41 脱出と
しかし廊下に出た瞬間に激しく突き上げられる振動に襲われ、全員が床に屈する羽目になりました。
この大要塞自体が激しく鳴動しています。
「何だ、何が起きた」
「アレーデ、何か知っている?」
エリスさんの問いに、アレーデだけでなく私も青ざめました。
「こ、これは……」
御二方はチラっとそんな私の方を見てから、アレーデを見つめています。
そしてアレーデは、私の方へと向きなおり判断を仰ぎました。
「姫様……」
一介の侍女である彼女は、国家機密であるこの空中庭園の秘密を漏らすわけにはいかないので。
「エルシュタイン家の皆様。
実は、ここには伝説の災厄『魔界の鎧』が封じられているのです。
当時、我が国の王太子であったアスラッド王子と共に。
それに何らかの異常があった場合、それを葬らんと、この空中庭園の自爆装置が作動する事になっているのです」
「なんと! 我がエルシュタイン家でも他言無用として伝わっている、あれがですか」
「ああ、もはや関連図書さえも禁書となっているあれが。
という事は」
「はい、間もなくこの空中庭園は空中分解、そして大爆発いたします」
人間というものは、自分にはどうしようもないような余りにも酷い状況に置かれますと、却って何かこう逆に落ち着いてしまうという素晴らしく貴重な体験をさせていただく事になりました。
人生でこれ以上の体験はもう出来ないかもしれませんね。
「姫様っ、姫様ってば」
「ん?」
「早く逃げますよーっ」
あれまあ。
私以外の、日頃は冷静沈着な方々の方が少し慌てていたようです。
「ああ、うん。逃げましょうか」
「もう。
姫様って、妙なところで肝が据わっているんですから」
「そうだったっけ」
「そうですよ。
昔もよくありましたよ。
特に物心がついていなかった小さな頃なんか特に」
「覚えてない……」
だが、そうやって出口に向かって走り出した私に向かってそう小言を言うアレーデ。
私の記憶がなくて、二歳年上のアレーデが覚えている年頃の話なのでしょうか。
通路には『非常脱出口』と書かれた、矢印で行先を示す魔導ランプが点滅しています。
これ便利でいいですね。
王宮でも採用すべきではないのでしょうか。
それに従って走る最中にも激しい衝撃が襲ってきて、床が斜めに傾ぐので必然的に足が止まります。
エンデさんも背後を気にしつつ、その度に蹲ってしまう私やアレーデを引き起こしてくれます。
そして、あと少しで出口という時に、いきなりエンデさんが私達をかきわけて前に出ました。
迸る閃光と、それが何かに遮られて周囲へと捻じ曲げられる放射の輪環。
それはまるで炎環を纏った太陽の完全な日食を間近で見たかのようです。
それが止んだ後には、非常に丈夫だった通路の床・天井・壁が真っ黒な焦げ跡で彩られていました。
「ほお、さすがは王国の盾。
我のスキルを余裕で防ぐか。
これは人間を体内から焼く事も出来る代物なのだが、そういったスキルの効果そのものまで弾くというか。
実に興味深い」
そう言って、その灼熱と表現した方がいいような光の放射の直後に、極炎の出現地点と思われる場所に立つ男の人がいました。
なんとなく学者然とした風貌に、焦げ茶の髪と揃いの色をした鋭い眼。
う、この只者ではない雰囲気は、この浅学な私にだって正体はわかります。
また、この男の肝の据わり様ときたら。
自分の奇襲攻撃など防がれて当然といった感じに、攫う予定であるはずの私も含めて爆裂に攻撃してきていますし。
今は外から吹き込んでくる物凄い風が吹いており、彼のマントがはためいています。
よく使い込まれた、彼と共に修羅場を潜ってきたと思しきマントが。
それを見ただけで私の顔は強張りました。
非常口と思しき場所の壁は扉込みでぶち壊されて、常時開放の常設非常口と成り果てていました。
そのトンネルの向こうには光煌めく自由な世界が広がっていますが、そここそは私達にとっての死地に他なりません。
少なくとも、生きたまま攫われる予定である私以外の人間にとっては。
「灼熱のバラン……」
「いかにも。
そちらにおわすはアルバトロス王国第一王女メリーヌ王女と御見受けする。
王女殿下におかれましては、大変御機嫌麗しゅう」
この慇懃無礼といった感じの態度、一応は王族に対する儀礼的な態度は、正式な伯爵位を持つSランク冒険者として大変相応しい素晴らしき所作であるけれども、その冷たい瞳に宿った敵意は隠せません。
「バラン、私を一体どうするつもり?」
「素直に私と御一緒いただけるのであれば幸いにございます。
姫様に危害を加えるつもりはございません」
「姫様に、はね」
そう言ってエリスさんは私を庇う態勢を取り、エンデさんは御母様がいつも使っているオリハルコンのレイピアを抜きました。
これを彼女に持たせたのは、親友に対して「娘をお願いします」っていう意味なのでしょう。
御母様がこれを他人に持たせたのを初めて見ました。
「やれやれ、このオリハルコンを手に入れた時は、あのスカポンタンと一緒に豪い目に遭ったものだけど、これと共にこんな絶体絶命大ピンチなシーンに出くわすとはね。
こいつはさすがにちょいと分が悪い。
エリス、姫様達を連れて別の出口から逃げてちょうだい」
「わかりました」
「え」
いいの?
こんな本人が分が悪いと言っている戦いで彼女を一人にしてしまって。
でもアレーデも、いつになく硬い声で言い放ちます。
「姫様。
決して、みんなで戦って切り抜けようなどと思いませぬよう。
姫様は魔法が大変得意でしょうが、戦闘というものはそれだけで勝負が決まるわけではありません。
ましてや、今回は相手が悪過ぎます。
ここは多くの修羅場を潜り抜けてきたエンデ様に御任せいたしましょう。
私達がいては足引っ張りとなりましょう」
「姫様。
そういう事だから、よろしく。
安心してちょうだい。
分が悪いようなら時間だけ稼いで私も逃げ出すから」
ですが、その返事をする暇もありませんでした。
エリスさんは、エンデさんの指示通りに逃げようとした足を止め、瞬刻の内に踵を返すとスキルを発動いたしました。
先程とは比べ物にもならないほどの激しい閃光が私の眼を焼き、次に視力が回復した時にはエンデさんがバランの強烈な剣戟を盾スキルで受け止めていました。
「ふう。
御免、姫様。
前言撤回するわ。
とても一人では防げそうもない。
悪いけど、ここは二人で逃げて。
防御は貴女のシールドやバリヤーで凌いでちょうだい。
絶対に戦おうと思わないで。
このバランのスキル以外なら、あなたならなんとか凌げるでしょう。
あれからかなり飛んだから、そのうちには味方の援軍が到着するはず」
「そういうわけなので、姫様。
どうか御無事で。
御武運を御祈りいたしますわ」
本来ならば、こちらが御武運を祈って差し上げねばならないだろう絶体絶命の状況にある御二方から、逆に私の方が武運を祈られてしまいました。
今はそれほどまでに緊迫した状況で、あの強者と直接相対している彼女達よりも、この逃げ出す立場である私の方が遥かにマズイ状況であるという事のようです。
エリスさんからもそう言われてしまったアレーデは、返事もせずに私の手を取って反対側へと脱兎の如くに走り出したのでした。




