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こうして何事もなく数週間が過ぎ、アレクサンドラが不安を覚えはじめたころ、ようやくダヴィドからの知らせが届いた。
『今夜、報告しに屋敷まで行く。』
受け取った手紙には、それだけが書かれていた。
アレクサンドラはエクトルとシルヴァンにも同席を求め、ダヴィドの報告を聞くことにした。
「すまない、遅くなって。なかなか尻尾がつかめなくって手間取った」
夕食後、落ち着いたところでダヴィドはそう話を切り出した。
「いいえ、いいの。それで成果は?」
するとダヴィドはシルヴァンの顔をちらりと見て、やや申し訳なさそうに言った。
「わかったのは、あの噂を流している紳士が没落貴族で、月に一度デュバル家へ出入りしているということだけだ」
「イライザの屋敷へ? では、あの噂を流したのはイライザでしたの?」
「いや、まだ確証はない。それに、関係があるかは分からないが……もう一つ、気になることがある」
シルヴァンが怪訝そうに眉を顰めた。
「気になること? それはなんだ?」
ダヴィドは言いづらそうにアレクサンドラの顔を見つめる。
「なんですの、ダヴィ。気になることがあるなら早く言ってちょうだい」
「実はレックス……お前のメイドのロザリーが、デュバル家へ入っていくのを見たんだ」
「ロザリーが?! そんな、まさか……」
アレクサンドラの頭の中が真っ白になった。ロザリーは幼いころからこの屋敷で働いている。
そんな彼女が裏切っているなど、考えたくもなかった。
そこでシルヴァンが口を開く。
「なるほど。メイドがイライザと繋がっていたから、君がモイズ村にいることをイライザは知ることができたんだな」
そう言われると、腑に落ちることが他にもあった。
イライザはアレクサンドラとシルヴァンが王都へ戻ると決めた翌日には、そのことをすでに知っていた。ロザリーが報告していたのだ。
エクトルもロザリーをよく知っているはずだったが、裏切られたことに動揺する様子はなく、少し考えたあとで言った。
「ロザリーが我々を裏切っていたとしても、そんな素振りはまったく見せなかった人物です。問い詰めても、簡単には白状しないでしょうね」
アレクサンドラはショックを受けながらも、その意見に同意した。あんなに身近にいながら、疑うことすらなかったのだ。
シルヴァンはアレクサンドラを気遣うように声をかける。
「レックス、大丈夫か? もし辛いなら、ここから先は僕らに任せてもいい」
アレクサンドラはゆっくりと首を振った。
「いいえ、大丈夫ですわ。自分の手で、決着をつけます」
「そうか、わかった。とにかく、これからロザリーのことも考えて動かなくてはならないな」
エクトルは頷いて言う。
「そうですね。この屋敷にロザリーがいることを考えると、あまりおおっぴらに動くわけにもいきません」
シルヴァンはアレクサンドラをじっと見つめた。
「な、なんですの?」
「君は嫌がるかもしれないが、ロザリーを利用して相手を追い詰める方法を思いついた」
「なんですの? 今は方法なんて選んでいられませんもの。殿下の指示に従いますわ」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
シルヴァンは嬉しそうに微笑み、エクトルに視線を送った。しかしエクトルは不満そうにそっぽを向き、シルヴァンは気に留めることなく話を続けた。
「相手に罠を張ろうと思う。もちろん君に危険が及ばない方法だ」
「罠、ですの?」
「そう。まず、レックス。君は僕との婚約が決まったことにしてもらう」
その言葉にアレクサンドラは驚き、息をのんだ。
「殿下、私たちの婚約を公に発表してしまえば、後に引けなくなってしまいますわ」
「もちろん、公に発表すればそうなるだろう。だが今回は、公表ではなくロザリーの耳に入るよう仕向けるだけだ」
ダヴィドが頷いた。
「内輪で婚約が決まったことにして、その話をロザリーの前でするってことですね?」
「そのとおりだ。そこで君には、婚約の証を受け取ったことにしてもらう」
そう言うとシルヴァンは、指にはめていた紋章入りの指輪を外し、アレクサンドラに手渡した。
「適当なものがこれしかない。だが、これで構わないだろう」
「この指輪、私が預かっていてもよろしいのですか?」
「もちろん構わない。この指輪は大したものではない。だがロザリーにはこう言うんだ『代々、婚約の証として受け渡されている指輪で、とても大切なもの。なくしたりしたら、とんでもないことになる』とね」
「わかりましたわ。それで、わざとロザリーの前に指輪を置くのですね?」
「そのとおり。君は指輪をなくしてしまったと焦るふりをし、宝石商に複製を頼んだとでも言っておけばいい」
「きっとロザリーは、その指輪をイライザのところへ持っていくはずですもの。その受け渡し現場を押さえるってことですわね?」
シルヴァンは優しく微笑んだ。
「そのとおりだ、レックス」
アレクサンドラはその視線に耐えきれず、そっと目を逸らした。
「でも、殿下のお考えを否定するわけではありませんけれど……そんなにうまくいきますかしら?」
「確かに、我々の知らないところで指輪の受け渡しをされては元も子もない。だから舞台を整える」
アレクサンドラはシルヴァンを見つめ、小首を傾げた。
「舞台、ですの? でもどうやって……」
「君は指輪を取られ、すぐに気づいたあと、取り返すまでは屋敷から使用人が出ることを禁じる。そして僕が舞踏会を開く。君は何人かのメイドを引き連れて舞踏会へ参加する」
「わかりましたわ。そうすればロザリーはその舞踏会で指輪を渡すしかなくなる。そこで押さえるということですわね?」
「そういうことだ。だが一つでも予定が狂えば、計画が頓挫しかねない。しっかり話し合う必要がある」
「そうですわね。それにしてもこの指輪……偽物とわかっていても預かるのは怖いですわ。だって王家の紋章が刻まれているんですもの」
そう言って、小袋に入れ首から下げた。
「そんなもの、大したものじゃない。君に比べれば……」
シルヴァンはそう言ってアレクサンドラをじっと見つめた。
アレクサンドラは慌てて横を向き、ずっと表情を曇らせ黙り込んでいるエクトルに声をかけた。
「そういえばエクトル。さっきから浮かない顔をしているわね。なにか気がかりでもあるの?」
エクトルは不貞腐れたように答えた。
「いいえ。強いていえば、仮にでもお姉様が殿下と婚約するってところが、気に食わないだけです」
シルヴァンはニヤリと笑った。
「レックスが納得したんだ。君もおとなしく計画に集中してもらわないとな」
「それぐらい、わかっています」
そう言ってエクトルはさらにムッとした顔をした。
「じゃあレックス。君はロザリーへの対応に気を付けて。エクトル、僕がレックスのそばにいられない間は、彼女を頼む」
「言われなくとも」
こうして、この夜の作戦会議は静かに幕を閉じた。




