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8 サバトの夜

 静かなベランダで、ただ電気溶接の音だけが響いていた。

 あれこれと衝動に任せてホームセンターで仕入れておいて正解だった。


 実は溶接なんていう事は初めてやるのだが、最近の溶接機の性能は素晴らしくてなんとかやれていた。

 この溶接機はバッテリー式だから重さが四十キロもある。

 バッテリーが二時間しかもたないとあるので、電力満タンのコピー品を次々と交換しながらの作業だ。


 停電中なので、このタイプ以外は発電機に繋ぐしかないのだが、騒音で魔物を呼び寄せたくないのでバッテリー式を使っている。

 バッテリーもコピー出来るので問題ない。

 

 へたくそな溶接だが、まあなんとか格好だけはついている。

 元々、こんな物は気休めみたいなものだしな。

 あのハーピーにやられたと思しき車が大破していた様子からしたら心許ない事この上ない。


 あれは事故った跡ではなく、単に怪物の力のみで破壊されていた。

 翼長が車の全長を優に超えるような大型のモンスターにやられたのだ。


 マンションのコンクリートの外壁にコンクリート用ピン打ち機で二十五ミリピンを打ち込んで、ドリルで穴を開けた厚めの長い鉄板を嵌め込んで横桟とした。

 そして、その長い横桟に補強として縦桟を差し渡した。

 今は、その鉄材同士を溶接して強度を高めているのだ。


 マンションの補修などで壁に足場用の穴を開ける、あの作業はマンション中に刺激的で大きな音が響いて凄い。

 作業中も生きた心地がしなかったが、幸いにして魔物がやってくる事はなかった。


 そのコンクリート用ピン打ち機を使う間だけはコンプレッサーを使用しないといけないので、発電機とセットで魔物が来ないか様子を見ながら動かしていた。


 まあこれでも、ただのサッシのガラスよりはマシだろう。

 こういうガラスは超大型の台風でもくれば、只の飛ばされてきたペットボトルですら容易に貫通するからな。


 そういう訳なので、もうそこからはベランダに出る事はできない。

 ベランダに二箇所ある細いドアからは、奴らの図体では入ってこれまい。


 あいつら程度の力では厚いコンクリートの外壁は破壊出来まい。

 金属製の玄関ドアも同様に、ドアは壊せても狭いから中に入ってはこれまい。


 マンションの住人は反対側から追われ、ドアの方へ追い込み猟をされて、外へ出たところを殺されたのだ。

 なんて頭のいい連中だろう。


 サッシのガラスが壊れたらまたコピー品を嵌め込んで使えるように、収納でコピーしておいた。

 他の住人の部屋も回ってサッシだけは新品にしておいた方がいいかもしれない。


 気休めだが、そっちも一応は塞いでおかんと空き部屋が魔物の巣窟になってしまうといけない。

 住み着かれてしまったら厄介な事この上ない。


 非常脱出口から回っておくか。

 いや、もう全ての部屋のドアが壊されているんだったな。

 まあ、そんな時間も無いかもしれないが。


 どこかの店に同じサイズの金網入りガラスのサッシがあればいいのだが、そんな物を探しにいっている暇が無い。


 こんな子供の工作のような防護壁では気休めでしかないのだろうが、こうしておけばすぐに奴らは入ってこられない。

 そうすれば、あの程度の化け物が相手なら俺にも反撃の手段はある。


 夕べ手痛い目に遭ったから、奴らは今晩来ないかもしれないが、もっと手強い大型飛行魔物の仲間を連れてくる事も考えられる。


 後ろをドカドカと何かが走る音がしたもので、思わず振り向いて溶接用の面を上げた俺は思わず溶接棒を取り落とした。


「な、な、なんだ、ありゃあ」


 それは、とてつもなく大きな猪のようなものだった。

 周りの見慣れた風景との縮尺から考えれば、そのサイズは約十メートルといったところか。

 バスよりも遥かに巨大なサイズだわ。


 そいつはベランダから見下ろせる大通りを不器用な感じに駆け抜けていく。

 くそ、真昼間からもう大型魔物さんの御登場なのか。


「でっかいね」


 振り向いたら澪が達観したような顔で呟いていた。


「ああ、あれって食えるんだろうか」


「どうかなあ。

 やっぱり猪って味噌で煮込んだほうがいいのかしらね」


「食うのはいいんだが、解体をどうするかだなあ」


 もう、この期に及んで俺達は驚いたりするのはもう止めにしたのだ。

 無駄な労力だから。


「あれを乗り回せたら楽しいかも」


 玲がポツっとそんな事を言った。

 まだ小学三年生の玲は、なかなかの美少年だ。

 ショタ好きの女の人が見たら堪らない感じだろうな。


 一方で澪は少し大人びた感じの細面の美少女という感じで、まだ小学六年生だ。

 髪を伸ばしていたので余計にそう感じた。

 最初に見た時に中学生かなと思ったくらいだ。

 今は少女らしくツインテールにしているので、割と小学生らしく見える。


 突然親が死んでしまって、彼女が守るべき小さな者がいたのも大人びて見えていた原因だろう。

 今は大人と一緒にいられるからな。

 まあ俺じゃあ自衛隊ほど頼りにはならないだろうが、多少はなんとかしてみせよう。

 その自衛隊の火力すら非常に心許ない状態なのであったが。


 今の猪ならば軽々と避難所のバリケードを破壊して、車両を弾き飛ばして避難所内への突破口を開いてしまうだろう。


 昨日は小型の怪物達にバリケードを乗り越えられてしまっていたらしい。

 あれって、ただの小学校の鉄門に頑丈な車を横付けしてあるだけだしな。


 まあ自衛隊の駐屯地だって似たようなもんなのだが。

 昔、北海道で自衛隊の駐屯地が羆の襲撃を受けて、大慌てで門を閉めて締め出そうとしたが、中に入られてしまい自衛隊員がでかい羆に追い回されて逃げ回っていた映像があったな。


 あいつらって門番をしていても、弾薬の入った銃を持たせてもらえないから可哀想だ。

 よく食われなかったもんだ。

 日本という国は、やはりどこかおかしい。


 ホッキョクグマの住んでる地域だと、出かける際に住人はでかいライフルを持っていくらしい。

 音で脅かして殺さずに追い払うために。

 そしていざという時には、自分の身を護るために最後の手段として熊を撃つ。

 自衛隊にはそれすらも許されていない。


 それにしても、もう既に真昼間から大型の魔物が、堂々と町内のメインストリートに御登場なのか。

 これは、ますますもって今晩はアカンな。


「ふう。

 なんにせよ、今夜の迎撃体制を整えてからだな。

 もう一踏ん張りだぜい」


「おじさん、乙カレー。

 今夜はカレーにするね」


「おう!」


 また背中の後方を駆け抜けていく地響きに、俺はもういちいち振り返らなかった。

 あまりにも時間が足りないんだよ。

 もう既に十七時を回っちまった。


 澪はカレーの仕度に取り掛かり、玲はカメラと奮闘している。

 だが、やはりちょっと気になった。


「玲、ちなみにさっきの足音の主は?」


「でっかいトカゲさんだったよ。

 割と細身の奴。

 全長は、さっきの猪の一・五倍くらいの大きさかな。

 茶色とグレーの中間みたいな色合い?

 大きなバス二台分の大きさだったよ」


「はあ~」


 俺は大きな溜め息と共に思った。

 やはり一目、見ておくべきだったかと。

 そいつとやりあう時が来た時のために。


 いや、今はハーピー対策が急務だろう。

 きっと、そのトカゲさえも魔物の中では雑魚な方に過ぎんのだろうから。


 くっそ。

 わかるのが、わかってしまうのがこんなにも辛いとはな。

 だが諦めはせんぞ。


 なんとか時間ギリギリで不恰好な装甲格子をマンションのサッシに施す事に成功した。

 しかし、はたしてこれで今夜を生き延びる事が出来るだろうか。

 まあ、金網入りのサッシ窓よりはマシではないか。


 俺一人なら別にもうどうなったって構わないんだが、子供が二人いる。

 せめて、こいつらだけでも守りたい。


 神よ、仏よ、そしてサイキックな能力に長けていて、それを孫にプレゼントしてくれた御先祖様よ。

 そして。

 かつて俺と係わり合いになった龍神というもの、そのうちの一柱である龍神大和よ。

 貴女を信奉する我と、我が守るべき小さく非力な者達をどうか護り給え。


「おいちゃん、御飯できたよ~」


「おお、そうか。

 じゃあ玲、御飯にしようか」


「うん!」


 カレーはなかなかの味だった。

 思わず笑みが零れる。

 こんな風に誰かとカレーの夕飯を囲むなんて、一体何十年振りの事だろう。


「おじちゃん、嬉しそう」

「そうか、玲も嬉しそうだな」


「お姉ちゃんのカレーが美味しいもの!」

「そうだな」


 少なくとも最後の晩餐には相応しい味だ。

 武士道とは死ぬ事と見つけたり。


 仮にも少しは剣道を齧った者として、立派な最期を迎えられそうだな。

 自衛隊よ、遺児はお前らに託すからな。

 手前らも死ぬんじゃねえぞ。


 子供達のためにスーパー銭湯でコピーした御湯で風呂を用意して、二人を寝かせてから俺も最後の御清めに入った。

 追加で熱い御湯を補充した風呂に浸かりながら人生を振り返ったが、まあ碌な物じゃなかった。

 苦笑いしつつも思った。


「ええい、ここで取り返せばいいだろ。

 俺はまだ生きている」


 姉弟のためにガラクタを収納して空けた部屋を覗いてみたが、二人共疲れてすぐに眠ってしまったようだ。

 二人で寄り添うようにして眠っていた。


 それから俺は兵器類の点検を始めた。

 所詮は自衛隊が持ち込んだ携行用の兵器に過ぎない。

 昨日攻めてきたような雑魚相手になら通用しても、メインディッシュたる者達にはまるで通用すまい。


 本当に、やくたいもない人生だったが、ここでもそうなるか。

 だが最後まであがくぜ。

 どこかで『白馬の騎士』が、あの子達を助けてくれるかもしれないじゃないか。

 多分米国も黙って見ていないだろう。


 きっと連中も、今回の騒動に何らかの利益を見てくれているはずだ。

 そこに賭けるか。

 とりあえず、今夜は絶対に生き延びてみせるぞ。



 そして深夜にはサバトが始まった。

 子供達はもう寝かせてある。

 どうせ今夜は、どこにも逃げられやしないのだから。


 避難所からは千を遥かに超える数の生贄達の悲鳴・苦鳴、それに魔物の咆哮・銃声などがけたたましく聞こえてくる。

 その中に哀願の祈りが混じっているように思うのは気のせいか。

 そんなものが通用するような生易しい相手ではないのだが。


 俺は唇を噛み締めたが、どうにもならない。

 俺達もやがて彼らの仲間入りをする運命なのだろうから。


 山の上から吹き降ろす怨嗟の声と悲鳴に耳を塞ぎたくなるが、そうも言っていられない。

 次の瞬間にも、薄曇の空の月明かりに仄かに垣間見える、あのまるで鳥の群れのように飛び回っている集団がここに押し寄せないとも限らないのだ。


 奴らが空から大挙してやってくれば一瞬にして俺達の命運は決まる。

 そして地上からの、まるで軍隊蟻か蝗のような魔物の行軍もあるやもしれない。


 少なくとも、昨日はマンションの中へ入ってこれるサイズの奴らが数万はいたという。

 人型でも力の強い魔物なら、ドアを強引に引き剥がしてしまえるだろう。

 ここのマンションのドアなんて施錠してあったって、かなり力のいい人間が二人掛かりくらいならドアノブを引っ張って壊して開けてしまえるだろう。


 中には屋根伝いにベランダへ降りてこられる猿みたいな奴なんかもいるかもしれない。

 灯りを消して、俺は審判の時をじっと静かに待った。


 握り締めた自動小銃を胸に抱いて、装甲格子の隙間からそっと覗いてみた。

 その俺の行動に応えるかのように闇夜に踊る空を埋める影達を、雲の衣を脱ぎ捨てた月が明るく照らし出す。


 思わず息を飲んでしまった。

 なんという数の禍々しいシルエットだろう。

 あれはもう万単位の群だ。

 飛行魔物だけでこれかよ。


 しかも、どうやらハーピーだけではなさそうだ。

 一番小さいシルエットが、おそらくハーピーだろう。

 それより二回り大きな奴らも、それなりの数がいる。

 すると、あの一際大きい幾つかの巨影は一体何なんだ!


 あの一番大きな飛行魔物が何かの気まぐれでこっちへ来たら、きっと秒殺で全ては終わってしまうだろう。

 そいつの力ならば、このマンションの建物を突き崩す事さえ容易と思われる。

 あるいは、あの位置から気まぐれにブレスのような物をここ目掛けて吐いてきたら!


 僅かな希望、微かな祈り、俺の虫のいい望み。

 それが叶わなければ、何もかもがその場で終わってしまう。


 いつしか俺は祈っていた。

 低めのテーブルに肘を乗せて一心不乱に。

 おそらくは生まれて初めてといっていいような真剣さで。

 かつて俺が大和と呼んだモノに、そしてそこで出会って以来この人生を常に共にあるあいつ。

 俺がイコマと呼んでいる、『俺の中のあいつ』に。


 ふと気が付くと、既に夜が明けていた。

 肩にはタオルケットがかけられている。

 不意に背後から声がかかった。


「おはよう、おいちゃん」

「ああ、おはよう」


「寝相悪いんだね。

 御祈りしながら寝ちゃうなんて」


「あ、ああ。そうだな。

 あまり夢見は良くないようだ」


 悪夢しか見ていない気がする。

 昨夜を生き延びられたのは、我が神たる龍神大和の御加護の御蔭か?


 だが俺は笑っていた。

 少なくとも、この朝は俺も子供達もまだ生きていた。

 だが明日は?


 それでも目の前に笑って朝の挨拶をしてくれる子供がいる。

 もうじき終わってしまう人生だとしても、あと少しくらいは頑張るとしよう。


「ねえ、避難所は無事だったかな」

「わからん」


 いや、それは絶対に無理だと思うけど、今それを子供達の前で口に出す事はできない。

 彼らの心が折れてしまうかもしれないから。


 俺だって折れるよ。

 夜中はポッキリ逝ったよな。

 今生きているのは奇跡みたいなものだ。


 レーダーで避難所における生存者の有無を確認する勇気が欠片も湧いてこなかった。

 おそらく生存者はゼロだ。

 MAPは一面屍の数を示す灰色に覆われている事だろう。


「避難所を見にいく?」


「いや、それは止めておこう。

 万が一、魔物が残っていたりすれば危険かもしれない」


 そして、その日はただの一度もヘリの音を聞く事はなかった。



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