5-1 若者よ、冒険せよ
そいつの名はベルグリット。
王宮の下っ端文官だ。
その上、身分的には男爵家の六男という微妙な立ち位置だった。
しかも母親が側室なので、万が一にも実家の跡目を継ぐチャンスはない。
はっきり言って、家に帰ればほぼ空気扱いだ。
母親は賢い人で、幼い頃からベルグリットをしっかりと教育し、本人も素直に勉学に励んだ。
その甲斐あってか、若くして(現在二十歳)立派に王宮勤めをしている。
十五歳という成人を迎えたばかりの歳で仕官したというから立派なものだ。
若輩者ながら異例の出世をしたベル君は、だらけて過ごしてきた兄達からは物凄く妬まれているらしい。
仕事を紹介しろとか言ってきて、あれこれと五月蝿いのだ。
元々、領地を持たない法衣貴族の父親が資産目当てで大商会の娘を側室に迎えたという事なので、母親の実家は大変裕福だ。
御爺さんがベルグリットを凄く可愛がってくれて、たくさん援助をくれた。
ベルグリットは、その金で贅沢などせず全て勉学の為に注ぎ込んだのだ。
爺さんから見ても自慢の孫らしい。
その後も薄給にも負けずに、爺さんの援助を受けつつダンジョンの研究をしてきた。
それは奴の仕事場がダンジョンを管理する部署だからだ。
そして最近のダンジョンで起きている異変に気付き、調査の必要を感じていた。
何か「胸騒ぎ」がすると。
五年も専門部署で実際の管理業務をやってきた人間が、そのように感じとっているのだ。
それがおそらく杞憂でない事は、セブンスセンスのような「胸騒ぎ特化能力」持ちの自分にはわかる。
まあそれも俺の胸が騒ぐのではなく、『俺の中のあいつ』が勝手に騒いでいるだけの話なのだが。
とにかく、とても笑って済まされるような話ではない。
何しろ、こちとらはその御蔭で有るはずもないような激闘を、当のダンジョンで繰り返してきたのだ。
保身に拘る駄目な上司どもは、こいつの意見を取り合う事もせず「余計な事をしていないで、この部署やわしらが潤うようにせよ」と言っていたらしい。
蛇足だが、当然の如くこの部署にも前回の一件で粛清された奴らがいる。
何せ、その部署の直轄地区の出来事だったからな。
その御蔭で奴も現場へ行って訴える事も出来るようになったのだが、あの為体というわけだ。
「どう思う?」
ある意味で、アドロスの主とも言える真理に聞いてみた。
「そうね。
確かに最近はおかしな事ばかりね。
私は長いスパンで見ているから、そんに気にしなかったけど。
まあ確かにスタンピードの兆候と言えなくもないわね」
なるほどな。
こいつは調査の必要はありそうだ。
だが、こいつも仕事持ちでそんな暇は無いだろうし。
ん? こいつ、王宮勤めなんだよな。
そうか……。
「おい、ベルグリット。
明日の早朝、ちょっと俺と一緒に来い」
◆◇◆◇◆
僕の名はベルグリット。
どうして、こんな事になったのだろう。
ここは王宮だ。
確かに僕の勤め先ではある。
しかし……しかし、ここは本宮の謁見の間じゃないかあ~。
彼は朝一番に僕を呼び出したかと思うと王宮へ行き、門番に何か言って挙手のみでフリーパスだった!
僕は王宮ゾーンに勤める文官だから問題なく通してもらえたけど。
この人ったら勝手にずんずんと歩いて行って、いきなり謁見の間の前に来たかと思うと警護の兵士さんにこんな事を言ったんだ。
「Sランクの勇者が、今から王様に会いたいんだが取り次いでくれないか?
場合によっては国家の危機となりうる内容なので、取り次がなかったらお前が罪に問われる恐れがある」
すると兵士さんは、しゃちほこばって敬礼した。
「ははっ、ただ今!」
そう言って慌てて中に入っていった。
もう一人の兵士さんも、畏怖の目でこの人を見ているし。
うわあ、とんでもなくヤバイ人に関わりあってしまった。
そしてほぼ間を置かずに、今僕達は国王陛下の目の前にいる。
僕は片膝を着きながら、もう卒倒しそうだ。
「お前の口から国家の危機などという物騒な言葉が出てくるとは聞き捨てならんな。
説明せよ、アルフォンス」
「はい。
簡潔にいえば、ダンジョンでスタンピードの兆候が認められると」
アルフォンスさんが国王陛下とやりとりしている。
今までも会った事がありそうな感じの会話内容だ。
「な、なんだと!?」
「今この王都が壊滅するような事にでもなれば、隣国がその機に乗じて攻め込んでくるは必至。
十分国家の危機といえましょう」
国王陛下はしばし瞑目して、重々しくお答えになった。
「過去……幾多の危機はあった。
だがダンジョンの封鎖は無理であった。
隣国には数多のダンジョンがあるが、我が国には二つしかない。
そこでしか産出しない貴重な資源もある。
ここ王都至近のアドロスがそのメインとなるダンジョンであり、また例の指輪の存在もあった」
「こちらの専門家から話を聞いて、うちの真理もその可能性はあると。
あいつは実際その目で何度もスタンピードを見てきた生き証人ですから。
更に私もずっと違和感を感じていました。
何せ当事者中の当事者ですのでね」
「うむ。
調査の必要はあるか。
それにしても、そんな一大事が王宮の部外者から持たされるとは」
国王陛下の嘆息にアルフォンスさんが、すかさず台詞を被せた。
僕はただ小さくなって彼の蔭で跪いていただけだ。
「あ、こいつはずっと訴えてきたのですが、上の人間に握り潰されていまして」
「おい宰相。
それはどこの馬鹿どもだ!」
あの国王陛下の後ろに控えている人って宰相だったのか。
初めて知ったな。
あんなに偉い人の顔なんて僕なんかが知らないよ。
「それは……先日の一件で処刑された連中でございましょう。
そこにいる若者はダンジョンの管理部署におる者です。
その者自身は大変優秀なのですが」
ほ、褒めてもらっちゃったよ。
なんでこんなに偉い人が僕なんかの事を知っているのか。
もしかして、国の役人の名前と顔を全部知っているの?
それを聞いた国王陛下は苦虫を噛み潰したような顔をしていらっしゃるけど。
そしてアルフォンスさんは笑いを噛み殺しながら国王陛下にこう言った。
「そんな訳で調査に行きたいのですが、そいつは王宮勤めなのでね。
通常業務を離れる許可をください。
あと成果が出たら昇進させてやってください。
上は空いていますでしょう?
こういう奴を然るべきポストにつけておいた方が陛下の身のためです」
暗に「あんたの職務怠慢だ」と陛下を責めているし。
これには陛下も苦笑いしたいところだろうに、敢えて素晴らしい笑顔で御言葉を返してくれた。
「うむ。
それは約束しよう。
では早速調査に行くがよい。
費用は後で請求せよ。
いや宰相、先に支度金を持たせよ。
それと、そこの文官の部署に至急連絡して、彼の仕事は留守にしておっても円滑に回るようにさせておきなさい」
「それでは早速行ってきましょう。
じゃあ、お前。
職場に引き継ぎの挨拶くらいはさせてやる。
これは国王陛下よりの、お前への勅命だからな。
今すぐ行くぞ」
アルフォンスさんは宰相を伴って、僕の襟首を掴んで、せっついた。
うわあ、なんてせっかちな人なんだろう。
待って、まだ心の準備が~。
ああ、かくしてこの僕ベルグリットの大冒険はこうも唐突に幕を開けたのです……。




