8-7 狼幼女カミラ
狼幼女カミラ、御年五歳。
服飾などのデザインをするのが好きな子だ。
黒に銀の混じった綺麗な毛並みと薄い紅の瞳をしている。
ふくよかな大きめの唇は柔らかそうな薄い色合いだ。
鼻は狼獣人によく見られるツンとした感じ。
種族的にちょっと犬歯が目立つので、反抗期が来るのが今から怖い。
一回目の反抗期はもう終った頃だろうか。
親と一緒にいない子の場合はどうなんだろうな。
よく男の子に「やーい、白髪女」とからかわれて、ぶっとばしている勝気な女の子だ。
今、ケモミミ園の子供達の中でちょっとしたブームが起きていた。
それは裁縫や服飾関係の仕事というか勉強だ。
ネットでダウンロードした型紙で、たくさん洋服を作ったので女の子はみんなすっかり夢中だった。
デザイン画や出来上がりの写真と型紙を見せてやったら、凄く興味を引いたようだ。
有料の物はお金がかかるけど、各サイズやバリエーションが色々と入ってるサイトもある。
そういう物は千円くらいからあるし、うちみたいな子供のサイズが色々あるところでは大変御得なパッケージだ。
殊にこのカミラは、常にスケッチブックを持ち歩き、暇があると色々と書き込んでいた。
見るとなかなかの代物で、デザインはまだまだだけれど、なかなかに見所のある絵柄で実に上手だった。
俺が見ているのに気付くと、「見ちゃだめ~」と可愛いお耳の生えた頭でぐりぐりと押して追い返される。
あれこれと乙女の秘密らしい。
当然モデルは自分達なのだが、鉛筆で書き書きしている様子は、昭和の時代の小学生向け某学習雑誌の付録についていたマンガの描き方小冊子のやり方みたいだ。
将来マンガ家になるという選択肢もあるな。
ついベレー帽を被せてみたくなる。
そっち方面では葵ちゃんという指導員もいるし。
他にも裁断や縫製に興味がある子達もいる。
そんな様子を見ていてこう思ったのだ。
この子達のために俺も頑張るか。
ミシンの作成を、と。
とにかく、まずミシンの仕組みや動きを再現出切るメカの模型を作ってみることにした。
そして、すぐに挫折した。
俺は甥っ子達とは違って工業系技術系の人間じゃないんだよね。
そういう事なので、諦めて大人しくプロに頼る事にした。
何件もミシンの業者にメールしたが、残念ながら返事さえ来なかった。
一時は諦めかけたのだが、一生懸命にデザインしているカミラを見ると、もう少し頑張ろうかなと思えてくる。
ミシンメーカーにさえ泣きついたが、当然のように残念な結果だった。
そうこうするうちに一通だけ返事が返ってきた。
零細なミシン修理業者の方だ。
「なんか面白そうなお話ですね。
是非、手伝わせてください」
地獄に仏、いや異世界に仏か。
すぐに丁寧な返事を送ってメールで打ち合わせをする。
親切な業者さんなので、異世界にいる事を素直に打ち明けた。
キャンプ場に電話してもらって、事情を話して管理人さんに話を聞かせてもらうよう御願いした。
ネットに上げた、写真の加工の有無を調べる方法を教えて確認してもらった。
もちろん俺も知らないので、例の掲示板の連中に教えてもらったのだが。
しかし、彼は「何もしないで信じましょう」と言ってくれた。
「古臭い足踏みミシンを、大金を払ってまでそんなやり方で手に入れる理由がわからない。
あなたのような、いい歳をした大人がわざわざそんな手の込んだ悪戯をするとは思えない。
何よりも私にとっては金銭以上に内容が魅力的な仕事だから」
八百万の神々よ、感謝します。
あなた方に祈らせてくれ。
遙かな次元の彼方にある異世界から、日本のこんな素敵な人に出会えた奇跡を。
どうやらこっちの世界には神はおらんらしいのです。
異世界のくせに。
よくネット小説に出てくる白い女神とかがいて加護でもくれたらよかったのが、そんな展開は全くない。
そもそも俺のような『特殊事情』を抱える人間にとって白い女神というのは、西洋では『泉のマリア』と呼ばれるような『泉の白い貴婦人』の事だしな。
リーンカーネーションを経験したと言う人々に対する聞き取り調査で、国や人種性別などを問わずその内容に登場するという、女神様っぽい女性や白い髭の老人なんかには会っていない。
そもそも俺達は転生したわけではないのだしな。
妙に現実感のある異世界で困る。
そもそも召喚されたわけでもなく、次元の隙間から勝手に異世界へ来ちまったようだし。
多分、この世界における魔法も加護も、地球の科学者が研究したら、いつかサイエンスの一分野として分類されるような内容なのではないか。
この世界、実はあまりファンタジーな世界じゃないだろう事には薄々気がついていた。
道理で神も魔王も勇者もいないわけだ。
俺のチートも基本は全部科学理論ベースだからな。
魔素や魔力のような、一種の超物理的なエネルギーが絡んでいるから、かなり結果が出鱈目に見えるけど。
ミシンはまず基幹となる部品、一番技術の要りそうな針が問題だった。
精密な、本当に精密なデータがいる。
だが、幸いにして最近は金属3Dプリンターなんていう物も普及している。
それで針を作成するためのデータを出してもらった。
上手くいけば……。
結果的に上手くいった。
少なくとも、形はそっくりな奴が出来た。
俺も昔はミシン針によく糸を通したものだ。
親の眼が悪くて、なかなか糸が通らないので頼まれて。
ミシン針やボビン、そしてミシン糸もよく触っていたからな。
その質感は体に染みついている。
もっとも、だからと言って簡単に再現出来るわけではない。
材質はこれから詰めていこう。
使われている素材の成分はミシン屋さんから聞いているが、どれだけいいものが出来るのか。
コピーならいざ知らず、精密機械を一から部品を製造するのは非常に難儀だ。
戦車だって一旦生産を止めてしまうと製造設備が残っていたとしても、部品供給網の構築も含めて再生産に数年はかかる。
ミシンの組み立て精度は心配しなくても大丈夫だ。
部品同士はアイテムボックスの中での合成で組み上げられる。
各部品の精度が一番心配なのだ。
特にミシン針などは、昔は中国では生産出来ないとさえ言われていたらしい。
世界一の強大で包括的な生産設備を誇る今ならどうか知らないのだが。
逆に中国をサプライチェーンから外すと入手困難になる物が多々あるらしいし。
それでも国家としての行状があまりにも良くないせいで国際的に嫌われて、先進国では中国離れが進んでいる。
いずれは中国抜きで完成されたサプライチェーンが誕生する事だろう。
コストの問題があるから、それも苦難な道程だろうが。
そうなれば中国に近いという事で地の利を得ていた日本経済にはマイナスになるだろう。
それも安全保障を加味すれば御釣りがくるほどプラスなのだが。
水も安全もタダではない。
超精密な真球であるパチンコ玉なんかもそうだが、単純な物ほど難しい部分はあるようだ。
そこでアイテムボックス内にて、金属材料と3Dデータを合成して製作してみたのだ。
写真データを物体の上に印刷や塗装のように転写出来るのだから、もしかしたらとは思っていた。
他の部品も次々とデータ化してもらった。
ミシンオイルはある。
MTBに使うように車に積んであったので。
ミシン糸の構造もなんとか自分の着ていた服から解析して作れた。
そもそもコピーできるしな。
元々触ったり使ったりした事のある物は比較的容易に再現できた。
足踏みミシンも家庭用の物でいいのならば、子供の頃には母親から怒られまくりなほど遊び倒したもんだ。
構造に詳しいわけなんじゃないけど。
遊ぶ時は、足の代わりに手で足踏み板をぐいぐいぐいぐい動かすだけだ。
ベルトがぐるぐる回るのが楽しいのだ。
あと天蓋を開けて中の仕組み見ていたりとか。
仕組みがわかっているわけじゃないけど、とにかく見たいのだ。
それも見るだけなんだけど。
トーヤなんかを見ていると、子供の頃の自分を思い出す。
さすがに、ああいう大型の機械をバラしたりはしなかったが。
バラすと元に戻せないので修理屋を呼ぶと凄く金がかかるはずだ。
ミシンの主な構成部品である金属部品は、ミシン屋さんの絶大な協力により完成した。
木工部分の製作は王室御用達の業者を紹介してもらった。
細かい部品から大きな部品まで、プロの手により精査され、全ての部品が一応の完成を見た。
そしてアイテムボックスの中でミシンは組み上げられた。
金属系の本体部分は日本で超精密に測定した物を俺がアイテムボックスで作成した物なので上手くいったが、木製のテーブルの建付けがアウトだった。
規格品じゃなくて各人のセンスで作っているせいだろう。
出来栄え自体は素晴らしく良いのだが、残念ながらJIS規格には合わなかったようだ。
そもそもインチでもセンチでもない、『自分の規格』で作っているからな。
止むを得ず、そこは自分で削って強引に合わせた。
失敗してもいいように最初にコピーをとっておき、アイテムボックスの中で削り込んでいき整合させてみた。
最初からアイテムボックスで作ってみてもよかったのだが、俺の美術的なセンスに自信が持てなかったのでな。
古いミシンなどは、中の機械が壊れてしまっていても、それをとっぱらってアンティークとして店などで飾られる事すらある立派な意匠の製品なのだ。
作業をしていると、もう子供が寄ってきて寄ってきてしょうがない。
「これなにー」「みせてー」「いじらせてー」「ぶんかいしたいー」などと小煩い。
トーヤ、分解だけは駄目だー。
どれだけ苦労してこいつを組んだと思うのだ。
建付け修正だけで丸一日かかってしまった。
そしてゴムベルトをかける。
こいつは地球製の柔な代物とは訳が違う。
魔物革で、おまけにたっぷりと強化の魔力を込めてある。
こいつはドラゴンが引っ張っても切れねーぜ。
それでいて機械部品へむやみに負荷をかけない柔らかさがある。
そう。
何を隠そう、こいつはヒュドラのあのニュルポン革で出来ているのさ。
少なくともゴムよりは遥かにいい素材だ。
繋ぎ方だけはオリジナルのミシンとは異なるやり方だ。
素材が頑丈過ぎて簡単に穴が開かないので、ホッチキスみたいな金具で留められないからな。
逆に耐久性はバツグンなので、滅多に交換する必要はないだろう。
まず、出来上がりをコピーしておく。
それから試運転で回してみる。
お、なかなかいい感じだ。
しかし子供達がもう我慢出来ない。
足踏み板をみんなでギッコンバッタンし始めた。
「こら、トーヤ。
分解しようとするんじゃない」
仕方が無いのでもう一台完成品を出して、そいつで試し縫いをする。
色々と調整がうまくいかないので、業者さんとメールでやり取りしつつ、なんとか試し縫いが終ったのが二時間後だ。
試しにエリーンを呼んでやらせてみたら、なんと初めて扱う機械で小器用に縫ってみせた。
こいつ、マジで器用!
不器用の権化であるおっさんにはついていけない。
それにしても一式***万円でよく出来た。
日本で完全に部品にばらして、部品全点数を精密に測定してもらっているからな。
本当に激安でやってもらっているので大感謝だ。
出来れば職業用足踏みミシンも欲しいんだけど、そこまで我侭を言える身分じゃない。
あれは個人用じゃないから、たぶん殆どが商売用なので買い替えや廃業の際に廃棄されてしまっているのではないだろうか。
個人向けは家庭内で死蔵になっている物がまだあるんだろうがなあ。
それに、こっちじゃ金はいくらでも入ってくるが、向こうの金である日本円はそうはいかないからな。
カミラもミシンに対して興味津々だ。
イマジネーションをかき立てられているらしい。
それからネットでダウンロードして紙に合成したものを組んで製本した、洋裁やデザインの本を与えてみた。
すると目を皿のようにして見ていた。
他の子も一緒になって、デザインや洋裁を目指す服飾方面グループが出来たようだ。
その様子をネットにアップして、ミシン屋さんにも見てもらった。
コピー品のミシンを一台分解用にくれてやったので、楽しそうにバラしまくっているトーヤの姿も。
やがて彼は、後にこの世界におけるミシンの父と呼ばれるのであった?
今は只の分解魔王だがな。
とにかく奴がうちにいる以上は、やたらなものはそこらにおいておけない。
他の職員さん達も戦々恐々だ。
今、奴は間違いなくケモミミ園で一番の問題児なのだ。
(おまゆう……)
なんか真理の声が聞こえたような気がするが、きっと風の精霊の囁きなのだろう。
俺の膨大な自然魔力放射に寄ってきたのに違いない。
それからしばらくして、ミシン屋さんから楽しそうなメールが届いた。
「皆さん楽しそうで何よりです。
トーヤ君には色んな工具一式のデータのダウンロードセットと、ミシン関係の技術書をデータでプレゼントしましょう。
私の跡を継いでくれるような子供もいませんので、私の代でこのミシン屋も終了です。
もうそんな時代ではありませんので、うちの子供達は皆、普通に会社へ行っているのです。
異世界で技術屋の魂が受け継がれるなら、私にとってそんな素晴らしい事は他にない。
トーヤ君には応援していると伝えてください」




