魔王、顕現
空が割れた。
それは、雷でも嵐でもなかった。
真昼の青空に、黒い亀裂が走ったのだ。
「なに、あれ……」
王都の広場で、リュカは立ち止まった。
市場の喧騒が止まり、人々が空を見上げる。
次の瞬間。
空の裂け目から、巨大な黒い城がゆっくりと降りてきた。
影が王都を覆う。
冷たい風が吹き荒れ、旗が引きちぎられる。
城壁の上に立つ、ひとりの影。
長い黒衣。
銀色の髪。
静かすぎる目。
魔王。
声は大きくない。
だが王都全体に響いた。
「人間よ。時は来た」
地面が震える。
魔物の群れが、裂け目から溢れ出した。
悲鳴。
爆発。
騎士団が駆け出す。
リュカの足も、自然に動いていた。
「逃げないと!」
隣でノアが叫ぶ。
「分析不能だ、あんな魔力……!」
だが、リュカは止まらない。
目の前で、小さな子どもが転んだ。
魔物が迫る。
考えるより先に、身体が動いていた。
「やめろぉぉぉ!」
落ちていた騎士の剣を拾い、振り抜く。
ガキン!
重い衝撃。
魔物の爪を、かろうじて受け止める。
「無茶だ!」
ノアが魔法を放つ。
「ルミナス・エッジ!」
光の刃が走り、魔物を吹き飛ばす。
子どもを抱えて、リュカは転がる。
心臓が爆発しそうに早い。
怖い。
足が震える。
それでも。
「大丈夫?」
子どもは泣きながらうなずいた。
その瞬間。
魔王の視線が、リュカを捉えた。
一瞬だけ。
確かに、目が合った。
魔王は、わずかに微笑んだ。
「……面白い」
黒い衝撃波が王城を貫く。
塔が崩れ落ちる。
騎士団長が吹き飛ぶ。
人々が叫ぶ。
王の声が響く。
「勇者を召喚せよ!」
神殿の奥で、光が立ち上る。
巨大な魔法陣。
だが——
何も起きない。
沈黙。
もう一度。
何も起きない。
三度目。
魔法陣は砕けた。
神官が震えながら告げる。
「……勇者は、現れません」
広場が静まり返る。
魔王がゆっくりと手を上げる。
「勇者は、来ない」
その言葉が、世界に落ちた。
リュカは、歯を食いしばる。
勇者がいない?
そんなはずない。
だって——
昔、村を救ってくれた人はいた。
名前も知らない旅人。
でも、あの人は。
「……勇者は、いる」
小さく、でもはっきりと言った。
ノアが振り向く。
「リュカ?」
彼女は立ち上がる。
膝は震えている。
でも、目は揺れていない。
「いないなら、探す」
魔王が空へ戻っていく。
黒い城も、裂け目も、ゆっくり閉じていく。
王都は半壊。
勇者は不在。
世界は絶望。
それでも。
リュカは空を睨んだ。
「勇者はだれ?」
その問いが、物語を動かした。




