18
「おはよう。よく眠れたか?」
朝食を取りに食堂へ行くと、シルヴァンがドアのところでアレクサンドラを満面の笑みで出迎えた。
「は、はい。お陰様で。昨夜は大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、構わない。それより昨夜、ダヴィドはすぐに帰ってしまったのか?」
「そうなんですの。用事を思い出したとかで」
ダヴィドに言われたとおり答えると、シルヴァンは満足そうに頷いた。
「そうか、ならいい」
ならいい? 一体なにがいいんですの?
その返事の意味を考えながら、いつも朝食は部屋で取るシルヴァンが食堂にいることを不思議に思った。
「殿下? あの、今朝は殿下もこちらでお食事を?」
「ん? そうだ。山で美味しい山菜が採れたと聞いてね。僕は君のシェフが作る『おひたし』が好きなんだ。塩漬け保存した魚や野菜もね」
「そうですの。それはよかったですわ」
そう答えると作り笑顔を返し、これからは朝食も一緒に摂ることになるのかと思いながら席に着いた。
続いてシルヴァンもアレクサンドラの向かいに座り、二人は無言で食事を始めた。
アレクサンドラは昨夜見た夢のことを思い出し、シルヴァンに対して少し複雑な気持ちになりながらパンを口に運ぶ。
すると、不意に向いからハミングが聞こえた。
まさかと思い顔を上げシルヴァンを見つめた。
シルヴァンはアレクサンドラと目が合うと、不思議そうに見つめ返す。
「アレクサンドラ、どうした?」
「いえ、その、殿下が今とても楽しそうにされていたので」
「ん? あぁ、昨夜とてもいいことがあったんでね」
ということは、やはりアリスとなにか進展があったのだろう。
「それはよかったですわ」
「ありがとう。昨日は一日とても楽しかった」
「えぇ、私もいい気晴らしになりましたわ。お付き合いくださり本当にありがとうございました」
「そうか、よかった。ところで、しばらくダムの方に関わらなくてすみそうと言っていたな」
「そうですわね、しばらくは……」
そう答えて、アレクサンドラはあることを思いついた。
「そうですわ! ここから少し離れたところに、土ボタルが見られる場所がありますの。時間もあることですし、そこに行きませんこと? もちろん、殿下がよろしければですけれど」
すると、シルヴァンは目を見開き、アレクサンドラをじっと見つめ驚いた顔をした。そして、次の瞬間とても嬉しそうに微笑んだ。
「それは素晴らしい提案だ。是非行きたい」
「よかったですわ! ならアリスもお誘いして、ダヴィも来るか聞いてみますわ」
それを聞いたシルヴァンはみるみるうちに元気をなくし、がっかりしたような顔をしたが作り笑顔を見せて言った。
「そうか、確かに旅は大勢の方が楽しいだろうしな」
そんなシルヴァンを他所に、アレクサンドラはこれでさらに二人を近づけることができると今後の作戦を考えていた。
誘った全員が参加の意思を示したので、アレクサンドラは喜んで参加者たちのあいだに入りスケジュールを調整した。
土ボタルのいる洞窟があるブラウリーツ村までは馬車で一日かかる距離だ。
どうせそこまで出かけるのだから、数日向こうでゆっくりできるよう準備することにした。
「お嬢様、デュバル公爵令嬢がお見えになられております」
スケジュール調整をしているアレクサンドラのところへクレールがそう伝えてきた。彼女はロザリーが休暇をとっている間、代わりに入ってくれているメイドだ。
「クレール、今あなたデュバル公爵令嬢って言ったかしら?」
クレールは不思議そうな顔で答える。
「はい、そのとおりです」
「なぜ彼女がここに?!」
その問いにクレールは申し訳なさそうに頭を下げた。
「大変申し訳ございません。私にはわかりかねます」
「そうよね、ごめんなさい。いいの、自分で聞くわ。デュバル公爵令嬢を客間にお通しして」
「承知いたしました」
アレクサンドラはクレールが部屋を出ていくと、持っていたペンをペン立てに戻し、大きくため息をついた。
イライザがここに来た理由は考えるまでもない、その目的はシルヴァンだろう。
シルヴァンはおそらくお忍びでモイズ村に来ているが、イライザはどうやってかシルヴァンがモイズ村にいることを突き止め、追いかけてきたのだ。
それは構わない。だが、イライザはアレクサンドラをライバル視しており、いつもこちらに絡んでくる。
またいつものように嫌味を言われるのかと思うと、うんざりしながら客間へ向かった。
「こんにちは、イライザ。こちらにはいついらしたのかしら」
そう言って挨拶すると、イライザはアレクサンドラのことを上から下まで舐め回すように見て、にやりと笑いその口元を扇子で隠して言った。
「こんにちはアレクサンドラ。今日も素敵ね。私は昨日こちらに着いたところなの。せっかく来たのだからご挨拶ぐらいはと思って」
「そうですの。モイズ村になにか用事でも?」
「えぇ、あなたがモイズ村に引っ込んだって聞いて、少し調べたの。まさか、抜け駆けされるなんてねぇ。本当に許せませんわ」
「『抜け駆け』だなんて、そんなつもりありませんのよ? なにか誤解していらっしゃるみたいですわね」
「ふ〜ん、あなたはそう思っているのね。とにかく、今日からは私も関わらせていただくわ。よろしいかしら?」
「どうぞ、ご自由に」
「では、今日は挨拶に寄っただけだからもう失礼しますわ。お見送りしてくださるかしら?」
帰ってくれるならなんでもいい。アレクサンドラはそう思いながらエントランスまでイライザを笑顔で見送った。
イライザのことはアレクサンドラにとって厄介ごと以外の何ものでもなかった。
だが、ちょうど旅行を計画しているのは幸いだった。これでしばらくはイライザから逃げることができる。そう思うと少しほっとした。
屋敷の者には行き先を口止めしなくとも、シルヴァンが一緒に行くのだ、よほどのことがなければおいそれと口外するようなことはない。
なので、イライザに出かけることを知られる心配はなかった。
アレクサンドラは特に注意を払わず準備を進め、出発の当日となった。
イライザに知られる恐れがないとはいえ、移動しているところを見られれば付けられる可能性はある。
なのでアレクサンドラはイライザに見られないよう、早朝に出発することにした。
シルヴァンやアリスとは目的地で落ち合い、ダヴィドだけは馬車を保有していないので、アレクサンドラと一緒に行くことになっていた。
荷積みが終わったところでアレクサンドラは、御者に村外れでダヴィドを乗せるのを忘れないように言ってから馬車を出した。
馬車の中から空を見上げると、東の空がやっと白み始めたところで、その中でも輝く星を見ながらこれからの旅路に思いを馳せていた。
そこで、馬車が止まった。
アレクサンドラはもう村外れに着いたのかと驚き、ドアの窓から外を見ると、そこに荷物を抱えて立っている人影があり、慌ててドアを開けた。




