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11.「んで、月は綺麗でしたか?」

 ひまわり祭が終わって数日が経った。

「よーし、今日も読みまくるぞ!」

 今日も相変わらず蒸し暑い。部屋には、やる気に満ち溢れた顔の樋田がいる。

「この前の時と同じ感じで、適当に読んで」

「うん、ありがとう茅野君!」

 言うなり、本棚に手を掛ける樋田。本を抜き取り、間もなくして読み始めた。二回目ともなると樋田も気が楽になるのか、俺がいるにもかかわらず胡坐をかいている。今日は午前中からだから、何時間と本を読み続けることになる。だから楽な体勢で読んでくれて構わないのだが、果たして女子としてどうなのだろう。ふと疑問に思ったが、お互い一人でいるのとさして変わらないのだから、別にいいのだろうと思い直した。

 さて、俺も宿題を始めるとしよう。前回がそうだったのだが、樋田がいてくれると宿題がはかどって助かる。あれからほとんど手を付けていないが、今日で大方終わらせられそうだ。

「……」

「……」

 部屋に響くのは、時計の秒針が刻む音と、樋田がページをめくる音、俺が走らせるペンの音。外では蝉が五月蝿く鳴いている。

 無音ではないが、無言の状態が続く。お互いの息遣いまでもが部屋に響く。前回はこの静かな無言の時間を苦痛に感じていたのだが、今日はむしろ心地よかった。


   ☆


 ふと何気なく時計へ目をやってみると、十二時を過ぎていた。そろそろ昼食を摂ろうと樋田に声を掛ける。

「おーう、もうそんな時間か。今日、自分で作ってきたんだよね。サンドウィッチなのさ」

「へえぇ……」

 樋田の口調がおかしい気もするが、あまり気にしないことにしよう。こいつが変なのはいつものことだ。俺は一度台所へ行き、昨日の夕飯の残りを持ってくる。因みに、昨日の夕飯はカレーだった。

「いいね、カレー。そういえば、月が綺麗ですねの意味調べた?」

「!?」

 ここまでナチュラルに話を変えられると、話の流れの不自然さに違和感を抱く暇もない。が、振られた話題に俺は動揺して、食べ始めていたカレーとご飯を危うく喉に詰めかけた。なぜあんな二分にも満たないような会話を掘り返してきたのだ。正直、もうみんな忘れていると思っていたし、他でもない俺がすっかり記憶の中から排除していたというのに。

「うっわぁ……大丈夫かい、ゆっくん」

 盛大にむせている俺をしり目に、樋田はサンドウィッチを口に運んでいる。行動と台詞がかみ合っていない。労わるなら少しの間くらい食べるのを止めたらどうなのだろう。そもそも、俺がむせているのはお前のせいだというのに、と文句の一つも言いたくなってくる。

「でも、その反応だと調べたようだね。にやにや」

「にやにやって、口頭で言うなよ」

 樋田の頬は緩み、悪そうな笑みを浮かべている。いちいち口に出して言われなくとも、その表情を見ただけで十分だ。

「んで、月は綺麗でしたか?」

「うるせえ」

「あの二人だと、月はどっちになるのかな。海嘉ちゃん? 楓華ちゃん?」

「二人って、自分は含めないのかよ」

「ん、だって私なんか論外でしょ?」

 俺はその論外に見惚れてしまっていたわけだが……恥ずかしいし言えるわけもないので否定しないことにする。

「そうだな。お前は逆に見定める側だもんな」

「おうよ!」

 喋りつつ、食事を進める。樋田がサンドウィッチの二個目を食べ始めたところで、俺の飯の残りは半分を切っていた。此処は男女の差という奴か、俺の方が食べるペースが速い。それよりも、樋田のキャラ崩壊がいつもに増して酷い。初めから既に変な奴という認識だったが、それ以上の変人だ。変人というか、テンションの高さに正直付いて行けない。漫画を読んだ後だから、というのも少なからずあるのだろうが。

「で、樋田的にはどっちが月なんだ?」

「どっちもだよ、そりゃあ。二人とも私にとっては大事な友人だからね」

 見定める側と言った割には、ずるい返し方をしてきたものだ。こうなれば、俺がどう答えようと文句は言えまい。

「なら俺にとってはどっちも月じゃないな」

「お、ゆうちゃん面食い発言」

「違えよ! っていうか、さっきから何なんだ。ゆうちゃんは止めろ」

 ゆっくんと呼ばれた時はまあ、そこまで抵抗がなかったからスルーしたが、流石にちゃん付けはやめて欲しい。

「ほお。じゃあゆっくんならいいと」

「それも嫌だけど! ちゃんだけは止めて。普通に茅野でいいじゃん」

「んー。じゃあ、これからは茅野って呼ぶね」

 呼び捨て!?

 女子に名字で呼び捨てされるのは初めてな気がする。確かに俺がそう言ったのだが。しかし今まで通りに直してもらおうと思って言ったセリフだったので、まさかそのまま呼び捨てになるとは思っていなかった。まあ、何だか新鮮だが、気恥ずかしさは無いのでよしとしよう。

「もう、好きにして」

「うん。好きにするよ。面食い君」

「だから違うって」

 カレーを一気にかき込む。そのまま最後まで食べてしまったが、慌てて食べたので食べた気がしなかった。樋田のサンドウィッチはまだ余っている。それにしても、こいつは食べるのが遅い。

「そういえばさ、ゆっくん、卒アル出しといてくれた?」

「え?」

 唐突に話題が変わり、俺は一瞬話に付いて行けなかった。しかし思い出す。前回樋田が遊びに来た時の、帰り道での会話を。

 ――今度行くときにさ、茅野君の小学校の時の卒アル見せてよ。私も持ってくから。

 しかしあれはその場だけの話だと思っていた。

「実は私は卒アル見つからなかったんだけどね!」

 あっははーと笑う樋田。

「なら俺も見せる義理なくねえ?」

「んー。あわよくば昔の茅野く……ゆっくんの写真が見たいなと思ったんだけど」

「言い直すくらいなら茅野でいいじゃん! ってか、見せないからな!」

 その辺りで、ようやく樋田も食べ終わった。これで、この不毛な会話も終わるだろう。

「それじゃあゆっくん。午後の部と参ろうか!」

 その前に俺は食器を片づけて来なければならないのだが。


   ☆


「ふぅ……」

 樋田の声に、俺は手を止めた。どうやら全部読み終わったらしい。今は四時少し過ぎくらいだ。たった二日で読み切れてしまう量らしい、俺の所蔵する本は。

 俺はもう少しで宿題の三教科目が終わるところだった。

「お疲れ、樋田」

「うん。ご馳走様でした!」

 本を胸の前に当て、ほうっとため息を吐く樋田。今はまだ作品の余韻に浸っているのだろうか。

「どうする、もう帰るか」

「えー」

 なぜか不満そうに頬を膨らませる樋田。何が不満だというのだ。

「じゃあ、何するんだよ?」

「ゆっくんとおしゃべり」

「……」

 俺は暫し黙り込んだ。樋田の言う『おしゃべり』は当てにならない。結局話題が見つからずに沈黙が続き、最終的に俺が話を振らなければいけないという画がありありと目に浮かぶ。樋田は一見フレンドリーなようで、会話を長く持たせるのが苦手らしいということは、既に知っていることだった。

 しかしまあ、俺が宿題をしながら樋田の話を適当に聞いている、くらいだったらありだろうか。俺が喋らなければ必然的に樋田から話題を振らなければいけないわけで、話題がなくなれば流石に樋田も居た堪れなくなってくるだろう。そうなってから帰ってもらっても遅くは無いだろう。どうしてもいて欲しくないというわけではないのだ。独りでいるよりはいいし。無理やり返す必要もないだろう。

「じゃ、俺は宿題続けてるから、話題振るのはお前がやれよ」

「うん。いいよー」

 本当かよ。

 若干疑いつつも、俺は再び手を動かし始める。因みに、学校で配られた課題帳はいくら眺めていても進まないので、ほとんど答えを丸写している状態だ。そうは言っても多少は頭を使わなければいけないので一回は自力で解いてから答えを移す……と言った感じに進めているので、答えを移している割には進みが遅い。

 そういえば、樋田はそういうところは生真面目そうだが、俺がズルしているところを見ていて不快に思ったりはしないのだろうか。すごく今更だが、そんなことを思った。

 そんな余計なことに頭を回し始めてしまうくらい、樋田が話しかけてくる気配が一向にしないのだ。

 話しかけられないのは本来勉強に集中できていいことなのかもしれないが、この場合、逆に話しかけられない方が気になってしまって仕方がない。それでは樋田は今何をしているのかと言うと、何故か俺の手元をじっと見つめている。

 自分よりも相当頭がいい奴に自分の勉強しているところを見られるというのは、思った以上に恥ずかしいものだ。

「おい。何もしないなら帰れ」

 これでは宿題が進まない。

「何もしてなくないよ」

「でも帰れ」

「ぐへーい」

 樋田から変な声が出た。変な声で返事をされた。これって、女子としてどうなのだろう。今日一日で随分と樋田が女を捨ててしまっている気がするのは、俺だけだろうか。いいや俺だけではないはずだ。

「お前なあ……光太郎の前とかでもそうなのか?」

 俺がため息交じりに尋ねると、樋田は怪訝そうな顔をしながら

「何でこうちゃん?」

 と首を傾げた。

「だってほら、お前らって幼馴染なんだろ。そしたら、こんなどころかもっと変な行動したりしてるんじゃないかと思って」

「いや、こうちゃんの前ではこんなことしないよ。怒られるもん」

 いつだったか、樋田が学校を休んだ日のことを思い出した。

 ――あいつとは兄弟同然だ。俺の姉ちゃんみたいなもんだな。

 確か、光太郎がそう言っていた。

 樋田のどこが姉ちゃんなんだよ。今の話を聞く限り、むしろ光太郎がお兄さんではないか。それにしても、光太郎も飛んだ世話好きだな。

「あ、ってかさ。ゆっくんはもう社会科新聞終わった?」

「は? いや、まだだけど」

 こいつと話していると、本当に話題がころころ変わる。

 それにしても、嫌なことを思い出させられた。夏休みの一週間ほど前に配られたA3の新聞用紙は、空白のまま俺のクリアファイルに挟まれている。まだ手を付けていない。内容をどうするかさえ考えていないのだから。

 社会科新聞だけは、提出日が二学期の初日ではないのだ。その一週先の月曜日。そこまでに仕上げればいいのだから、まだ大丈夫だろうと思っている。

「じゃあさ、今度一緒にやんない?」

「!?」

 それは、思ってもいなかった申し出だった。確かに、誰かと一緒にやってしまった方が相談しながらできるし、何より後回しにならなくていい。

「やる」

 だから、これには直ぐに返事をしていた。俺のあまりの食い付きの良さに、樋田が目を丸くして驚いていた。

「いつやる? 図書館で、とか?」

「滅茶苦茶食いつきいいじゃん、ゆっくん……」

 流石に少し引かれた。

「たまには私の家とかどう? 図書館から近いし。図書館で本借りてから家でやろうよ。公の場だと騒げないじゃん?」

「騒ぐ必要があるのか」

 しかし、樋田の家か。いつも俺の家だと樋田も大変だろうし、たまにはいいかもしれない。結局話はその方向で落ち着き、日時も決めたところで樋田は帰っていった。

 その後、俺は一番重要なところに遅まきながら気が付いた。

「俺、女子の家とか行くの初めてだ」

もうすっかり寒くなりました……雪虫の舞う季節です。

が、本編の方はまだ夏休み真っただ中ですね。なかなか話が進まずすみません。のろまな僕に付き合って下さりありがとうございます。

大分樋田ちゃんと茅野君の距離が縮まってきたので、二人の会話を書くのが楽しすぎて、ついつい会話が多くなってしまいます。その場の雰囲気で進めてるので、思わぬほうに話が進んでしまったり……一向に話が進まないのはこれが原因ですね!

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