33
そこまで聞いて、アレクサンドラはひとつの疑問を抱き、口を開いた。
「待って、エクトル。ということは、私についての噂を流していたのは、どこかの貴族だということですの?」
「はい、そういうことになります。お姉様を恨んでのことではなく、デュカス家の名誉を貶めるためだったのかもしれません」
「そう言うからには、なにか思い当たることがあるということなの?」
「えぇ。お父様が“アシューの土地を買う”と話していたことを覚えていますか?」
「もちろん覚えてるわ」
「あの話は、僕たちを嵌めるための罠でした」
そこで黙っていたシルヴァンが静かに口を開いた。
「穏やかではないな。詳しく聞かせてもらおう」
「はい。この話はもともと、あの土地の持ち主サヴァン伯爵から使者が来て交渉が始まりました。周囲に騒がれず秘密裏に動きたいとのことで、サヴァン伯爵は一切関わらず、父は何度かその使者と交渉をしていました」
それを聞いたシルヴァンが眉を寄せる。
「あんなに大切にしている土地を売るのに、秘密裏に動くとはいえ本人が一切関わらないのはおかしいだろう。あの土地は、サヴァン伯爵の亡き母が長らく居を構え眠る場所だ」
「そうなのです。それで、父も疑念をもち、土地の権利書を確認しました。ですが、それは本物でした」
「では、本当にサヴァン伯爵があの土地を売ると?」
エクトルはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。さらに調べてみたところ、とんでもないことがわかりました。サヴァン伯爵は現在病に倒れ、起き上がることすらできない状態だったのです」
「なんだって? 本当なのか?」
「はい。ですから、このことは隠しているようです」
そこで今度はアレクサンドラが問う。
「ということは、それを知った誰かが、サヴァン伯爵のもとから権利書を持ち出したということになりますの?」
「そういうことだと」
「でも、おかしいわ。そんなことをしても、いずれはばれてしまうじゃない」
そこまで言って、アレクサンドラはあることに気づいた。
「まさか……お父様にその罪を着せようとしたというの?」
「そういうことです。サヴァン家から権利書が紛失し、それを父が持っていたとなれば、どう弁明しようが疑われるに決まっています」
「そうね。無実を証明したとしても、犯人を見つけなければ、いつまでもサヴァン家とデュカス家の間には遺恨が残るでしょう」
それを受けてシルヴァンが言った。
「なるほどな。サヴァン伯爵は今すぐに動けないことを見越し、その間にことを運んでしまおうとしたというわけか」
「はい、殿下。僕も父もそのように考えています」
「で、その犯人は捕まえたのか?」
「今はその実行犯を泳がせ、背後にいる主犯を探っているところです」
「そうか、わかった」
そこでエクトルはシルヴァンをじっと見つめ、意を決したように言った。
「殿下、もしかしてなにかご存じなのでは? もしそうなら、姉を守るためにもお教えください」
シルヴァンは深くため息をついた。
「僕に話せることは少ない。だが、どういう結果になるかは予想がついているとだけ言っておこう。とにかく最善は尽くしている」
その説明を聞いていたアレクサンドラは、先日部屋を訪ねたときのシルヴァンの表情を思い出した。やはり、彼はなにか重要なことを知っていて隠しているのではないかと思う。
アレクサンドラが黙り込むと、それに気づいたシルヴァンが優しく声をかけた。
「レックス、そんなに心配する必要はない。なにがあろうとも必ず君のことは我々が守るから」
守るもなにも、私を一番邪魔に、思っていたのは殿下ではないのですか? 本当にその言葉を信じてしまっていいのですか?
アレクサンドラは胸の内に疑念を抱き、複雑な思いで頷いた。
この夜、ダムの建設について新たな進展があった。
「トゥーサンからの報告で、ダムの建設は一の沢の上流の方がいいだろうって」
夕食後のお茶を飲んでいるとダヴィドはそう言って、テーブルの上の焼き菓子を一つ手に取り頬張った。
「あの開けた土地のある場所よね?」
「そうそう、他の場所は色々と問題が見つかってさ」
そこでシルヴァンが口を挟む。
「だとしたら道を整備しなければならないな」
ダヴィドは頷く。
「ですね、まずそこから始めなければいけません」
「ところで、設計の方はどうなんだ?」
するとダヴィドは自信に満ちた顔で革筒から設計図を取り出し、テーブルの上に広げる。
「これは……」
シルヴァンは設計図をに視線を落とすと、驚いた顔でダヴィドを見つめた。
ダヴィドはシルヴァンを見つめ返すとにやりと笑う。
「ただ水を堰き止めて、溜めておくだけじゃ洪水のときに困りますから、水門を可動式にしました」
「いや、しかしこの水門を支える歯車と滑車機構を作るのは、技術的に難しいんじゃないのか?」
「確かにそうかもしれません。ですが、ギルドの連中ならやってくれるはずです」
ダヴィドはそう答えたが、シルヴァンはまだ不安が残る様子でさらに質問を重ねる。
「それに……この水門。耐久性は? 水に長く接するならすぐに腐食が進み耐えられなくなるのではないか?」
すると、今まで自信に溢れた態度だったダヴィドは急速に勢いを失った。
「そ、それは……」
そこでアレクサンドラが口を開いた。
「待って、それなら私少しだけ知恵を貸すことができるかもしれませんわ」
ダヴィドとシルヴァンはその発言に驚いたのか、同時にアレクサンドラの顔を見つめた。
そんな二人に頷いて答えると、アレクサンドラは話し始める。
「青銅合金を使えばいいんですわ」
ダヴィドは首を傾げる。
「せいど……ごきん?」
「違うわ、青銅合金よ。つまり金属を混ぜて強くしたものよ。だから合金」
今度はシルヴァンが尋ねる。
「それはどんなものなんだ?」
「銅をベースに錫やアルミニウム、えっとあと確かニッケル……ここではなんて言うのかしら、そう白銅、白銅を混ぜ合わせた金属ですわ。配合までは私にはわからないけれど、それらを混ぜると腐食に強い青銅ができますの」
アレクサンドラはこうして前世での、ロールプレイングゲームで得た知識を惜しげもなく披露した。
こんなところで役に立つとは思わなかったが、攻略本の資料集まで読み込んでいた自分に感謝した。
ダヴィドは慌ててそれらをメモに書き取ると、アレクサンドラを羨望の眼差しで見つめる。
「レックス、お前本当にすごいな! そんなことまで知ってるなんて」
シルヴァンがそんなダヴィドの視線を手で遮った。
「ダヴィド、まさかお前……」
ダヴィドは慌てて顔の前で両手を交互にブンブンと振ると答える。
「ち、違います! レックスに対してそんな気持ち俺はまったくありませんから!!」
するとシルヴァンは一瞬動きを止め、落ち着きを取り戻すと咳払いをした。
「そ、そうか。ならいい」
そんな三人をずっと黙って見ていたエクトルが呆れ顔で言った。
「僕のお姉様が素晴らしいのはわかりましたから、早くダムの建設について話を進めたほうがよろしいのでは?」
シルヴァンはエクトルに冷たい視線を送ると、ムッとした顔で答える。
「この話の土俵に立てていないお前に言われるまでもない」
するとお互いにじっと睨み合う。今度はダヴィドがその間に入った。
「と、とにかく、レックスの言った『せいごうき』の開発を急ぐようにギルドの連中に言ってみます」
「ダヴィ、『せいごうき』じゃないわ。『青銅合金』よ」
「そうだったな。それにしても、これでまたギルドの連中はレックスをさらに崇拝するんだろうな……」
「なんですのそれ、少し大げさですわ」
ダヴィドはため息をつく。
「本人がこれだもんな」
そうしてこの夜は更けていった。
それからダムの建設について話を重ね、基礎部は石積みと粘土層で防水し、水門は鉄製ではなく、青銅合金を使用、その水門を支える歯車と滑車機構を進めることで話が進んだ。
ここから一気にダム建設への動きが加速していった。
そんなある日、アレクサンドラがエクトルとゆっくり過ごしていたときだった。久々にダヴィドが屋敷に訪ねてきた。
「ダヴィ、忙しかったの? とても久しぶりですわね」
「あぁ、ちょっと色々あってさ」
「なにかありましたの?」
「へへっ! 俺、男爵の位を授かることになった!」
アレクサンドラは驚いて立ち上がると、ダヴィドに駆け寄り手を取った。
「凄いわ、こんなことめったにあることじゃないのよ? おめでとうダヴィ!」
エクトルは目を見開きティーカップを持ったまま動きを止め、信じられないものをみる目でダヴィドを見つめていたが我に返ると言った。
「なぜ君のような人物に? 殿下は何を考えてるんだ?!」
アレクサンドラはそれを聞いて、エクトルを睨みつけた。
「エクトル、なんてことを言うの!」
そこでダヴィドがエクトルをフォローするように言った。
「いや、俺もそう思ってるぐらいだから、それが当然の反応だと思うぜ。あの王子、あとで他の貴族から反感を買うんじゃないかって少し心配しちまう」
「心配には及ばない」
静かな声が背後から聞こえ、振り向くと部屋の入り口にシルヴァンが立っていた。
「殿下!」
三人は慌てて頭を下げた。
「楽にしてくれ。それよりダヴィド、君は自分を過小評価している。リーダーの資質がありみなをまとめる力をもち、それにあんなダムを設計する能力も兼ね備えている。あの可動水門付き重力式ダムの設計は目を見張るものがある。本当に素晴らしい」
「いえ、レックスが考案してくれた青銅あってのことです」
アレクサンドラは首を横に振った。
「いいえ、私はただ意見を言っただけでそれをちゃんとした形にできたのは、ギルドの人たちの努力の賜物ですわ」
「確かに、ギルドの連中は精一杯やってくれてる」
ダヴィドはしみじみそう答えた。
「違うな、あのダムが完成すれば『人が水を制御することが可能』になるんだ。これは人間の叡智を超えている。叙爵するに値するだろう」
アレクサンドラはダヴィドが褒められたことが嬉しくなり、微笑むと肘でダヴィドをつつきながら言った。
「ですってダヴィ、もっと自信もっていいんじゃない?」
「お、おう。あ、ありがとうございます」
「あとは、その言葉づかいをなんとかしないとね。叙爵式に出なければならないんだもの」
「じょ、叙爵式だって?!」
「そうよ、楽しみだわ」
「そんな式があるのか、考えてもいなかったぜ……」
そう呟くと、ダヴィドはふらふらと部屋を出ていった。そんなダヴィドの背中をシルヴァンとアレクサンドラは見つめた。
「これからダヴィには頑張ってもらわないといけませんわね」
「彼なら大丈夫だろう」
そう断言するシルヴァンの横顔を見つめ不思議に思う。
アレクサンドラは以前の記憶から、ディとしての彼なら公の舞台でも堂々と立てることを知っているが、それをシルヴァンは知らないはずである。
なのに、なぜシルヴァンはそこまでダヴィドを信頼しているのだろうか? と。




