私達の物語は、これからも
「ヴィー君、いつもありがとうね」
「また足りなくなったら、いつでも言ってください」
裏路地にひっそりと佇む小さな店。「ヴィー君」と呼ばれた黒髪の青年は、慣れた手つきでいくつかの薬草を紙袋に詰め、老婆に手渡した。
にこやかに受け取った老婆は、ふと店内を見渡す。
「そういえば、奥さんはお出かけかい?」
「今日は仕事で……」
「そうかいそうかい。今度、冬の服をお願いしたいから、またよろしく頼むよ」
「ありがとうございます。妻に伝えておきます」
足元に不安のある老婆を、彼は店の外まで介助する。
平穏な街の、平凡な光景。
その様子を上空から見ていた私は、老婆が路地の角を曲がり、人目がなくなったことを確認すると、フワフワした獣の背中から飛び降りた。
老婆を見送っていた彼は、私の落下を予期していたかのように、すぐに両腕を構える。
すると、私の体は速度を落とし、彼の腕に緩やかに収まった。いつもどおりだ。
「ただいまヴィンス。ナイスキャッチ!」
「おかえり、クレア」
上空で使い魔から飛び降りるという、非常識極まりない方法で帰宅する私を、ヴィンスは特に叱ることなく、目を細めて迎えてくれる。
「どうだった、新商品は?」
「すっごい売れたのよ、魔導紋入りのよだれ掛け!さすがアメリアさんのアイデアね。やっぱり子を思う母の気持ちには、つけ入りやすいわ!」
「クレア、言葉の選び方、どうかと思う」
「あらやだ。おほほほほ」
高笑いする私を苦笑して見つめていたヴィンスだが、お姫様抱っこしたまま、おもむろに唇を私の額に落とした。
顔に一気に熱が上がる。
「もう!恥ずかしいでしょうが!」
「ごめん。思わず」
ヴィンスは全く悪びれる様子がない。
最近、ヴィンスは平然とこういうことをしてくるが、私は全く慣れない。
私達が魔界を出てから早2年。故郷からも魔界からも遠く離れた、この島国に流れ着いたのは、半年前のことだ。
魔界は、勇者と聖女の聖なる力により浄化され、『魔王』は消滅した。
その報は、この国にも届いていたが、そもそも魔界から遠いこの国は、魔物の被害が少なく、魔王や勇者の物語の関心も高くない。私達も、『変わった瞳の色を持つ外国人』として扱われているだけで、魔王や魔物と結びつける人はない。
よそ者として苦労はあるが、この国とは異なる知識を活かし、ヴィンスは薬草屋、私は仕立屋を始め、一応生活できる程度の収入は得られるようになってきた。
ちなみに、瘴気の穴が消滅した頃から、ヴィンスの魔力はすっかり弱まり、もっぱら生活魔導と、私をキャッチするくらいしか魔導は使わなくなった。本人は不便かもしれないけれど、私は特に問題を感じない。目立たなくて良いことだとすら思っている。
「……で、そろそろ下ろしていただけますか、旦那様?」
「もう少し」
「もう!」
「……おーい、お邪魔しますよ」
私達の間に漂う、馬に蹴られそうな雰囲気をものともせず割って入ったのは、マントを纏い、バトルアックスを背負った冒険者風の男だ。
その姿をチラッと見たヴィンスは、思いっきり舌打ちをする。
「あらノア。また来たの」
「Sランク冒険者も案外暇だな」
「うるさい!仕事だ!」
この冒険者は、この数年で身長が大いに伸び、すっかり可愛くなくなった……ではなく、大人びたノアだ。
私よりも大きくなり、筋肉ムキムキの身体に成長しつつあるノアだが、中身は相変わらずガキのままである。
にゃーこの背に乗って魔の行進から逃れたノアは、シュロアールに戻り、プリシラが造った良心的な孤児院には入らず、にゃーこと組んで冒険者となったらしい。
そして2年前、私の使い魔であるにゃーこは、私の復活にすぐに気づき、魔界から逃げ出す私達の目の前に駆けつけてくれた――ノアを背に乗せたまま。
にゃーこはそのまま私の元に残り、ノアはシュロアールに帰っていったのだが、私達がこの島国に定住した後も、時折フラフラと現れる。一応私達、身を隠しているのですが。
「ほら!人使いの荒いプリンセスからの手紙!」
そう言って、乱暴に懐から取り出した封書には、かの国の王女の紋が入っている。
「またか」と、うんざりとした気持ちで、私とヴィンスは顔を見合わせる。嫌そうな顔を隠そうともしないヴィンスが、受け取る素振りを見せないため、やむなく私が受け取った。
ヴィンスの腕からようやく下ろしてもらい、ビリビリと封を開ける。
『逃亡中の魔王と、その奥様、ごきげんよう』
素晴らしく優美な字が書面に広がっている。字が綺麗すぎで、書き出しから嫌味を言っているようにしか捉えられない。
そして肝心の中身は――。
「……またアルが無自覚スルーをかましたみたい」
「……そうか」
世界に平和を取り戻した勇者ら一行。国に戻った彼らは、大歓迎で迎えられ、全国民が次の祝事――勇者と聖女の婚姻を期待した。精悍な騎士である勇者と、見目麗しい王女である聖女、まさに物語のフィナーレに相応しく、聖女プリシラも完全にその気になっているのだが、問題は勇者アル。
往年のラブコメ主人公か!?と突っ込みたくなるほど鈍いご様子。
英雄の地位に執着せず、近衛騎士の仕事に戻ったアルは、プリシラからの有形無形のアプローチを全てスルーし、周囲は皆気付いているプリシラの想いに、一人無自覚を貫いているらしい。定期的に届く手紙からも、プリシラのアルに対する複雑な愛憎が大いに伝わってくる。
『彼の心に影を落とした幼なじみのせいで、わたくしの心はズタズタです』との最後の一文は、妙に筆跡が乱れている。なぜか鳥肌が立った。
「なんか呪詛っぽくなってるんだけど!なんで私のせいになるの!?」
相手は聖女。人智を越えた力で、そのうち本当に呪いをかけてきそうだ。勘弁してほしい。
ていうか、何でプリシラも当たり前のように、私が生きていることを知ってるの?魔王の潜伏場所がこんなにオープンでいいのか?知ってて静観しているの逆に怖いんだけど!
私の心からの悩みを、ヴィンスとノアは無視している。
「あ、そうそうノア。依頼だ。この街の北東方向に、ウガルムの気配を感じる。倒しておいてくれ」
「はあ!?またかよ!」
「僕は戦闘力が無くなったからな。まあ、瘴気の穴が消えたことでウガルムも弱くなっているだろうし」
「もう!あいつ何回倒しても復活するんだけど!」
「頼んだぞ、Sランク冒険者」
ブツブツ言いながら、それでもノアは言われるがままウガルム討伐に乗り出していった。
そう、まだまだ私達の周りには、平和といい難い問題が山積している。
私の心を読んだかのように、ヴィンスはポツリと呟いた。
「瘴気の穴も、いずれは元に戻るしな」
「そうなの?」
「この世に負の感情がある限り、完全に消えることはない」
「ふーん。まあいいけど」
私のポリシーは今も昔も変わらない。自分とヴィンス、後は周辺の大切な人が幸せに暮らせればそれで良い。
世界の平和だとか、未来だとか、そんな大きなことは、私の手には負えないし、負う気もない。
私の幸せのために、ヴィンスは死なせない。そしてヴィンスのために、私は死なない。
私とヴィンスは手を繋いで、小さなお店に戻っていった。
今日も私の世界は平和である。
お読みいただきありがとうございました!




