エピローグ シルヴァン視点
僕の物語の始まりは酷いものだった。
アレクサンドラに裏切られたと思い込み、彼女を断罪した物語から始まったからだ。
あのときの僕は、愛する者に裏切られたと信じ、反動から当てつけのようにとある令嬢に近づいた。
それがアリス・シャトリエ侯爵令嬢だった。
彼女は、自分こそが幼い頃モイズ村で一緒に過ごしたレックスなのだと言った。
だが、それは真っ赤な嘘だった。
アレクサンドラを断罪し、僕がアリスと婚約したあと、彼女の化けの皮は少しずつ剥がれていった。
そうしてアレクサンドラを失った愚かな僕は、呆然と立ち尽くした。
だがそのとき、僕の持っていた腕輪が光を放ち、気づけばアレクサンドラと婚約する前に引き戻されていた。
やり直せることに安堵した僕は、今度こそはと心に誓いアレクサンドラを愛した。
ところが、それでもアレクサンドラは命を落とすことになった。
何度も何度も時を繰り返し、そのたびに僕は彼女を愛してきた。
それなのに、アレクサンドラは僕の目の前で、あるいは僕のいない場所で命を落とす。
そうして時を重ねるうちに、どうやら常に一歩先で全てを見通す者がいると気づいた。
それが誰なのかはわからず、僕は長い回り道をしてしまった。
だが、何度目かの時を繰り返したとき、アリス本人からとんでもない事実を聞くことになる。
「この物語の主人公は私なのに、アレクサンドラは目立ちすぎなのよ。だから消えてくれないと困るの。アレクサンドラなんて死んで当然だってことなのよ!」
僕は冷たくなったアレクサンドラを抱きしめながら、その台詞に唖然とした。
「貴様が、貴様がすべての元凶だったのか、アリス!」
そう言うと、アリスは嫌らしい笑みを浮かべた。
「殿下、なにか勘違いなさってますわ。すべての元凶はアレクサンドラです。私と殿下の仲を邪魔するんですから」
このとき僕はやっと理解した。僕がアレクサンドラを愛する限り、彼女の命は狙われ続けるのだと。
だから覚悟した。アレクサンドラを愛することを終わりにしようと。
そう思ったとき、僕の胸の中にもう一人忘れられない女性がいることに気づく。
それがモイズ村の『レックス』だった。
彼女は出会ったころからずっと僕の中にいて、多くの影響を与え続けた。
もちろん彼女が何者で、今どこにいるのか必死で探したことも何度もあったが、いくら探しても彼女を見つけることができなかった。
僕は半ば彼女との再会を諦めていた。
だから今度こそ彼女を見つけ出すため、その目印として彼女にこの腕輪を渡すべく、幼いころのレックスとの別れの時まで遡った。
そうして僕は、この物語を彼女に委ねた。
だが、アレクサンドラを守るためにも彼女と婚約だけはしておかなければならない。
そう思い迎えたあの舞踏会。腕輪を着けたアレクサンドラを見た僕は、頭の芯が凍るような衝撃を受けた。
彼女こそがレックスだったのだ。
それに、このときのアレクサンドラの行動は今までの彼女とは確かに違っていた。
きっと彼女の物語が動き始めたのだろう。
アレクサンドラがレックスだったこと、それがただの偶然だと思えなかった僕は、今度こそはとアレクサンドラを守るために最大限の努力をすることにした。
やはり僕には、端からアレクサンドラを諦めることなどできなかったのだ。
アレクサンドラはあの舞踏会のあと、逃げるようにモイズ村へと行ってしまった。
すぐに追いかけたかったが、僕にはやらなければならないことがあった。
それは、アリスのことを徹底的に潰すための証拠を集め、土壌を固めることだ。
このとき、すでにアリスのことは徹底的に調べ尽くし、サヴァン伯爵家にクレールというメイドを送り込んでいたこと、そして大臣たちを操るために動き始めたことはわかっていた。
しかしそれがわかっていても、証拠がなければ動けない。
それに現時点で僕が動いたりすれば、アリスがそれを察知し動きを変えてしまう恐れがあった。
事実、今までがそうだった。
僕がアレクサンドラを救おうと動けば動くほど、それを察知され先手を打たれる。
なので今度は、わざと彼女を泳がせることにした。
そうして彼女を泳がせて残した証拠を、微細なものも漏らさず集めた。
もう以前の無知な僕ではない。今度はこちらから仕掛ける番だ。
そう誓うと僕はアレクサンドラの元へ向かった。
モイズ村で彼女とダムの建設についてあれこれ話し合ったあの時間は、とても楽しいものだった。
だが、平和で満ち足りた時間はそう長くは続かない。
とうとうアリス本人が動き始めた。
アリスは僕を追いかけモイズ村に来ると、アレクサンドラに接触し始めた。
『お前がなにを考え、なにをしようとしているのか僕はすべてわかっている』
何度そう言ってアリスを糾弾したい気持ちになったか。だが今はその時ではないと、そんな気持ちを抑えた。
モイズ村で僕にとって有利だったことは、ダヴィドが僕の味方だったということ。
彼は僕のことを覚えていた。いや、正確には僕が彼の目の前で着替えていたときに、背中にある特徴的なほくろを見て『気づいた』と言ったほうがいいかもしれない。
それからダヴィドにアリスのことを話し、彼には僕の腹心として動いてもらうことにした。
アレクサンドラはなぜか僕とアリスとの仲を取り持とうとしていたが、ダヴィドと協力しそれを逆手に取って動いた。
このときのアレクサンドラは僕を嫌っていた。
僕はまず彼女に信頼してもらえる存在になろうと、努力することにした。
宝探しで僕が頼んで隠したイヤリングは、予想通り彼女が探し当てた。
イヤリングを見つけギュッと握りしめる彼女を見て、そんな彼女を抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。
そんな日々の中、アレクサンドラが土ボタルを見に行こうと言ったときには、昔を思い出して微笑ましく思えた。
僕がルカと呼ばれていたころ、アレクサンドラが楽しそうに土ボタルを見に行きたいと、はしゃいでいたのを思い出したからだ。
レックス、君は変わっていない。
僕は心の中でそう呟いた。
そうやって僕が昔を懐かしむ間も、アリスは虎視眈々とアレクサンドラを貶める準備をしていた。
ある日、アリスは僕に手紙を寄越した。
内容は、アレクサンドラが僕を誘拐する計画を立てているというものだった。その計画とは、土ボタルを見に移動する途中、僕を賊に襲わせるというものだった。
アリスの手紙には、賊が僕を襲う場所や時間などが正確に記されていた。
そうしておいて、アリス本人がその計画を実行するつもりだったのだろう。
僕はこれを利用することにした。
ダヴィドに囮になってもらい、賊を捕らえると、その者たちに真実を話した。
本当の雇い主がアリスであること、アリスが嵌めようとしていたこと。
彼らも馬鹿ではない。雇い主が誰であるか証明するために紋章の入った小瓶を持っていた。密かに盗み取り、裏切りに備えていたのだ。
こうして証拠を手に入れ、アリスに対する包囲網を確実に敷いていった。
だが一つアリスに先手を取られたことがある。それがあの火災だ。
アリスはクレールに命じ、あの夜火災を起こした。
これは『ムトワーナムケ』にアレクサンドラが選ばれると知ったアリスが、『彼女が選ばれたことによって災いが起きた』と村人たちに思わせるつもりでやったことだった。
だが、それはアレクサンドラの思いもよらぬ行動に阻まれ、被害が出たもののアリスの思惑とは逆に作用しアレクサンドラの素晴らしさを証明することとなった。
その後、尻尾を巻いてさっさとモイズ村へ戻ったアリスは、今度はダヴィドを誘惑し取り込もうとした。
ダヴィドからその報告を受けた僕は、怒りを覚えながら、アリスの罪の痕跡をすべて拾い集めた。
僕がそうしてアリスに対応している間、モイズ村でのありとあらゆる問題は、すべてアレクサンドラが一人で解決してくれた。
それにしても、アレクサンドラの行動力は、本当に目を見張るものがあった。
ダムの建設、火災への対処、風土病の治療、いつも彼女は常に最前線に立って行動した。
そのおかげで僕は余計なことを考える必要もなく、定期的に王都から報告されるアリスの傀儡となった大臣たちの動向にも注視することができた。
そうしてダヴィドやエクトル、ファニーの協力を得て満を持して罠を張ることができた。
この計画ではクレールを利用し、ある程度の情報をアリスへ流すことにした。
アリスのミスリードに乗り、アレクサンドラがイライザを疑っていること。婚約指輪のこと。それにファニーの件についてだ。
思ったとおり、舞踏会に招待されたアリスはクレールからその報告を受けここぞとばかりに仕掛けてきた。
アレクサンドラを貶め、指輪を持つ自分こそが婚約者としてふさわしいとでも言うつもりだったのだろう。
そのとき僕は、なんと狡猾で姑息な令嬢なのだろうと、その存在自体に激しく嫌悪した。
そうしてあの舞踏会で、ついにアリスを捕らえることに成功した。
そんなアリスの罪の全貌が白日の下に晒されたのは、舞踏会から数日後、王命により裁判が開かれたときだった。
脅されていた貴族たちは口をつぐみ、証言はしなかったものの誰も彼女を庇うことはなかった。
アリスは裁判で、最後まで一切の非を認めず言い訳を並べたてた。
「わたくしは、彼女を正しい立場に戻すためにやらなければならないことをしたまでですわ」
そう言い切った口調には、迷いも恐れもなかった。
だがそんな戯言が通用するわけもなく、彼女の罪は淡々と暴かれ晒され追及されていった。
そうしてアリスに出された判決は死刑。
「こんなこと、あってはならないことですわ! 早く私を解放しなさい!」
そう叫び抵抗を見せるアリスを兵士たちは遠慮なく引きずり、その後ろにアリスと関係があった貴族たちが暗い表情で続いた。
こうして、すべてが終わった。
それでも物語は続き、僕の隣にはアレクサンドラがいた。
きっと、そこが僕たちのたどり着くべき場所だったのだろう。
それからは穏やかで幸福な歳月が過ぎ、アレクサンドラは静かに星へと還っていった。
僕もまもなく、彼女のもとへ行くだろう。
今、手元には、あの腕輪だけが残された。
彼女のことを思い出しながらその腕輪を撫で、僕は鏡に映る年老いた自分の顔を見つめた。
そのとき、記憶の片隅にいるひとりの男を思い出す。
昔、僕の前に現れ、この腕輪を僕に託した男だ。
「あの男は、僕だったのか……」
そう呟き静かに息を吐くと、もう一度光り輝く腕輪を握りしめた。
お読みいただき、ありがとうございました。
アレクサンドラの歩んできた道のりを最後まで見届けていただけたことに、心より感謝しております。
彼女が選んだ未来と、その先に続く物語が、読んでくださった方の日常にそっと温かさを残せていたら幸いです。
本作はこれで一区切りとなります。
ここまでお付き合いくださった皆さまに、あらためて深くお礼申し上げます。
またいつか、別の物語でお会いできますように。




