぐ対応できるようにする。
ただ、森に木を採りに行っても、それがすぐに使えるわけではない。
乾かしてからでないと、曲がったり割れたりしてしまうからだ。
なので、以前の南門の壊された材木の中から使える物を選んで、家屋の修理に回す。
南門は生木を使ってとりあえずのバリケードを作り、後でまた乾いた材木を使って頑丈な南門を再建する。
そういうことに決まったそうだ。
そしてミカが何をしているのかというと、そうした作業の手伝いをしていた。
といっても簡単なことしかできないのだが、ちょっとした荷物を運んだり、伝言に走ったりと様々な雑用をしている。
なぜこんなことをしているかと言うと、村の復旧作業に従事している男たちが基本的には自警団員たちだからだ。
作業の合間などに魔獣襲撃の時の話を、みんなからいろいろと聞かせてもらっている。
そもそも、なぜ南門が壊れたのか。
そこからしてミカには不思議だった。
素人のミカから見ても、門は非常に頑丈に作られていた。
それとは逆に、村を囲う柵は非常に簡素な作りだ。
地面に杭を打ち込み、杭と杭を横板で塞ぐ。ただそれだけ。
どう考えても柵を壊して侵入する方が簡単なのだ。
普通は村を囲う部分を頑丈にして、門がもっとも脆いものだが、リッシュ村の作りは逆なのだ。
おそらく村の敷地を広大にしすぎたために、門は頑丈に作れたが柵までは予算が回らなかった。
そんなところではないだろうか。
この村のちぐはぐさはそれだけではないので、今更ではあるが。
そんなわけで、なぜ強度の低い柵ではなく、頑丈な南門が壊されたのかを自警団員たちに聞いてみると――――。
「魔獣ってのは人が多く集まってるとこに寄ってくる。 そういう習性があるんだよ。」
「頭のいい魔獣ってのもいるらしいけどな。 アグ・ベアの怖さってのはさ、もっとこう単純なんだよ。 あの巨体がひたすら追っかけて来て突進してくんだぜ?」
「俺も初めて見たけど、あれはおっかねえよ。 脇目も振らずにこっちに突っ込んで来んだからよ。 奴が体当たりする度に門柱がどんどんひび割れていってよ。 あんなのは、もう2度とごめんだね。」
ということらしい。
単純に目の前の”餌”に釣られるとかそういう理由かもしれないが、とにかく人が多く集まっているところに寄ってくるようだ。
それが分かっていたから魔獣が森から姿を現した時、柵には自警団をほとんど配置せず、門に固まっていたらしい。
すると、魔獣は真っ直ぐに門に向かってきて、柵を壊して回り込もうなんて動きはまったくなかったという話だった。
門扉を挟んで槍や剣で突くが、お構いなしで門に体当たりしたり、門扉を殴っていたそうだ。
(……他には一切目もくれず、ひたすら突っ込んでくるとか。 それはそれで恐ろしいな。)
おかげで絶対に破られないと思っていた門が破壊されるという、村にとっては非常に痛い結果を生むことになる。
もっとも、そこで痛手を負わせていたからこそ倒せたとも考えられる。
そうでなければ集会場に入り込まれ、避難していた村人に犠牲者が出ていたかもしれない。
(あの時は見ていただけだったけど、アグ・ベアに立ち向かって行けるんだから、自警団の人たちは本当にすごいな。)
自警団員たちが普段から訓練をしていたのは知っているが、彼らはあくまで村人だ。
綿花畑や織物工場で働いていて、戦うことを生業としているわけではない。
そんな村人たちが団結し、あれほどの魔獣を倒してみせたことにミカは心底感動していた。
「おう坊主、おめえまた来たのかよ。」
少しずつ集まって来る自警団員たちの中から、ディーゴがやって来た。
面倒そうにミカを見ると、はぁー……と溜息をつく。
「あー……、とりあえず邪魔になんねえようにな。 あと、あんま迷惑かけんように。 みんな作業があるからよ。」
「はい!」
ディーゴのうんざりしたような忠告に、ミカは元気に返事を返す。
その返事を聞いて、やや渋い顔をするとディーゴは自警団員たちの下に戻って行く。
ディーゴのこの態度にはもちろん理由がある。
ミカは魔獣退治の話を自警団員たちから聞いて回っているが、一番の目的はディーゴからの話だ。
もっとも活躍したのはディーゴだと皆が言うし、なにより元冒険者ということで、ミカとしては聞きたいことが山ほどある。
だが、ディーゴとしては自警団の団長として、団員たちに復旧作業を指示していかなくてはならない。
子供の話し相手をしてやるような暇はないのだ。
そんなわけでここ数日、何とか話を聞き出そうとするミカと、適当に用事を言いつけてミカを追い払うディーゴという攻防が繰り広げられていた。
そして自警団員たちは、そんな二人の攻防をニヤニヤしながら見守っていた。
どうやら、ディーゴが子供に付きまとわれて困っているのが可笑しいらしい。
そして、今日もディーゴの話を聞くチャンスがなかった。
ディーゴは朝から森へ行ってしまったが、ミカは伐採作業は危ないからと森に入ることを禁止されていた。
仕方なく、村の中で木材加工の作業を眺めている。
すでに時間は昼を過ぎていた。
ディーゴは昼食も森で済ませているのか、戻ってこない。
(明らかに避けられてるよなあ。 どうしたもんかね?)
ディーゴに迷惑をかけている自覚はあるのだが、ミカとしては将来に係わる重要なことだ。
是が非でもいろいろ聞き出したい。
どうにかして話を聞く方法はないものかと頭を悩ませていると、不意に横から声がかけられた。
「こんにちは、ミカ君。」
「え?」
ミカが振り向くと、すぐ横に赤ん坊を抱いた女性が立っていた。
年齢は30歳前後だろうか。
アマーリアやラディと同年代に見える。
すらっとした細身で、赤い髪によく日に焼けた肌。ショートヘアのその女性はミカのすぐ横でにこやかに微笑んでいた。
赤ん坊は母親に抱かれ安心しきっているのか、よく眠っている。
(……いつの間に横に来たんだ?)
思わず足元を見る。
乾いた土が剥き出しの地面だ。
歩けば砂の擦れる音がする。
だが、すぐ横に来るまで、いや声をかけられるまでまったく気づくことができなかった。
ミカは顔を上げて相手の顔を見るが見覚えはない。
「あの……、どちら様ですか?」
恐るおそる尋ねる。
リッシュ村の住人は200人程度ではあるが、全員の顔と名前を知っているわけではない。
失礼かもと思ったが、とりあえず何処の誰かを確認しないと話がしづらい。
(こういう時、本当に子供は楽でいいな。)
以前の社会人だった頃なら、相手が自分の名前を知っていたらとても「どちら様で?」などと聞けない。
失礼すぎるからだ。
必死に記憶を探り、何とか上手くやり過ごそうと適当に話を合わせるのだ。
そうして情報を引き出すことで、思い出せることが多々ある。
……結局、最後まで思い出せないことも稀にあったが。
その女性はフフ……と笑い、ミカを見つめる。
その栗色の瞳は真っ直ぐにミカを捉え、眼光の鋭さはネコ科の猛獣を思わせた。
その獰猛な気配に赤ん坊も気づいたのか、少しぐずりだす。
(……なんか、マジでやばい? オーラというか、雰囲気がありえないんだけど……。)
足に力を入れ、逃げるかどうしようかと逡巡していると――――。
「……本当に面白い子ね。」
ぽつりと呟いた。
途端にそれまでの緊張感が解け、柔和な雰囲気に変わる。
表情は何も変わらない、ただ雰囲気だけが変わった。
ぐずっていた赤ん坊も雰囲気の変化に安心したのか、すぐに寝息を立て始めた。
「怖がらせてごめんね。 あたしはニネティアナって言うの。 ディーゴの妻よ。 よろしくね、ミカ君。」
「へ?」
ミカは呆気に取られていた。
あまりにも急激に雰囲気が変わり、ディーゴの妻と名乗る女性が現れたことに頭がついて行かない。
(ディーゴの奥さん? 結婚していてもおかしくはないけど、そういえばディーゴの家族って記憶にないな。 すっごい怪しいけど、本当か嘘か判断できないぞ?)
ミカがどういう対応をすべきか考えあぐねていると、ニネティアナから再び話しかけてくる。
「最近よく、ディーゴのところに来てるんだってね。 少し話を聞かせてくれないかしら?」
そう言ってニネティアナは一本の木を指さす。
木陰で話をしようということらしい。
先程の何とも言えない雰囲気のことがあり、一緒に行っていいものか一瞬悩むが、付いて行くことにした。
赤ん坊を連れているし、ディーゴの奥さんだと言うなら、そう困った事態にはならないだろうとの判断だ。
もちろん、それが本当ならば、ではあるが。
ミカの前を歩き、木陰に向かうニネティアナの足音が聞こえる。
さっき足音に気づかなかったのは考え事をしていたからだろうか。
そんなことを思っていると、木陰に着いたニネティアナがくるりと振り返り、ミカに笑いかける。
「足音が気になる?」
考えていたことを見透かされ、ギクリとする。
ミカは足が止まり、そこから先に進めなくなった。
「気配を探るとね、そういう気配がするのよ。 あ、探ってるなーって。」
そう言ってニネティアナが手招きする。
一瞬躊躇するが、ミカは勇気を振り絞って足を踏み出す。
(気配を探るってのは分かるけど、探られてる気配ってなんだよ。 足音を気にしただけだぞ? ……もしかして俺、やばい人に目をつけられた?)
ミカにとって魔力は未知の力だ。
魔獣を倒したディーゴも、ミカにとっては未知の力の持ち主と言える。
だが、にこやかに微笑み赤ん坊を抱く目の前の女性には、それら以上の得体の知れなさを感じた。
おそらく、今のミカが魔法を駆使して逃走を図っても逃げきれない。
そんな凄みを感じる。
木陰で向かい合って座るとニネティアナが先程の質問を繰り返す。
「それで、最近ミカ君はディーゴに話を聞こうとしてるんだってね。 どうして?」
ニネティアナは柔和は雰囲気を纏っているが、それが額面通りではないことはすでに理解していた。
(……誤魔化しても誤魔化しきれないな、これは。)
覚悟を決め、ミカは慎重に答えることにした。
本当のことを話しても問題のないことは本当のことを話して、少しでも触れたくない部分に関しては完全黙秘。
具体的には、ミカの正体と魔法。
この2点に触れそうなことは、考えるフリをして一切答えない。
そう方針を定めた。
「魔獣のこととか、冒険者のこととか。 そういうのを聞きたいなって思って。」
ミカは視線を地面の石ころに固定し、絶対にニネティアナと目を合わせないようにした。
視線から何を読み取られるか分からないので、一切視線を上げずに意識して固定する。
普通なら不自然な振る舞いではあるが、子供なら叱られると思って俯いているのはそこまで不自然なことではない。
ボク子供だから、で押し通す気まんまんである。
「魔獣? そう……。」
ニネティアナはミカの返答を何やら吟味しているようだ。
魔獣と冒険者。
ごく単純なこれだけの返答なのに、ニネティアナはそれすらじっくりと吟味する。
(沈黙がこえーよ! なんだよこれ!? なんなんだよ、この人っ!)
木陰に入り涼しいはずなのにミカの頬には嫌な汗がつたう。
ミカはそれすら拭うことができず、ただジッと地面の石を見続ける。
身じろぎもせず、鋼の意思で「絶対に視線を上げるな!」と自分に言い聞かせる。
ミカにとっては精神を削り取られるような、息の詰まる沈黙を破ったのは、そんなミカを楽しそうに見ていたニネティアナだった。
「……魔石を体内に宿す、赤い目を持つ獣の総称よ。」
「え?」
何を言っているのか、ミカはすぐには理解できなかった。
それが魔獣についての話だと気づくまでに少しの時間を要する。
「魔獣の定義よ? ちなみに獣でなければ魔物ね。 他にも”魔”に分類されるものはいるけど、共通なのは魔石を宿していること、目が赤いことね。」
あまりにびっくりしすぎて、ミカは思わず顔を上げてしまった。
驚きに固まるミカに、ニネティアナはにっこりと微笑む。
「知りたかったんでしょう? 魔獣のこと。」
ミカは黙ってコクコクと頷く。
先程まで「目を見ないように」とか、いろいろと考えていたことがいっぺんに吹き飛んでしまった。
「この村では魔獣は滅多に出ないから、興味を持たないように子供には教えないみたいだけど。 他の村では子供にも教えてることよ? 知らない方が危ないからね。 そんなに驚くことじゃないわ。」
ニネティアナは何でもないことのように言う。
「ニネティアナさんはこの村の人じゃないんですか?」
「今はこの村の住人よ。」
今は、という言い方で以前は別の土地で暮らしていたことが分かる。
ディーゴに嫁ぐことでリッシュ村の住人になったのだろうか。
「それにしても、魔獣と冒険者、ねえ? ……だから、なのかな?」
そう言ってニネティアナは興味深そうにミカを見つめる。
その眼光が再び鋭くなった。
「だから、あんなにアグ・ベアを睨みつけてたのかしら?」
「はい?」
何の話か分からず、ミカは再びポカンとする。
ニネティアナと話すと、完全に主導権が握られてしまい思考がまったく追い付かない。
「集会場に避難していた時よ。 他の子供たちが、……ううん、大人たちでさえみんな泣き喚いていた時、ミカ君だけが歯を食いしばってアイツを睨みつけていたわ。 もしかしたら、そのまま飛びかかるんじゃないかって、かなりハラハラさせられたわ。」
ミカはようやく、ニネティアナの言っていることに思い当たった。
アグ・ベアが集会場の窓を壊して侵入しようとした時のことだ。
どうやらニネティアナもあの時は集会場に避難していたらしい。
考えてみれば当たり前の話だ。
自警団員以外の人は、全員が集会場に避難していたのだ。
赤ん坊を連れたニネティアナが避難していないわけがない。
そして、その時にアグ・ベアに向けて魔法を発現させようとしていたミカを見ていたのだろう。
「本当はあたしも戦いたかったんだけど、ディーゴにダメって言われたの。 この子を守れってね。 だから集会場に避難していたのだけれど。 ……そのことがあって、ミカ君にはちょっと興味があったのよ。」
「戦いたかったって……。」
ミカは家族のために、あの魔獣に一矢報いようとしただけだ。
自分から進んであんなのと戦おうとは欠片も思わなかった。
だが、ニネティアナは止められなければ戦うつもりだったらしい。
しかも、あのパニック状態になっていた集会場で、赤ん坊を守りながらもミカのことを観察する余裕すらあったという。
「こう見えてあたしも元冒険者だからね。 自警団の人たちよりは上手く立ち回れるわよ? 引退してもね。」
「……えぇぇええ!?」
軽くウィンクをしてみせるニネティアナとは対照的に、ミカの頭は混乱して収拾がつかなくなっている。
(元冒険者? この人も!? ディーゴだけじゃなかったのか?)
予想もしなかった話が次々に飛び出し、ミカは完全にお手上げ状態だった。
ミカは、ちょっと待ってください、と少し落ち着くための時間をもらう。
もはや情報の秘匿だの視線を気をつけるなどという考えはすっかりなくなっていた。
ディーゴに付きまとってまで欲しかった情報を手に入れるチャンスなのだ。
(最初は得体が知れないと警戒したけど、冒険者として身につけた経験や技術がそう見せていたってことか? ニネティアナさんに悪意があるわけじゃなく、何か思うところがあって俺を試してみた……? いや、彼女からしたらあくまで確認しただけか。)
ニネティアナが何を思って、何を確認したのかは分からないが、少なくとも悪意はないと判断していいのではないか。
もしもこれで「実は悪意があって罠に嵌めるための演技だった」と言われたら、それはもうミカがどうやっても敵う相手ではなかった。
そう思って諦めるしかない。
ミカとしてはニネティアナには最初から翻弄されっぱなしなので、もはや無駄な抵抗はやめて素直に教えを乞う方向にシフトすべきだろうと思い始めていた。
そもそも、彼女がミカを罠に嵌める理由がない。
避難していた時の様子と、最近のディーゴとのことでちょっと興味があったから会いに来た。
それだけの話と考えてよさそうだ。
そこまで考えて、ミカは目を閉じて自分に落ち着け……落ち着け……と言い聞かせる。
(これはとんでもないビッグチャンスじゃないか? 向こうから話がしたいってやって来たんだから、上手くすればかなりの情報を得られるかもしれない。)
ニネティアナがどこまで話してくれるかは分からないが、少なくとも村の取り決めに縛られることはないようだ。
リッシュ村では子供には話さないという魔獣についても、他の村では子供でも知っているからと教えてくれた。
もしかしたら、ディーゴに聞く以上の情報を得られるかもしれない。
できるだけ多くの情報を引き出したい。
そう腹を決め、真っ直ぐにニネティアナを見る。
そんなミカの考えが手に取るように分かるのか、様子を黙って見ていたニネティアナは本当に楽しそうだ。
「聞きたいことは決まった?」
「……いえ、沢山ありすぎて決められません。 なので、すべて聞きたいと思います。」
あら、とニネティアナが目を丸くする。
どうやら、ミカの返答は予想外だったようだ。
子供がちょっと興味を持った程度に考えていたニネティアナは、「そんなに聞きたいことがあるの?」と驚いている。
それから、ニネティアナは本当にいろいろなことを教えてくれた。
ミカの質問が基本的なことばかりだったのか、ニネティアナにとって答えられないと判断するようなものはなかったようで、そのすべてに答えてくれた。
まず、魔獣についてもっと詳しく教えてほしいと言うと、先程の魔獣の定義に加え、普通の獣との違いなども含めて分かりやすく説明してくれる。
この世界には様々な生き物がいるが、人に害をなす生き物は別に魔獣や魔物に限ったものではない。
野犬や狼も人を襲うし、熊だって人を襲うことがある。
だが、その人を襲う熊と魔獣であるアグ・ベアの違いが何であるかといえば、それが魔石と赤い目なのだという。
あとは体内に高い魔力を抱えていることも特徴の一つらしいが、これは冒険者でなければあまり意味のない知識らしい。
そして、魔獣は総じて好戦的で、人と出会えばまず間違いなく襲い掛かってくるとのことだ。
リッシュ村を囲う森にはそんな魔獣が多数生息しているらしいのだが、そうすると一つの疑問が浮かんでくる。
「魔獣が襲ってきたのは10年ぶりらしいですけど、森にそんなのがいっぱいいるならもっと襲って来るんじゃないですか?」
森に隣接した村なのに、獣の襲撃は毎年あるが、魔獣の襲撃は10年ぶり。
これは普通に考えればおかしな現象ではないだろうか。
そう思い、そのまま質問してみる。
「森の奥に魔力の集まった場所があるからね。 魔獣はそういった場所に好んで生息してるわ。 逆に、そういう場所は普通の獣にとって嫌な場所なの。」
リッシュ村の森はかなり深く険しいらしい。
そして、その森を抜けた先には、これまた険しい山があるとのことだ。
その険しい山に近いあたりに魔力の集まった場所があり、魔獣たちはそのあたりにいる。
だが今回のアグ・ベアは、何らかの理由でそこから出て来てしまった。
おそらく獣を追って縄張りから離れてしまい、そのまま森を彷徨ううちに村の人たちの気配に気づいて寄って来た。
そんなところだろう、というのがニネティアナの予想だった。
「いくら興味があっても、森の奥に行ってはだめよ? 自警団くらいじゃ助けになんて行けないんだから。 ……もしも誰かが助けに行こうって言っても、あたしが止めるわ。 ディーゴもね。 元冒険者だからこそ、そこがどれほど危険な場所かよく分かってるの。 もし止めても行くのなら、後は自己責任よ。 例えそれが子供でもね。」
ニネティアナはそう断言した。
その表情には特別な感情などはない。
ごく当たり前のこととして淡々と話す。
危険な場所に挑むのが日常の冒険者として、それは当然の心得なのかもしれない。
引退したとはいえ、そうした考えが染みついているのだろう。
そのドライさが、殺伐とした世界を生き抜いてきたことに対しての自信にも見えて、ちょっとカッコイイと思ってしまった。
堂々と「言っても聞かないなら見捨てるよ」宣言をされたのに、だ。
「あんな経験をした後に、わざわざ行こうなんて誰も思わないですよ。 それよりも、人を見れば突進してくる魔獣の襲撃がどうして事前に分かったのか。 そっちの方が興味あります。」
魔獣が村に現れたのは、おそらく日が暮れてから。
だが、襲撃に備え始めたのは夕方よりも少し前だったはずだ。
魔獣を見かけたから襲撃に備えた、ではそこまで時間的猶予はないように思う。
「運が良かったのもあるんだけど、森の木がいくつも倒されてたみたいよ。 それを物見櫓から見ていたって聞いたわ。」
どうやら、まだ魔獣が村から離れていた頃に森の木が倒されていくのを物見櫓から見ていたらしい。
獣と戦っていたのか、単に暴れていただけなのか。
次々と木がなぎ倒されるのを見て、これはただの獣の仕業ではないと判断したのだという。
実際に姿を見るまでは魔獣がアグ・ベアだとは分からなかったらしいが、予想されるいくつかの候補の一つではあったらしい。
はぁーー……、とミカは大きく息を吐く。
魔獣襲撃の舞台裏ではないが、そんな経緯があったことをまったく知らなかった。
ミカはもっと話を聞きたくて目を輝かせるが、ニネティアナの抱く赤ん坊が目を覚ました。
そうして少しぐずり始めた我が子を見て、今日はここまでねとニネティアナが話を打ち切る。
「また話してあげるから、もう自警団の人たちの邪魔しちゃだめよ?」
そう言ってニネティアナは赤ん坊をあやしながら帰って行く。
ふと気になって足音に耳を澄ませると、ニネティアナはすぐに立ち止まってミカの方に振り返る。
そして、何も言わずににっこりと微笑むと、また歩き出すのだった。




