2 『犬』神刑部、山本家の飼い犬になる
その子犬が御飯に夢中な様子を、目を細めて見ていた山本昭二は、よっこらしょと言いながら立ち上がり自宅へ帰ろうとしたのだが、何かの気配を感じて振り向いた。
見れば真っ黒な子犬が尻尾を振って後をついてくる。
「おや。おまえ、おうちがないのかい?」
「くぅ~ん」
「そうか……うちで飼ってやりたいけど、家族がなんて言うかなあ」
そして間髪を入れずに、旅の間に覚えた必殺のすりすり攻撃を敢行する刑部。
「わはははは。
いやよせよー、くすぐったい。
いやあ可愛いな、おまえ。
やっぱり、うちで飼えるように頼んでみるか。
いや私はね、家の仕事をちゃんと手伝わないで他所の和菓子屋さんで働いているものだから、なんというかどうもね。
家族に頭が上がらないというかさ。
まあ、お前にそんな事を言ったって仕方がないよな。
ははは、よせったら」
だが作戦は見事に功を奏し、山本昭二は刑部を大事そうに抱えあげた。
そして家に帰った彼を母親が見咎めた。
「お帰り、昭二。
って何だい、それは」
「子犬だけど」
そう言って、子犬の両脇を持って母親の目の前にぶらさげる山本昭二。
すると彼女は呆れて大笑いした。
「ほう、もうすぐ三十歳にもなるような男が、嫁さんは拾ってこんのにワンコは拾ってくるんかい。
小学生か!
おや、その子は雄かいね。
どうせなら雌犬でも拾っておいでよ」
「うわっ。酷いな、母さん。
あ、この子飼ってもいいかな。
なんか懐かれちゃったみたいでさ。
そこの狸明神の祠にいたんだけど」
「へえ、案外と狸明神の生まれ変わりだったりしてねえ。
まあいいけど、自分で世話しなさいよ。
散歩とか大変なんだからね」
「あはっ、世話はちゃんとするよ。
ありがとう」
首尾よく美味しい御飯を作ってくれる無料料理人をうまうまと確保できた刑部であったのだが……。
(狸明神って一体何だ!?)
いつの間にか自分達は、そのような胡乱な神様扱いにされていたらしい。
生まれ変わりどころか本人そのものであった。
それから山本昭二はペットショップまで行って、なんとか店は開いていたので犬用品をあれこれと買い込んだ。
「ふふ、この首輪は可愛いだろう。
お前に似合うぞ」
しばらくは人間と共に在る暮らしか。
思わず感慨深く、物想う刑部。
かつては彼らの領分を犯そうとする人間と争う事もあったのだが、今では逆に人の方が自分達の事をほぼ忘れてしまった。
妖怪達も世間からは軒並み姿を消して、今ではその痕跡も各地の民俗学や創作作品の中に残るのみだ。
妖怪は決していなくなってしまったのではなく、人の営みの変化に伴い、順応して深く隠れ住むようになったまでだ。
それは互いに少々寂しくもあり、またそれが正しい道なのだと刑部は信じていた。
人あるが故に妖怪あり。
人無くして妖怪は存在し得ない。
妖怪とはそういう物だった。
今の少し遠いくらいの距離感が刑部にとっては好ましかった。
だが、たまにはこうして触れ合うのも悪くない。
そう感慨深く思えるような昭二との出会いなのであった。
山本昭二は不思議と、妖怪などから見ても無条件で好ましいというか朴訥というか、あるいは何も考えていないというか。
だが、その笑顔は眩しく、また物の怪といえども惹かれる何かがあった。
結局、妖怪だの物の怪だのといった怪異は人が好きなのだ。
たとえ仇を為すような場合にも、そういう想いの果てなのかもしれない。
刑部は、相手が友として振る舞うならば人と縁を結んでも構わないと思っていたし、敵対するのなら人だろうが妖物であろうが容赦はしないと刑部は考えている。
今はこの一時を人の子と共にあろうと朧げに腹を決めていた。
ここは自分にとって心地よい日溜まりのような場所であった。
そして姪っ子たちが帰った翌日、山本昭二は店の御使いで出かけていった。
刑部は彼の影の中に潜み、後をついていった。
(昭二の奴め、何か知らないが浮かれてやがるな。
これはまた何か美味しい物を作ってくれるのかもしれない。
なんか知らんがついていったろ)
そして、しめしめと思って刑部自身も半ば浮かれていたのだが、そいつがいけなかった。
気が付いた時にはもう、『それ』が始まっていた。
(う! こいつは。
いかん! 昭二、逃げろ!)
彼は昭二の影から出て吠えようとしたのだが間に合わなかった。
そう、それは異世界転移。
正確には次元の隙間から異世界へ放り込まれたのであった。
(なんじゃあ、この霧はあああ。
アカン! こ、こいつは完全にアカン!)
気が付けば、なんとも怪しげな世界へと放り込まれていた。
そこは何やら覚えのないような怪しげな気に包まれた空間であった。
刑部はそれを明確に感じとれたが、それを魔素と呼ぶのだとは知る由もない。
(これはまた、けったいな場所に来てもうたのう。
まあ昭二の奴も無事で何よりだが)
山本昭二は実にのんびりした奴だった。
長きに渡って存在する大妖怪の御大将とて、まったりと付き合ってしまうくらいに。
いきなり霧に巻かれて訳のわからない場所へやってきてしまったのだが、彼はボケっとして突っ立ったままだ。
(阿呆、こんなおかしな事になったんだから、もちっと警戒くらいせんかい!
ほんま、しょもないな。
こうなったらしゃあない。
わしがこいつを守ってやらにゃあ。
よーし、隠神刑部改め犬神刑部の忠犬ぶり、しかと見せてやろうじゃないの)
もはや本格的に犬路線をひた走ろうとする、義理と人情に厚い? 大妖怪の御大将。
さっそく術を展開しだした。
(わし必殺の、その名の通り隠神の術よ。
さあ我が妖術よ、悪しき者から、この善なる者の姿を覆い隠し護り給え)
それは一種の結界術。
山本昭二に危害を加えんとする者からは彼の姿を見えなくし、気配さえ感じさせぬ。
そして物理的な害を与える事も出来ぬ。
また逆に彼を救おうとするような考えを持つ者には、不思議と昭二に惹き付けさせる作用があるのであった。
そう、彼山本昭二には、神の御加護ならぬ隠神の加護があったのであった。
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