閑話・シスコン賢者と教会の魔物(後)
聞いた名に、覚えはあった。カリスは賢者。知識ならば群を抜く。
「ニド……ヘグ……? まさか”腐敗の毒”……!?」
太古におそれられた魔王。書物の中にしか残っていない存在。
「……さすが賢者。物知りね」
『彼女』――太古の魔王・ニドヘグは微笑んだ。
※※※
「ユーヤくん!」
朝一番に、『彼女』が実家に駆け込んできた。
「お? おはよう」
「おはよう。ねぇ、時間ある?」
珍しく、急いでいるような印象を受けた。いつもどこかのんびりとした『彼女』なのに、一体どうしたのだろう。
「ん? あるよ。もう少ししたら双子を連れてじいちゃんの農作業の手伝いに行くけど、それまでなら」
「ええ。そんなに時間は取らせないわ」
『彼女』はどこか疲れた表情をしながら、ユーヤの両肩をつかんできた。
「お願いがあるの」
「へ? お願い?」
『彼女』が、自分に、お願い? なんだろう。教会の大掃除を手伝ってほしいとか? 重たい荷物を運んでほしいとか? いや、そんなもの別にユーヤでなくてもいいはずだ。
「えーと、なんだっけ、名前……ああ、良いわ別に。ええとね、いるでしょ、あのオカマ賢者」
「ああ、カリスか……オカマって言ったら怒るよアイツ。『女系家族に生まれたから言動が染みついているだけで、嗜好は普通よ!』って」
「いいのよ、オカマ賢者で通じるから。その彼よ」
「……カリスが何かした?」
もしかして、本気で『彼女』を退治しようとしたのだろうか。
「ええ! 今現在進行中でね! つきまとわれてるのよ!!」
「は」
つきまとわれている。
「え、なんで? まさか、本気で殺しに来てるのか!?」
「違うわ」
「違う?」
心配は杞憂だったようだ。だがしかし、カリスが『彼女』につきまとう理由がほかにあるのか。
「じゃあ、どんな理由で」
「…………うー、あまりにもかたくなだから、威嚇になるかと思って本名名乗っちゃったのよぅ……」
「本名……え、ニドヘグ?」
こそっと、小声で囁く。『彼女』は本名を知られることを極端に嫌う。この村の中で『彼女』の本名を知っているのは教会の神父とユーヤだけ、のはずだ。
村の人たちは『彼女』のことを教会のおねえさん、と、呼ぶ。それで通じているので不便もなかった。
多分、この村の人たちは『彼女』の正体を知っても、態度を変えることはないだろうと思うが、厄介事が増えるからいやだと彼女は教会のおねえさんで通している。
まぁ、力の強い魔物だと知れたら、村の外ではあんまり良いことはなさそうなのは確かだ。
「そうなのよー。そしたら」
「どこ行ったのよーーー!? ”腐敗の毒”!! ワタシから逃げられると思うんじゃないわよー!?」
カリスの声が聞こえた。多分、『彼女』――ニドヘグを探しているのだろう。
「なぁ、あれ本当に戦おうとしてるんじゃないのか?」
「ないのよ。しつこくしつこく訊いてくるだけだから」
「なにを?」
「……魔王を辞めた理由」
「あー……」
なるほど納得した。カリスは賢者。知識には貪欲なのだ。知らないことを知ろうとする行動力は半端がない。で、太古の魔王だと名乗った『彼女』が、どうして魔王を辞めたのかが気になったのだろう。
「昨日の夜から質問攻めよ!? うるさいからドアを閉めたら、そのままその場で夜を明かしたらしくて、朝ドアを開けたらそこにいたのよ!? 本気で驚いたわ、どんだけ馬鹿なの!? そしてそのまま教会の掃除をし始めた私のあとをついてきて、ずっとおんなじ質問よ!? 実力行使はしなくなったけど、前より遥かにうっとおしいわ! 朝ごはんを作っててもおんなじこと繰り返してしつこいったらないの! 神父さまにも不思議がられちゃったわよ! あげく『仲良くなったね、良いことだ』とか誤解されたのよ!? ほんっとどうにかしてちょうだい!」
ストーカーか。
先日と立場が逆になった。
先日はカリスに『彼女』を退治しろと詰め寄られたが、今日は『彼女』にカリスをどうにかしろと詰め寄られている。
太古の魔王にウザがられる賢者。
それもどうなのだろう。
「……あー、カリスも悪い奴じゃあないんだけどさ」
「それは分かってるわ。君の仲間だったんだもの。悪い人間じゃないことくらいはすぐ理解できるけど、無神経すぎるのよ……っ!」
『彼女』は神父に誤解されるのが本気で嫌なのだろう。神父は『彼女』の想い人なのだから。
「変に誤解されたらどうするのよ!? 神父さまはお人よしなんだから、挙式を上げるのなら協力するよとか言い出すわよ!?」
「ああ、うん……マズイよな」
それはまずい。主に、カリスの生命維持的な意味で。さすがにそこまでされたら、『彼女』だって黙っていないような気がする。
「お願いよ! あのひとなんとかしてちょうだい!」
「えーっと」
なんとか。なんとか。なにをどうしてなんとかすればいいのか。話し合いから始まって、問答無用で村から追い出す、あるいはどついてぶっ飛ばして物理的にどうにかするまで瞬時に脳裏によぎったが、実行に移す前にドアが勢いよく開かれた。
「こーこーにーいーたーのーねー?」
「いやぁあああぁあああ! 来たぁあぁあああ!!」
……太古の魔王に心底からウザがられる、賢者。
ウフフフフフとか含み笑いをしながら『彼女』ににじり寄るカリスは、変質者以外の何者でもなかった。仲間じゃなかったら、即座に剣を手にするレベルである。『彼女』を背にかばい、ユーヤはゲンナリしながら声を出す。
「おい、カリス……」
「ワタシの知識欲を邪魔すんじゃないわよ!?」
「邪魔……いやそういう問題じゃなくてさ」
両手をワキワキするのに意味はあるのか。ないんだろうな、多分。
「さーあ、吐いてもらうわよ。どうしてアンタが――」
「……変質者みたいだぞ」
「誰がよっ!?」
「いや今のカリスが」
「失礼ねっ!? こんな紳士を捕まえて!」
紳士。ジェントルマン。礼儀正しい、男性。遠い目になりながら、ユーヤは頑張って口を開く。
「教会のおねえさんが可愛いからって、そういう迫り方はどうかと思うぞ」
「違うわよっ!?」
「うん、知ってる」
言いながら、カリスの肩を抱え込むようにして抑え込む。
「大きな声で言うなよ。村の誰も知らないんだ」
「……ってことは、アンタは知ってるのね?」
「え、あ、いや、まぁ、一応」
返答を誤ったと悟ったのは、カリスの瞳が鋭さを増したのを見た瞬間だった。
「アンタも答えを持ってるってことね……?」
「い、いや、その、俺は詳しくはないぞ?」
「でも知ってるのよね?」
じり、と、下がる。じり、と、カリスが寄ってくる。だからなんなんだその両手をワキワキさせるのは。
やばい。
ユーヤは即座に振り返って『彼女』の手を取って走り出した。とにかく今は逃げるしかない気がしたのだ。
「あ! ちょ、待ちなさいよこのタラシ勇者ッ!!」
「人聞きの悪いことを叫ぶなぁ!」
村の中を駆け抜けていくユーヤたちを見た村人たちは、ほのぼのと言う。
「若い人たちは元気でいいねぇ」
「いやぁ、活気があって楽しいこと」
どこまでもほのぼのとしている村だった。
「あ!? おにーさん、なにしてるですか、わたしというものがありながらほかのおんなとかけおちですかっ!? いけません、わたしもかけおちします!」
「おおお、にーちゃん、やっぱはーれむつくるのかっ!?」
と、まだ大きなままの双子が一緒に走ってきたり。
「ちょ、兄さん何してるのっ!? やめて変質者みたい!」
目撃したオーラの叫びにシスコンが凹んだところで逃走劇は終了した。
※※※
魔王は勇者に倒される。魔王を倒すことができるのは勇者だけ。
太古の魔王は、倒される相手である勇者に恋をした。
だから、魔王を辞めた。勇者に殺されなかった、初めての魔王となった。
勇者は人だった。魔王ではなく人と結ばれた。魔王は、恋心を持ったまま、勇者を待つ。
何度でも幾度でも、遥かな未来に、いつか勇者が自分のほうを向いてくれるまで。
勇者は生まれ変わる。魔王を倒さなかったため、普通の人として生まれ変わる。
何度でも幾度でも。勇者としての力も記憶も失って、あくまでも普通の人として。
”腐敗の毒”とまで呼ばれた魔王は、ただひたすら待つ。
今は普通の人間となった勇者のそばで、いつか彼が振り向いてくれるまで。
※※※
「だからとっとと吐きなさいよ。理由が分かればワタシはそれで納得するんだから」
「絶対納得する理由じゃないから教えない」
そして今日もまた、シスコン賢者と教会の魔物は言いあっている。
喋りなさいよ! 喋らないわよ! と。
これもひとつの和解の形(え)
神父さん=ニドヘグの勇者ですが、今はフツーの人間です。
そして、カリス、ウゼエ(笑)




