46 取引
「あ、駄目」
エリスの悲鳴にも似た言葉が全員の胸を焼いた。
大きく足元から響いてきた、一際大きく致命的な破砕音は運命を告げた。
とうとう、この浮遊島が砕ける瞬間がやってきたのだ。
島は、正確に言えば砕け散った下部以外に残った浮遊島の上部が、大きく十文字に、四つにへし割れたのだ。
その凄まじい大音響と伝わってくる衝撃に、その場にいた全員が最期を覚悟した。
耳障りなバランの陰気な高笑いを耳にしながら。
「くそ、メリーヌ!」
「なんてこったい。
このあたしともあろう者が、遥かなる天空伝説の舞台にて、こんなにも凄絶な最期を遂げる羽目になろうとはね」
「ああ、おばさま。
我ら王国の盾エルンシュタインの者がついていながら、メリーヌ王女を守れなかった事だけが無念です」
だが、セネラは一人だけ違う物を見ていた。
この期に及んで、どっしりと胡坐をかいたまま。
とんでもなく肝の据わった公女様であった。
「なあ、シド」
「な、なんだ? こんな時に」
「あのさあ。
この島っつうか島の天上部分って、さっき思いっきり割れたんだけど、なんで未だに崩れていないんだ?」
「あ?」
言われてみれば、彼らはまだ落ちてはいない。
なんだかふわふわしている感じはあるのだが。
「なあ、シド。
子供の頃に乗った魔法の絨毯って、こんな感じじゃなかったか?」
「何を言っているんだよ、セネラ姉。
あれはレビテーションを付与しただけの、ただの魔導具じゃないか」
だが、エンデはその若い二人の交わす戯言を聞き流しながらホッと一息ついていた。
「やっと、お出ましか、重力王。
待ちくたびれたぞ」
「え、誰ですって、おばさま」
「それはきっと僕の事だね。
皆さん、しばらくぶり」
すっと忍び寄ったかのように彼らの背後に現れたアルス。
「アルス!
そうか、お前か。
重力王?」
「僕はかつて存在したアル・グランド王国の生まれだから、その系統の魔法が得意なのさ。
そして、この魔法は魔力嵐なんかの影響を受けないからね。
他にもそういう魔法を心得ているし。
ねえ、バラン」
「あれ、あいつと顔見知りなのかい」
「ああ、一緒に仕事をした事もあるよ」
するとバランから重々しい返事が返ってきた。
「そうか。
アルバトロス王国は、お前達を雇っていたか」
「それでね、バラン。
どうするー。
僕はアルバトロス王国に雇われているんだから、御姫様を守るために君と命を懸けてやりあってもいいんだけどさあ。
でも僕達はプロのSランク冒険者なんだからね。
こんなところで無益に殺し合ったところで御互いに一文の徳にもならないだろうから、今日のところは止めにしておかないかい?
なんだかんだ言って、君だってこれほどの魔力嵐の中では十分な力を発揮できないだろうしさあ。
この場は僕の方が圧倒的に有利な状況みたいだね。
それに君も知っての通り、僕は素でも凄く強いよ」
交渉という物は常に有利な状況にある者だけが提唱出来ると相場は決まっている。
バランは無言で、己に対し余裕綽々の笑顔を向けているアルスを睨んでいた。
「僕が来た以上は、もう御姫様は連れて帰れないだろうから、出来ればこのまま帰ってほしいな。
まあ君の首が取れたら名が上がるだろうから、僕にとっては徳と言えば徳なんだけどね」
バランは無言で冷静に計算していた。
自分の攻撃を無力化出来るエルシュタインの盾が二枚、そして何よりも、魔力嵐の中で相手にするには自分にとって些か分の悪過ぎるSランクの超強者を相手にしなければならない。
しかもアルスはこれみよがしに、王国から持たされたであろう魔力ポーションを大袋ごと彼女達エルシュタインの盾に渡している。
そして続けて他の二人に対しても、見せつける感じで同様にしている。
この強烈無比な魔力嵐が吹き荒れる場限定という条件なら、そこにいるSランクの若者は自分をも凌ぐ力を確実に発揮する。
自分は間違いなく敗北し命を落とすだろう。
いや、それどころか生きたまま捕縛されるのは間違いない。
それが最高にまずい。
今回の仕事に関する背後関係は絶対に秘匿されねばならないものなのだ。
かつて共に仕事をした事もあるアルスの強さは認めざるを得ない。
その、自分を捕縛出来得るだろう能力の特殊性も。
あのSランクパーティの中でも一番厄介な男であるのは間違いない。
バランは相手の若さを侮る事など決してない。
しかも油断していると、その御仲間までもやってきかねない。
Sランクが一気に四人にまで増えるのだ。
おまけに、このままアルバトロス王国領に入ってしまえば、精鋭として名高い王国騎士団さえも応援としてやってくるだろう。
今回のような大事件において彼ら王国騎士団は、普段ならアルバ王宮の宝物庫にて眠っているはずの、危険なほど強力な魔道具を持たされていかねない。
彼らに通常の権限を越えた仕事を命じる事の出来る、『アルバ王宮の真の主』たるシャルロット王妃のこういうケースにおける無謀なまでの強引さは諸国へ鳴り響いているのだから。
攻守の優越が反転した今となっては、バランにとって先程までは味方であった筈の時間という物は今や完全に敵に回った。
このアルスという人間は、そういう若いながらも実年齢よりも深く年輪を刻んでいるかのような部分においても強者なのであった。
それらの自分にとって有利な背景を全て見越した上で、バランに対して交渉や取引とは名ばかりの脅迫をしているのだ。
まるで強烈な何かを一人で背負って生きているかのように、この男には年齢的に分不相応なほどの深みがあるのをバランは以前に共に仕事をしていた時から感じていた。
そんな超絶な強者である彼に比べたら、あらゆる全てにおいてオマケ程度とはいえ、二つ名持ちの自分とは相性の良くない氷魔法使いもいる。
更にそのオマケとなる、この超高空にある高速移動していた天空の城へ人間一人を連れて乗り込んでこれる実力の風魔法使いもいた。
彼らは血族同士なので決して互いを見捨てたりはしない。
それどころかコンビネーションで本来の力を上回る能力を発揮しかねない。
あの二人は、ここに至って心が折れるどころか、むしろ熱く闘志を燃やしている。
連中にこそ、ここで命を懸けて戦うに値する『恋人並びに近しい親族になる予定の者を救う』という決定的な動機があるのだから。
あの連中は絶望的な状況の中でも魔力補給をせずにここまでかろうじて持ち堪えてきた、それなりの実力者だ。
しかも、今そいつらにも十分以上の魔力ポーションの補給が行き渡った。
真に厄介極まる状況であった。
ここで勝ち星を拾うのは至極困難というか、もはや不可能に近い。
だが、もう一つ即時逃走に踏み切れない大切な理由があった。
あったのだが。
「バラン、君の輝かしい経歴は知っているよ。
今まで仕事に失敗した事が一度もないという素晴らしい実績だ。
だけどね~。
こんな非公式の仕事をしくじったからって、そんなものは経歴にカウントされないんでしょ。
『別に帝国からの命令じゃない』んだしさ。
僕はここで君と遭ったっていう話は公には黙っておくしさあ。
この取引に応じてくれるのなら、同じSランク冒険者として仁義は守るよ。
ああ、当然雇い主には報告するけどねー。
でも彼らだって証拠もなく表立って話を広めやしないさ。
特に今回みたいな究極にヤバイ話はね~。
落としどころとしては、そんなところでどうだい。
ねえ、おじさん」
そう抜け抜けと言ってから、強敵に向かってウインクするほど余裕綽々な好青年。
あらかじめ逃げ道として相手に一歩譲る形での巧みな交渉術は、その若さからはたいしたものであった。
チェックメイト。
そして、すっと奴の姿が消えた。
どうやら亀裂から下へ飛んだらしい。
「覚えておれ、重力王アルス。
この借りはいつか返す。
それから教えておいてやろう。
俺は別に仕事をしくじってなどおらん。
それと小生意気な若造め、この俺の首が欲しいというのであれば、いつでも獲りに来るがいい」
棚引くように風魔法に乗せて捨て台詞を吐きながら、バランは遠ざかっていった。
こういう時の対処法もバランは優れている。
速度を落とす態勢の自由落下で降下するだけ降下して距離を取り、ある程度魔力嵐の影響が減じたところで、ふわりと風魔法を用いれば、そこはちゃんと足で踏み締められる大地の上なのだ。
魔力嵐の中での魔法行使は、その圧倒的な魔力の流れに逆らわないのがコツで、そのような芸当は歴戦のSランク冒険者バランにとっては児戯に等しい。
「あは、無事に取引成立っと。
やれやれ、あいつが引いてくれて助かったな。
さすがの僕もあいつの相手をするのは一苦労さ。
あいつは経験超豊富にして、おまけに何をやらせても超一流で、本当に半端ない男だからなあ。
一緒に仕事をするのならこの上なく頼りになる男なんだけど、出来る事なら御相手するのは御免蒙りたいところだからね。
まあ、あまりにも僕に有利過ぎる今の状況なら絶対に負けないだろうけどね」
「ふう。御苦労だった、アルス」
九死に一生を得たエンデが彼を労った。
「どうも~。
ふふ、おじさんの首かあ。
そんな不気味な物は特に要らないね。
ああ、ドラゴンの首なら欲しいかも。
僕らが狩ったドラゴンはSランクと引き換えに王様へ献上しちゃったからね~」
「むう。
実にいい根性してんな、貴様。
気に入ったぞ」
「どうも、プリンセス・セネラ。
御褒めに与り光栄です」
恭しく王族への礼を尽くす若者Sランク。
そして何気に強者には素直に賞賛を与えるセネラなのであった。
「ところでアルス、メリーヌ達はどこに?」
だが応えは彼らから少し離れた場所より届いた。
「ここでーす。
あのう、アルス様。
私達、もう出てもよろしいので?」
そこには、頭に鍋を被った無様な姿のアレーデと、眼をウルウルとさせていたメリーヌ王女がいた。
アルスに指示されて、強力なシールドを張って亀裂の間に身を隠していたものらしい。
「うん、もういいよー。
帝国のおじさんは、またねってさ」
「えー、もう金輪際会いたくないですよー」
「まあまあ、ああ見えて現役の伯爵様だよ。
稼ぎも凄くいいしさー。
昔は結婚していたけど、今は独身のはずだよ」
そこでアレーデも少し考えてから一言。
「また考えておきます」
「もうアレーデったらー」
「冗談ですってば。
さあ、それよりも姫様」
そして主の向きをクルっと変えて、その背中をそっと押すアレーデ。
その先には愛しのシドがいた。
彼女のために命懸けで、この崩壊寸前である天空大要塞まで救出に来てくれた、文字通りの王子様が。
そしてこの祖先の残した天空城の半ば崩れてしまった天井の上を、愛する彼の元へと駆けていく一人の少女がいた。
この廃墟化したステージさえも、再会した二人の愛を確かめ合うためのトッピングに過ぎないのであった。




