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1-5 旅立ちの日

 マジで殺される。

 そう思いながらも、その現実を心身共に受け入れる事は出来なかった。


 二十一世紀の日本で、ただキャンプに来ただけのおっさんには順応する事すら出来ないような、ありえない異世界での出来事(しゅうげき)


 動けない。

 いや体が動かない。

 心は必死に動こうとしていたのだが、肝心の体はピクリとも動かない。

 金融マーケットでもよく体験した奴だな。

 本物の命懸けな分は、あれよりも確実にもっと酷い状況だ。


 そいつが迫ってくるのを、ただ視る事が出来るだけ。

「見る」などという、直接眼球の動きを伴うような生易しい生物学的な行為ですらない。


 何かの映像が垂れ流されているだけのような無機質な物を、第三者が何の感情もなくただ眺めている感じの『視る』といった感じだろうか。 


 ああ、これって御馴染みの蛇と蛙の話だわ。

 生き物が圧倒的な存在の捕食者に出会って喰われるって、こういう事なんだ。

 もしかしたら無意味な抵抗は本能的に止めてしまうのかもしれない。


 呪縛・硬化・麻痺、そういう物に対する耐性スキルが出来てしまいかねないほどの深みのある体験。

 脱糞や失禁すらも出来ない。

 ああいう、本来であるならばこういう時に勝手に発動するはずの、本能に裏付けられた体を軽くして生き延びやすくしようとする行動にさえ見捨てられている圧倒的なまでの死に淵。


 まるで怨霊か魑魅魍魎に魅入られてしまったかのようだ。

 くそ、このままだと襲撃どころか本当に人生の終劇を迎えてしまいそうだ。

 動けよ、動けったら!


 そして、生憎な事に俺ではなく奴の方が動き始めた。

 獲物目掛けて、にじり寄るように少しずつ。


 迂闊に驚かせて獲物を逃がさぬようにという配慮であったものか。

 足元の土や小石を踏みしめて近付く、闇の眷属である静寂(しじま)をかき分けて、不気味に響く音が聞こえてくる。


 その一つ一つが死の足音だ。

 心なしか、そいつの表情が笑みを象っている気がする。

 汁気たっぷりの獲物を噛み砕く愉悦に囚われているのだろうか。

 口の端から零れる涎、こちらをロックオンした燃えるように真っ赤な目。


 今、奴から逃げ出して背を見せれば、獲物を逃がさないように爆発的な跳躍で即座に襲い掛かってくる気だろう。


 そいつの多脚は伊達にそうなっているのではなく、獲物を追い詰めるための高速機動や、こういう瞬発力を必要とするシーンで威力を発揮するためのものなのだ。

 なんの理屈もなく、自分の特殊能力でその事実が理解出来た。


 思わず俺は念じた。

 死にたくない。


「もう、こんな体で生きていたくない、いっそ殺してくれ」


 ずっとそう願っていたにもかかわらず、いざ理不尽な死と対峙すると情けない生にしがみつく。

 こんな状況ではあったのだが、人間ってこんなものなのかと改めて思い知った。


 そして何故か自動的にアイテムボックスが起動する。

 奴が獲物へ向かうための跳躍に備え、全身の筋肉を収縮したその刹那の事だった。


 その怪奇な生物は、突如上空から襲う数十本の大型刃物に全身を刺し貫かれて絶叫した。

 直前までそんな物が降ってくる気配はなかったので、奴もまったく警戒していなかった場所からの奇襲に心が弾けた事だろう。


 悪魔の叫びかと思うような呪詛と苦痛に満ちた咆哮に俺は身震いしたのだが、そんなものに構ってなどいられない。

 その御蔭で呪縛から解き放たれた体が覚醒して、飛び起きる事を可能とした。

 なんつう威力の目覚まし時計だ!


「こいつは俺の力で殺す事が出来る。ダメージを与え苦鳴を上げさせる事が出来る」


 理屈ではなく、目の前の光景と奴が放った苦鳴から問答無用でそれを理解し、魂に力が湧いた。


 元は頑丈なクロカン車の外板であった大型で厚手の鉄板を、今度は自分の意思でアイテムボックスから追加で空中に呼び出して、まだ蠢いていた悪魔の上からギロチンの如くに重力のパワーで振り下ろした。


 バスっという鈍い音と共に、奴は首を取り落とされて、闇の支配する森にずっしりと沈んだ。

 そして鉄板が地面に浅くめりこんだ音を最後に、重量感のある静けさだけが夜の静寂に木霊した。

 転がったまま燃え続ける炭の火だけが、小さく転々と散らばった状態のまま襲撃の残り火として燃え盛っていた。


 俺は全身の力が抜けて、その場で再びへなへなと尻餅をついてしまった。

 そこへ耳朶を打つ、ガサっという不意打ちの心へのノック。


 茂みから聞こえた物音に、これまたみっともなく飛び上がってしまった。

 四つん這いになったまま慌てて周りを見るが、特に何もいない。


 しかし、ふと闇に浮かぶ小さな赤い目が二つ、こちらをじっと見つめている。

 さっきの騒動の後なので緊張するが、闇の持つ視覚的な物体拡大効果を持ってしても、そいつは恐ろしい怪物には見えない。


 どうやらそいつは只の小動物のようだ。

 あるいは、そいつもまた小型の魔物なのか。

 もしかしたら普段はさっきの奴が倒した獲物の御零れを頂戴しているような、森の掃除屋的な奴なのかもしれない。


 そうだ、レーダー!


 慌ててそれを展開してみた。

 付近に赤い点は見当たらない。

 どうやら、先程の小さな奴はこっちを襲ってくるような剣呑な奴ではなかったらしい。


 さっき倒した怪物はMAP上で見事に灰色へとなり果てていた。

 俺はおそるおそる、そいつを目視でアイテムボックスに収納してみた。


 生者の持つ魔力抵抗に弾かれる事無く、そいつはちゃんと収納に収まった。

 全身が弛緩するかのように肩の力も抜けて、俺は体を緩やかに落としていった。

 まだ若干震えながらもホッとする。


 やっぱり奴は死んでいた。

 首を落としたので普通なら死んでいるはずなのだが、どうにも自分で近寄って突いてみる気にはなれなかったのだ。


 今回は完全にヤバかった。

 こんな場所で、あまりにも無防備過ぎたな。

 俺に代わって敵を倒してくれた『俺の中のあいつ』に感謝する。


 あの街にいた人間の、重度に武装した様子をMAPで見ていながら、なんという為体(ていたらく)だ。


 こんな無防備な場所で、来るかどうかもわからない帰還のための揺り戻しを待っていると死んでしまいそうだ。


 ここには逃げ出すための道さえも存在しない。

 もしかすると、ここはさっきの怪物グリオンの巣だったのかもしれない。

 異様な地形だった事には気が付いていた。


 いや、それとも獲物を捕らえるための罠か。

 そう考えてまた身震いした。


 今振り返ると、ありえない無謀さの塊のようなキャンプだった。

 ここにいると、また魔物による襲撃を食らうかもしれない。


 あれが群れを成す魔物だったら一体どうするのか。

 他の奴が大挙して戻ってくるような事態も考えられる。


 襲われてから慌てて逃げ出しても徒歩では絶対に逃げられまい。

 あの怪物は、この深い森の木々の間を楽々と移動し、音もなく背後から襲撃してきたのだ。


 さっきの小さな奴は無害だったが、小さくとも群れで襲撃してくるような奴が来たら、それもまた逃げようがない。

 大昔の恐竜で、そういう超小型の群れ為す肉食恐竜がいたな。


 あとゴブリンの群れにでも襲撃されたなんていったら嫌すぎる。

 きっと連中は猿の集団のようなヤバイ連中だろう。


 そいつらが猿みたいに木々の上を、枝に捕まって跳びながら追ってきたりしたら泣くぜ。

 おまけに人型である奴らは、おそらくその手に武器を持つ。


 一対一の取っ組み合いをして猿に勝てる自信などまったくない。

 家猫や人間の子供サイズしかない猿は、その純粋な生物としての戦闘力において成人男性のそれを遥かに上回る。

 その上武器なんて持たれたら完全にお手上げだ。

 山の手に在る勤務していた会社近辺にいた野生の猿が、二本足で歩きながら棒きれを振り回している姿を見た事がある。


 もう、かなりの時間が経った。

 縋っていた唯一の希望である揺り戻しも、最早期待薄だろう。


 街にいる連中が武装している理由がよくわかった。

 ここは魔物が闊歩する世界なのだ。

 人は街に住むものだ。


 魔物対策以外に他にも武装している意味があるのかもと思うと、それもまた憂鬱なのだが。

 そいつは地球でも御馴染みの理由に他ならない。


 とりあえず、今日はレーダーとアラームを仕掛けておき、思いっきり強化をかけたバンガローの中で何かあってもすぐ出られるような格好で寝る事にした。


 炭が転がった結果である火の始末だけは、収納を使ってしっかりとしておいた。

 その夜は他に襲撃は無かった。


 まんじりともせずに夜を過ごしたが、いつの間にか緊張の糸が切れて寝てしまったようだ。



 バンガローの中に突き刺さる朝の日差しが、眩い世界を作り出してくれていた。

 ふうっと息を吐く。

 闇の中で、心の中にのみ棲む幻の怪物と対峙し続ける夜は精神的にかなり堪える。


 それから、強化されたこの安全地帯(バンガロー)の中で朝飯にする事にした。

 車・服・ブーツなんかにも強化をかけておいた。

 バンガローも一回仕舞ってコピーした。

 これで、このバンガローを捨てて逃げても心おきない。


 何故だか知らないのだが、このバンガローにはちゃんと電気が来ている。

 どうなっているのだろうか。

 やはり自分のMPで生成しているのか?

 それは物質やエネルギーとして循環する性質も持っているようだ。


 MP量が馬鹿みたいに増えて常に時間回復しているし、物品の中には常にMPを消費して自動コピーしている物もあるので、そのあたりの事はよくわからない。

 コピーしたバンガローにも、やはり電気は来ている。


 とりあえず朝飯にするか。

 安全なバンガローの中で朝食の調理にかかる。


 習慣で、まずは野菜ジュースを飲むところから。

 これは糖分が体に悪いとか栄養が無いとか言われるが、俺の場合は食物繊維を摂るのが目的なのだ。

 小パックの一本丸々は飲まない。


 次に卓上ガスコンロを用いてハムエッグを焼く。

 卵は普通よりも少し値段が高い赤卵だ。

 その分は美味しいから、こいつを買っておいて正解だった。

 パックの、最初から薄く切ってある普通のハムも持ってきておいてよかった。

 こいつは只の残り物だけど。


 ハムエッグが焼けるまでに、パックのサラダの封を切り、いつものフレンチドレッシングをかける。

 それに常食しているミニトマトを出して添えて。


 後は果汁百パーセントのオレンジジュースを紙コップに注いで、食べ慣れた銘柄のヨーグルトを出す。

 特売品で買ったサツマイモ味のスティックパンも引っ張りだして並べていった。

 なんだか、いつもの家で食べるような朝飯の風景になってしまった。


 碌に料理とも言えないような代物だが、これも一式コピーしておく。

 家で食べ慣れた、定番の朝食セットだ。

 いわゆるホッとする味って言う奴だな。


 それだって震災の時なんかには非常に大事な要素なのだ。

 はっきり言って、今回はそれ以上の大惨事だわ。

 大災害の時は怪我一つ無くたって心にもダメージを負ってしまう事がある。

 食べ慣れない備蓄食料は、胃や心が受け付けない危険性があるのだ。


 今度は米の飯と味噌汁のバージョンも作ろう。

 海苔やフリカケに漬物なんかもある。

 このように特殊な状況で異郷に渡った日本人にとって、これはきっと心身共に大きな意味を持つ。

 日本人にとってのスーパーソウルフード、梅干しまで持ってきちゃってるしな。


 それを食いながらあれこれと考える。

 あのキャンプ場の事、そこで借りたままになってしまっている物品に、そして土台ごと持ってきてしまったバンガロー。

 そして自宅のマンション、管理費や町内会費などの支払いもある。


 マンションはそのうちには大規模修繕になる時期だったよなあ。

 在宅していないと出来ない工程もあるので、そいつはどうしようか。

 日本へ帰れる保証なんてどこにもないのだが、それを言ってしまったら「絶対に日本へ帰ってやる」という心の支えを失ってしまうだろう。


 様々な銀行引き落としもある。

 引き落としに用いているクレカの期限が切れたらどうしようか。

 次回に書留で送られてくるカードの受け取りが出来ないとカード期限の更新が完了しないはずだ。

 まだ五年期限の物を更新したばかりで期限まで間があるが。


 今頃、向こうのキャンプ場はどうなっているものやら。

 電話は通じないし、ステータス画面代わりのPCには俺が使った事のないIP電話の機能は無かった。

 いざとなったらメールだけでなんとかしよう。


 諦めて、もう日本の雑事について考えるのは止めにした。

 考えたって今すぐにはどうにもならないのだから。


 今日でこの事態になって三日目になる。

 もう「揺り戻し」による帰還はまったく期待出来ないだろう。

 完全に神隠し状態なのだ。


 この危険そうな場所にはもう見切りをつけないといけない。

 とりあえず地図に表されていた直近の街を目指すか。


 色々と仕度をしながら、この先をどうするのかというシミュレーションをしていた。


 丸々三日は揺り戻しを待つと決めたものの、昨日のような命に係わるような出来事があっては、もはやここを出立する他に選択肢はない。


 例のPCに地図がある事を感謝した。

 安全を優先しつつ、MAPと実際の道を照らし合わせながら車が通れる道を徒歩で探す事にした。


 服装はジーンズ・Tシャツ・トレーナー・ボンバージャケットに毛糸の帽子に革のブーツ。

 慣れないブーツだし足元は歩きにくい地形だが、毒蛇とかを警戒してブーツにしたのだ。

 手は只の軍手だけど。

 若返った体に、もう眼鏡は必要ない。


 全てに強化を重ねがけしている。

 自分自身も身体強化発動中だ。


 手には手頃で頑丈そうな木の枝を杖代わりにしている。

 藪があれば鉈に持ち変える必要があるだろう。


 そして、いつでも武器は出せるようにしておいた。

 とりあえず、この世界に生息する、まるでB級映画の主役であるかのような怪物を相手にするのなら、半端な豆鉄砲の銃なんかより大型刃物の方がいいのかもしれない。


 そういうのは吸血鬼物の創作作品なんかじゃ有りがちな事だよな。

 どっちかというと、この世界じゃ頭から齧りにくる奴の方が多そうな雰囲気だけど。


 鉈で藪を払いながら山中を行き、レーダーで監視はしておく。

 これでおそらく昨日のような事はないだろう。


 山の中をMAP頼みで二時間ほど行ったら、いきなり道が開けた。

 道無き道ではないが、なんというか人が開いた道ではなく獣道のような感じか。


 そいつは狭いので、さすがに車幅のある俺の愛車で行くのはキツイけどな。

 それでも、それなりの広さがあるのが怖い。

 一体何が踏みしめた跡なのやら。


 熊や猪ならまだマシっていうところだな。

 あれは一方的に食われる格上過ぎる相手ではなく、上手く仕留められればこっちが食えない事もない。

 猪なんて、自宅から車で三十分のところにある親父の在所付近じゃ鍋料理の具でしかない。


 あるいは、もしかするとあのグリオン用の道なのか。

 それは十分に有り得る話だ。

 ここって、あいつの縄張りだったはずだ。

 まだ近くに御仲間が潜んでいるのかもしれない。

 徒歩で進む間に、背後にこっそりと肉球で足音を殺した送りグリオンが出たらどうしようか。


 どうせバンガローはコピーした物なのだし、今使っている物は別荘として置いていこう。

 俺がこの世界へ出現した場所の目印になる。

 元の世界へ帰るための貴重なマーカーだ。

 いつか再び、この始まりの場所に日本への扉が開く事があるかもしれない。


 街に入る事が駄目なら、ここへ帰ってくるしかないのかもしれないのだし、ベースとしてそのまま置いておく。

 駄目だった場合は、他の人がやってこないだろう、ここが拠点としていいかもしれない。

 魔物は出るけれど。


 街に入れるのなら危険は冒すが、そうでないのなら一人の方がいいかもしれない。

 多分、こんな世界で街の外にいる事を選んでいる人間は……魔物よりも絶対に危険だ。


 幸いな事に、世捨て人であった俺の孤独耐性は高い。

 最悪はこの山中にて生涯を終えるとしよう。

 さすがにそれは俺にとってもキツイ選択だけどな。

 まあ命あっての物種だ。


 身体強化をかけてガンガンと歩く。

 目指せHPのレベルアップ!


 レベルが上がれば生存確率が増すはずだ。

 道のよさそうなところを見計らって、いつしか半ば走っていた。


 歩けば十二時間はかかるだろうところを、八時間ほどで暗くなる前に広めの道に出た。

 道はあまりよくないが、ここならば車幅のある俺の車でも、かろうじて走れそうだ。


 車を出して今日は車中泊と洒落込んだ。

 俺の車は図体はデカイのだが中は案外と狭い。

 まあオフロード走行性重視の車なので、そいつは止むを得ない。


 色々と考えたのだが、今夜はリヤシートを倒し荷台を広くして後ろで丸くなって寝よう。

 シートの上で寝ていると、多分余計に疲れてしまいそうだ。

 エコノミー症候群も怖い。


 同じオフロード車なら、荷台やシートの広いタイプにしておけば良かったか。

 いやいや、こんな世界だからこその、このごつい走破性優先の車なのだ。

 限りなく軍用車に近いこの車だからこそ頼りになる。


 T社の車だから、そう簡単には壊れないだろう。

 走破性の高いアメリカの軍用車タイプとかでも、再生スキルで直したりコピー品に交換したりも出来るけれど。


 だが「何かから」逃げている間にそんな羽目にはなりたくはない。

 そういう時は車を降りないといけないのだ。


 その時に、もしグリオンみたいな奴に囲まれていたら死ぬ。

 相手がでかくても踏まれる。

 相手が速ければ相対してからのゼロ発進では逃げきれまい。

 壊れたら直せばいいという思想で基本設計された車では、ここでは生き延びられない。


 ガソリンもインベントリからの直接給油が可能だった。

 これがまたありがたい。


 本当なら自衛隊用車両の民生版が欲しかったのだが、近隣にある生産元のT社に問い合わせたが、直近でのまとめ生産の予定がなかったので入手できなかったのだ。

 基本生産中止の車種だから、海自・空自あたりからのまとまった調達が無ければ作ってくれない。


 生産されてからかなり経った車なので、出回っている中古ではあまりにもコンディションが悪い。

 無念だ。

 あれこそ、この世界に相応しい車だろうに。


 あれは荷台も広いから、椅子を取っ払えば普通に寝れる。

 今なら再生のスキルが使えるから、古くたって全然構わないんだが。

 しかし日本で普通に購入するには、八億円あってもちょっと二の足を踏んだ。

 なにせ一五~一六年落ちの車が殆ど新車と変わらない高額な値段なのだ。


 車の弾数があまりにも少なすぎる。

 T社の関連会社が運営するオフロード走行場でさえ、自社製品であるにも関わらず二代目を中古で購入しているくらいだ。

 それに幅が普通の大型バス並みにあって非常に走りづらい。


 今の車なら行きつけの場所の立体駐車場にもなんとかギリギリ収まった。

 自衛隊車両の民生版だと、俺の車幅が広い車よりも更に幅が三十センチくらい余計にあって、後ろの視界もあまりよくないし。

 はっきり言って小型のバスサイズだ。


 あの車はバックドアにクレーンで吊るさないと動かせないほど大型のスペアタイヤが装備されている。

 そのための簡易なタイヤ交換用のクレーンがついているくらいの代物だ。

 その分、後ろは見難い。


 一般の人が乗り回すのはちょっと無理がある。

 重度の四駆マニア兼軍用品マニアしか乗るまい。

 俺はそこまで患ってはいないので、さすがにあれは遠慮したのだ。



 しばらく進んでいくと、少し広めだが段差があり、やや緩やかな斜面になっているようなスペースを発見した。

 地面は普通の車なら上がり込むのに二の足を踏む状態なのだが、うちの車なら最低地上高を全く気にせずに上がりこめる。


 ここで一泊するとしよう。

 さすがに外でキャンプする気になれないから車の中で御飯にした。

 車を左右に傾けた状態で強引に止めているので、中に座ると当然体がドア側に傾いた状態になるが、気にしてなんかいられない。


 一頻りの準備はしてきた。

 レトルトやパック御飯は温めて専用のファイルに元本として入れてあるし、カップ麺用の熱湯も用意してある。

 ウインナーやハムも焼いて、唐揚げも作ってある。

 唐揚げとビール、そしてコンビニで買った助六寿司で晩御飯にする。


 後はもう何もやる事がないので大人しく寝た。

 ゲームをする気にもなれない。


 エンジンはエアコンのためにかけっぱなしだ。

 こいつのエンジンはそのくらいじゃビクともしない。

 万が一、それでエンジンがへたったら車を次のコピー品に交換するだけだ。


 ここでは地球環境云々は言われないからCO2放出は気にしない。

 そもそも、ここって地球じゃなさそうだしな。

 他に排気ガスやCO2を放出する自動車なんか一台も走っていまいよ。


 とりあえずリヤシートを倒して寝るスペースを作る。

 エアコンの暖房をかけて、荷台に敷いた敷布団の上にアルミマットと寝袋や毛布も敷いて、その上から掛け布団を被って寝る。


 少し丸くならないと体が荷台のスペースに収まらない。

 まあ、でもシートで寝るよりはかマシな態勢だろう。

 さすがに、こんな無防備なところでバンガローを出す気にはならない。

 エンジンはかけっ放しなので、何かあればいつでも逃げ出せる。


 突然夜中に揺り動かされて、ティラノザウルスみたいな奴と狭くて真っ暗なオフロードで鬼ごっこをする羽目にならない事を祈ろう。


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