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「ところで、まさか殿下がアレクサンドラとご一緒とは驚きましたわ」
「そうだな、僕とレックスはとても親しい。二人きりで出かけることもあるということだ」
それを聞いたイライザは、手に持っていた扇子をギリギリと握りしめ、それでも笑顔を崩さずに答えた。
「そうですの、それは素敵なことですわね。ですがアレクサンドラからは、そんなに殿下と親しくないとお聞きしていたので、驚きましたわ」
「そんなことはない。なにかの聞き間違えだろう」
「そうでしたか、認識の齟齬があるみたいですわね。では私がここにいてはお邪魔のようですし、失礼いたしますわ」
そう言うと、イライザは一礼したあとアレクサンドラに耳打ちする。
「二人きりになったときに、じっくり話を聞かせてもらいますわ」
不敵な笑みを浮かべると、イライザは部屋を去っていった。その背を見送りながら、アレクサンドラは厄介なことになったと思った。
苦虫を噛み潰したような顔をしていると、アリスが少し怯えながらアレクサンドラに質問する。
「あの、デュバル公爵令嬢はいつもあのような?」
あんなに悪意のある令嬢に会ったのは初めてだったのだろう。アリスの声はわずかに震えていた。
「そうですわね、社交界にはあのような令嬢もいるということですわ。それよりアリス、せっかくお誘いしたのにあんなことになってしまって本当にごめんなさいね」
「そんな、私はそんなこと気にしていませんわ。それより、殿下もアレクサンドラ様もダヴィドさんも、ご無事で本当によかったですわ。なにかあったらと思うと気が気ではありませんでしたもの」
「心配してくれてありがとう、アリス」
アリスはアレクサンドラを見つめ、瞳を潤ませた。
「当然のことですわ。それなのに、私ってば一人で帰ってきてしまって」
「いいのよ、当然のことですわ。同じ立場なら私でもそうしていたと思いますもの」
「でも……」
そこでシルヴァンがアリスに声をかけた。
「君が残ってもなにもできることはなかっただろう。それに君が残れば、レックスは君の相手をしなければならなかった。足を引っ張らないよう、君はモイズに戻って正解だった」
「殿下、そうですわね。ありがとうございます」
そう答え、アリスは頭を下げた。
そんな二人を見て、アレクサンドラは席を外したほうがいいかもしれないと思い、慌てて言った。
「えっと、申し訳ないのですけれど私少し疲れたみたいですわ。部屋に戻りますわね。殿下もシャトリエ侯爵令嬢もお茶を用意させますから、少しこちらでお話ししてらして」
そう言うと、ダヴィドに向き直った。
「ダヴィも疲れたでしょう?」
急に話しかけられたダヴィドははっとすると、作り笑いで答えた。
「そうだな。俺も家に帰るよ。おふくろが心配だしな」
「そう」
そう答えて見送ると、アレクサンドラはシルヴァンたちの方へ向き直る。
「では、私たち失礼しますわ」
アレクサンドラはシルヴァンやアリスが返事をする間も与えずにそう言って、ダヴィドと一緒に部屋を出た。
部屋を出たところで、廊下で先ほどからなにか考え事をしているダヴィドに声をかける。
「どうしたの? なにかとても疲れているみたい」
「あぁ、うん。まぁね」
「なによ、なんか歯切れが悪いわね。なにかあったの?」
そう言うとダヴィドは黙り込んだ。
「やだ、本当になにかあるなら言って?」
「ありがとう、レックス。大丈夫だから。んじゃ俺、帰るよ」
そう言うとダヴィドは屋敷を出ていった。アレクサンドラはなにかあるのだろうが、話せないことなのだろうと自分に言い聞かせながら、少しもやもやした気持ちで部屋へ向かった。
部屋へ戻ると、すぐにベッドに倒れ込んだ。
目を閉じた瞬間、ブラウリーツ村での出来事が一気に脳裏に押し寄せてきた。
シルヴァンと土ボタルを見ながら話したこと、火災が発生したこと、それに対応し、くたくたになるまで看病したこと。そしてそんな事態にシルヴァンが手を差し伸べてくれたこと。
それらを思い返すと、以前アレクサンドラを裏切ったときのシルヴァンと、今のシルヴァンが同一人物とは思えなかった。
特に今回は残る必要もないのに、最後までブラウリーツ村に残ってくれた。
アレクサンドラの知る、冷徹なシルヴァンからは考えられない行動だった。
今のシルヴァンなら、アレクサンドラが邪魔になったとしても、簡単に命を奪うようには見えなかった。
そもそも、シルヴァンも言っていたとおりお互いにお互いを知らなすぎた。
ここにきて初めて、あのとき本当にシルヴァンが自分を殺そうとしたのだろうかと疑問に思った。
だが、あの状況でシルヴァン以外にアレクサンドラを疎ましく思う者がいたとは思えず、答えは出せなかった。
ベッドに寝転がりそんなことを考えているうちに、アレクサンドラは深い眠りに落ちていた。
「お嬢様、お嬢様?」
ロザリーの呼ぶ声で目を覚ますと、窓から明るい日差しが差し込んでいた。
「ロザリー? 今、なん時かしら」
「昨夜帰られてから今朝までずっとお休みでしたので、今は朝の九時です」
それを聞いてアレクサンドラは飛び起きた。
「もうそんな時間なの?! やだ、私ってばすごい寝坊をしたのね」
そう言いながら、寝癖を手櫛で整えていると、ロザリーはクスクスと笑った。
「いろいろありましたから、お疲れだったのでしょう。朝食はお部屋にお持ちしますね。それと、ダヴィド様がお話があると朝早くに訪ねて来られたんですが」
「ダヴィが?!」
「はい。お嬢様はお休みだと申し上げたら、午後にまた来るとおっしゃっていました」
「そう、ありがとう。次にダヴィが来たら、すぐに部屋に通して構わないわ」
「はい、承知いたしました」
ダヴィドは昨日、なにか悩んでいるような様子だった。そのことについて、ついにアレクサンドラに相談するつもりになったのだろう。
だったら気が変わってしまわないうちに話を聞かなければいけないと、逸る気持ちを抑えながら普段どおりに行動し、ダヴィドが来るのを待った。
軽く食事を取ると、身支度を整え、溜まっていた報告書に目を通す。
間もなくして、ダヴィドが訪ねてきたとロザリーが告げた。
「客間で待っててもらって。今行くから」
客間へ行くと、ダヴィドは暗い面持ちでアレクサンドラを待っていた。
「待たせたかしら? 朝はごめんなさいね。疲れて眠ってたみたいなの」
そう言うと、ダヴィドは力なく微笑んだ。
「いや、いいんだ。俺も早く来すぎたしな」
「どうしたの? なにかあったの?」
「こんなこと、レックスに相談してもどうなるわけじゃないって思って、ずっと黙ってたんだ。でも、この前の火災のときにレックスが病気や怪我のことをよく知ってるみたいだったから」
「なに? 私もわからないことはあるかもしれないけど、できる限り答えるわ。なにかあるなら聞かせて」
「わかった。おふくろのことなんだが、ディと同じ病気みたいなんだ」
「ディと?!」
ディは郷土病と呼ばれる病で命を落としたと聞いている。アレクサンドラはこれを解決していなかったことを、このとき痛烈に後悔しながら、ダヴィドに詳しく話を聞くことにした。




