7-3 貴族の悲哀
俺達はアルバトロス王国大使館の、在ベルンシュタイン帝国大使に面会を求めていた。
それから、ほどなくして大使が現れた。
既に髪に白いものが多く混じり年輪を感じさせる風で、体は筋骨隆々ではないが、それなりにがっしりとしている。
少なくとも贅肉なんていう厄介な物はどこにもついていない。
その歳で大したものだ。
俺はそっと自分の再生前の体形を思い出していた。
うはあ、こいつはあきまへん。
そっと心の中で白旗を掲げておいて、大使観察日記の続きを始めた。
穏やかだが理知的な鋭さを称えた瞳。
だが酷薄そうな顔立ちではない。
こいつはまた頼りになりそうな人物だな。
なんとなくアドロス商業ギルドのロゴスを思い出す。
「これは、これは。
御高名なグランバースト侯爵様と、そちらは彼の英雄一族オルストン家三男の方ですな。
私はマリウス伯爵。
この帝国で大使を勤めさせていただいております。
どうか御見知りおきを。
最近のグランバースト侯爵の御活躍は耳にさせていただいておりますよ。
アントニオ様、Aランク試験の方は頑張ってください」
そう、俺は今貴族名としてグランバーストと姓を名乗っている。
以前に大神官へ行った際に役人からアルフォンス名誉侯爵などと呼ばれてしまったから、自分で姓を作ってみたのだ。
まあ意味は読んで字の如くだ。
語感がいいので、この名前にした。
グランバスターとかグランブラストだと語感イマイチだなと思って。
ゲームの技かなんかで、そういう名前の奴があるらしいが全く関係ない。
俺は魔法が全属性で、果ては物理兵器まで使用するから、特定の魔法なんかの名前じゃちょっとな。
まあ、ここでは「大破裂野郎」を名乗って生きていくさ。
グランバーストには射撃関連の意味もあるようだし。
王国は宣言どおり、名誉貴族ではあるものの、俺に対して通常の貴族扱いをしてくれていた。
だから大使もグランバースト名誉侯爵ではなく、きちんとグランバースト侯爵と呼んでくれている。
高名というより悪名だろう。
なんせ貴族殺しの異名を取るからな。
まあ実質は「ケモミミ園園長先生」がメインの肩書きなのだが。
最近は、これが称号欄の先頭に躍り出た。
称号って称号欄の中で順番が勝手に移動するのを初めて知ったよ。
最近では、栄えある冒険者ギルド発祥の地である王都アルバの冒険者ギルド・ギルマスであるアーモンからさえも、現在世界最高位となるSSランクの冒険者の癖に園長先生などと呼ばれている始末だ。
ソファを勧められたので俺達二人は座る。
アントニオはそれなりに優雅に、俺はドカっと腰かけて。
これは革張りだが豪華な奴だ。
地球で座った事のあるイタリア製の高級革張りソファの座り心地を思い出す。
見かけだけではなく、体重を預けた時の上質な受け止め方に値段の高さが窺われる。
椅子っていう物は、ただ椅子の形をしていればいいという物ではない。
さすがは大使館だけの事はあるな。
部屋の壁や調度も華美ではないが好感の持てる上品さだ。
ここ敵地ともいえるベルンの大使館くんだりまでやってくるアルバトロスの人間は、基本的に身分が高い人間か、あるいは本国にとってのVIPだからな。
きっちりともてなさないと大使閣下の出世に響くのだ。
出来合いの中古の工房の建物を改造しただけのケモミミ園とは大違いだな。
まあ、あれはあれで趣きはある。
きちんとニーズには合っている建物なのだ。
それに子供が汚すだろうから、あまり立派な建物でもな。
さほど間を置かず、若くて綺麗な女性が御茶を持ってきてくれた。
こういう印象も大切なのだろうな。
御茶も上等な紅茶だが、御茶請けの御菓子が気になる。
なかなかの物のようだが、王国産なのか帝国産なのか。
そっと一掴み手の中に握り込んで収納し、コピーしてみた。
これでチビどもへの最低限の御土産が一個ゲットできた。
これで、いつアドロスへ逃げ帰る羽目になってもOKだ。
この辺の用意周到な感覚が、雑魚な小僧どもとは一味違う老獪なおっさんならではの強みだ。
「その件で大使に確認したいことがある。
この男の素性についてだ」
俺は大使に、ニールセン侯爵と思しき人物の写真を見せた。
「ふむ、これはニールセン侯爵ですな。
彼が何か?」
やはりそうか。
気付かれたくないので人物鑑定は遠慮しておいたのだが。
あれはマーカーと違って案外とバレるらしい。
あのニールセン侯爵は勘の鋭そうなタイプなので止めておいたのだ。
軍人上りは諸々馬鹿に出来ない存在のようだった。
それに、生まれて初めて拝むだろう精巧な絵姿である写真なる物について、眉一筋動かさずにスルーできるのは、この大使の力量だろう。
もしかすると、俺が稀人だと本国より聞いているのかもしれない。
「彼の手の者がアントニオを付け回している」
「それは確かな情報なので?」
大使は真っ直ぐに俺の眼を見て言う。
なんというか、まるで彼の人物がそういう事をする人物であるのはわかっているのだけれども、きちんと言葉で確認したいというかのような。
「この目で確かめた。
また豪い人数を動員していたよ。
とりあえず、ざっと五十人はいたな」
それを聞いた大使は、やや大きめの溜息を吐いて話を切り出した。
「このニールセン侯爵というのは、いわゆる急進派という奴でして、同じく急進派の第二皇子シャリオン殿下の関係者ですな。
シャリオン殿下のフィアンセがパシオン侯爵家の御嬢さんでして、これがニールセン侯爵の姪にあたります。
ニールセン侯爵は軍にいた頃は瞬神ニールセンと異名をとったほどでして。
無闇に動きはしませんが、容易周到に立ち回り、いざという時には疾風の如く動く事からそう呼ばれています。
実に手強い人物ですよ。
あなた達は連中の企みを完全に潰しましたからね。
かなり恨まれている筈ですから注意が必要でしょう。
特にアントニオさんは、Aランク試験に合格すればSランクの王国高位貴族になられます。
しかも、それは武門に秀でた名門貴族たる王国の剣の復活を意味します。
それが我が国にとっては、実力的な意味においても、また象徴的な意味においても非常に有意義な事です。
現在、帝国がアルバトロス王国内で最も排除したい人物でしょう。
今なら一冒険者として始末できますので、この帝国内でどうにでも出来ます。
グランバースト侯爵につきましては、正規の王国貴族扱いでありますので、この帝国内で手を出せば外交問題になりますから当面は表立って手を出してこないでしょう。
しかも王国に対して何一つ義務を持たないという他に例を見ないほど特殊な名誉貴族で、それを笠に着るつもりならば、まさにやりたい放題の身の上。
連中も無理はしないでしょう。
それにあと、貴方に手を出すと非常に、非常に厄介ですからな」
そのように何かを含むような言い方をしながら、大使は意味ありげに「俺に向かって」怪しく微笑んだ。
なんというか、それは『狸笑い』とでも呼んだらいいような「確実に言外に何かを含む」独特の笑顔であった。
こ、この大使は!
えー、もしかしてええのか?
ん? ん?
やってしまってもええのんか?
いやあ、心の中で引き合いに出した真っ直ぐな気性のロゴスに謝らないといけないくらいのレベルで、この大使は狸だった!
「それはまた厄介な連中が敵に回ったもんですなあ。
はっはっはっ」
同じく楽しそうに笑う俺。
この老獪な狸爺と破壊神のやりとりにアントニオが顔を顰めたが、奴としても文句は付けられない。
何しろ、今回俺を呼んだのは他でもない奴自身なのだから。
俺と大使は共に、その狐と狸の化かしあいのような会話を楽しんでいた。
どうやら彼も俺の事は気に入ってくれたようだ。
いやあ、御茶も美味いしな。
何より菓子は美味かった。
ミルクや特殊な砂糖の使い方が絶品だ。
きっと貴族御用達の品なのだな。
アイテムボックスで分解して、これに使われている原料の砂糖を入手してみたが、これは地球にはないタイプの代物だった。
帝国の特産品であろうか。
せっかくの異世界なのだから、こういう物をもっと集めたいな。
この砂糖はエリにも渡しておこう。
帝国の物品の入手は、後でアドロスの商業ギルドにも頼んでおこう。
ロゴスに頼んでおけば、やってくれるだろう。
続けて大使に例の女の写真を見せたが、その瞬間に大使の顔は微妙に曇った。
このように不用意に感情を表へ出す事は、この如才のないタイプの男にしては珍しい事なのに違いない。
この女に何か特殊な事情でもあるのか?
「これはパルミア家の御嬢様ですな。
これをどこで?」
「その女は俺とアントニオを付け回していた連中の一人だ。
ニールセン侯爵邸へ案内してくれたのはそいつだ」
「そうですか。
この方も可哀想な人です。
皇帝家の継承争いに巻き込まれて」
そして大使はチラっとアントニオの方を見てから話を続けた。
「パルミア伯爵家には何の落ち度もありませんでした。
かの家が皇太子派の重鎮であったという事以外は」
そ、それは……アントニオの御仲間みたいなもんなのか。
どこの国にもある話なんだな。
アントニオも複雑そうな表情で大使の話を聞いている。
その様子にまたもやチラっと目を走らせてから、そのまま大使は話を続けていく。
「第二皇子シャリオン殿下を推す連中は、皇太子殿下を蹴落とすために、とんでもない事を行ないました。
御禁制の魔晶石を『第二皇子』の皇子宮に仕掛けたのです。
そして企みは失敗し、帝国騎士団に捕らえられたのはパルミア伯爵家の長男でした。
彼は薬で眠らされ、身に覚えのない罪を着せられました。
それは稚拙な犯行であり、関係者には全ての真実がわかっていましたが、誰かが責任を取らねばなりません。
特にこの帝国のような国においては。
伯爵は自ら、明らかに無実であった愛する長男の首を刎ねる事により、第一皇子に責が及ぶのを防ぎました。
長男自身も黙って父親に首を刎ねられたのです。
それすらも貴族という者が持つ宿命といえばそれまでですが、そう片付けてしまうにはあまりにも酷な事件でした。
その後、伯爵と残りの息子三人並びにパルミア伯爵家の主な重鎮はすべて処刑され、パルミア伯爵家は断絶しました。
奥方と二人の御嬢様は修道院に送られたと聞き及んでおります。
そして第一皇子ドラン殿下は皇太子におなりになられました。
この話題は帝国貴族の間では禁句とされておりますので、帝国の人間と会話する際には十分に御気を付けください」
こ、これはまた碌でもない話もあったもんだ。
俺の顔も眉が寄るのを抑えきれない。
「なあアントニオ。
お前はまだマシな部類だったっていう事?」
「まあな。
うちは王家の継承争いに絡んだわけじゃない。
ぼんくらの公爵子息が、違法な密貿易をやらかして表沙汰になる寸前だった。
そいつがまたへたを打って騎士団に一網打尽になりやがった。
稀人の教えに従い、アルバトロス王国の王国騎士団はたとえ相手が公爵だろうが、とことんやる連中だ。
だが簡単に公爵家を表に出すわけにいかなくてな。
あちこちが圧力をかけてきたのさ。
当時うちの兄貴は、そのぼんくらに仕事を手伝うように強要されていた。
武功に名高い王国の剣とも称えられたオルストン家の長男を、そんなつまらん事に借り出そうとしたんだ。
まったく馬鹿としか言いようがない。
兄貴は当然のようにきっぱりと断ったが、あれは酷く性質が悪い男で、それを根に持ったらしい。
その辺を妙に突かれて、実はアンディの兄貴が主犯という扱いで、ぼんくらは兄貴に騙されて手伝っただけという事にされてしまった。
まあ、その辺は騎士団の手を離れた後の事だからな。
それに公爵家の跡取りが相手だ。
そのせいで、いろいろあってな。
曲がった事が嫌いなうちの家系は融通が利かなくて、貴族社会の中では少し浮いた存在だった。
それゆえ王からの信頼は絶大だったけれど、それがまた妬まれた。
そういう潔癖さも度が過ぎれば疎まれる。
結局、オルストン家は爵位を失う事になった。
幸いにして誰も処刑されるような事態にはならなかったがな。
影で国王陛下が動いてくださったのだろう。
そうなるのは当たり前の事なのだが、どうあっても事の収集がつかないため、すったもんだした挙句に爵位剥奪のみの処分で決着となった。
この話は今でもアルバトロス王国の恥として、王国中の語り草さ」
「うわ、碌でもねえな。
それで、その公爵の名は?」
「ブラキオ・フォン・バイトン公爵。
件の息子の名はキルミス・フォン・バイトン。
女好きで脂ぎった、いけ好かないでぶのチビだ。
当主は現国王陛下の弟だ。
国王陛下は激怒して公爵を王宮に呼びつけたが、バイトン公爵はどこ吹く風でな。
逆に陛下を諌めようとして怒りを買い、息子共々長期の謹慎処分を食らった」
「やるなあ、国王陛下」
俺はちょっと考えてからマイフレンドに言ってみた。
「もし、そいつが俺にちょっかいかけてきたら、お前の代わりに一発ぶん殴っておいてやろう。
SSランクの、貴族殺しの竜殺し。
この爆炎の首狩りアルフォンス様に、たかが公爵子息風情が喧嘩なんか売れるもんなら売ってみやがれ。
そいつの先祖の稀人がどういうもんだか、この稀人自らが教育的指導をしてやろう。
まあ、あの陛下のことだ。
そんな事にでもなれば後でこっそりと呼んで、『よくやった』くらいは言ってくれそうだ。
でも、この初代国王の子孫が起こした不祥事の話、武の妹の真理さんが聞いたら泣くだろうなあ」
「はっはっは。
ありがとうよ、アル」
それで少しはアントニオも気が晴れたようだ。
「そうそう。
パルミア家事件で使われた件の魔晶石というのは、例のダンジョンで使われた魔素放出石の元になった物なのです」
大使がタイミングよく、そう補足をしてくれた。
はい、ギルティ。
御蔭で俺がどれだけ苦労したと……。
この大使様ってば、俺を焚きつけるためにわざとこういう言い方をしているよね?
それで陛下はブツが隣国にあると知っていたのか。
厄介な隣国の継承争いに使われた危険物。
こいつは厄介事の匂いがぷんぷんするぜ。
仕方がない。
いつ逃げ帰ってもいいように、子供達への土産は早めにゲットしておくとするかな。




