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「ダヴィド、君は事情をよく理解しているようだな」
アレクサンドラは流れを変えるように口を挟んだ。
「ダヴィ、それより慌てていたようだったけれど、何かあったの?」
「あぁ、そうだった。屋敷の前に大量の物資が届いてるんだ。それに兵士たちも」
その言葉に、シルヴァンが静かに振り返る。
「それは僕が手配したものだ。物資も人員も」
そしてアレクサンドラの方へ向き直り、穏やかな口調で続けた。
「勝手に準備を進めてしまったけど、怒らないでくれよ? ここでの総指揮は君だ、レックス。僕はその立場を奪うつもりはない。人も物も、君の判断で好きに使ってくれて構わない」
アレクサンドラは一瞬だけ彼の意図を測りかねた。だが、この非常時に裏をもって動くはずがないと思い直し、静かに頷いた。
「殿下、ありがとうございます」
「君こそ、僕を信じてくれてありがとう」
二人はしばらく見つめ合うと、微笑んだ。
こうしてシルヴァンの援助を得たアレクサンドラは、資金も人員も不足なく整い、徹底した対策を取ることができた。
エミリが火傷を負ってから一週間が過ぎ、感染の兆候もなく順調な経過を見せていた。
火災が起きたのが祭りの最中で、現場が会場から離れていたため、幸いにも怪我人は少なかった。重度の火傷を負った者もおらず、アレクサンドラの冷静な判断と的確な処置が功を奏し、人々の傷は癒えていった。
残念ながら、エミリの火傷は痕が残るかもしれないが、それ以外の後遺症はないだろう。
火災の原因は不明のままだが、かまどの周囲が激しく燃えていたことから、残り火による出火だと考えられた。
さらに二週間後、アレクサンドラの献身的な治療とシルヴァンの支援により、村は少しずつ日常を取り戻していった。
三人で村を歩いていたとき、アレクサンドラは改めて言った。
「こんなに早く復興できたのも、殿下のおかげですわ。みんな、とても感謝していました。ありがとうございます」
「違うだろう、レックス。僕は人と物を用意しただけだ。それをどう生かしたかは君の知識と判断だ」
そう言ってシルヴァンは少し言葉を切り、まっすぐアレクサンドラを見つめた。
「殿下? どうかなさいましたの?」
「君は、その知識を一体どこで得た? この国の賢人でも、そこまで具体的な治療法を知る者はいない。君は一体……」
アレクサンドラは焦って答えた。
「本ですわ! 本で読んだのです!」
「本? そんな書物があるのか? それはどんな本だ?」
「いえ……どこで読んだのかは忘れましたわ」
シルヴァンは小さく笑った。
「君は嘘が下手だな。だがいい。秘密があるのだろう。君が何者であれ、僕は構わない。君は君だ。それだけで十分だ」
その優しい言葉は、アレクサンドラの胸に響いた。
「それにしても、今回の君の功績は本当に大きい。父上は、なおさら君を手放そうとしないだろうな」
その言葉に驚き、慌てて質問する。
「殿下、それはどういう意味ですの?」
「言葉どおりの意味だ。そろそろモイズ村に戻ろう。ダヴィド、君の家族も心配しているだろう?」
呼びかけられたダヴィドは、何か考え込んでいたようで返事が遅れた。
「ダヴィ? どうしましたの?」
アレクサンドラの声に、ダヴィドははっとして顔を上げる。
「あ、あぁ……すまない。少しぼんやりしていた」
「らしくないわね。色々手伝ってくれたものね、疲れたのでしょう? モイズ村に戻ったらゆっくり休んで」
「そうだな、そうさせてもらうよ」
ダヴィドはそう言って力なく微笑んだ。
アレクサンドラは少し気になったが、なにかあるなら彼が話したいときに話してくれるだろうと、それ以上は問わなかった。
ブラウリーツ村に長く滞在したせいで、モイズ村でのダム建設がどう進んでいるのかも分からない。ダヴィドもそのことで思い悩んでいるのかもしれない。
そう考えながら、屋敷へ帰路を急いだ。
モイズ村へ戻ったのは、三週間ぶりだった。朝早くに出発し、夕暮れにようやく屋敷が見えてくる。玄関前にはアリスとイライザが並んで立っていた。
その光景を見た瞬間、アレクサンドラは胸の奥がざわついた。アリスがイライザに何かされていないか、心配でならなかった。
「ご無事でよかったですわ!」
馬車を降りた途端、アリスが涙を滲ませて駆け寄ってきた。だが、その前にイライザが一歩進み出て、彼女を押しのけるように立ちはだかる。
「アレクサンドラ、無事に戻ってきたのね。しかも殿下までご一緒とは」
押されたアリスはよろめき、地面に膝をついた。そして、驚きの表情でイライザを見上げるが、イライザは彼女を一瞥もしない。
アレクサンドラはため息を飲み込み、笑顔をつくった。
「ごきげんよう、イライザ。ええ、おかげさまで無事に戻れましたわ」
そう言ってアリスに手を差し伸べる。
「アリス、大丈夫? 怪我はないかしら?」
「は、はい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
スカートについた埃を払って立ち上がると、アリスはそっとアレクサンドラの手を取った。
イライザは鼻で笑い、芝居がかった口調で言う。
「あら、アリス。いたのね。気づかなかったわ。ごめんあそばせ」
そして今度はシルヴァンへと向き直り、優雅に裾をつまんでカーテシーをした。
「デュバル公爵令嬢、堅苦しい挨拶はいい。久しいな」
「はい。お久しゅうございます、殿下」
イライザはゆっくり顔を上げ、完璧な笑みを浮かべた。




