15
全速力で病院に舞い戻った啓の目に映ったのは、相変わらず乱れた着衣のまま床に倒れていたマリアだった。
「先生っ!」
血相を変え、マリアに駆け寄る啓。
「あ……あ、戻ってきたんだ……啓く……ん」
マリアからか細い声が発せられた。
(良かった。生きていた。でも……)
マリアは明らかに弱っている。何とかしなければ死んでしまう……だろう
啓はマリアを抱き上げた。負傷し、しかも着衣の乱れたマリアを抱き上げるのは、「進化」したとはいえ、15歳の少年でしかない 啓には刺激が強かった。
それでも何とか寝台に寝せた。でも、そこから先がどうしたら良いか分からない。「進化」は啓の生命力を格段に上げた。しかし、医療知識が身に付いた訳ではない。
「マリア先生。先生を治すためには、僕は何をすればいいんですか?」
「……そこの棚から『消毒液』を取って……私の頭につけて……そして……包帯で傷が……露出しないようにして」
啓は指示のまま、「消毒液」を傷口にかける。しみるのだろう、マリアから呻き声が上がる。
そして、不器用にマリアの頭に包帯を巻く。「進化」してもそういったことの経験は皆無。包帯は不格好に巻かれた。
「……次は何をすればいいですか?」
啓の問いに、マリアは小さく首を振る。
「医者を……舐めないでね……素人にできる事は……もう……ないわ。それより……お願いがある」
「なっ、何でしょう?」
「亜里沙ちゃんを……助けてあげて……」
「!」
「啓……くん……亜里沙ちゃんはね……あなたが……丈志くんに……蹴られているいる時……体を張って……あなたを……守ろうと……したの」
「……そんなことが」
啓がXXナンバーズメンバーに強制動員された時、動員を拒む自分をただ一人庇ってくれたのが亜里沙だった。
それに加えて、そんなことまでしていてくれたとは……
だけど……そう、亜里沙も守りたい。だけど、負傷をしているマリア先生も守らないと……
「大丈夫……」
マリアは微笑もうとしていた。だが、啓にはその気遣いが逆に痛々しかった。
「私は……これでも……医者だよ……自分のことは……何とかする……だから……亜里沙ちゃんを……守ってあげて……」
啓は大きく首を振り、マリアのことを見つめ、そして、言った。
「マリア先生。僕は亜里沙を連れて、必ず病院に戻ってきます。だから、絶対、死なないでください」
「大丈夫……私は……死なないよ……これでも……医者だもの……」
医者だから死なないという理屈は無茶苦茶である。だが、その時の啓はそのマリアの言葉を信じるしかなかった。
「マリア先生。僕は出来るだけ早く亜里沙を連れて戻ってきます。どうか死なないで」
亜里沙は学校内でもトップクラスで学業優秀で、いろいろなことを知っていた。うまくするとマリアの治療に使えることも知っているかもしれない。
啓は祈るような気持ちで病院の外へ飛翔した。
◇◇◇
亜里沙の家は啓の家の隣家だ。そう離れていないところに丈志の家もあるが、そんなことは今は考えたくもない。
啓の家族が全員促進者に殺戮されたと知らされた時、啓には何の感慨もなかった。
だが、隣家にいる亜里沙のことはどうしても気になり、その存否を問うた。
家族でない者の存否は教えかねると言われたが、どうしてもと言って、特別に教えてもらった。
「あの地区が促進者に襲撃された時、住民のうち生徒たちだけは飛翔能力の適性検査のため全員が学校に行っており、無事だった」と。
その事実に啓は安堵した。それはまた丈志の生存をも意味したが、それでも亜里沙の生存は嬉しかった。
そして今、中空を飛翔する啓は思う。この能力がこの異常な戦いによって得られたものではなかったら、そして、平和な空を亜里沙の手を取って、飛翔出来たら。
その甘い夢は、亜里沙の家から聞こえた怒号と悲鳴によって、あえなく消えた。




