46-5 懐かしの桜
「御花見、大盛況ねー。
こっちはいつでもいいわよ~」
中継を見ながら彼女は言った。
この人は掲示板の住人で、自分の家が俺の家に近いので協力してくれる事になったのだ。
「じゃあ、頼むよ」
今俺は山本さんと葵ちゃん、それにバルドスや真理と一緒にいる。
あるイベントを行なうために。
次の瞬間、俺達は「日本の風景」の中にいた。
そう、例の魔法3D映像で接続して、俺のマンションの裏の桜並木にいたのだ。
思わず感激に涙腺が崩壊した。
どうも歳を取ると涙脆くなっていけない。
彼らは同じ市内に住む藤田さん夫妻で、車で中継対応用の機材を持ってきてくれたのだ。
駐車場はマンションの、俺の家の分の区画を使ってもらった。
車だけは異世界へ持ってきてあるから、そこは空いているのだ。
駐車場の金は、もう使わなくともずっと払っているのだ。
いつかあの場所へ帰る日のために。
車で花見に来る人も多いので、やたらな場所に車を止めておきたくない季節だ。
マンションの住人は、客が来た時とかによく川沿いの道路に車を置かせたりしていたが、今日は花見客が大勢車を止めたりしているのだ。
彼らはバッテリーが長く持つノートパソコンで、中継の受信者を務めてくれている。
「やあ、ありがとう。
この風景を再び拝める日が来ようとは夢にも思わなかったよ」
俺達日本人三人は泣いていた。
桜は日本人にとっては特別なものだ。
懐かしさのあまり涙が溢れて止まらない。
さすがに、あの少し残念なドライアドに向かって泣いたりはしなかったが。
「よかったわ、喜んでくれて」
藤田さん夫婦は顔を合わせて笑った。
「これがあの人の帰りたがっていた故郷、そして日本の桜の木なのかあ。
こうしてリアル映像で眺めてみると、案外と小さいのね」
真理が感慨深く呟いた。
船橋武の盟友たるバルドスも、興味深そうに辺りを見回していた。
「ここは水害対策で切られちゃったんだよ。
向こうには大きいのがあるよ。
どの道ここの桜は植えてから六十年くらいは経っているから、もうそのうちに寿命だよ」
戦後の焼け野原に植えられた桜の木達もその役割を終え、徐々に若い木達に場所を明け渡していくのだろう。
あちこちの桜の枝分かれした太い幹が切られてしまっている。
そうしないと自重を支えられなくて倒れてしまうからな。
道路にもはみ出ちゃうし。
裏にあるインド人経営のカレー屋は、日頃は空いているが花見の季節になると凄く混む。
せっかく窓際に陣取っていた時もあったのだが、次々と御客が入って来たので一人客の俺は中の狭いカウンター席に追いやられてしまった。
まあ、そいつは仕方が無いんだけどね。
びっしりと寿司詰め状態なカレー屋の中を覗きながら、懐かしく思い出す。
もし帰る事が出来たとしたら、絶対にこのカレー屋で飯を食うぞ。
隣のタイ料理も捨てがたい。
オーナーさんが変わったみたいなので敬遠して、ずっと行ってなかったんだよな。
今にして思えば勿体ない事をしていたもんだ。
延々と続く桜並木を歩き終わり、橋を渡って反対側を歩き出す。
俺達は特殊な装置の上にいるので、映像が歩いても異世界に居る本体はその場から移動する事はない。
ああ、あの人達、今年もやっているのか。
なんていうか、わざわざレンタルの足場を借りてきて、幅の狭い川を跨いで席を作ってしまっているのだ。
凄いお金と手間暇をかけて楽しんでいる。
雨が降ったら豪い事だなと、いつも思っていた。
まあ自分の家の裏手だから何も困らないのだろうが。
濡れたって風呂に入ってから着替えればいいだけだ。
撤収は男衆の仕事だ。
たっぷりと飲んでいるから、帰りは御母さん方の運転で。
まあ家の中で、皆でゆっくりと歓談して酔いを醒ましたっていい。
親戚で集まっているみたいなので、お金と人手を出し合ってやるのだろう。
いつも楽しそうな宴を開いている人達だ。
俺はしばらくその酒宴を眺めていたが、少しして、また歩き出した。
たくさんの人達が歩いて楽しんでいる。
いつもは歩く人など滅多に見ない、この閑散とした川縁の道が、この艶やかな桜色へと色彩豊かに色付く季節だけは人で溢れかえる。
ここは駅からまっすぐバス一本で来られるし、主要な道路の大きな交差点の近くなので便はいい。
だから、俺はここに住む事に決めたのだ。
四軒もあった近所のコンビニが次々と撤退していったのは、さすがに計算外だったのだが。
以前は、うちの玄関を開けてすぐに見降ろせるコンビニで、花見の季節には皆さん買い物をしてあちこちで食べていらした。
それでいて、あたりがゴミだらけになる事がないのは、いかにも日本人らしい風習だ。
少し離れたところにまだコンビニはあるし、近くにスーパーがあって、御花見弁当やおつまみもたくさんあるので、そう困りはしない。
そして元の位置まで帰ってきたので、マンションの隣にあるベンチスペースに腰かけた。
いつも、ここでスーパーのおつまみと缶ビールで御花見をしていたのだ。
静かに物思う俺を、みんなは暖かく見守ってくれていた。
ここからは皆と別行動になるのだ。
山本さんと葵ちゃんは、俺が作ったルーターを持って「それぞれの家族」と御花見をする。
なんと、彼らの住居の近隣に住む掲示板のメンバーが出張して、二人の事もサポートしてくれた。
まあ、まったりと楽しく過ごしてくれ。
俺達残りのメンバーは、もう少し藤田さんと一緒に、うちの街の桜の名所に連れていってもらった。
公園の桜が綺麗なんだ。
そっちは混雑していて車が止められないのでバスで行く。
懐かしい風景に、つい頬が緩む。
たくさんの出店も懐かしい。
あそこの屋台街の角に開いている店の花見団子が美味いんだよなあ。
食べたいなあ。
まあ、こればっかりはしょうがない。
そして次は「御墓参り」だ。
本当はマンション内にある御仏壇にも顔を出していきたかったが、この状態でマンションの中へ入るのは色々と面倒なので、泣く泣く断念した。
マンションの管理会社に鍵を預けてあるのだが、赤の他人である藤田さん御夫妻にそれを借りてもらうのは難しい。
うちの街の公的な霊園に我が家の御墓がある。
俺が体を壊し、引き篭もっていたせいだろう。
造花が墓に飾られていた。
草も綺麗に取ってくれてある。
以前親戚に、草ぼうぼうの御墓をなんとかしろと言われたことがあった。
蹲っていて墓参りも碌に出来ていなかったので手入れをするどころではなかった。
今日は藤田さん達が草を毟ってくれた。
俺は目を瞑り、静かに手を合わせた。
バルドスと真理も手を合わせてくれた。
うちのお袋も、まさか異世界のドラゴンや魔導ホムンクルスが自分の墓参りをしてくれるなんて、夢にも思いもしなかったろうな。
藤田さん達は線香と蠟燭を上げてくれて、一緒に手を合わせてくれた。
お袋が生きていた頃は、よく一緒に花見に行ったもんだ。
お袋が桜を好きだったのも、今のマンションに決めた理由の一つだった。
その桜の季節を待たずに、引っ越してすぐにお袋は亡くなってしまったが。
「ありがとう、藤田さん。
まさか、もう一度お袋の御墓参りができるなんて夢にも思いもしなかったよ。
本当にありがとう」
「いいのよ、いつも園長先生には楽しませてもらっているんだから」
そう言って藤田さん御夫妻は、にこにことお互いの顔を見合わせていた。
笑う門には福来たる。
こうやって人に幸せを振りまく人達には、それは福くらい寄ってもいくだろう。
俺は充分に日本の花見を堪能させてもらった。
俺達は彼ら夫婦に深く礼をして、日本から映像をログアウトさせた。
今度はこちらの異世界で夜桜の準備をするのだ。
満腹してお眠な子供達にはタオルケットや毛布をかけておいた。
風邪を引かないように、風魔法と火魔法を併用して周囲の空気の温度を調節する。
水魔法で湿度も整える。
その辺りの区画そのものを換気しながら温度湿度を調整するものだ。
形の無いエアコン魔法のようなものだな。
雪洞のような感じの角ばったスタンド照明を桜の木の間に立てていく。
これは、うちの近所に置かれている物と同じ物だ。
そして桜を照らし出す夜桜用のスポット照明を当てるようにする。
真昼のように明るいと、こういう物は却って興醒めだからな。




