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「レックスは変わんないな。社交界シーズンの最中に、こんな田舎までやってくるなんて。物好きな貴族だと思っていたが、お前なら納得だ」
「でしょう!」
二人は顔を見合わせて笑った。長い年月を経ても、笑い声の響きは昔のままだった。
「それにしても、先に言ってくれればよかったじゃないか」
「いつ気づくかと思っていたわ。エントランスであなたを見かけたときは驚いたの。あんなに高い声だったのに、声変わりしていて最初は誰だかわからなかったわ」
「お互い、大人になったな」
ダヴィドは穏やかに頷き、アレクサンドラも懐かしげに微笑む。かつて二人は兄妹のように日々を共に過ごした。アレクサンドラはダヴィドを兄のように慕い、ダヴィドも妹のように彼女を可愛がった。そんな日々の記憶が胸の奥でやわらかく息づいていた。
「そういえば、弟のディは元気かしら」
尋ねると、ダヴィドはわずかに目を伏せ、悲しげに口元をゆるめた。
「あいつは……数年前の飢饉のときに病を患ってな。もう、いない」
「そう……ごめんなさい。なにも知らなくて」
「お前が謝ることじゃない。俺たちは立場が違う。……でも、だからこそ考えたんだ。二度とあんなことを繰り返さないために、どうすればいいかを」
「だから飢饉を防ぐ研究をしていたのね」
「ああ。けど、せっかく休暇でここへ来たんだろ? 巻き込んで悪いな。俺たちでなんとかする」
「いいのよ。そろそろ退屈していたところだったの。それに、ダムを建設するにはもっと資金が必要でしょう? 私、なんとかしてお父様から援助を引き出してみせますわ」
「大丈夫なのか?」
「考えがあるの。ただ、やみくもにお金をよこせと言っても、お父様は首を縦に振らないと思うわ」
「で、どうするつもりだ?」
「そこであなたの出番よ。地形を調べて、完璧なダムの設計をしてちょうだい。それを見せながら、お父様に利点を説明して納得させるの」
「設計……できるかな」
「あなたならできるわ。昔、屋敷の建築の本を読みあさっていたじゃない」
ダヴィドは懐かしそうに笑った。
「あの頃、思ったもんだ。村の子どもたちに図書室を開放してくれるなんて、デュカス家はなんて寛大なんだって。まさかレックスのおかげだったとはな」
「たいしたことじゃないわ。それに身分を隠していたのは、貴族の娘だなんて知られたら、誰も遊んでくれないと思ったから」
「なるほどな。たしかにそうかもな。俺なんか、屋敷へ帰っていくお前を見て、使用人の子どもだと思ってたくらいだ」
「そう思われていた方が都合がよかったの。そんなことより、早速明日から始めましょう! なんだか、わくわくしてきたわ」
アレクサンドラは瞳を輝かせた。その姿を見てダヴィドは苦笑した。
「レックスはやっぱりレックスだな」
「もちろんよ」
二人は翌日から作業に取りかかる。地図を作り、地盤を調べ、ダム建設に適した場所を探す。科学的な調査などできるはずもない。アレクサンドラは村の長老たちから土砂災害の記録を聞き出し、この土地の歴史書を読み漁った。
ようやく目星がついたところで現地調査に入った。険しい山々を分け入り、泥に足を取られながら進む日々。何度も候補地を見直し、気がつけば一ヶ月が過ぎていた。
夕方になると屋敷へ戻り、みんなで夕食を囲んで話し合うのが日課になっていた。
「今日もお疲れさま。着替えたら夕食にしましょう。今までの調査をまとめて、候補地をもう少し絞りたいの」
アレクサンドラは顔についた泥も拭わずに言い、セバスチャンに声をかける。
「セバスチャン、これ山で採れた山菜よ。明日みんなで食べましょう」
籠を受け取ったセバスチャンは慌ててアレクサンドラを呼び止めた。
「お嬢様、お待ちください。大切なお話が」
「あとにしてちょうだい。今は早く着替えたいの。それに、とてもお腹が空いているのよ」
そう言って廊下に出た瞬間、目の前に誰かが立っていて、ぶつかりそうになった。アレクサンドラは急いで二歩下がる。
「申し訳ありません、人がいるとは思わなくて」
顔を上げた瞬間、息が止まった。後ろからダヴィドたちが追いつき、アレクサンドラにぶつかる。
「おっと、どうしたんだ、レックス?」
ダヴィドが問いかけ、アレクサンドラの視線の先に立つ人物を見る。整った顔立ちに、気品のあるたたずまい。彼はゆるやかに微笑んだ。
「レックス、この人は?」
「で……」
「で?」
「殿下……」
「殿下って……まさか、王太子殿下?!」
ダヴィドは慌てて膝をつき、深く頭を下げた。アレクサンドラも他の者たちも倣う。
「そんなに緊張しなくていい、僕はアレクサンドラと話がしたいだけだ。ほかの者は少し席を外してくれ」
「は、はい、かしこまりました」
ダヴィドたちは顔を見合わせ、静かにその場を離れた。
殿下と二人きりにしないでー!
と心の中で叫びながら、アレクサンドラは頭を下げ続けた。
「アレクサンドラ、顔を上げて」
「はい……」
恐る恐る視線を上げると、シルヴァンは優しく微笑んでいた。シルヴァンが自分に向けてそんな表情を見せたのはこれが初めてだった。
どういうつもりなの、と警戒を隠せずに見つめていると、シルヴァンは静かに言った。
「そんなに身構えないでほしい。僕との婚約を断った君を責めに来たわけじゃない」
思いがけない言葉に、アレクサンドラは反射的に反論した。
「殿下、恐れながら申し上げます。発言よろしいでしょうか」
「どうした?」
「はい。私が恐れ多くも殿下との婚約をお断りしたという事実はありません」
「いや、あの舞踏会で君は突然、僕とは婚約しないと宣言し、そのまま逃げたじゃないか」
アレクサンドラは再び深く頭を下げた。




